小さな腕。
………弱い腕。

価値の欠片もない、穢れた腕。

この腕が太く逞しくなることだけを願った。
生きる為に強くなりたかった。
…………否、全てを破壊する為に………………………………

壊したかった。生きる意味もなく存在するにはこの世界はあまりに美し過ぎて泣きたくなる。
全てを無にして……自分が生まれた意味を見い出したかった。
この世界を粛正する為に生まれたのだと思いたかった。

そうすれば……哀しみも湧かない。
辛くはない。
だから壊したかった。

…………この世界に愛されたその魂も。

漆黒を靡かせ力強く笑んで立ちはだかった慈父の象徴。
引き裂いた腕の鎌が……何故に泣いたのか知りない。
滴る赤が男の息子の涙に変わっても……自分の心の痛みが悲しみ故だなど判らなかった。

全てはあの男から始まった。

…………世界が、優しく包み込む……………………





序曲の足音



  鎮座したまま動かない目の前の子供に男は深く息を落とす。
 ………正直…あまり関わることが得意な子供ではなかった。心を開こうとしないせいかまったく自分に向けて感情を零してこない。
  いっそあの傍迷惑な子供の部下のように我が侭にふるまってくれたならもっとずっと理解出来る。
 垂れ込めた男の溜め息に気づいていても眉ひとつ動かさない子供は無言のまま差し出されたままのお茶を啜った。
 微かにぬるくなっている。この家にきてからの時間経過をしら示すそれに子供は微かに視線を眇めた。
 それに気づいて男は改めて声をかけようと自分の分のお茶を一口飲み込んだ。
 「…………とりあえず…、いま急いでサクラに解毒剤作ってもらっているから…………」
 幾度繰り返したか判らない言葉を再びのぼらせ、男は窺うように子供を見遣る。
 端正な顔立ちが青みがかった髪に包み込まれたまま鎮座している。まるで人形かなにかのように表情を置き忘れたその姿はいっそ痛々しい。
 微かに顰められた眉にそれを知り、子供は小さく息を飲み込んで立ち上りかけた意識を嚥下する。
 ………別に憐れまれる理由はない。
 こうして生きて当然の生だった。それをこの男とてよく知っている筈なのに。
 その逞しい胸元を切り裂いた腕を誰が所有していたか忘れたわけでもない癖に……………
 一瞬湧き出そうになった囁き。
 決して零すことのできない声を胃の奥に落とし、子供はうつ伏せ加減だったその視線をゆっくりと男に向けた。
 青い視線が静かに男を染める。それを受けて開きかけた唇を押し止め男は子供の言葉を待つ。
 その姿を見つめれば、なにかが……湧く。
 静かに滔々と。決して自分には与えられないと思っていたなにかが………………
 ………………そんなもの気にもとめないことを決めた子供の淡々とした声が静かに流れた。
 「………竜王が騒ぎ出す」
 それが憂鬱なのだと言外に囁いてみれば男は目を瞬かせる。まさかこの子供がそんなことを気にかけていたとは思わなかった。
 ………男の記憶に残っている子供は親を………特に父親を嫌い憎んで反抗していた。
 其れ故に犯した暴挙はこの身に深く痕跡を残していた。
 今更そんなもの蒸し返す気もない男はどこか穏やかな風をまとったまま静かな笑みを浮かべた。
 正直……嬉しいと思うのだ。
 泣きそうな瞳で破壊することの痛みを知っているから。
 ……………自分も周りも傷つけて、それでも何一つ救われることのない無限地獄のような苦しみを知っているから。
 そこから這い出して光りあるなにかを掴もうと歯を食いしばる力を携えた子供に自然湧く笑みがある。
 注がれる優しさに一瞬子供の肩が揺れる。
 初めて見(まみ)えた時にも感じた。……それは自分に注がれたものではなかったけれど。
 深く…人を愛しめるこの魂を見つめた瞬間沸き起こった憎悪。
 それを与えられるものと、与えられないものの格差。
 唇を噛み締めても泣きわめいても決して埋まることのないそれが無性に腹立たしかった。
 まっすぐに自分を写すくせに、それを注ぎはしない眼前の慈父。
 …………切り裂いたなら虚しさは消えると思った。もろ過ぎる肢体を刻んで…血に染めあげて。
  そうしたなら吐き出す呼気が軽くなると思ったのに……………
 ただただ重くなるだけだった過去。
 あの頃と変わらない笑みで……けれどそれをまっすぐに自分に注げ男の面がどこか眩しい。
 静かに俯けた顔をきっと男は不機嫌になったのだと解釈してくれるだろう。表情を隠し込んだまま、子供は軽く瞼を落とした。
 案の定不快に思ったのだと勘違いした男は少し慌てたような不貞腐れたような声で小さく囁く。
 どこか幼い物言いは、逆に子供が笑みを落としたくなってしまうほどで…………
 「悪かったっていってるだろ? 俺だってまさかこんなことになるなんて思わなかったんだから…………」
 思ってもみなかった。………当然だ。
