風が舞い降りる。
空からゆっくりとやわらかく。
その風を感じ、閉じられた瞼はやんわりと開かれる。
光が満ちる。
愛しき世界の化身。
眇めた視線は優しく霞み、流れるものさえあたたかくこの身を包む。
彼の人を亡くした時にこの身は空虚だった。
孕んだ赤子の意味さえ見出せない虚しさに、幾度零したか判らぬ涙。
空すら知らないその雨を、けれど掬いとる指先を知ってしまった。
どこも似てはいないのに。
その声も。その笑みも。その魂さえも……………
それでもこの心は疼く。
決して暴力をふるうことのない情けない……けれど誰よりも強き男より吹く風に…………
If you…………
目の前に横たわる姿が信じられなかった。
………誰よりも強いと知っている。そうでなければこの森で王者などと讃えられるわけがない。
この地球の王者だなどと、誰も認めるわけがない。
所々焦げたように黒くなった皮膚。浅く繰り返される呼気。毛先もよく見れば縮れ、一体なにを受けたならここまでひどい火傷を負うことができるというのか、女には信じ難かった。
人は全身面積の2割以上に火傷を負えば生命に危険がある。
そんな当たり前のことをこの男が知らないわけはないのに……………
簡単に想像出来る理由に、どれほど唇を噛んだところで意味はない。固く握りしめられた掌に食い込む爪の痛みだってこの遣る瀬無さを霧散することなど出来ない。
いつだって人の為に。
………誰かの為に奔走する馬鹿な男。そうだからこそ、誰も頼りとしなかったこの背を見せても恥じないでいられるのだけれど…………
それでも歯痒いのだ。悔しいのだ。
家でただ待つことしか出来ない。戦場で足手纏いとなる自分をよく知っている。だから、決して自分は彼にいわない。態度にすら見せない。
そうであったとしても彼はきちんと知って……笑顔のまま帰ってきてくれる。少し尻込みしたように、自分には絶対にかなわないという視線で仕方なさそうな笑みを浮かべて……………
それが……苦しげな吐息と全身の火傷とともに帰ってくるなど思わなかった。軽い気持ちで見送ったことを後悔などしないけれど、なにも出来ない自分を自覚しなくてはいけない瞬間がひどくいたたまれない。
それでもどうせこの男は笑うのだ。そうしたかったのだと。………その為に命を落とすことなどなんとも思わずに…………
死ぬ意味を知ってしまっているが故に、彼は生きているのだと知ってはいるけれど―――――――。
「…………莫迦ね…」
ふらりとその枕元により、発熱に浮かぶ汗を拭うとこぼれる言葉。
幾度繰り返したか判らない。男という生き物は結局は莫迦な生き物だから。
………自分達のように現実だけを守って生きることが困難な、………だからこそ輝く羽根を携えられる生き物だから……………………
全身を覆う真っ白な包帯。微かに鼻先を掠める薬草の匂い。耳に聞こえるのはただ小さく繰り返される男の苦しげな呼気。………別に初めてではないのだ。
この男の生きた時間と、ほぼ同じだけ自分も生きてきた。同じ光景を……場所は違えど見つめなければいけなかった。
だから判る。命に危険はないだろうことが。……この男の生命力はなによりも強い。
強くそう自身に言い聞かせ、女はこぼれそうな呼気を唇を噛んで耐える。
―――――――心配なんかしない。涙など流さない。
そんな弱さを見せて、一体何の足しになるというのだ…………?
守られたいわけじゃない。縋りたいわけじゃない。……その背を支えたいと思う身に、いま流すものなどない。
微かに聞こえる羽音に耳を澄ませ、女は音も立てずに立ち上がる。やわらかな視線が男の容態の安静を看取り、名残惜しげにその背を翻した。
眼下に広がる樹海の僅かな途切れ目に佇む影を見つけ、青年は意外そうに眉を寄せた。
てっきり室内にいるまま離れることはないと思っていたのに…………
そんな面持ちを隠さぬままにその影の前に舞い降りた青年は手に抱えていた薬草を渡しながら声をかける。
「………シンタローの具合は?」
適格な処置をすぐには施せなかった身に、この問い掛けはいいづらい。
それは知識がなかったとか、薬草を携えていなかったとか、そんなわけではなく……男自身が息子の癇癪をおさめる為に後回しにしたに過ぎないのだけれど…………
それでも遣る瀬無さに変わりはない。同じ場所にいながら、男はたった一人でなにもかも背負う性質を曲げはしないから。
言いづらそうな声音に隠された悔しさを感じ取り、共感したくもない物思いを共有してしまう事実に微かな溜め息を落として女は答えた。
「意識が戻れば平気でしょ。………水分不足は否めないわね。まあ目を覚ましたらとらせるけど………」
本当に頑丈にできているわと軽口を叩き、女は青年から渡された薬草の種類と量を確認する。
それを見つめながら、青年は居心地悪そうに視線を逸らせ、小さな声を落とした。
……風にさえ攫われる、聞き取られることを願わない声音で…………………
「悪かったな、何も出来なくて………………」
守ることも出来ない。支えることも出来なかった。
ただその笑みの強さに押し退けられ、その頑迷さを貫かせることしか自分には出来ない。
……この女のように、男の無茶を面と向かって非難することも、怒鳴り付けることも出来ない。
同じようにその身を案じていながらもこの差は何故なのかなど、問うことさえ愚かだけれど……………
水を打ったような沈黙の中、女は微かに視線をあげる。薬草の束が風に揺れ、小波のようにやわらかな音を醸した。
