柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
美しい花が一輪ありました。 尊き花の名 小さな足で隣に歩く人を追い抜いた。振り返ることなく、駆け出す。その美しい景色を独り占めしたくて。 手に入れたその景色を彼女に捧げたくて。 野原の中に入り込み、深呼吸をする。肺にいっぱい花の香りが満ちた。名もなき花の密の香り。甘いそれに頬が緩む。 静々と近付いた気配の後、間近から溜め息のような吐息が軽やかに吐かれ、ふんわりと柔らかな音が響く。 「見事ね」 幸せそうに笑い、辺り一面を眺めるように首を巡らせる。 そんな仕草をあやすように、風が彼女に吹きかけその長い黒髪が宙を舞う。絡まらないようそれを押さえた細く白い指先が髪に埋もれた。 見上げた彼女の、持ち上げられてはいない自分のために残された指先に、小さな指を絡めると誇らしそうに幼い声が答える。 「そうだろう。きっとシスターは好きだと思ったんだ」 色鮮やかな花を好む院の子供たちとは違い、こうした野辺に咲く小さく淡い、ともすれば見落とされてしまう野花が彼女は好きだった。 自分のようにまだ小さな子供には見つけやすいそれを、シスターは見つけるととても嬉しそうだった。名前も知らない、そんな花を祝するように彼女は眺め微笑む。 そんな姿を一番そばで見ることのできる自分が嬉しくて、子供はとっておきの場所を見つけると彼女を連れ出した。少々足も遅く、息の切れやすい彼女の身体をいたわるようにと、よく他のシスターに言われたが、そこまで周りが心配するほど彼女の身体は弱くはなく、自分と同じほどに駆けることができる。 時折無理をしては体調を崩すけれど、きちんと休養すればすぐに全快するのだ。彼女の肌の白さと静かな声音がきっとシスターたちを心配させるのだろう。そんな風にあたたかな指先を包みながら思い、子供は軽くその手を引いた。 呼ばれたことに気付いた彼女は足を折り、視線を同じくしてくれる。 混じりあう視線は至純。何一つ不純物の介入がない、まっさらなままの魂の交差は決して他のものには理解のできない共鳴があった。 「あっちには川もある。疲れただろ、少し休むか?」 額に少しだけ浮かんでいる汗を幼い指先が拭い、強くなってきた陽射しにさらされて白い肌が青く見えることに眉を顰める。動くことが好きで、のんびりとはしていても一か所にじっとはしていない、そんなシスターを自分は知っているけれど、色素の薄いその肌が日に透けて青く見える瞬間だけは、少しだけ不安にかられてしまう。 「あら、川もあるの?」 「ああ、すごくきれいな川だったぞ」 「そうなの……残念ね」 ふうと溜め息を吐き、頬に手をやったシスターは、勿体無いというように眉を垂らして残念そうに自分の指差した先を見ている。そこは木陰の合間に僅かながら川の存在を主張するように、きらきらと輝く水面が伺えた。 なにが残念だったのだろうかと小首を傾げ、同じように川のある方を見つめると、子供は解らなかった答えを乞うように眉を顰めて問いかける。 「何が残念だったんだ、シスター」 解らなかったのだと憮然ともとれる声で言う子供に視線を戻し、シスターはふんわりと笑った。……彼女の周りだけ日差しがやわらかくなった、気がする。 「あら、だって……釣り竿、持ってこなかったもの」 釣りというものもやってみたかったのだと、幼子のようにはしゃいだ声音でシスターは言い、自分の手を包む指先を引き寄せた。 そうしてそのまま、細いその腕に子供を抱きしめると立ち上がってしまう。………正直、自分が同年代の子供に比べて小柄な方であることは解っているが、彼女に抱き上げられるほど軽いとも思えない。シスターの腕が壊れてしまうのではないかと本気で危惧し、慌てた声音で訴えるように声を上げた。 「自分で歩けるから、降ろせ!」 「あら、駄目よ」 「シスター!」 