自分を追ってくる幼い羽根。
戯れるように舞い、この背をただ見つめている。
それは純乎なる瞳。
―――――疑うことさえ知らない視線。
それは瞬きながら憧れを伝える。
愚かしいほどに何も見ていないこの背を、自分の理想なのだと笑う。
………そんなことはないと叫びたかった。
自分の犯した罪に捕われて……幼気な子供にその蟠りをぶつけてしまいたかった。
それでも……自分はその目に映る理想でありたかった。
なにもかも亡くして……価値を剥奪されて。
その果てで待っていた、たった一つ変わらないもの。
…………変わらずに残り続けてくれたもの。
この腕にある価値を確信する瞬間などあるはずがない。
それでも……そう信じなくてはいけない。
それがせめてもの誠と………示してやりたいから…………
視えぬ空
羽の音がして、その来訪がわかった。
………読んでいた本を置き、男は顔だけをドアにむけた。それと同時にドアノブが回る。
ドアを開ける音とともに、成人にまだ達していない僅かに幼い声が聞こえる。
「シンタロー、いるかー?」
確認の声は限り無く軽い。……すでにその気配だけでいることを確信している。それでも一応の礼儀として声をかけるのだから、青年の育ちはいいと男は苦笑する。
そんな男の笑みと青年の目があう。………言葉を飲み込んでしまった青年の代わりのように、男は口を開いた。
「今日はどうした?」
穏やかな……声。深く澄んだ新緑のような声音に凍った青年の肢体が、ふと思い出したように機能しはじめる。
今さらなにを緊張しているというのか。
………あるいは、呟く言葉の意味を知っている故だろか…………………
言いづらそうに視線を逸らし、青年は小さく口をあける。……が、音は紡がれない。
幾度かそれをくり返しても青年は言うつもりだった言葉がでてこない。……困ったように眉を顰めても、焦る気持ちばかり膨らんでまったく意味がない。
………喉が干上がって痛みを訴えはじめる。それでも飲み込む息さえ儚い。
戸惑うように青年は逸らしていた視線を男にむけた。
交わる…何もかも承知した視線と………………
「…あ……………」
泣きそうな顔で青年は息を飲み込んだ。
今日自分が尋ねたわけを……彼は知っている。………否。勘付いている。
それでもあえて何もいおうとしないのか。……余計な世話だと、門前払いにだってできるのに。
情けなさに、青年の視界が歪む。この手を伸ばそうとしながら……結局彼に自分は甘えている。
もうずっと……幼い頃から……………
それでも…………
「どうした、バード………?」
彼は、笑うから。揺るぎなく笑ってくれるから。
それに、甘えてしまう。……甘えてしまってきた。
それがなによりも情けない。彼の中にあるその悼みに気づかないほど浅い繋がりではないのに。それでも幼さを言い訳に、逃げてきた。
その全てを許してくれることを知っていたから。ずる賢く卑怯な………幼子故に。
もうそんな無理を強いたくはないから……だから、来たのだ。
この男の背負うその深過ぎる傷を……せめてともに見つめられるくらいには強くなったつもりだから…………
「違…う……逃げたいわけじゃ、ねぇ………」
だから笑うな、と。そうつまる息を吐き出しながら、青年は微笑む男に告げる。……一瞬、意外そうに男の目が見開かれた。
そんな僅かな反応に軋む胸を自覚する。男が、逃げない自分を意外に思うくらいには………この腕はそれに触れることに怯えていた。
いまもこの腕は逃げたいと震えている。声は……怯えている。
それを許してくれるあたたかな声。………それはひどく優しい冷たさ。
溺れたくなくて……それに浸りたくなくて。青年は噛み締めた唇の奥から絞り出すように音を紡ぐ。
「今年は……俺も行きたい……から………」
だから来たのだと、震える声は小さく囁く。
逃げたくないから。……やっと、そうできるくらいにはこの身体も心も彼に追いつけてきたのだ。
いまだ遠くにあるその空蝉(うつせみ)を掴むにはこの腕が幼いままだと自覚しているけれど。それでも、傍らに立つくらいの成長はしたと……思っているのだ。
そう囁く子供のような青年を男は声もなく見上げた。
………彼が逃げていたことは知っていた。そしてそれを自分が望んでいることに自覚があった。
他のなによりも自分の背に憧れ、自分の価値を信じて追ってきた幼子。
それが……嬉しかった。
それが……歯痒かった。重かった。
ただ純粋に向けられる視線には厳然たる理想だけが映り……自分などいないのではないかと、思っていた。
それならいっそ、その理想のままの自分でありたかった。
………あの忌わしき夜。……愚かな自分の咎故の惨劇の月夜から、願っていた。
この幼馴染みの願うままに、あり続けることができたなら……きっと自分の願いを叶えられると…………
けれどそれは……自分の勝手な願いだったのか。
………幼かった子供は、こうして腕を伸ばしてくる。
知らなかったであろう苦しみを…辛さを苦味を噛み締めて臓腑に刻んで………それでもなお前を向こうと足掻いて……………
その先に佇んでいるのだという自分を、追い掛けている。
それは目を瞑っていた自分には気づけなかった変化。驚嘆すべき幼子の成長。
………それに…何故痛む胸があるのだろうか…………?
