かたわらにいつだって誰かがいる。
それがこんなにも嬉しいとは思わなかった。
……あの惨劇の夜からずっと、ぬくもりは無気味な脈動でしかなかったから。
視界に入る動くものは……自分を殺す幻だったから。
誰かが傍にいることを……こんなにも素直に喜べる自分がいて、本当によかったと思うのだ。
だから、まあ構わないと思っている。
ちょっとくらいの騒がしさも、面倒さも。
それに勝る幸せを、きっとみんなも知っているのだから……………
啓蟄の候
陽射しに伸びをして、男は空を見上げた。
晴天というに相応しい真っ青な空。所々に浮かんだ雲がより青を引き立てていた。
「ダー………!」
幼い唸り声に男は足元にいる二人を見る。
まだ赤ん坊というにふさわしい自分の息子と、つい先日から家族に加わった虎がシッポの取り合いで遊んでいた。微笑ましい姿に自然笑みを浮かべると、不意に人の足音が聞こえた。
よく見知った気配に男が視線を向ける。
たいした時間差もなく、案の定想像した通りの女が木の間から顔を覗かせた。
腕に抱いた赤ん坊になにか話し掛けていた女は顔をあげ、呆れたように笑いながら男に声をかける。
………どこかやわらかい音に青年と赤ん坊も顔をむけた。
「なぁに、シンタロー、あんたもまた来てたわけ?」
仕事はどうしたのだと揶揄する声音にばつの悪い顔を返し、男は女に拗ねたように答える。
「………こいつにヒーローの遊び場所教えてるんだよ。俺が仕事の時は任せるし………」
「え………?」
指差された青年に視線をむけ、女は戸惑うような表情を一瞬見せた。
いままで男が仕事の時は家が近いせいもあって自分がヒーローの面倒を見ていた。同じ年に産まれた自分の赤ん坊とも気があったので厭う理由もなかったし………なにより男との大切な接点だった。
誰かの為に駆け出してしまう男を待つことは嫌いではなかった。家を守ることが自分の役目であることも知っている。
たとえそれが何の約束もない間柄であったとしても、男の信頼の深さを女はよく理解していたから…………
それがなくなることを、想像もしていなかった。微かな寂しさにぎこちなくそれでも勝ち気な顔を崩さずに女は笑う。
「……そう。じゃあ私もあんたの面倒見る必要無くなるわけね!」
どこか吐き捨てるように呟いた不敵な笑みの女に、男は困ったように笑って足元の青年の頭を軽く叩く。
きょとんとした幼い視線に苦笑を返し、男は女に囁く。
女の声に隠された不安や寂寞を溶かすように…………
「そうだったらよかったんだが……。タイガーはまったく!なんにも知らないし出来ないから、まだお前の手を借りたいな。……ダメか?」
期待を……持たせたいわけじゃない。自分も女もいまの関係を好んでいるから。
つかず離れず、自分達の家族を抱いて互いの背を支えて。
それこそが至上の関係だというなら、これほどに幸せなことはないのだけれど………
申し訳なさそうな虎の視線が女に向けられる。………つい先日聞いた噂に出てきた乱暴者とは思えないその仕種に女はゆったりと笑う。
この青年もまた……男の背を追うもの。自分と同じく……けれど違った方法で追い続けるのだ。
男がその手を必要とする時、すぐにでも駆け付けることのできる位置で、その力を有しながら…………
……………羨む気は、ない。同じ意味で追い掛けることを望んでいるわけではないから。
だから、艶やかに女は笑う。どんな男も自分を跪かせることは出来ない。そうしてたった独り、生きる覚悟をしてきたのだ。
それでも見つけてしまった光。…………それの望むことなら、仕方ないと笑うしかないではないか。
悔しいから、絶対に教えてなどやらないけれど………………
「……しかたないわね。あんたなんかどうでもいいけど、ヒーローくんは私のかわいいミイちゃんのお婿さん候補だものね。面倒見てあげるわよ」
誇らしげに微笑む女の揺るぎない自信の所以。……それに気づいた青年は不思議そうに男を見上げた。
特別なにかを持っているわけではない。あるとすればそれはこの男自身の携えた魂と肉体。……深い声音の紡ぐ穏やかな旋律だけ。
そしてそれこそが……彼の元に人の集まる所以。
願うこと、望むことを知ってくれるからこそ……それに応えようと誠意を示す故に彼の元に人は安息を求め集う。
………それが男にとって負担ではないのかなんて……自分が言えた義理ではないのだけれど……………
少しだけ項垂れた虎に男は小さく笑う。感情の吐露を暴力以外で示すことを覚え始めた幼子は、少しだけ回りを見る余裕が出来た。それ故に、自分の立場を考えるようになっている。
何も持っていない自分を歯痒く思う気持ちは、男にも経験があった。……その時は女が自分にその術を与えてくれた。
だから……今度は自分が与える番なのだ。
「ほらタイガー、ちゃんと挨拶しろよ?お前、世話になるんだからな!」
「……………よろ…しく……。えっと……?」
「…………アマゾネスよ。この子はミイ。手加減なんかしてあげないから、きっちり覚えていきなさいよ?」
戸惑うような辿々しいしゃべり方に女は苦笑する。………まるで言葉を覚えたばかりの赤子のようだ。自分の知っている言葉のなかでなにが正しいのかを模索して話すような拙 さは確かに自分や男の庇護欲に触れる。
なぜ男がこの青年を……素性もよく判らない乱暴者を家に招き入れたのか、判る気がした。
力強く…男に酷似した笑みを浮かべる女の差し出した手の平を握ろうとした瞬間………青年は強い衝撃を受けて地に突っ伏したのだけれど……………
