柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
たまに、彼は青い顔をする ハビタット ぱたんとドアを閉めれば待ち構えていたように視線が向けられた。それを当然のように受け止めて小さく息を吐き出す。 「………大丈夫、だったか?」 不安に染まった低い青年の声。忌々しくさえ感じてしまうのは、それほどまでに思う相手を思い遣ることの下手な彼の不器用さ故だろうか。 心配なら、彼女を痛めなければいいのだ。ただでさえこの寒い季節だ。気管の弱い彼女には寒気は辛いことくらい、子供の自分だって知っている。 「やっと寝た。………でもきっとまた起きるぞ」 「………………」 じろりと彼を睨み、子供は責めるように棘ついた物言いでいった。どこか淡々とした幼い声が、逆に鋭く青年に突き刺さる様が手にとるように解った。 消沈して項垂れる姿は子供のようだ。とても自分の倍も生きているようには見えない。まして今ようやく床につき瞼を落としてくれた少女よりも年上には、到底見えはしなかった。 また息を吐き出す。今度のそれはどこか荒く、苛立ちと怒りを滲ませていた。 それに顔を顰めて、青年が視線だけを上げると盗み見るように子供を見遣った。それは心配を孕んだ気遣いだ。 そんなものが欲しいわけではないと、向けられた視線を射落とすように睨みつける。 意志の強い幼い瞳に見据えられ、与えたものが間違っていたことに彼は気付く。が、かといって何が正しいかは知らないが故に、彼は怪訝そうに眉を顰め子供をまっすぐ見返すことしか出来ずにいる。 「………………っ」 そんなものが欲しいわけではなかった。彼が彼女を心配するように自分も心配していると、どうして解らないのだろう。 そして心配しているからこそ、共有するその思いを吐露したいと、そう感じはしないのか。 気遣われたいわけではないのだ。彼女に関わることでは、この男と対等でありたい。いつも世界のどこかに飛び回っていてふらりと帰ってくるだけの男は、それでも彼女にとって頼りとするただ一人の相手だ。 彼女を導いてきたシスターにさえ、彼女は辛さを語りはしないのに。院を出て二人暮らすこの家の中、決して吐き出されない気苦労を、この男は唯一語られることを許されているのだ。己の弱さを語ることのない彼女の告悔室は、いつだって場ではなくこの男なのだと、自分は知っている。 たったそれだけの事実がどれほど自分にとって悔しいかなど、きっとこの男は知りもしないのだ。そうして、こんなときばかり年長者として自分を気遣おうとする。あまりにも不馴れた仕草で。 もっと大事にすべき人がいて、ずっとそう思って生きてきたはずだというのに、彼はあまりにそうした行為に戸惑いを示す。そしていつだって失敗ばかり繰り返すのだ。 そもそもいまだってそうだった。突然帰ってきて、しかも怪我などしていたりして。彼女が驚くことくらい解っているくせに、心配して手当をするあの細い指先を弾いて飛び出して。………その後を追う彼女がガウンも羽織っていなかったことさえ、気付きもしないで。 ようやく感情をおさめて彼女が寒さに震えていることに気付き、慌てて帰ってきた頃にはもう遅い。当たり前に笑っている息の下、彼女の身体が蝕まれていることくらい、否応なく解ってしまう状態だった。 アドヴェントの準備のために院の手伝いにいっていた自分が帰ってきてみれば、押し問答の真っ最中で、一番幼いはずの自分が間に入って彼女に願い、寝室へと誘導するという事態が、ついさっきようやく終結したところだ。 彼が彼女の手を拒んだ理由など知りはしないし、喘鳴の下、それでも微笑む彼女が愚痴をこぼすわけもない。まして彼を責めるはずもなく、唯一責めることが出来る自分が一人、怒りを露にする以外に感情のやり場さえない。 「………怪我なんかして、帰ってくるな」 彼女が非難しないのに彼を非難など出来ず、それでも幼い感情は捌け口を求めている。大事な人が苦しんでいれば、その原因を憎むのは当然だ。それは感情としてとても正しい反応だと自分に教えたのは、いま自分に怒りを向けられている張本人だった。 冷たい物言いに、彼はそれでも眉を顰めて……笑う。 どこか言われ慣れた言葉だというような、痛みを押し殺した感情の彩りのない笑み。 けれどそれに気付けるだけの経験値を未だ積んでいない子供は、自分の中の感情の本流を押さえ込むだけで手一杯で、彼の感情の渦巻きまで把握できはしなかった。 「シスターを悲しませるなら……帰ってくるな」 零れそうな涙を飲み込みながら、震える子供の声が呟く。 身勝手極まりない、男なのだ。それくらい、自分達は身に滲みて知っている。それでもいつだってここは彼の帰るべき場所で……自分達はそれを心待ちにしているのだから、始末に終えない。 彼女が一人自分を育てるには無理が多く、成人していないのだから後見人も必要だった。