柴田亜美作品

逆転裁判

D.gray-man

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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起きたならたった独りだった。
まるでついいまさっきの影は幻だったと囁くように。
それでも……子供の額には傷があり、それを包む純白の布が存在する。

これは証。
………自分を包んだ曙光が存在する証。

そして……自分が生きる意味を与えられた証。


何年という月日が経ったとしてもそれは変わることはない。
あの光に、再びまみえる瞬間まで…………


だから、生きることを決めた。
だから、強くなると決めた。


光に平伏すのではなく……共に生きたいと思うから……………





選択の道



 あたりを見回し、子供は呆然とした。
 起きたならきっときちんとその顔を見ることができると思っていた。
 掠れた視界は生まれたばかりの朝日ばかりが刻まれ、自分を抱き締めてくれた幼い影は輪郭すら疎らだ。
 耳を澄ませあたりに音はないかと確認しても……聞こえてくるのは木の葉の踊る音と小鳥たちのさえずりだけ。
 期待していた音は聞こえない。
 名前も聞かなかった。自分の思いにしか目がいかなくて、幼子に問いかける言葉さえなかった。
 もっとも、あんな時間に自分よりも小さな子供が本当に存在していたのかさえ怪しい。…………愚かな自分の浅はかな夢ではないかとさえ…思うけれど。
 幼子は、証拠を残してくれた。
 この額にまかれた白い布。誓いをたてた……約束の印。
 だから……大丈夫。
 固く唇を噛み、子供は立ち上がった。
 こんなところに蹲っているわけにはいかない。……決めたのだ、生きると。
 そして……それを決めたなら、自分にはやるべきことがある。
 こんな小さな腕では何も出来ない。
 ………………せめてあの幼子に誇れるぐらいの強さが………欲しかった。
 もう二度と大切な者をこの腕から取りこぼさないように。
 守られるのではなく、守れるように……………
 子供は重い蓋のかかったままの喉を癒すようにゆっくりと息を吸い込む。
 ………いまはまだ音も紡げない喉が、少しだけ歯痒かった…………………


 川べりに座り、目の中に入った異物を流すように顔を洗う。
 大切な布はこれ以上汚さないようにと自分の血で汚れた箇所を漱いでポケットにしまいこんだ。
 裂けた額に風があたり、微かな悪寒を身に走らせる。………傷が…痛くないわけではない。
 それでも……この白を穢したくなかった。返す時、自分の中の傷さえ癒えていると誇りたかったから………
 きっとあの影は笑ってくれると思うのだ。当たり前だと……なんの気兼ねもなく当たり前にその腕を差し出してくれる。
 愚かな自分の馬鹿な行動の全てを……なかったことにしてくれる。
 この目に焼き付いたそれは、眩い曙光。褪せることもないその光は、輪郭さえない。
 ………もういっそそれで構わない。あれが光の化身であることに何の違和感もないのだから。
 この世界のどこかに存在する……それは人の命を象った光。
 出会ったならきっと気づける。あれほどの光を持つ存在はそうそういないのだから………
 ようやく視界が鮮明に映る。………木々の緑が眩しいほど輝いていた。
 自分がどのあたりにいるのかさえわからなかった。考えてみれば自分は祠の崖から落ちたのだ。
 あるいは連なる山のどこかに紛れてしまったのかもしれない。
 けれど恐怖心は湧かなかった。……この山の中、幼子は独り歩いてきたのだ。
 あんな真っ暗な中、幼子は当たり前のように空から落ちてきた自分を見つけ介抱してくれた。
 ……それなのに、日に包まれた山道を自分が怖がるわけがない。あの幼子が恐れなかったものを………自分もまた恐れたくはなかった。
 ゆっくりとあたりを見回し、子供は歩き始める。
 ………少しでも空に近い場所からあたりを見渡したい。そう考えて子供は獣道としかいいようのない道に足を踏み入れた。


 その先に待ているのは自分の未来。
 幼子に誇れる強さを手に入れるための。
 生き残った意味を知らしめるための。
 …………なにより大切な家族を手に入れるための。
 それは通過儀礼。

