翼ある者 我は問う
汝らはなにを見ているか
我らには底知れぬ緑しか見えぬ
雄々しく空を飛ぶ君に問う
我らを見下ろし 君はなにを見る
我らには空と太陽と君しか見えぬ
翼ある者よ 我は問う
我らは何故に生まれ 死に逝くのか
雄々しき者よ 我は問う
我らは何故に翼を持ち得なかったのか
翼よ
我は願う
この背に汝が在らんことを
神よ
我は祈る
この空を飛ぶことの叶う日を
翼ある者よ
汝らを縛る者は何もあり得ない
背に翼を抱きしものよ
我らの魂を彼の地に導け
黄金律の絶対者の元へと
それはどこかしら宗教色を臭わせる歌詞だった。ただ、ひどく不器用な旋律が優しく紡がれていた。
カイが聞き取れる言語の音はほんの一フレーズで、もっと重厚な、重みの在る流れもあった。……けれど、カイの耳には一際その一節が残った。
……まるで魂を揺さぶるような、声だったのだ。
ひどく激しい、熱いモノが込み上げて苦しいような、そんな錯覚を受けるほどだった。
最後まで語り終えた子供は、それでもカイに視線はむけなかった。
まるで自分の許しがなければ語らないと言っているような頑な小さな背をカイは苦笑して見つめた。
――――……互いに顔は合わせない。
背中だけが繋がった、そんな位置関係。
けれどひどく、その背は暖かかった。
無言のまま寄せられるその気遣いに、泣けるほど心がつまる。
「………爆殿…」
つめていた息と共に吐き出した声に、爆の背が僅かに揺れる。
微かな逡巡を経て、小さな応(いら)えがあった。
空気を最小限に震わせた、そんな…爆には似つかわしくない声だった。
「………なんだ」
その声の余りの頼り無さに、カイは一瞬言葉を失う。
ずっと忘れていた事実。……爆はまだ、たった10歳の子供なのだ。
誰よりも広いであろうその心の包容力に甘えて、また自分は子供の負担となっていたのだろうか………?
かけるべき言葉を見失い、カイは少し慌てた声でその場を繕うように答えた。
「あ……!いえ、その…、爆殿でもそのような歌をうたわれるのですね」
何も考えずに出た言葉は余りにも脈絡がなく、しかも相手に不快感を与えかねないモノだった。
言った後に後悔しても遅い。訝し気に振り返った爆の視線をカイは居心地悪げに受け止めた。
暫く、そんな気まずい沈黙が流れた。
しかしそれはすぐに爆の声によって打ち消された。
「……これはガキの頃に院で習ったものだ。習慣として身についているからな」
ぶっきらぼうなその言葉にカイは初めて爆が孤児院で育ったことを知った。
滅多に自らのことを話さない爆の、その過去に触れ、カイは呆気にとられたように爆を見つめた。
それが居心地悪かったのか、爆は少し眉を顰めた。
「……なんだ。オレが歌ってはいけないとでも言うのか」
「あ、いえ…そうではありません。ただ……」
「ただ、なんだ?」
苛ついたような物言いは明らかに照れを隠す為だ。こうした所はまだ幼さが
残っていて、カイは少しほっとする。
まるで生き急ぐように爆は前に進むから。あまりにその身に無頓着だから……
時折見せるその幼い年相応の感情が、ひどく暖かく映るのだ。
そのせいで浮かぶ口元の微笑に気付きながらも、カイは消すことは出来なかった。
そんな幼さが愛しいと気付いてしまったから……
「あなたが神と言う言葉を好む人には思えなかったもので……」
呟けば爆はそんなことかと言わんばかりに呆れたように息を吐き出していた。
カイを睨んでいた瞳はまたくるりと後ろを向き、その背が寄り掛かってきた。
暖かい温もりにカイが気をとられていると、爆は静かに言葉を紡ぎ始めた。
「別に嫌ってはいないからな。絶対神がいるとは考えんが、神という言葉をそれだけに当て嵌める気はない」
「……と、いいますと?」
興味深げにカイが先を促せば、爆は遥か彼方を見つめ憧れる……幼い瞳のまま答えた。
「……出会いであれ発見であれ、自分のなかで価値あるものであれば、それを神という言葉に置き換えてもよかろう」
爆の言葉にカイは微笑む。
