柴田亜美作品 逆転裁判 D.gray-man 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
あなたはいつも不思議な瞳を晒す。 針先の痛み 規則正しい包丁の音が背中に聞こえる。 洗濯物をたたみながら少年はそれに耳を澄ませていた。 子供の家に赴いてみれば、今日は他の誰もきていなくて。 ………隣の国にいる少女も予定が入って来れなくなったことを教えられ、困ったように眉を垂らしたら入るように促された。 別に自分達二人が一緒にいて、なにか遊ぶとか、………本当は特にはないのだ。 ただ同じ部屋にいて本を読んだりテレビを見たり。まるで互いの家にいるようにくつろいで過ごすだけ。 そんな、特に何の用もないのに邪魔をしても申し訳ないと口を開こうとした瞬間を遮るように子供は中に導いてくれて、知らず綻んだ唇を少年は自覚していた。 それを視界の端に納めたらしい子供のぶっきらぼうな頬が微かに色づいたのを眺め、音をたてることのない洗練された足取りで少年は静かに室内へと入る。 あまり大きくはない、こじんまりとした子供の家。それでも幼い子供がひとり住むには充分すぎて少しだけ寒い。 それを知っているのか、子供は決して来訪者を拒みはしなかった。 世界中のGCが顔を覗かせる。………暇などないくらい、いつも誰かがいた。 彼はいつでも笑んで。少しだけ不機嫌そうな顔を零しながらも当たり前に受け入れてくれる。 誰もがそれを知っている。だから赴くのだろう。 ………………自分もまた、その一人なのだけれど……… もう頂点まで昇った太陽の光が大きくはない窓から室内に入り込む。開け放たれたままの窓からは心地いい風も吹き掛けて、一瞬微睡みそうな自分の頭を少年は振った。 その瞬間……規則正しく醸されていた音が、途切れる。 切り終えたのならそのあとにも他の音が続く筈なのに、何故か台所は沈黙したまま。 不思議そうに耳を澄ませても子供の声すら聞こえない。 嫌な予感が頭を掠め、少年はたたみかけの洗濯物を端に置くと立ち上がった。足音すらさせない所作は武道家の特性なのか、気配すらほとんど感じさせない。 ………それ故に、子供はダイニングに入ってきた少年に気づくことが一瞬遅れてしまったのだけれど……………………… 「……………………っ」 視界に入ったのは、赤。 棚の上へと伸ばされていた片腕とは逆の指先…心臓よりも高めに鎮座したその指先は肌の色が見えなくなっていた。 子供の指先を随分大量の血が染めあげていた。驚いたように子供の奥、先程までその腕が扱っていたはずの道具を探る。 まな板の上にのせられたままの包丁の上にも数滴の血痕が残っていた。 痛ましいその状況に少年の眉が寄る。珍しい失態だけれど……子供は気まずそうに眉を顰めただけで痛いとは訴えない。 息を飲んだ少年の気配に困ったような笑みを口元に灯らせ、伸ばしかけていた指先を降ろすと蛇口を捻った。 ………少年から患部を隠すように子供は指先を流水の中に沈めた。 透明の滝が赤を消して静かに排水溝へと流れる。 ようやく動き出した時の流れに気づき、少年は慌てて子供がとろうとしていた救急箱を棚の上から降ろした。 少々乱暴な仕草で中身を確認し、消毒液と化膿止め、ガーゼと包帯を取り出した頃水道をとめる音が耳に触れる。 それを確認し、少年は視線をあげれば子供が傷ついていない指先を伸ばしていた。 …………手当てすら自分でやると示すその意固地さに少年の眉が不快げに寄った。あまりに珍しい少年の怒りの発露に子供は不思議そうな顔をして軽く首をかしげる。 まるで何故少年が怒ったのか判らないといいたいようなその仕草が……哀しい。 幼い……筈なのに。 その小さな身体は自分よりも華奢で、いまだ親の腕に抱(いだ)かれ守られているはずの歳なのに……………… 子供はたったひとり。 いつだってたった独り立つことを決めていて…………………… 頼るという言葉を忘れてしまっていた。 知っている。自分もかつてそうだったから。 ……護り手を失ったとき、自分の無力と拙さと………虚無感とに襲われ孤独に打ちのめされた。 それがいかに哀しい事実かも、知っている。もっとも、現状にいる本人にそれを解れといっても無理であることも知っているのだけれど………… 哀しく沈んだ声が…静かに落ちる。 