絡む視線の至純に、知らず息を飲み込む。………これは自分が追い続けた男の持つ至高にあまりに似ている。
たおやかな腰肢は、けれどなによりも屈強な男を容易く搦め貶める。
……………そんなくだらなさを持ち得ない廉潔(れんけつ)なる視線。
静かに唇が開かれる。風が……舞い降りてきた。女の豊かな髪が静かに揺れ、落ちる。
「あの莫迦を曲げることができるわけないでしょ」
莫迦は莫迦なままだから価値があると小さく笑って女は答える。
誰もあの魂を歪ませることは出来ない。かつて歪んだ時でさえ、彼は自身の胆力のみで蘇ったのだ。……誰の力も必要とせずに…………
寂しげな囁きは、けれどそれを知らしめない笑みにのせられて囁かれる。
呆気にとられたように目を丸くした青年に艶やかに笑い、女はゆっくりと息を吸い込んだ。
最低でも明日まで、この家に子供を連れては来れない。それならば自身の家で待っているわが子と男の息子をなだめる為に赴かなくてはいけない。
けれど知っている。……自分が戻っても男の息子は甘えることは出来ない。
母親を知らないあの幼子は、自身の妻に遠慮して、決して泣きついては来ない。
……それなら……………
「バード。……看病は私がしておくわ。ミイちゃんとヒーローくんを今日は見ておいてちょうだい」
「え………? で、でもミイちゃんが………」
女の言葉に青年は即座にその溺愛している娘のことを思う。
はっきりいって同じ男同士であるヒーローはどうにか扱えるけれど、この女によく似たミイを自分がなだめられるとは思えない。
顔に浮かべられた尻込みの気色をきちんと読み取った女はニッと笑い、その背を翻らせる。
フォローも対策もせずにあっさり見限って室内に戻ろうとする女に慌てて青年は声をかける。
「ちょ……っ! 聞けよアマゾネスッ!」
切羽詰まったような青年の声音に、女はゆったりと振り返る。
長い黒髪が、やんわりと舞った。
そのあとを追い掛けるように響く声はなによりも澄み渡った清冽(せいれつ)なる音色。
「なにを言っているの………?」
唇が笑みを象る。
………清艶というに相応しいそれに気押された青年は言葉を飲み込む。
囁きは止まらない。緩やかなる流れのように滔々(とうとう)と……………
「私のミイちゃんがこの程度で慌てるわけないでしょう……? 女の強さを忘れないことね」
言葉の余韻さえ消えない間に女は再び振り返りドアに手をかけると音さえ残さずに室内に消える。
その背を惚けたように見つめながら、青年は溜め息を落とした。
あの女を見続けて、女を弱いなどと思えるわけがないと小さく笑いながら…………
僅かに室内は暗い。
外の陽光に慣れた視界が一瞬それのついていけずに辺りを闇に変えてしまう。
眉を顰めてゆっくりと目を閉じその暗さに慣れると、女は近くにあった机の上に薬草を置き、数束を残して天干しした。
窓を占めた音が室内に思いのほか響き、窺うように男を見遣ると……僅かに睫が震えている。
その枕元にはやる気持ちを押さえて座り込み、浮かんだ汗を拭いながら声をかける。余裕など、ある筈もない声音を出したくなくて、息を飲み込みながら震えを押さえ込んだ音 は男にしてみれば滑稽なものだったかもしれないけれど………
「シンタロー……? 目が覚めた?」
どこか焦点のあわない視線はまだ覚醒していないことを知らせるけれど……女は囁く。
微かなその音は風よりもなお軽く、男の耳にさえ届かないかもしれないけれど………………
「……シンタロー…………?」
愛しく…その名を囁く。決して普段は口に出来ないその名を。
こんな時しか伝えることのできない思いをのせて……決してその耳に触れないほどの微かさで……………
それが聞こえる筈はないのに、ゆったりと男は笑う。
………やわらかく、なにもかも包み込む深さで………………
心配するなと声も出ない唇は掠れた吐息と僅かな動きだけでそれを示す。
不器用なまでに優しいその笑みを見、女は小さく男を罵るように囁くけれど………
「莫迦じゃ……ないの……………」
息さえも弱々しく、脂汗の滲む顔で…それでも一体なにが大丈夫だというのか。
見つめた視線が揺れることさえ知らず、女はその指先を優しく包み込む。
たとえどれほどの愚か者でも構わない。
男の瞳が曇ることのないように、その背の憂いをなくしたい。
この腕に、その価値があると示して欲しい。
やわらかく包まれたぬくもりに、女の頬を一筋の涙が零れ落ちた………………
キリリク28500HIT、アマゾネスの話でしたーv
………久し振りにアマゾネスを主に書けてかなり御満悦です♪
女の人っていいですよねー、書くと華があって。男だとこうはいかないなーと………
今回は雷虎の回のその後ということで。ほら、五百万請求に来た時パーパ包帯していたから(笑)
やっぱりひどかったんだろうなーと。つうか普通雷直撃して生きていられるわけないんですけどね…………
なんだかんだ言ってもかなりショックだったんじゃないかと思って。バードもね。結局なんにも出来なかったし。
なので今回は二人に出てきていただきました♪
………さり気なくバードもアマゾネス好きそうで怖かったです(笑)
あ、タイガーはミイちゃんとヒーローと一緒に御留守番です。でも食事とかつくれないのでまかせっきりには出来ない☆
この小説はキリリクを下さったさっぽこさんに捧げます。
アマゾネスと言うリクは初めてだったのでかなり嬉しかったです♪