柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
数えてみればまだほんの数回。 春愁をまといて こぽこぽこぽ………… 柔らかな湯の音が響き、ポットの中の茶葉が緩やかに舞い上がる。 ゆったりと透明の湯が琥珀色に染まる様を眺められるようにガラス製のポットをとりだしたが、実際にそれを行ってみると自分の目には映っていないことに気付く。 微かに息を吐き出してテーブルに降り注いでいる陽光を追うように窓に目を向ければ、そこには鮮やかな青い世界が広がっていた。 気怠く感じる手足を動かしてそこに近付けば、窓から見える景色の中には家庭用に栽培しているハーブや種々の花、果樹がある。 春はやわらかな気配が身を包み、幼い頃はのんびりと野道を散歩することが好きだった。夏のような駆け回る必死さではなく、道端にある小さな雑草の花一つ見つけることが楽しみのような、そんな微睡みのような散策。 思い起こしながら、脳の中に霞がかるようにのしかかる気配に首を振る。 日差しは柔らかく、今日は散歩日和というに相応しいだろう。窓の外の花が風に揺れているらしく、撫でられるように首を振っていた。 ぼんやりとした視界の中にそれをおさめたあと、物音一つしない階上の部屋を思い出したように子供は見上げた。 いつ帰ってきたかは解らないし、もしかしたら帰ってきてなどいないのかもしれない。この家にいることの方が少ない自分と同じで、彼もまたあらゆる土地を訪問しているし、主として生活しているのはここではなく別宅というに相応しい山の中腹にある研究室だ。 それでもこの家の所有者は彼なのだから、いても不思議はなかった。 そして、それが今日という日であればなおのことだ。 「…………………」 小さく思い、微かな溜め息が唇から洩れた。 どうしても今日は気分が落ち込んでしまう。そんな必要はないと、そう囁く声が聞こえても……それはどうしようもないことだった。 それは階上にいる彼にとっても同じことで、関わった時間の長さや深さを思えば、あるいは自分以上に重症なのかもしれない。同じ悼みを思うもの同士が寄り添い慰め合うことはよくあるという。自分たちも同じ括りに加えられるだろうと、ぼやけた頭で考えた。 それでも、彼は決して自分に慰めを求めないし、自分も彼のいる部屋を訪れない。彼は一人あの部屋の中で踞り一日を過ごすことだろう。………例年の通り、に。 もう既にそれは暗黙の了解だった。自分はあの部屋のドアを叩かず、彼は部屋から出てはこない。おそらく食事すらとってはいないだろう。下手をすれば彼が倒れるのではないかと危惧出来るようになったのもようやく最近のことで、彼がまだ帰ってくるより早くにあの部屋の掃除をし、水分やビスケットなどを用意しておいたのは今日が初めてだ。 吉と出るか凶と出るかは解らないけれど、少なくとも今のところそれらをぶちまけたような音は響いていないし、あの部屋で彼がそんな凶行に走ることもおそらくはないだろう。 そう思いながら、まだぼやけたままの思考回路に苦笑が漏れる。もう、何も出来ないような幼い子供ではなく、この小さな腕はそれなりの逞しさを内包し、世界を支えるくらいやってのけたというのに。 それでも今日という日だけはあの無力だった頃に舞い戻ってしまう。 掠れた声で音を綴っていた唇。それが小さく動き、まるで単語ごとに区切るように浅い息の中で囁いていた小さな言葉。 春先の名残雪のように儚く消え失せそうな音を、柔らかく響かせるように努力してくれていたのだろう。死の間際にある割に、それはまるで日常と変わらないような錯覚を起こすほどだった。 どうして、と、幾度も自分を責めては、周りの人間は自分を慰め許しを与えてくれる。 そんなものが欲しいわけではないのだと、糾弾の言葉を求めることさえ止めてみれば、音を綴ることを忘れた。 あの頃のような感覚に身を浸していれば、不意に湧きそうになる。音の綴り方を忘れた心模様を。 もしかしたらまた言葉を発そうとして、どうすればそれが出るのか解らないと不思議に思うのかもしれない。そんな苦笑が唇を彩る頃、不意に窓の先に見知った影が現れた。 まだ小さなその影は花束を持っている。それに気を向けているため窓に立つ存在にはまだ気付いてはいなかった。 今日は決して来るなと言っていたにもかかわらず、想像どおりにやってきた。無理もないのかもしれないけれど、それでも受け入れ難い日はあるのだ。 それを解らずにいる人ではないから、追い返す言葉が湧かない。それでも、甘えたいなど考えることも出来ない自分にとって、そうした存在は困惑の対象だ。 軽く息を吐き出し、子供は窓硝子に添えていた指に力を込めて、自身を追い出すようにその場から退いた。………そうでもしなければ、彼が気付くまでずっとその姿を見つめていそうな女々しさを嫌って。 