周囲の協力のもと成り立っている自分達の生活の中、最も彼女が支えとしていたのが彼であることくらい、自分は知っている。そして彼が彼女だけを思いここに帰り来ることだって、解っているのだ。 そうした二人だから、二人にしか通じない言葉や思いがあるのだろう。 …………それでも自分はきっと彼らよりもよく知っていることがある。 彼が傷付いていれば彼女は悲しむ。自身の痛みに鈍感な彼は、悲しむシスターを見ることで傷付く。とんだ悪循環だ。それでもいたわりあう姿は美しくて、時には目を見張る。時折自分一人遠くに取り残されたような、そんな疎外感を感じるほどだ。 綺麗なものはあまりに悲しい。そう思うには、まだ子供は幼すぎる。誰も彼もが悲しい思いをして傷付くくらいなら、その原因などなければいいのだと、単純な解答を求めてしまうほどには、幼いのだ。 子供が自身の感情を静めるためにはじき出した解答は、明快な答えだった。原因がなければいい。たったそれだけのことだ。 だから間違えたことを子供は言いはしなかった。もっとも単純で簡単な原因の除去法。 それでも音とした瞬間、自身の身体を襲った寒気に、子供は唇を噛み締めた。 何かを間違えた、と、それだけは解った。けれど間違ったことを言ったはずもないのだと、感情がそれを認めようとはしなかった。 打ち消そうと振られるはずの首は、けれど微かに震えるだけでそれを表現しはしない。葛藤という言葉さえまだ知らない子供は、内なるざわめきに驚くように目を瞬いた。そんなとき、小さく落とされた、音。 「………そうだな」 ぼんやりとした、音だった。どこか現実感のない、溌剌とした話し方をする彼からは想像のできない気弱な声音だった。 訝しむように子供は表情を凍らせて彼を見遣る。一瞬、目の前にいる見慣れているはずの彼が、まるで別人に思えた。 「ずっと……俺もそう思っていたけどな」 「………和也?」 「さすがに…お前に言われると、キツイ」 苦笑を浮かべていう様は、寂しそうだ。それを見て、息が詰まる思いがした。 感情は正しかった。間違ってなどいない行動を選択した。それでも、感情だけで割り切れないものが、自分の中にはあるのだ。 それはやっぱり感情というもので。相反する感情が、自分の行動を認めながらも批判した。 鬩ぎあう自分の中の感情の収拾が付けられずに、ぽろぽろと子供の目から涙が落ちる。大好きな彼女を傷つける存在は許せないけれど、彼女にとっても自分にとってもこの目の前の男はかけがえのない存在なのだ。 だから、彼を傷つける存在もまた、許せない。 「…………………っ……」 自分の中が解らなかった。ずっと明解だったはずなのに、突然複雑になってしまった感情の整理がつかない。床を睨むようにして目を見開き、噛み締めた唇と同じほどに強く握りしめられた手のひらが、微かに震えていた。 その様を見つめる男もまた、目を見開く。 そして、思う。………どうして自分は大切な命にばかり傷を与えるのだろうか、と。 もっと優しくしたいのだ。些細な言葉に感情を爆発させることなどなく、いつだっていたわり包める存在になりたい。守れるもので、ありたいのに。 「……なあ、爆」 怯えるように手を伸ばし、青年は躊躇いながら子供の名を呼ぶ。 この小さな命は、自分の手で容易く屠ることが出来るほど脆弱だ。触れたなら、壊してしまいそうなほど。普段であれば考えずに済むそんなことが、不意に脳裏を掠めて伸ばす腕を震わせた。 もし、この腕が振り上げられたら、どうすればいいのだろうか。……自分でコントロール出来ず、この小さな身体を殴りつけたら。 そうしないというその保証は、一体どこにあるのか解らない。少女が自分に傷つけられているように、いつかこの小さな命さえも自分は脅かすのかもしれない。 ……………それは、底知れない恐怖だった。 虐待の連鎖などあり得はしないと、笑っていた自分の白々しい弱さを呪いたくなる。否定し続けるのは現実となりそうで恐ろしいからだ。向き合う恐怖に耐えられないから、一蹴しているに過ぎない。 伸ばしたはずの腕を凍てつかせ、青年は続くはずの言葉を紡げない。カチカチと微かに歯の鳴る音が聞こえた。瞳孔さえも開くのではないかと思わせるほどに見開かれた瞳は、瞬きすら忘れていた。 それでもその腕にはぬくもりが触れた。まるでただ一つの支えを見いだしたように、強く。己の中の感情に翻弄されていた子供は、縋るものを求めるように凍てつく腕に腕を重ね、震えそうな声を必死になって紡ぎ出す。 「…………………………なん、だ、和也」 しゃくりあげるような幼い声は、けれど奇妙な冷静ささえ含んでいて、びくりと青年の腕が震えた。 ぎこちなく首を動かし、緩く長く、息を吐き出す。一秒でも長くそうすることで、恐怖が遠くに逃げていくことを願うような、仕草。 その様が滑稽で……けれど自分も同じように脅えていて、子供は同じように息を吐き出して己の中の感情を正常どおりに動くように整えようと努める。