眉に刻まれた憂いと微かな怒りはいまだ解かれないまま………………… 「傷……見せてください。医療知識は私の方があるはずです」 「………そんなだいそれたものでは………」 どこか躊躇う子供に少年は眼差しを向ける。 …………鋭く人を射抜く、いつもは穏やかな優しい赤。 その視線の強さに溜め息を落とし、子供は仕方なさそうにその指先を少年に晒した。 流水につけ、傷口は洗ってもなお血は留まることを知らず流れていた。……思いのほか、深い。 痛みに眉すら寄せないから、時折本当に判らないのだ。 倒れるその瞬間まで、子供は不敵に笑むことができる人だから……………… 何もいわずただ黙々と少年は子供の指先の治療をする。時折微かに…本当に微かに患部に触れた薬に指先が反応する。 もっとずっと、痛い筈なのに。 子供はそれを見せない。苦痛に歪む顔も、晒さない。 ………それは、信用していないからなのだろうか……………………? くだらない物思いが一瞬頭をもたげる。 そんな筈がないとわかっている癖に…………… 微かな溜め息を落とし、少年は巻終えた包帯を手際よく結び、離した指先を携えた小さな身体に腕を伸ばした。 腕の中、すっぽりと入ってしまう……自分よりも細い腰肢。 それでも彼は痛みを晒さない。泣かない。………苦しいと、喚くこともない。 この子供と同じ頃の自分は数多くのことで泣きわめいていたというのに………………… 涙を落とせる場にもなれない自分が腑甲斐無くて、少年は固く唇を噛む。 いまだその眉は寄せられたまま。それを眼下に見つめ、子供は椅子に座っている少年の背を傷ついていない指先で撫でた。 微かな音が……静かに紡がれる。 ………感情すら凍った、哀しい声音が……………………… 「勘違い…するな。痛くないというのは本当だ」 囁くことこそが人に痛みをもたらすことを知っている子供は、どこか噛み締めるように言葉をきった。 ……そのまま、紡ぐことを終えたくなる衝動。 もしも告げたなら………この少年の憂いは深まるだろう。 悲しませることを知っていて、それでもなお囁くことに意味があるのかしらない。 ただ教えたかった。 まごうことなき自分の意志に驚愕を覚える。 囁きたいなどと思うことがあるとは思ってもみなかった。それは頼るという事を彷佛させる事だから。 この身の奥、沈み澱んで形すら忘れたなにかを掘り起こすという……ことだから……………………… それを晒したなら、自分はもう無防備にならざるを得ない事を知っている。この聡い少年にヒントを与えたなら、皆までいわずとも知られる範囲がどれほど飛躍するか………………… 鼓動が……跳ねる。 恐れてか、祈ってか。 ……………もしかしたらと……思っているのだろうか。 彼が癒し手になるなんて、なんて傲慢で独りよがりな願いを抱いているのだろうか……………… 苦笑を唇に沈め、子供は瞼を落とした。 傷ついたその指先を少年の背にのせ、微かな抱擁を贈る。 それは声音にも負けない微細さで………………… 「感情鈍麻を知っているだろう………?痛みに対して……俺はその症状がある」 刺激を受けても働かない。……それは精神が受け止めることを拒否したから。 深過ぎて苦し過ぎて……忘れたいのだと、泣いたから。 痛みを、消した。 優しかった自分を抱き締める腕を失ったとき、虚無感を恐れて………封じ込めた。 痛みを感じなければ、恐ろしいものなどないから。 ………関わる恐怖も、失う恐怖も、優しくされる恐怖も………ないから。 忘れることにしてしまった。それは本当に無意識に。 大切な記憶を何一つ取りこぼすことなく保管して……それに附随する痛覚だけを切り捨てた。 なんて不自然で愚かしい行為だろうと……自分で嘲ることも出来ない幼い頃の拙さ。 それは確かにたったひとり生きる為には不可欠だった。自分はあまりにも弱く………あまりにも強くあろうとし過ぎるから。 間違っていたなんていわない。幾度そのときに還ることができたとしたって自分はきっと同じことを繰り返す。 ひとり立つ為に………一人を選ぶ。助けを受けない代わりに痛みを消す。 それはきっとこの先も変わらない生き方。 ………変えることの出来ない、自分というもの。 