柴田亜美作品

逆転裁判

D.gray-man

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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覚えている?
………覚えていないでしょ。

知っているよ。それでも構わないって思っていた。
君の中に確かにそれは残っていたから。

それでも……どうしてだろう。



思い出してと伸びる指先。





日出ずるその時に



 冷たい風が頬を滑る。………それでも沈下しきれない熱にどうしようもなくて、子供はむくれるようにそっぽを向いたまま歩んでいた。
 重なる唇を拒まなかったのだから、こうして少年を置いて歩むことはある意味ひどく自分勝手であることはわかっている。それでも慣れない身にはただそれだけの行為であったとしても気恥ずかしいことこの上ない。
 それは後ろに控えたままの少年も心得ているのか、特になにを言うでもなく子供の進むに任せていた。
 小さな背中は留まることを知らずにまっすぐに進んでいた。
 この山道、あの月の番にひとり歩んでいた自分を思い出す。………この子供よりも、小さな背中。ちっぽけでなんの力もなくて、自分の無力さに打拉がれていた。そうして……全てを終らせたくてこの道を歩んでいた。
 考え至って苦笑がもれる。
 …………いまこうして歩む自分と、まるで正反対だ。なにかを始めたくて…歩く自分達。亡くすのではなく進めるために。
 あの日はこうして歩いて………祠のある頂上から身を落とした。
 別に、身投げをしようとしたわけではなかったけれど。結果的には同じだった。命をとぎらせるために登っていたのだから、結局は言い訳することも馬鹿らしい。
 それでもあの時は安らかだった。
 抱き締められた感触を、いまも覚えている。灯された小さな小さな明かり。亡くしたと思っていたあたたかさを見つけて……掬い取りたくて伸ばした腕が掴んだのは現実にいた誰か。
 掠れた視界の中、逆光でその顔さえ見えなかった。自分よりも小さな指先がいたわりを与えてくれて………生きろと囁いてくれた。
 記憶にも鮮やかなそれは。ただただ曙光だけが焼き付いた光景。
 それがただの光だったと言われても否定は出来ない。それでも覚えている。しっかりと抱き締められた。………いたことを知らしめるように残された約束の白い布。
 思い出に、己の額を覆う布に指を滑らせ、少年は辺りを見回した。
 ちょうど………この辺りか。
 道なき道の先、小さな小さな広場がある。そこに落ちることが出来たこと自体、奇蹟といっても差し支えがない。そこにたまたま人がいたということだって……奇蹟なのに。
 枝に突き刺されなかった理由なんてわからなかった。……いまだって、判らない。それでも思う。あの時にあの光を注がれるために、自分は舞い落ちたのだろうと。
 生きる意味なんて知りもしなかった。失ったものの大きさにただ嘆くばかりで動き出せなかった心を、物言わぬ小さな指先が何の気兼ねもなく支えてくれた。………進めと、示してくれた。
 どれほどそれを心強く思ったかしれない。
 そうして支えてくれたものがあったから、自分はあの山を登り………仙人に出会うことが出来た。
 なにもかも、進むための第一歩は光がくれた。揺るぎない、この背のように神々しい瞬きが…………
 小さく揺れながらも子供の背は道々と前を進む。少年が見つめ続けたそれは未だ明けきらぬ空の下でさえも瞬くようにはっきりと視界に映える。………見失うことのない、指針のように。
 失った身で、全てを消すつもりで登った山で……見つけたのは始まりの光と生きる意志。かけがえのない……自分の基となるそれは、確かにこの山が抱いたまま。
 全ての道はここから始まった。………だから、この子供に見て欲しかった。肌寒いこの季節にこんな時間に登らせるのは多分、物凄い我が侭なのだと思うけれど……………
 叶えてくれる子供だから、知って欲しかった。
 ………自分の傷も痛みも………何もかもを誇るために。
 優しい樹の香り。包むような緑の抱擁。あの頃は何も見えはしなかったけれど……確かに感じる自然の営み。肌から伝わるそれを受け止め、少年はゆっくりと息を落とした。
 懐かしさに少年の視線が眇められる。優しく優しい、あたたかな記憶。………そう思い出せる自分を誇りたいと思うことは傲慢だろうか…………?
 封印したいと思わず、傷を隠すことで誇れる強さではなく、抱えて…晒すことすら恐れずに笑む強さも確かにあると、いまは感じられるから。
 小さな肩を見つめて、少年は笑んだ。敏感に、そうした痛みを感じ取る子供は、それでもそれを興味本位でほじくりかえそうとなどしない。自分ができることと出来ないことを理解している。………多分、無意識のそれは資質。
 だから、構わないと思った。自分にとってはどこよりも神聖に感じるこの山を、ともに歩みたいと思ったのは初めてだから……………
 頂上にいってから、帰りにでもここを曲がった先にある広場を教えようか。
 そこで……本当に光を見つけたといったら……子供はどんな顔をするだろうか…………?
 あり得るはずがないと困ったように笑うか……それともそんなことがあるのかと驚くか。
 どちらにせよ、見て欲しい。……………自分の残したたったひとつの標を。
 少し遠い視線の先にあるその光景を思い出した瞳がやんわりと眇められ……………次いで驚きに染められ見開かれた。
 まだ、少年は何も言っていない。
 この先の……まっすぐ進んだ先の頂上が、普通であれば目的地と思うはずだし、自分もそう言っていたはずだった。