もっと……もっと強くありたい。彼女を守れるものになりたいのに、この小さな腕は怯えて縋ることしか知らない。 数度の深呼吸を終えた頃、幼い分柔軟な子供の感情は青年よりも早くに正常な動きを思い出しはじめていた。 それでも、目に浮かぶ涙は絶えはしなかったけれど。 いつもならこんな腕ではなく、もっと柔らかく細く……そのくせどこまでも深く包むような腕が自分を抱きしめてくれる。あの安心感はどんな人間にも真似はできないと、小さく子供は笑った。 きっと、この腕の持ち主も同じ思いを持っているだろうと、そんな共犯者めいた思いで。 「和也、知っているか………?」 問いかけるように腕を強く握りしめれば、恐れるように震える大人の身体。きっとそれを包むのは、いつも自分を安堵に導いてくれる彼女の役目なのだろう。自分では、到底役不足だ。 「俺にとって、シスターはたった一人だから、お前と同じように心配なんだ」 「…………………」 「俺は子供だけど、お前に子供扱いしてほしいなんて、思っていない」 だから自分の不安を思いやるように自分もまた、彼の不安を思いやるのだ。同じ思いを持っているのであれば、吐露される怯えとてあるだろう。それを認め、共有させてほしい。……そしてたったそれだけのことが、大人にとってはとても難しいことなのだと、子供はよく知っていた。 「お前にもシスターにも、同じ立場で認めてほしいんだ」 それは背伸びでも何でもない、一人の人間として当たり前の願い。生きた時間など関係のない、自我の欲求だ。 ずっと昔自分もそれを感じていたはずなのに、いつの間にか忘れていた。認められない時間の長さに押し潰されて、あの頃の己を思い出させる年代の命と向き合うことが不得手となった。 情けないほどの、それは真実。 自分の腕を握りしめる幼い手のひらに震える指先が重なり、それごと飲み込むように抱き寄せた。幼い頃の、傷だらけでボロボロの己を迎え入れるように、必死に。 「………俺…は、あいつの傍でしか………生き方がわからねぇんだ」 「…………………………?」 「あいつが、ずっと昔から俺のハビタットで、たまにお前さえ、生存闘争の相手に、見え、て」 途切れるような物言いはきっと彼が泣いているからだろう。腕の中に抱え込まれるようにされているせいで伺うことさえ出来なかったけれど、それでも自分を包む身体の震えや声の抑揚、その響きで容易に知れた。 難しい言葉を、彼は時折当たり前に使うことがある。 それは対等に扱っているのではなく、単に噛み砕いた言葉を使わなければいけないという概念を忘れてしまっているからだ。それ故に彼の中で年齢に則した言葉の使い分けというものがない。 不器用な彼らしいと、知りはしない単語の羅列を一つずつ反芻して記憶する。こぼされた本当を決して取りこぼさないように耳を澄ませながら。 「でもあいつの生物収容能力は、俺ら二人くらいで溢れやしねぇのにな」 くっくっと喉の奥で彼が笑う。不敵な、声で。 「考えてみりゃ、ガキ相手に大人げねぇな」 強く縋っていた腕が解かれ、唐突な解放に驚いたように子供が見上げた先には、どこか人を喰ったように笑う青年の顔があった。………もっともその目は未だ涙に濡れてはいたけれど。 その姿を視界いっぱいにおさめ、子供は満足そうに唇を笑みの形に染め、次いでそれを隠すように尖らせた唇で呆れたように返した。 「ふん…シスター相手なら俺よりガキ臭い奴が何をいっている」 「誰がお前よりだ、このクソガキっ」 幼い挑発に同様に幼い声で応戦をする。それは子供扱いでもなく、大人扱いでもない、同じラインに立つ命の応酬。 あと少し時間が経ったら、喉が渇いたからとでもいってホットレモンを作りにいこう。 そうして今は静かな寝室のドアを叩いてみよう。湯気の立ち上るあたたかなホットレモンを携えて、喉越しのいい甘味も探して。 そうして眠る彼女の枕元に歩み寄ろう。 不器用な手と小さな手で、自分達二人を抱きしめ生かしてくれる、たった一つの命のために。 爆4歳の冬の話です。 和也も爆も相手に負けたくないけど、その実同じハビタットに生きていて知らずに扶助関係でもあったりするのだよなー、と。 この間読み終わった生物学と環境因子の本で思いました。ちなみにハビタット=住処です。 和也にとって小さな生き物は全部恐い対象なのですが、爆に対しては結構対等に普通に接しています。 その辺りの矛盾をなんの題材使って書こうかなーと思っていたので、ちょうどこのハビタットの概念は使いやすいな、と。 ………思って書くまでどれだけの時間がかかったかは考えないであげて下さい。 私は頭があまりよくないから、物事理解して飲み込むのに凄く時間がかかるのですよ(遠い目)しかもすぐ忘れるしな………。 05.10.22 |
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