気づきたくなかったのは自分。彼の中にいるあやふやな理想のまま……存在していたかった馬鹿な自分。
犯した罪の償いのように……それだけを願っていた。
それにいつ……この青年は気づいたというのか。
この不様な自分を……それでも願って寄り添うというのか……………
幼い不器用な優しさに………胸が軋む。
吐き出したくはなかった思いが……ゆっくりと溶けていく。
………それは、万年氷と化した罪悪感が昇華される感覚。
消えるはずはなく……なくなるわけのない咎と傷が……それでも癒されゆくのだ。
歪む視界を見られたくなくて、男は自分の瞳を片手で覆い微かに笑う口元から小さな音を吐く。
それはひどく儚く……やわらかく澄んでいた。
まるで彼の日に見上げた空のように………………
ただただ男を慕い、なにも見ないで追い掛けていた幼い日の、彼を写した蒼穹の音。
ずっと……それを歪ませていた。なによりも穢したくないその色を…けれど暗雲の中迷わせていたのは自分の弱さ。
その躊躇いさえ承知している男の深い声が青年を包む。
「…馬鹿だな………」
いいことなど、なにもないのに。
それでも青年は瞳を歪めて見つめてくる。……自分の中で押さえるなと…囁く雄弁なる視線。
あの地に……忌わしさしか思い出せない地に赴いて……なにを男が思ってきたのか、青年は知らない。
………判るはずがない。それを経験したのは自分ではないから。
それでも…知りたいと青年は囁く。
だから逃げるなと、囁く。
たった独り立つことはきっと楽なのだ。無敵であることは、簡単なのだ。
………………自身を殺せば、如何様にでも装えるのだから……
そんなまやかしを捨てろと、大きくなった腕は暴くように男の瞳を覆う手の平を掴む。
いまだ幼い男の瞳。………その純正な視線はたった一度の苦味によって深く穿たれ傷つき……色を亡くした。
それでも……泣けるような笑顔より、憤りでも哀しみでも……ぶつけられた方がいいのだ。
そう思えるくらいには……この胸は大きくなった。支えられるくらいには……成長したから。
歪む視線を隠すように、青年は男の顔を肩に埋めさせた。
押し殺された声を聞かぬ振りをして………静かに目を伏せる。
もっと…もっと早く大人になりたかった。
ずっと憧れていた男の傍らに立ちたかった。守られるのではなく支えたかった。
………逃げ続けた自分にそんな資格があるのか知りはしないけれど、それでも思うのだ。
自分が彼を幻滅することなどあるはずがない。
彼は…もうずっと過去から自分の蒼天。
駆け抜けるあの果てない空が、たとえ雷雨に見回れようと……厭う理由に何故なるというのだろうか…………?
変わらず空は、蒼を従えて戻ってくるというのに……………
だから彼も気づけばいい。
この震える腕が、彼以外を願うコトはない事実を。
………自分の理想は、いまだ変わらず己なのだということを…………………
絶えまなき雨を降らせ、いま一度(ひとたび)嵐を呼べ。
そうして……何もかもを壊し埋(うず)め消しさってしまえばいい。
その先に待つ蒼天は、いままで以上に澄んで高く蒼を晒す。
……それでいいではないか。
傷を負わないものが前を進むことなど出来ない。
抉れた傷に雨を落とせ。
引き攣れた傷痕を風に晒せ。
―――――……そうして、何もかもを純化してまた前を向けばいい。
この腕は、いつだって彼の為に残されているから…………
キリリク20500HIT、ヒーローで『学習』に関することでしたv
………フ。素直にギャグで勉強でもやらせろよという皆様の声が聞こえますわ。
だって……書いてみたくなってしまったんです……
今回は「学習」ということで、相手の気持ちを知ること&自己覚知を考えてみましたv
一時期的ではあると思うけど……こうやってすれ違っていることを自覚する頃もあったんじゃないかなーと。
そうであることが、お互い楽だったこともあるだろーなーと思って書いてみました。
パーパがなんか……すっげぇイイ性格に見えるのは私だけでしょうか………?
どうも自分と似た真似されると嫌さヤツに変えてしまうくせが……(汗)
この小説はキリリクを下さった新奴里妃様に捧げますv
久し振りの訪問で見事ゲットして下さってありがとうございましたv
受験……大変とは思いますが頑張って下さいね。影ながら応援させていただきますv