……だから、なのか。あんなにも心を込めて切ないほどに綴っていたのは。
爆にとっての神は、この世の全て。
自分が見つめてきたものにこそ意味があり、価値がある。
ファスタの世界も、前GCの炎も。そして自分やピンクさえもが……
言葉とすることをあまり好まない爆の、最大の賛辞。……否。その幼気な心の片鱗。
それが嬉しくて、あまりにも温かくて。
カイは肩に寄り掛かっていたその背に腕をまわした。
「………?」
突然まわってきたその腕に爆は奇妙な顔をしてカイの顔を見上げた。
温かな抱擁は居心地がいいが、一体なにがあってこのような態度にでたのか判らない。
相手がなにを望んでいるか判らないままに寄り掛かるという甘えは、残念ながら爆には出来ない事だった。
戸惑った気配を向ける爆に、ほっとカイは息を吐く。
……厭ってはいないことへの安堵のため息は、次いで意味には気付かれていないからだと
思い至って苦笑へと変わった。
そんな不審な反応にますます爆は顔を顰めた。
……それでもその腕から逃れようとはしない。
それが幼さ故の反応であっても、カイには至福だった。
「……爆殿」
腕の力を強め、カイはちょうど間近にあった耳元に囁く。
吹きかかる息に身を竦め、不快感に爆は眉を顰めた。
それでも思いのほか真剣な響きに気付かないほど鈍感ではなく、爆はカイの腕のなかでその背を胸へと預けた。
……抱擁に、爆は慣れていない。
けれどカイの与えるそれは心地よく、眠気さえ誘われる。
ぼんやりと爆はカイの言葉を待った。
穏やかな刻は、まるで周囲にも影響を与えたかのように雲の流れを緩やかにした。
囁きかける風さえ、その強さを優しくさせる。
……不思議な感覚、だった。
微睡みながらそのぬるま湯のように居心地のいい空間に身を預けると、やわらかな音が降り注いだ。
「……その言葉にあなたが価値と言う意味を当てはめているのなら………」
普段から聞き慣れているカイの声。
……いつの間にか、聞き慣れたカイの声。
まだ出会って幾らも時が経っていない。……それでも、慣れていた。
諌めるように自分を心配する声。無茶苦茶な自分の言葉を辛抱強く理解しようとする、その声に……
まだそれほど低くなりきっていないカイの声は、爆の耳に心地いい旋律を醸す。
微睡んだままの爆はカイの声をまるで子守唄のように安らかに聞いていた。
「…私にとってのそれは、あなたの……ようです…………」
噛み締めるようなその言葉に、眠りの淵に誘(いざな)われていた爆の瞳がぱっちり開かれた。
……さすがに、その意味を軽々しく聞き流していい類いのモノとは判断出来なかった。
自分をまだ抱き締めたままのその腕の主を爆は見上げる。
どこかしら不安そうな顔が少し滑稽だ。
なにか言い返そうと、思った。
なんの冗談だ、とか。ふざけるな、とか……
山ほど爆の頭のなかを駆け巡った言葉はあった。
それでも言葉は纏まらず、爆は無言のまま俯く。
どこか、……胸の奥だろうか?それとも腹の底か……
焦げるように熱く、なっていく。
それが何故の反応なのか判らなくて、爆は身を固まらせる。
……その顔に走る紅潮に気付かれないように。
それでもこの抱擁は心地よくて、手放したくはなかった。
瞳の端で赤へと変わる様を捕らえたカイは、
ただ無言でその腕の力を強くした。
身体を少し強張らせた子供は、けれどすぐにその力を抜きカイに寄り掛かった。
言葉もなく、二人の間にはただ静かに優しい陽射しが注がれた。
流れる時の穏やかささえ奇妙なのか、爆の視線は宙を漂っていた。
まだその思いの全てを手に入れていない。
それ故の居心地の悪さなのか……
そんな爆を見つめ、カイは深く息を吸い込んだ。
未だ幼いその思い。育ちゆく途中で無理矢理軌道修正させてしまったのかもしれない。
それでも、手に入れたい。
その願いが覆(くつがえ)ることはないと思うから……
子供のその戸惑いさえも抱き締めて、カイはこぼれる思いのままに幼い子供に口吻けた――――……
――――いつの日か、その全てを
支えるものとなることを誓う為に……