それでも…………… この腕は……痛いと思うのだ。 あまりにも優しく注がれる熱は、責めるわけでも縋るわけでもなく……ただ無償で注がれる。 愚かしいと切り捨てることのできる自分のこの性情さえ受け止め認めてくれる。 熱に侵される。喉の奥に蟠るものが声を塞ぐ。 切なく顰められた眉を見つめ、子供は深く息を吐き出す。………痛みが……解らない自分を哀れだと思った事はなかった。 別に自分に痛みは必要無かった。それを晒したい相手もいなかった。 悠然と、たったひとり立っていられるのだと信じられていたかった。幼過ぎるプライドは傲慢で独りよがりに形成されている。 その全てを否定しない抱擁が……あまりにも切ない。 微かな熱しか感じない指先を初めて憐れんで子供は見つめた。……この傷ついた指が、その赤のもたらす痛みを知覚したなら………この腕を抱き締める価値があるのに。 解らずに与えられるものがあるかなんて知らない。 …………………………………この胸はいまもまだ凍てついたまま。 疼くものなんてない。そう……信じ続けている意固地さに反吐が出る。 少年だって…似たような経験をしている。それはあるいは自分より幼い頃かもしれなくて……… それでも彼はきちんと自身の弱さに立ち向かい、獲得した、痛みを受け止める心を…………… 傷のない指先が少年の背に爪を立て、固く瞑られた瞼が悔しそうにその肩に落ちる。 弱いなんて……信じない。自分は誰よりも強くありたいと願ってきた。 それでもこの魂は確かに感じ取ってしまっている。 …………自分のあまりに幼いまま成長を止めてしまったこの心の螺旋を…………… 微かに息を飲み込めば、それが室内に響くかと思えるほどの静謐。 ただ傍にいるだけで……何一つ押し付けない気配が哀しいほど労ってくる。 それを抱きとめ、子供はゆっくりと顔をあげた。間近に控えたままの朱金は瞬く事もなく鋭いその視線を見つめる。 微かな音が………注ぐ。 そよぐ風よりも儚く。それでも消え入る事のない水の声音。 冷たく響きながらも澄み渡ったそれが静かに沸々と湧きいでていた…………… 「……ちゃんと…………向き合う。貴様にもできた事だ」 労るなとその瞳が無意識に囁けば困ったように少年が笑う。 その額に額を重ね、子供は揺れる視界から一雫の涙を落とす。 ………痛みも切なさも苦しみも内包する事のない、ただの水。 そんなものに価値を認めない。無表情の瞳は静かに瞬き、浪々と声は響く。 心に何一つ傷を負わず、それでも流れるものなんて知らない。だから……手に入れる。 思い出して……みせるから。 躊躇うように開きかけた唇を閉じ、子供は瞼を落とした。 ………囁く事を悩むなんて…どれほどぶりだろうか……………? それでもこれは第一歩。 だから……勇気をもって造り出さなくてはいけない事を知っている。 声が蟠る。沈下してしまいたくなる震え。 それら全てを吐き出して…………子供は少年の頬に指を滑らせ、閉じた瞼の先に鎮座する相手を確認する。 微かな声音はこの少年へ。 ………いまはまだ、この少年だけへ。 「…………………だから、………それまでは…………………」 傍に色と……吐息が掠めるほど微かに呟かれる言葉。 無表情な音を捧げ、子供は微かに眉を寄せる。 ……驚いたように見開かれた赤が閉じられた瞼にさえ鮮やかに写る気がする。 抱き締める腕の力強さに戸惑いながら……掠めた熱に震えたのは身体か……心か。 それすら解らないけれど……… ただ抱き締める。 この胸の奥、蓋をしたまま振り返られる事もなかった大切な大切な痛みを……………………… その腕に酷似した、無二のその腕の中で――――――――― 一人で立っているのは楽だけど、誰かと一緒に立っているのは大変。 ………私の書くキャラたちはどうしたってそうした要素が組み込まれていて、孤立しようとしてしまう子ばっかです。 私と同じく、まだまだ成長しきれていない子供だから(苦笑) ちゃんと一歩ずつ……前に進めるように頑張ります。 キャラは勿論、私自身も。 そうすればもっともっときっと書きたい事も増えるだろうし、書けるリアリティも変わっていくと思うのです! 2周年(第2サイトでは一周年か)記念の頃にはちょっとは変化があるといいけど(笑)←数カ月じゃ無理ですよ。 |
---|