 だから視線の中に鎮座したその背はまっすぐに前を進むはずなのに。
 …………子供が、曲がったのだ。
 道を逸れてあの小さな小さな……人の知らない広場の方向へ……………………
 あり得ない。誰にも言っていないのだから。…………自分を育ててくれた師にだって、言ってはいない。
 それなのに……何故?
 驚きに染まった肢体はそれでも確かに子供を追い掛けた。迷うことなく真直ぐにその背は進む。迷路を歩むような感覚は……多分自分だけが感じている。
 よく見知った山道。忘れることのない、獣道。それでもまるで初めて迷い込んだもののように心臓が跳ね上がり汗が流れる。不安にも似た焦燥とともに少年は子供の背を探した。
 山道を逸れて、木々の密集したその場を器用に小さな影は縫い歩く。追い掛ける少年さえ忘れたように。
 振り返りもしないのは確かに追うその気配を感じているから。少しだけ息を切らせながら子供はまた少しだけ速度を早めた。
 大分……空が明るくなった。これでは着く前に日が昇ってしまうかもしれない。
 折角またここに来たのなら、一緒に見たいと思うのは自分も一緒。初めて赴いたこの国で、初めて出会った空から落ちてきた子供に託した……シスターとの約束の布。
 戻ってくることなんて期待はしていなかった。中途半端な関わりしか出来ない自分の幼さが……悔しかった。自分のエゴだけを押し付けて、そうしてその後どうやって生きるかまでは見定めることも出来ない自分が歯痒かった。
 それでも、出会いに無意味なものはないと……信じたかった。
 笑い事、だ。…………まさか自分達がこんな縁で再びまみえることがあるなんて、一体誰が想像しただろうか。
 幾度の出会いも互いに言葉すら交えなかった。初めは少年が言葉を失っていたし……2回目は、自分が言葉を語れなくなっていた。
 少し考えてみると随分不思議な縁だ。…………失ったその時に、前を向く切っ掛けは結局は互いだったのだから。
 もっとも、そんなことわざわざ教えてやる気もないのだけれど。
 結局は立ち上がったのは自分の力。彼が強くなったのは彼の努力故。………光を支えとしても、それが直に力を与えることはないのだから…………………
 いつの間にか駆け出した足先はあの日よりもずっと逞しくなっている。夜も明けない山道が……怖くなかったわけではない。それでも、背を押してくれる人がいたから、自分の思いを完遂出来た。
 …………あの日、自分も第一歩を歩んだ。
 自分で道を探る、自分たるための一歩を…………………
 あの日自分を待っていてくれた優しい腕はもうない。それでも、駆け出した足が恐れて止まることはない。
 浅く吐き出された息は吸い込まれても胃の奥まで凍えさせはしない。地を蹴った足がその小さな広場を見つけて………ゆっくりと静まる。
 まだ少し少年が来るまで間がある。息を整えながら懐かしいその景色を見つめた。
 変わっていない………小さな場。広場と言うのも躊躇われる、自然と空いただけの木々の隙間。
 たいして遠くない場所にはあの日自分たちが泊まっていた小屋がある。そうして歩んだ先で……落ちてきた、子供。
 駆ける足音に耳を澄ませ、子供はゆっくりと振り返った。
 あと少し………もう少しすればあの赤が自分を映す。
 ………あの日見つけた硬質な赤。溶けることを忘れたそれは…けれど、確かにそのやわらぎを美しく開花させた。
 あの日掬い取った小さな石は至高の珠玉に変わって自分の前に現れた。それを誇らしく感じるのは…愚かだろうか…………?
 「爆…ど……………」
 息を少し途切れさせながら、少年が樹に手を掛けながら現れる。
 ………差し込んだ光に眇められた赤。
 あの日と同じその仕草に、子供が笑った。
 突然駆け出した自分に文句を言うでもなく、少年は急いで追い掛けてきた。遅れないように……見失わないように。ほんの気紛れかもしれない自分の行動を、それでも必死で……………
 こんなにも近しくなるなんて………あの時は思いもしなかった。
 自然笑みが唇を彩った。失うものがあるように、得るものもある。決して同じ傷など持ち得ないけれど、それでも思い遣ることも支えあうことも、できることを教えられた。
 …………それはきっとお互い様。
 「遅いぞ、カイ。日は昇って…………」
 言いかけながら、子供は息を飲む。
 …………少年の、驚いたような瞳。それが指し示す感情に気づいて小さく舌打ちしてみるが、今更だ。
 共通した記憶に、当たり前にここを目指してしまった。朝日を見ると言うのであれば……普通は山の頂上なのに。
 知らないはずの場所を知っている。それは確かに不自然だ。しかもこの反応を見れば……きっと少年は師にすらここのことを言っていないのだろう。
 自分の不手際に気づいた子供は困ったように視線を逸らす。………たったそれだけで、十分な答え。
 近付く少年の気配。後ずさりたくなる自分を叱咤して子供は小さく息を落とす。
 …………別に、隠すことでもない。それはわかっている。
 それでも知っているから。あの日の記憶の中、空から落ちてきたそれだけは、きっと少年にとっては傷。
 それを抉るかもしれない出会いであれば、ただ美しい光であるだけで……構わなかった。
 伸ばされた腕が……恐れるように肩に回される。小さく落とされた吐息が安堵の溜め息だと、気づく。
 微かに震えた指先がそのまま強く子供を抱き締める。消えることを恐れるように……抱き締めた腕は未だ震えたまま。
 なんとはなしに、感じ取る少年の感情。怯えた肩の震えを視界におさめ、子供は自分を知らしめるように少年の背に指先を回す。