その途中でぶつかった女もまた地面に倒れた。………尻餅をついただけだったから腕のなかにいた赤ん坊に怪我はなかったけれど…………
これがもしも前に倒れでもしていたら………………! 涌きいでる怒りは正当なもの。押し止める必要など女にはない。静かに怒りをしみ出しながら、ゆっくりと女は立ち上がった。
突然のことに対処しようのなかった男が一瞬惚け、慌てて疾風のごとく現れた青い羽根の名を叫んだ。
「バード!?」
男の声に反応するように、甲高い赤子の泣き声が女の腕のなかから響いた。………瞬間、凍るような冷気があたりを包む。
ヒクリと顔を引きつらせ、男は微かに青ざめる。女の怒気ははっきりいって他を圧倒する迫力があった。
野生の本能か、虎もまたその気配に気づいて強打した顔を押さえながら緊張にシッポを立たせていた。
足元に避難してきたヒーローを腕に抱え、男はどう収集をつけようかと頭を悩ませる。……が、現れた原因たる青年はそんなこと気づきもせずに虎に怒鳴り付けた。
「こんの馬鹿虎〜ッ!やっと見つけたぜッッッ」
まだあちこちに包帯をしたままの青年は息をまいて叫ぶ。……が、まったく虎は反応を返さなかった。
それに訝しげに眉を潜め、再び怒鳴ろうとした瞬間………男の声が先に青年の耳を覆った。
…………どこか溜め息まじりの声には微かな疲労が滲んでいた。
「バード……、お前自分がなにしたかわかっているか?」
「は?………馬鹿虎踏んづけた?」
額を抱えて心労を溜めた男の声に青年は不思議そうに応えた。……が、半分正解でありながらもその答えは大きく間違えている。
盛大な泣き声が……聞こえないのだろうか………?
それにようやく気づいたらしい青年は顔を青ざめさせ、表情を凍らせる。女の怒りに晒されるだろう青年に哀れみはあるが……それでも自身の責だ。小さく溜め息を吐き、男は声をかけた。
「タイガーが踏まれたせいでアマゾネスが倒れた。………その衝撃と音でミイちゃんが大泣きだ。この場合、誰が悪い?」
「…………………………オ……レ…………………?」
乾いた声で小さく尋ねるバードの顔は憐憫の情が湧くほど蒼白だった。
けれど変えようのない事実もまた同じ。……男は小さく頷いた。
「そうだな。で、こういうときどうすればいいのか判るか………?」
無駄な可能性がかなり高いけれど……それでもするとしないではかなり違いがある。
まるで幼子を相手に諭していくような自分に少し頭痛を覚えるが仕方ない。もうこれも変えようのない性分だ。
怯えるように震え、顔を俯かせた青年はどう見ても子供だったせいもあるかもしれないけれど………
「あ、謝れば……平気………か、な?」
肯定を期待している声音にそれでも望む言葉は与えられそうにないことが女の気配で知れる。
ちらりと女を盗み見ても、いまこうして自分達の会話が終るまで待っているだけ奇蹟に思えるほどだった…………
深く溜め息を吐き、男は青年の背を叩き、くるりと反転させて女と対峙させる。
「………頑張ってこい」
呟きにはどこか空々しさが滲む。が、それでも勇気づけられたらしい青年は息を飲み込んで女に向き合った。
はっきりいって尋常でないプレッシャーを感じる。ヒクリと喉が引き攣れたように鳴った。
乾いた喉を潤すように息を飲み込み、青年はゆっくりと口を開いた。
「えっと……、あ、あの…………アマゾネス、悪い……。怪我、なかったか……?」
反応を返さない女に更に疑惑と恐怖が渦巻く。それを眺めていた男は深く息を吐いて腕のなかの赤ん坊をびくびくと対峙した二人を見ている虎に渡した。
「………………タイガー、ヒーロー頼むな」
「ガウ……?」
受け取りながらも不思議そうに見上げた虎に苦笑をこぼし、男は二人の間に入っていった。
………瞬間響く、女の高い怒鳴り声……………………
「ふっざけないで! 私のかわいいミイちゃんが危うく怪我するところだったのよ!? あんたが大怪我したっていうからせいせいしていたっていうのに、治ったと同時に私達に迷惑掛けに来るってどういうわけかしら!?」
「落ち着けアマゾネス!バードも悪気があったわけじゃないって………」
「怪我がなかったんならいいだろうがっ!謝ってんだろ!?」
「お前も煽るなって!」
「誠意ってもんがないのよ!」
「お前相手にそんなもの持てるヤツがいるかー!!」
「なんですって〜!?」
どんどんエスカレートしていく二人の怒鳴り声にアマゾネスの腕のなかにいるミイは再び泣きそうにぐずり始める。
それに気づいた男は深く息を吸い込むと、二人の耳に突き刺さるような大声で叱りつけた。
「いい加減にせんかーッッッッ!!!」
……………………ビクリと二人の動きが同時に固まり、ミイも喉を鳴らして息を飲み込んだ。
しばらく流れた静寂のあと、大人気ない二人をあらためて叱る男を眺め、虎は小さく笑った。
結局、あの男にかなうものはいないのだろうと楽しげに………………
キリリク20800HIT、パーパ保父さんほのぼのでした。
……っていうか……これ私の日常じゃ……………(遠い目)
保父を見たことはないのですが、保育士は腐るほど見続けているので(オイ)書き易かったです。
私にとって保育で一番困るのは『叱ること』です。
子供相手にどうすればそれが伝わるのか、一番悩みます。
のでそれについてにしてみましたv ………こんな大人を諭さなきゃいけないパーパにちょっと同情(笑)
この小説はキリリクを下さった朗様に捧げますv
ほのぼのって……こんな感じですか??