癇癪でも起こしそうな声音にクスクスと小さく笑い、楽しそうに目を細めたシスターは間近な子供の頬に自身の頬を重ねた。あたたかな体温が混じり、陽射しの強ささえ、優しい音色に変わる。 不思議なその感触に言葉を飲み込んで、微かな振動とともに唇を動かすシスターの、間近に見える長い睫毛の震えを見つめた。決して夢幻でなどない彼女の、不思議と儚いと思わせる美しくも朧な瞳。 「だって爆、川があるなんて教えてくれなかったもの。釣りができなかったから、その仕返しよ?」 「…………俺が楽なだけだろう。仕返しなら、俺がシスターを抱える」 自分が楽な思いをして幸せに包まれて。それでは仕返しでもなんでもないと、微かに赤くなる頬を隠しながら訴えてみれば、抱きしめてくれるたおやかな腕が優しく背中を撫でた。 「駄目よ。釣りよりも、こうしている方が嬉しいもの」 「だから仕返しに……」 「我慢してこうしているのが、仕返しなの」 だから逃げてはいけないのだと彼女は幸せそうに笑う。自分を抱えて重いだろうに、その腕は優しく抱きしめ安息を教えてくれる。 喜んだ顔が、見たかったのだ。野辺に咲く、誰も見向きもしない小さく淡い花たちを、それでも彼女は愛しそうに見つめて語りかけるから。………きっと喜ぶと思ったのだ。ここに連れてきたなら自分が彼女から与えられる嬉しさの半分くらい、分け与えられる気がして。 それなのに結局自分が一番嬉しい思いをしてしまう。彼女を喜ばせるつもりだったのに、満たされるのは自分ばかりだ。小さく未熟なこの腕では、自分を守るこの人に安らぎなど与えることはできないのかもしれないけれど、それでも、祈るように短い指先でシスターの腕を抱きしめた。 細く細い、力一杯握ったなら自分の力でも折れてしまうのではないかと思えるほど、柔らかくか細いシスターの腕。いつか守れるほどに大きくなったなら、自分が彼女を抱き上げどこかに連れていくことが出来るのだろうか。 今こうして彼女の腕に守られ安穏としているように、自分の腕が彼女を守ることが出来るだろうか。 強く、なりたかった。一刻だって早く。 守られるのではなく守れるように、なりたかった。 小川のせせらぎが近付く音を耳に響かせながら、微かに弾むシスターの息を抱きしめる。いつかは自分が彼女を守ろうと、そう思いながら。 それは幼い日の思い出であり、祈り。 誓いであり、果たされることのなかった約定。 ………飲み込んだ愛しさは、決して切なさに沈みはしない。 それは確かに愛しい記憶。 「どうかされましたか?」 不意に耳に響いた音にハッと意識を呼び戻された。気付かぬうちに思い出に浸っていたのか、不思議そうな顔をした連れがこちらを見ている。 小さく苦笑をこぼし、立ち上がる。雑草の合間、白詰め草がまばらに顔をのぞかせていた。昔、こんな風景を二人見に行ったことがあったと思ったなら、意識がその頃に引き戻されてしまった。 「いや、昔似た場所に行ったことがあったと思ってな」 「案外小さい頃の遊び場は似通ったものですよね」 子供が好むものは似ているのだろうと彼は笑い、腰を屈めると足下の白詰め草に指を添える。 そのまま摘むのだろうかと見ていればそうするわけでもなく、ただその輪郭を撫でると指を離してしまう。なんとはなしに視界に入ったその仕草が、けれどたったいま夢想していた記憶の人に似ていて、苦笑が深まる。 彼女は花を摘むことを悪いとは言わなかった。かといって己で花を摘むことはなかった。 切り花は嫌いなのだろうと花を手折ることを止めた自分の頭を撫で、悪いことではないのだと微笑んでくれた。理由は……今もまだ朧にしか解らない。 「………摘まんのか?」 「え?」 なんとなく、彼は知っているような気がしたのか、言葉が滑り落ちた。それは問いかけるつもりの音ではなく、どこか空間の挟間に紛れてしまった歌声のような不思議な音だった。 きょとんと目を瞬かせて子供に振り返った少年の赤い瞳には、純粋な問いかけの色が浮かぶ。