 「………カイ……………?」
 問いかけるようにその名を囁けば、痛みさえ覚える抱擁の腕が優しさに満ちた仕草に変わる。………いることを確認出来たと示すその所作に苦笑すれば、どこか困ったような少年の声が響く。
 「また……溶けるかと………」
 不安を模した声で囁けば、揺るぎない幼い音が語る言葉を止めるように吐き出される。
 「……………俺は一度も溶けたことはない」
 雪女じゃあるまいし、そう簡単に人は溶けない。
 呆れたようにいう頬は僅かに赤い。ぶっきらぼうな声音は困惑を秘めて囁かれる。
 あの日、眠る子供を置いて小屋に帰った。待つ人がいたから……残ることが出来なかった。それが正しかったとは思わない。それでもそれ以上、自分の示せる誠意はなかった。
 知って……いるのだ。自分の腕だけでは守れるものの少なさくらい。いやになるくらい……実感している。自分にできることは少なくて……幼かったあの頃は更に、少なくて。
 約束すら残せず、ただいたというその証拠だけを残した。
 …………忘れても、構わなかった。覚えていたって申し訳ないだけだ。何一つ、自分は結局力にはなれなかった。
 悔しくて、シスターに物言わずにいれば優しく抱き上げられた。まだ守られることしか出来ない、ちっぽけな自分に涙が出る。辿々しく語った言葉だけで全てを許してくれる人のような強さも意志も、自分は携えていないと思い知らされる。
 だから、あの日から動き出した。自分になるために、大切な一歩。
 もしも溶けて消えるものがあるとすれば、それは守られることしか出来ない自分。足手纏いで中途半端な姿しか晒せない、幼い日。
 …………どこまでも許し難い、愚かさで作られた…………………………
 眇めた視界、どこか険しく子供は地を見つめる。なにか出来ないかと思って、歩いていた。
 なにかを成したくて。ただ……心がざわついて。
 そうした先に現れた子供を抱き締めること以外に何一つできることがなかった。
 …………力があると、どこかで驕っていたのか。なにも成したことのないこの無価値の指先が、本当に誰かを癒せるなんて……思ったのか。
 悔しい。………そんなにも浅はかだった幼さしか、晒せなかった自分が。
 幼い肩に額を溶かし、少年はどこか苦笑する。溶けたと感じたのは……何故だろうか。あの日の光は消えることなく残っているのに、子供の影はいつしか消えていく。まるでそれを望まれたかのように。
 きっと……それが事実。消え去りたかったのだろう、小さな太陽。癒し方が判らず、辿々しい指先がただ温めてくれた。
 それが好みには嬉しかったけれど、子供は知らない。かける言葉も判らず、ただ抱き締めることの勇気の存在を。…………だから、消えたかったのか。残ることなく……消えたのか。
 わからない……けれど。それでも自分が癒されたのは事実。まごうことなき………………
 「あの日は、ひどく寒くて。一人があんなに……凍えるものだなんて知らなくて…………」
 ただ抱き締めて欲しかった。ぬくもりを与えて欲しかった。
 偽善的な言葉より、ただ無言のままに抱擁を。
 …………知らないはずの子供は、それでも与えてくれた。だからこそ、幻かとも思ったのだ。
 自分の都合のいい、幻だと……………
 「寂しさから作った、幻想かと………」
 「勝手に人を幻扱いするな」
 途切れる言葉の合間、子供は不貞腐れたように言い切る。………過去に会った日を、知らしめるその確かな言葉。
 それを抱き締めて、少年は泣き笑う。結局……過去もいまも…きっとこの先も、自分を支え導く指針はたったひとつ。
 たった一人の魂が、ずっとずっと支えてくれた。癒して、くれた。本人さえ知らないどこか奥深いところで無意識に………………
 どれを奇蹟といえばいいかなんてわからない。
 …………どれをこそ、祝すべきかなんて判るわけがない。
 朝日が優しく入り込む、赤い瞳に。それを受け、眇められて瞳の中には幼い顔に老練された無表情な子供の視線。
 抱き締めて…その蟠りを溶かすように額に口吻ければ、ますます深まる仏頂面。
 初めぬくもりを与えてくれたのは子供だったけれど、親密な熱には未だ慣れない肢体はどこか戸惑うように逃げを打つ。
 それでも抱き締めた腕の中、逃れようとはしない優しさに微笑みが深まる。
 間近な耳に、小さく子供にだけ聞こえる音を注ぎ込む。………誰にも、聞かれないように。
 「幻でないなら、逃がしませんよ?」
 手に入れて……手放せるわけがない。囁きの意味を知れば子供はどこか怒ったように眉を寄せる。………赤く熟れたその頬を晒すことに苛立つように。
 「なにを今更………」
 ぶっきらぼうな承諾の言葉に忍び笑い、少年の額がホッとしたように子供の肩に溶けた。………随分緊張していたらしい少年に訝しむような視線を向ければ苦笑した気配が滲む。
 不可解そうに返答を求めて軽く背を叩けば、小さく小さく囁く言の葉。
 「………ここで、いいたかっただけです」
 「……………………………何故?」
 どこか意味ありげな囁きに子供が警戒するように返す。
 さすがに辺りには誰の気配もないが……………
 愛しげに子供を抱き寄せ、少年は少し離れた地面にやわらかく微笑みかけた。
 ここに眠る両親の遺髪。大切な記憶がいくつも重なるこの不可思議な地に、もうひとつ増やしたかった優しさ。大切な大切な……いまはもう亡い人のために。
 でもそれは………
 「いまは……内緒です」
 もう少し、経ってから。
 …………不貞腐れた子供が引っ張る髪の微かな痛みに笑いかけ、少年は自分の見つけた光を抱き締めた。