 たまたま果樹園にいけば青年がいて。いつものように軽く声をかけて立ち去ろうとすれば何故か青年がついてきて。
 ………対処に困ってとりあえずはずれにあった小さな桃の実をもぎ取った。
 季節外れもいいところな桃はけれど瑞々しさが触れた皮膚からでも判るほどで、きっと甘くておいしいと思ったから青年に手渡した。
 父と一緒に食べなといえば一瞬顰められた眉。……それはいつものようなからかいに不快を表すのとは微妙に違う気がして、男はきょとんと青年を見返した。
 それを知っていながら青年は答えず、皮の剥き方を尋ねて立ち去った。気になったその背中を見送り、男もまた帰る途中……いつも通り虎を捕まえてはしゃいでいた少年に会ったのだ。
 そうしたなら………有無をいわさずに籠を燃やされた。何事かと慌てればもぎ取った果実は桃ではなくて………肉体を退化させる異種なのだと教えられた。
  一気に青ざめさせた顔をそのままに慌ててわかれた場所に立ち返ってみれば何故か去っていった筈の青年はそこにいて…………呆然と自分の腕を見つめていた。
 ……………………………小さく小さくなってしまった細いその腕を……………
 思い出して、男は溜め息のように息を吐き出す。
 混乱しているらしい子供をとりあえず放り出すわけにもいかず、抱え込んで家に連れ帰った。途中少年に頼んで解毒剤を調合するようにいったけれど……その間さえ決して顔を見せようとはしない意固地な肩。
 それに、どこか違和感を覚えていたけれど……………
 「まあタッちゃんやリュウに見つかる前には元に戻るさ。サクラもあれでいったことは守ってくれるし」
 暗くなりそうな子供の気配を努めて明るくしようと男は声をかける。俯けられた面はあげられず、仕方なさそうに男の腕がそのやわらかい青に埋められた。
 そうしたなら、驚いたように目を見開いて見上げる視線。
 ………そこまでの過剰反応が返ってくるとは思わなかった男もまた目を丸くして子供を見つめ……次いで思い至った答に寂しげに眉を垂らした。
 失念していた。……子供は抱き締める腕を持たずに育った。自分のように得ていながらも拒否して立ち続けたのではなく……強制された。
 だから戸惑っているのだろうか………?
 突然小さくなってしまった逞しかった躯。大人に抱き締められることを許される小さな…………
 優しさを注がれ、愛されることを許してもいい肉体。………それを願ってもいい……………………
 顔にのぼったその思いに気づき、子供は気まずげに視線を逸らして男の優しい腕を拒むように頭をふる。
 それが切なくて、男は子供にたちかえってしまった青年をその腕の中におさめやわらかく頭を撫でる。優しく……幼子を眠らせるようなその仕草。
 鬱陶しいと拒絶することはできた。……暑苦しいと拒否することも。
 自分を包むこの腕はそれでもただやわらぎを与える為に差し出されるから………………
 泣きたく、なる。
 どうしてこの男なのだろうか。まるで父の象徴のようなその魂。だからこそ嫌悪して……憧れた。
 あの瞬間、小さくなってしまった腕が……鎖をかける気がしたのだ。
 お前は救われないと囁きかける蛇が肌を滑る気がした。罪の証のような愚かしい自分の幼い頃。それでも包まれたいと願う浅ましさ。
 声が……降り注ぐ。いたわる為にある、強く深い声音。
 聞くものを酔いしらせる妙なる響き………………
 「なあクラーケン、子供もいいもんだろ………?」
 甘えてもいいのだと囁く。………背を預けて息を吐いて、そうして眠ってもいいのだと。
 微かに霞んだ視界を厭い、子供は深く息を吸い込む。
 胃の奥を満たす男の香を静かに嚥下し、瞼を落とした。
 …………ほんの一時。すぐに終ってしまうこの愚かしい茶番。
 それでも愛しい空間がこの腕の中にはあるから。
 子供は躊躇うようなその指先を男の背に回す。…………幼かった頃、与えられることも与えることも出来なかった優しい抱擁。
 気づくか気づかないか……小さく男の言葉に頷いて、子供は頬を滑りそうなその熱を優しい鼓動に押し付けた……………………








キリリク34343HIT、変な実シリーズ「子供になっちゃう実」でクラーケンが子供化、パーパがそれを可愛がる!でした。
………パーパ可愛がっているかはかなり謎(オイ)

クラーケンはあの生い立ちなので小さい頃に抱き締められたことはないでしょう。
ついでに度重なるストレス。こうなるのも目に見えるわな(笑)
だからある意味スゴイと思いますよ〜。ちゃんと認めようと前を向くことができたのは。
でも甘え方は判らないと思います。のでパーパはお父さんv
………私の中のクラーケンとパーパのイメージはこんなものです。
なに考えているか謎の馬鹿息子と、扱い方に戸惑いつつも放っとけない父。

この小説はキリリクをくださったユキさんに捧げます。
なんか親子ものになってしまいました(汗)