 傷ついた小さな手足では過酷でさえある、見極めの試練の道………………



 登っても登ってもその道は消えない。
 時間感覚など疾うに狂っていて、子供には自分がどれほどの距離を歩いたかさえわからなかった。
 山道はどれほど登ろうとその姿を変えはしない。木々の隙間さえなく、先になにが待つかもわからなかった。
 干上がった喉が痛みはじめる。……考えてみれば昨夜から何も食べていない。
 先程顔を洗った時に飲んだ少量の水以外胃の中には何も存在しない。耳を澄ませてみても川のせせらぎは存在しない。視界の中に木の実はない。
 一度自覚してしまえば子供の身体は動くことを拒みはじめる。………虚脱感に吐き気さえ襲ってきた。それでも…何故この足は止まることを知らず動くのか。
 それは子供にもわからなかった。
 ただ……とてもあたたかいのだ。まるで全てから守られるように、この足は痛みも疲労も感じない。
 それが何故か気づいた瞬間、木々はその姿を消した。
 ………………………広がった視界。
 突き抜けた空の下にある岩場の多い川べり。大きくはないその広場を囲む背の高い森。
 自分がたったいままで歩いていた山道は消えていた。いま子供の立つ足元は急な坂ではなく……真っ平らな固い岩盤だった。
 急激な変化に子供は言葉もなくあたりを見回した。
 ……瞬間響く、音。
 ―――…………久し振りの客だな
 それは耳にではなく頭に響いた。声ではない、思念の囁き。
 誰も見当たらない空間で、子供は驚愕に目を見開いた。
 思い出した。……自分のいた山は仙人の住む山の二子山。そして仙人は人の入り込むことを拒み、山に結界を張ると言う。数多の大人が登っても出会うことのなかった仙人。
 ……それでもけが人も死者も出ないのは危険があればいつの間にか下山していて、その背には必要としていたものが背負わされているから…………
 無欲にただ救うことを願ってこの山を登れば叶わないことはないという。……もっとも、いま子供の願うことが叶うことは永遠にないのだけれど……………
 『仙人……がいた………?』
 音のでない喉が微かに震え、紡がれなかった声は静かに空気だけを振動させた。
 それに気づいたのか、思念の主は微かな葉音と共にその姿を現した。………瞬間子供の身体が跳ね、思わず後ずさる。
 ―――失礼なヤツだな。俺を見て驚くなんて。
 『しゃべった〜!? あ、い、いえ……あの……あなたが…………』
 明らかなほどに存在の怪しい物体が宙に浮かびながら子供の傍まで飛んでくる。引きつる顔を自覚しながら、子供は必死になって混乱する頭を整理した。
 これが…仙人の住む山に住んでいた。
 これは語らず、思念の音を発した。
 これは歩むこともなく宙に浮き、自在の動いていた。
 これは………………
 行き着く答えに、子供の頭の中が機能を無くす。
 これが自分達を、自分の村を見捨てた……………
 ―――仙人っていうヤツらは……まあいるわな。
 何の感情も浮かばない瞳がどこか自嘲げな響きとともに呟いた。
 その言葉と共に……子供の視覚は凍る。感覚の全てが凍てつき、遥か彼方の出来事のように全ての現実味が消えた。
 それに気づいたのか、仙人は小さく息を吐く。……わかっている。この子供はその鋭利な耳からいって崩壊した村の数少ない生き残りだろう。
 それがこの山を登ってきた。その願う意味が判らない馬鹿はいない。
 ………それでも、不可能なことは厳然と存在するのだ。
 ―――とにかく、こっちにきな。怪我もひでぇし…喉も潰れてんな。薬湯をやるからよ。
 あの凄惨な場所に埋もれていたなら、こんな幼い魂が音を紡ぐ機能を忘れても不思議ではない。
 ……僅かな時間の不在が今さらながらに悔やまれる。もしも、などいうのも馬鹿らしいけれど、それでもその現実を突き付けられてなら、思わずにはいられない。
 助け……られたのに。もしも自分がこの山から離れていなかったなら。
 動こうとしない子供を促すように仙人のヒゲが細く糸のように伸びる。それは緩やかに…それでも拒むことを許さない強さで子供の腕に絡み付く。
 けれど子供は動かない。頑なその姿に仙人の溜息が響いた。
 ―――あのな、一体お前はどうしてぇんだ? そのままでいて、ここでくたばりたいわけじゃねぇんだろ?
 なにもかも見透かした深淵の瞳がまっすぐに子供を見た。射るように強い…けれどどこか遠い瞳。
 息を飲み、子供は自然震える身体を抱き締めるように自分の腕を抱いた。
 ……それに気づき、仙人は揶揄するように囁く。
 ―――麻痺してるからわかんねぇんだろうけど、ひどい傷だぜ? このまま放っといたら死ぬな。
 『死は…怖くない』
 からかうようなその声に子供は即座に返した。
 そんなものは恐ろしくなどない。……恐ろしいのはなにもないこと。
 回りにも、自分にも。何一つ残るものがないこと。