訝しむのではなく、どうしたのだろうかと不思議そうな透明の色。 それから視線を逸らし、子供は太陽に染められた草原の合間に見える花を見つめる。鮮やかとも美しいとも言えない、けれどどこか潔くたおやかな野辺の花。 「いや……なんでも………」 眇めた視線の先、見え隠れする過去の幻影。今もまだ時折求めてしまう、ほっそりとした何もかもを受け止めてくれる人の腕。 それに心が奪われそうになる。縋る弱さを厭って子供が頤を振るわせるよりも早く、音が響いた。 「花の命は短いと言うじゃないですか」 噛み締めるように断ち切ろうとした言葉を、少年は汲み取るように遮る。 答えが、彼の問いかけようとしたものに当てはまるかは解らなかった。あまりに広範囲だった問いかけは、形となる前に発した本人がなんであったかを忘れてしまったから。 それでもなにか答えたくて、感じたままに少年は音を紡ぐ。愛しい命を包む欠片にでもなれればいいと祈りながら。 「摘まれることさえ、花は知っていて、その上で咲いているように見えるんです」 「なら摘めばいいだろう?」 不可解な奴だと顰めた眉は、けれどなじるわけではなく、どちらかといえば好感を隠すためのベール。それを見つめるでもなく足下の花を見下ろす瞳は、どこまでもやわらかく優しい。 もう一度花の輪郭を撫でながら、少年は小さく言葉を綴る。甘やかな睦言を綴るよりもあたたかな、ぬくもりを溶かした凛然たる声音。 「短い命を悟った上で、それでも悠然と咲くものを手折る勇気が、私にはないんですよ」 困ったような、口調で。けれどそれは指先一つで手折ることのできるちっぽけな花への、敬意。 自然の流れのすべてを粛々と受け入れ、それを拒むこともなく恨むこともなく…………まして逃げることもなくそこに咲く花の潔さ。 それを手折るほどの存在に、己は未だなれないのだとどこか恥じるような少年の言葉を聞きながら、ゆったりと子供は目蓋を落とす。 遠い遠い過去の記憶が鮮やかに甦る。決してその答えは過去の日の答えではないけれど、自分の知らない答えを見つけた気がして、胸の奥がじんわりと暖かくなった。 「そういう考えも……あるな」 噛み締めて、目蓋を持ち上げる。鮮やかな日差しの下、潔癖なまでにその身を隠すことなく晒した野辺の花たちが映った。 決して鮮やかではなく美しいわけでもない。 それでも、それらはかけがえがないほどに愛しさを教えてくれる。 己の命を誇りとし生きる、ちっぽけな花のその姿。 ふんわりと微笑む幻影がたたずみ、嬉しそうに花の輪郭を撫でる。そうして、不意に巻き起こったつむじ風によってその影は空高くへと返される。 鮮やかな、高い青空へ。 「爆殿、今度ここでピンクさんも呼んでお茶でもしますか?」 見上げた空に溶けるやわらかな声音が、遠く過去を思う意識を優しく包む。ふうわりと、風のように。 「ピンクさんは私とは違う答えだと思いますよ」 そうしてそのときはあなたの答えも聞きたいのだと、彼は言う。 何も知らないはずなのに何もかもを知っているかのように、少年は時折儚くなる子供の意志を支えてくれる。 「…………またうるさそうな茶会だな」 苦笑をやわらかく溶かし綻んだ唇のままに、頷いた。 ……………思い出す記憶の微かな悲しささえ優しくすりかえる少年に感謝を込めながら。 シスターが確実に出ている話では22作目、オリジナルも入れたら23作目ですな。 なんだかんだでやっぱり多いシスターシリーズ。 花を摘む摘まないはまあ……個人の自由だと思います。ただなんとなく、私は摘めない方。そこにあるから綺麗なものを、摘み取って自分だけのものにしても、それは初め感じた美しさを損なう以外の意味がない気がしてしまうので。 なんで切り花で綺麗と感じたものは大好きです。矛盾とか言わないで。こういう奴もいるのです。 04.10.30 |
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