 というわけで、『曙光の君』の続編。そのまま話繋がってますね☆
 朱涅さんにリクのしあいした感じです。彼女はさっさかクリスマス&新年カイ爆(長いよ)の続編書いてくれたのに、遅くなって申し訳ない。
 ………それでも結構一杯一杯だったわっ!そして明らかに質が(遠い目)
 わかってます。気力のない時に小説書けばこうなることくらいよくわかっています。
 でも書きたかったんだよ。思い付いちゃったからにはさっさと!忘れちゃうから!(オイ)

 前に書いた『永久という名』ではカイの両親の遺髪埋めた場所をはっきりは書かなかったので(一応推理出来るようにしたつもりですが)今回しっかりきっちり出てもらいました。
 個人的にはもう少ししてまたここにちゃんと墓参り(?)に来た時にでもシスターの話してくれるといいんだがな。どっちかが。
 …………すでにこれ、ある意味オリジナルな話に変わってきていないかというのは気にしないでやってくれ……………………

 あ、そういえばシスターの出てくる話いくつくらい書いているかなーと思ってちょっと探してみました。
 一応下のような感じで。

 「いつの日にか」シリーズ
見上げた空の青→導きの月→選択の道→永久という名→緘黙の泣き声→曙光の君→日出ずるその時に→いつの日にか→天来跋渉→不朽の約定→僕の瞳のさきっちょは
 単独でどこに入るか判らないもの。
螢火の灯籠・影法師の児戯・小手毬の記憶・望郷の鐘・記憶に刻まれた腕・聲を視ゆる

 案外書いているものですね。まああくまでもシスターの影があるだけで実際シスター出てきているのは数作だけですが。
 あ、あとサークルで出した「君と僕と」のカイ爆も確かそうだったかな。同じく「いつの日にか」シリーズのラストの「僕の瞳のさきっちょは」ですが、こっちはもう完売で再版予定なし。
 ………特に必要もない蛇足の話だったから。