「来るなと、いわなかったか?」 控えめなノックは気付かれないことを前提にしていたのだろう。それくらい解っていたけれど、それでもその小さな音が響くか響かないかで開かれたドアは、そのままの勢いで言葉を吐き出した。 瞠目しつつまだ状況が把握出来ていない目の前の少年は、おそらくはドアが開いたということさえまだ信じていないのかもしれない。そして発された言葉が現実の音かどうかなど思考の外なのだろう。瞬きを繰り返し、ぽかんと口を開けたまま現れた子供をただ見つめていた。 「あ………えっと、爆殿?」 「他の誰に見える」 腕を組んだまま尊大にいってみれば苦笑の浮かんだ口元が柔らかくさらされた。それはどこか、我が儘を許すときの仕草に似ていた。 そしてそのまま優しく綻んだ赤い瞳が眇められ、腕の中にある花束を差し出された。 「いえ、訪ねても居留守をされると思っていたもので……。でも、手渡しができて、良かったです」 「…………………」 「元GCからの誕生日プレゼントを、代表して届けにきました」 この花束がそうなのだと、微笑んだまま少年は子供を見つめた。まっすぐな視線は眼前の対象の纏っている微かな影を認めていただろう。それでもそれを指摘も注意もせず、ただ認めるように微笑んでいた。 その視線のやわらかさに居たたまれなさを感じ、子供は知らず逸らした視線をそのまま彼の手もとの花へとやった。白い水仙と黄色のフリージアが目に触れる。それに惹かれるように全体を確かめてみれば、それらを取り囲むようにアイピーやドラセナ・ゴッドセフィアナ、アネモネ、ストックにブルースターが散りばめられ、ウンリュウヤナギでまとめあげられていた。 決してそれは華美ではなく、大げさなものでもない。誕生日のプレゼントであればもっと豪奢なものを好むだろう。それでもその花束は自分に届けにきた少年のその微笑みのように優しく、とてもしっくりと空気に溶けるやわらかさに満ちていた。 子供といえども自分は男で、花をプレゼントされることには多少の抵抗がある。それでもそれを差し引いてなお、それはかさつき疲弊している心を包むように目を和ませてくれた。 「私はあまり花には詳しくなくて………」 じっと差し出した花を見つめるだけで受け取ろうとはしない子供を視界におさめながら、少年が苦笑して囁いた。 子供の態度は決して拒否的なものではなかった。むしろそれは、触れたなら壊れる美しいものを目の前にしたような、そんな微かな怯えを孕んだ憧れの眼差しだった。 「他の方も同様で、本当は形に残るものにしようとも言っていたんですけど」 花束を包んでいる両腕の片側を解き放ち、少年は子供の指先にそれを添わせると、エスコートでもするかのような滑らかさで自分の持つ花束に寄り添わせた。………微かに震えている気がした幼い指先は、それでも抵抗することなく花束を包んだまま離れはしなかった。 それに笑みを深め、安心したように少年は吐き出す吐息とともに言葉を続けた。 「でも爆殿は身一つで飛び回る方ですから、それなら記憶に残るものの方がいいのでは、と……」 「…………」 言葉を聞きながら子供は微かに瞼を伏せて、清純な感の強い花束に顔を近付ける。濃くはない、微かな花の香りが鼻腔を満たし肺を優しい甘さで覆った。 笑みを落とそうにも難しい心持ちにかすかに歪んだ眉を隠すように、子供は花を見つめる振りをして顔を俯けた。それを知ってか知らずか、少年がふわりとその額を撫でるように前髪を梳く。 「…………爆殿」 小さく、呼びかけというよりは零れ落ちた雫のような繊細さで名を囁かれ、子供は顔を俯けたまま微かに花束を持つ指先に力を込めて、続くであろう音を待った。 「人の気配が辛い時期は、あると思います」 「…………」 「自分を責める以外の手立てがないことも」 自身の身にも襲ったのだろうその感覚を思い出しているのか、視界の中に映る唯一彼の感情を表すだらりと落とされた片方の指先が震え、固く握りしめられていた。 別に、同情や哀れみが欲しいわけではない。ただ、責めが欲しい。そうでなければ自分が自分を許せない。意味も道理もない矛盾だけの願いは、けれど切実なものだった。それを理解しろというのはきっとあまりにも無茶な願いだ。 ………解っているから過去の日、それを求めるための言葉は消え失せた。それを彼は覚えてなどいないだろうけれど、それでもまるで知り尽くしているように言葉が流れる。 同じではない傷は、けれど酷似しているが故に、似通った痛みを醸しているのかもしれない。 「そうした時に思いで出来たものを贈ることは、欺瞞かと、思ったんです」 添えられた思いが身勝手なまでに暴走すれば、ただの有り難迷惑だ。 あるいは一人ではないのだと、そう知らしめるものを、今日という日に与えたかったことこそが傲慢だと言われればそうなのかもしれないけれど。 