 それだけが怖いと囁く赤い瞳は何ものも寄せつけないほどに清らかに輝く。
 ………それを見つめ、仙人は楽しそうに笑った。
 ―――それだけわかってりゃ十分だ。
 どこか憂いを含む声が子供の肌を滑り、地に落ちた。
 そしてなにか秘密を教えるようにその目は子供を見返す。
 ………子供の腕に絡むヒゲの一本が解かれ、子供足のあたりを指し示した。
 訝しげに眉を潜めれば…仙人は微かな声で答える。
 ―――お前は資格を持ってるな。俺の弟子になる……な。
 仄かに温まる足。……それはこの山を登る間ずっと自分を支えてくれたもの。
 微かに震える指先が、わかっている答えを手繰るようにポケットの中を探る。
 ………あたたかく包み込むそれは、まぎれもない白き布。
 幼子の残していった、自分の生きる意味を刻むもの。
 歪む視界を見られることを厭うように子供は俯いた。
 ―――生き抜く覚悟があれば…いいさ。諦めて逃げるよりずっとな。
 優しい思念はあたたかく子供を包む。……どこから現れたのか、カップの中に注がれた清清しい香りの薬湯が子供の足元に置かれていた。
 太陽のように抱き締めてくれるその響きに子供は強く唇を噛む。
 ………わかっている。自分がこの人を責めるのはお門違いだ。
 自分達ではどうにも出来なかったから、より高位の存在に縋っているだけ。
 この腕に力がなかったことを……何故他者を責めることで癒せるのだろうか。
 つまる息さえ相手を責める事実を厭い、子供はその全てを飲み込むように深く息を吸い込んだ。
 そんな意固地な……それでも尊いほどに真直ぐな子供に笑いかけるように音が降る。
 ―――その薬湯を飲んどけ。……薬も置いておいてやる。
 本当は子供の喉を潰しているのはその心の枷故だから……これはただの気休め。それを子供自身もわかっている。………それでも相手の気遣いが嬉しくて……子供は小さく頷いた。
 高い空が泣き声をあげるように澄み判っている。それを見上げ、小さく仙人は息を吐いた。
 ………空に溶けた幾多の魂。救えるわけもないけれど……この腕にそんな清さは存在しないけれど。
 それでも、この子供までもを見捨てられるほど浮き世離れは出来ない。
 いい加減自分も懲りないと一人ごちて、仙人は小さな囁きを子供に与えた。
 それは……子供に道を与える言葉。
 生きるための、出会うための未来を築く…言葉。
 ―――………一度下山してきな。……弔うものも、多いだろ。
 そして……それでも覚悟が決まるのなら。
 …………この山が認めた魂が手折られることなく再びこの地に足を踏み込めるのなら。
 ―――それから……決めな。俺の弟子として修行を積むか、誰かの元でまた…子供となるか。
 その囁きとともに仙人は姿を消した。……ますでその代わりとでもいうように仙人のいた場所には薬草の入った篭が落ちていた。
 ……呆然と、子供はあたりを見回す。言いたいことだけを言って消えてしまった仙人はどこにも見当たらない。
 深く息を飲み込み、子供は足下に置かれたままの薬湯を一気の煽る。………忘れていた。自分はまだ、母も父も弔っていない。
 早く戻って、安らぎを与えてやりたかった。……この腕だけでできることはあまりに少ないけれど、 それでもそれくらいの役には立てるから。
 仙人に感謝を込めて頭を下げ、子供は篭を抱えると駆け出した。
 ………振り返ることもないその背。それは再びまみえることを確信しているからの無頓着な仕種。
 その幼い背を見つめながら、仙人は少しだけ後悔する。
 強くなることと子供であること。………どちらがより幸せかなど…判るわけはない。
 ただ知っている。この硬質な赤は高みを望んでいる。
 それは遥か昔に自分が見た子供の持つ光。かつては歪ませてしまった……誇り高き願い。
 あの小さな指先では届くわけのないどこかまでいけることを、ただ一心に願っている。
 ……必ず戻ってくるだろう子供。どれほど傷ついても手折られはしないだろうその心。
 それを支える白き布を思い、仙人は小さく笑う。
 なにが幸となるかわからない。だから生きることを人は願うのだ。
 子供は出会った。生涯をかけて見つける相手を。
 そのために必要なものを、彼は手に入れるための努力を惜しみはしないだろう。
 一方的だった自分の申し出は、それでも反故されるはずがなかった。


 ………何もかもを見通した瞳には映っている。
 大きな目を涙で震わせ、悔しそうにただ…強くなりたいのだと訴える至純の瞳が……………






 と言うわけで……これは導きの月の続きです。
 ……炎が出てこれなかった(遠い目)長くなり過ぎました………
 炎を見て強くなりたいって願いってフネンのところに来るまでが一応私の想像していた箇所だったんですが(汗)
 無駄でした!←オイ。

 まあ結局なんと言うか……カイ爆と言うよりこれは……激の親心の芽生え?(笑)