それでも幾千の慰めの言葉より、ただ涙する時に添えられた花が心を受け止めることもある。…………山の木々が自分の慟哭を受け止めてくれた、あの過去の日のように。 遣る瀬無く胸を締め付ける痛みを笑みの中で受け流し、少年は畏れるようにゆっくりと子供の肩に手を添えた。そうして花束を抱える子供をそのまま抱きとめるように、ゆるやかにその小さな身体を引き寄せる。 花束を傷つけないように少しだけ離れた抱擁は、どこか滑稽だ。それでも触れあう頬の暖かさが、花の香りのように優しく心に染み渡る。 「傍にいさせて下さい、とは、言えません……けど」 微かな悔しさを滲ませた音が蟠りさえ忘れて唇から滑り落ちる。過去の日、幾度も願った言葉は、けれどまだあまりに彼には酷なのだと、身に滲みているから。 だから、願えない。それは彼を痛ませる原因にすらなる。 それでもと思うこの浅ましさを腹の底に沈めて、震えそうになる声を柔らかく響かせる。 「せめて花だけでも、置いてやって下さい」 何も出来ない自分達の、せめてもの手立てだったのだ。ものは彼を縛るだろう。言葉は気休めにすらならず、傍にいることは痛みを増長させる。………それでは他に、一体どんな方法があるというのだろうか。 苦肉の策がこんなちっぽけな花束だという事実を嘲笑うものは、それでも誰もいなかった。誰もが必死に、そんな心持ちのときならどの花がいいか考えたのだ。 何も知識もないものが花屋を歩き回ってあれこれ模索するのは、さぞ滑稽だったことだろう。それでも、彼には誰もが心穏やかにいてほしいと願ったから。 「……………………」 優しく自分を包む少年の腕をぼんやりと受け止めながら、まるで縋りつくようだと遠くの意識が囁いていた。 それはどこか幼い頃の自分のようだ。何も出来ないと思いながら必死で抱きしめる対象を求めていた。もういないのだと、そう認めることも出来ないまま。 痛みは変わらない。多分、それはこの先も大なり小なり必ず残る。階上にいる人はおそらくこの先も彼女以外の女性を求めることもないだろう。それと同じように自分もまた、彼女以外に彼女と同じ意味を求めることはない。 いま目の前にいる存在もまた、彼女とは似て非なる人だ。決して似通った場所などなく、けれどどこまでも自分を思い心砕いてくれるその様だけは、同じだった。 だからだ、など、言う気はない。逃げのための口上を披露するくらいなら、潔く認める方が自分には楽なことだ。 ゆっくりと引き締めた唇を解きほぐすように空気を吸い込む。苦く感じる吐息を吐き出し、子供はあたたかな体温をおくる相手に頬をすり寄せるようにして顔を持ち上げ、遠い青空を見上げながら小さく空気を震わせた。 「………花…だけ、か?」 「………………?」 言葉と変えることには勇気は必要だ。過去の日からずっと積み重ねてきたことなのだから、振払うには少々重い。 それでも戸惑いを乗せた少年の眼差しを頬に受けながら、ゆるやかに唇を動かした。 「………お前も、いろ」 決して負担ではないのだと、そう囁くことは苦い味がする。 それでも覚悟などもうずっと昔に出来ていたはずだった。彼のいうように居留守を使えばいいにも関わらず、まるで待ち構えていたかのようにノックの音さえ消えない間にドアを開けたあの瞬間に、答えなどもう決まっていたはずだ。 言葉とすることが不得手な自分を見限らずに待っていてくれる彼だから、音と換えることの出来たそれを小さく小さく捧げる。 縋るように包む腕に一瞬力が込められ、そうして弛緩するように解き放たれる。 スローモーションのように少年の身体が自分と花束から離れ、彼の姿が視界に入り込んだ。 ぼんやりとした視界の先には、遠い空の青と木々の緑。 そうして、ふんわりとやわらかく幸せそうに笑んだ少年の、 感謝を捧げるように頷く彼の頤から落ちる雫は 陽光を反射し、煌めきながら土へと還っていった。 ふひー、なんだか久しぶりに書いた感じがします(本当にね)この所ずっともの作りに専念していたせいですね(遠い目)いっそ隠居して延々ともの作っていたい(オイ) 今回は傷付いた時に傍に人がいて救われるときと逆に深く落ち込んでいくときがあるんだよな、ということを思いまして。書いてみました。うん、見事な身勝手さだね☆ でも手軽な言葉を贈る相手が傍にいるより、私は一人泣いていた方が気が休まります。もしかして基本は一匹狼ですか?(笑) シスターが使っていた階上の部屋でずーっとこもっている馬鹿は和也です(大笑) その辺りのことを「ハーブ・ガーデン」が書き終えたら執筆したいものです。いつのことだろうね☆ 05.7.18 |
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