柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
優しい声が眠るその時響いていた。 眠りの歌声 じっと、自分を抱き上げた人を見つめる。その細い腕に抱き上げられ、視線は同じほどの高さだった。 注がれる視線に気付いた少女が小首を傾げて問いかける瞳を瞬かせた。それには答えず、子供は無遠慮にのばした腕をそのまま少女の額に押し付けた。 「あっ…………」 微かにもれた、慌てたような音。けれど腕を振り払われなかったのは、ひとえに自分を抱えているからだろう。 いつもは自分よりも低い体温に指先が驚くはずなのに、今日は違った。さして変わらず、微かに熱いとさえ思う。それに眉を顰め、幼い顔立ちに僅かな怒気を込めて子供は少女を睨んだ。 「………シスター、熱あるだろ?」 不機嫌に呟かれた声には不貞腐れたような雰囲気が漂っていた。すぐには言ってくれず、出来る限りは隠そうとする少女の気遣いは解るが、こうして傍にいるにもかかわらず気付けずにいることの方が、子供にとってよほど嫌なことだった。 身体が弱いわけではないのだろうが、線の細さに見合った分の体力しか彼女は持ち合わせていない。喘息というものを煩っているせいもあるか知らないが、熱もよく出す。 嘘を許さない幼い瞳にさらされ、少女は困ったように眉を垂らすと小さく笑いかけた。 「途中で、少し走ったから………」 「シスター!」 でも大丈夫、と続くはずだった声を遮り、子供が少女の頬を包んで眼差しを溶かした。火照ったようなあたたかさは確かに激しい運動をした後のように思える。が、少なくとも子供が彼女の姿を見てからは、彼女は走ったりはしなかった。 一体いつ走り、その火照りがとれぬままでいるというのか。 「辛い時に我慢しちゃいけないって、言ったのはシスターだぞ」 おろしてほしいと、少女の腕を解きながら子供が怒ったようにいう。まだ小さい自分に少女は決して何も求めはしないからこそ、子供にはもどかしかった。 守りたいと、思った相手なのだ。子供の戯言でも構わないし、過信だと笑ってもいい。ただこの人と一緒にいたいから、少女の微笑む姿を守りたいと、そう思ったに過ぎないのだから。 必死さをたたえた瞳で少女を見上げ、子供は戸惑うようなその手のひらを包むと、院の中へと導いた。 引きづられるような姿で部屋へと連れていかれる途中、少女は躊躇いがちに子供の名を呼ぶ。 「ねえ、爆?」 「なんだ」 問いかけを含むそれにすぐに答え、子供は歩いたまま振り返った。 「まだ、シスターたちに……帰ったこと、伝えていないの」 だから先に挨拶に行きたいのだと、本来曲がろうと思っていた廊下を振り返りながら少女が言った。足を止めた少女につられるように振り返ったままの体勢で子供は止まり、少女を見上げた。けれどそこに少女の面はなく、長い綺麗な髪が微かに電灯に透けて見えるだけだ。 むっと眉を寄せた子供は、それでも少女の言い分が間違えていないことを知っているので押し黙る。 けれどその手は解かれぬまま、やはり引き寄せるように強く力が込められていた。 それに気付き、少女は膝を折ってかがみ込むと、自分の手を包む子供の手のひらを優しく握り返した。 押し黙ったままの子供は僅かに俯いていた。少女は持っていた荷物を床に置き、開いた手のひらで子供の髪を梳きながら、柔らかな音を紡ぐ。 「…………あのね、お願いが、あるの」 いつもと同じ、優しく人を包むような高い声。聖歌を歌うときのように響くその音の柔らかさは、誰もが心地よく思うぬくもりを秘めている。 躊躇いがちに視線を彷徨わせていた子供は、その音に惹かれるように顔を上げ、少女を見上げる。視線が合えば、少女はふうわりと微笑んだ。まるで日差しのように柔らかく。 「少し、荷物が重いの。お部屋に持っていってくれると、嬉しいわ」 願いの中、いたわりを込めて紡がれる言葉に子供は目を細める。少女の言葉の真意までは解らなくとも、少女が頼ってくれたという事実は、確かに子供にとっては誉れだった。 小さな腕では大人の男になどかないはしない。口達者になったところで知識の量だって劣るのだ。 何も出来ないことを痛感しているからこそ、いつだって我が侭が口に出る。何か願ってほしいのだと、自分に与えられるものを求めてしまう。 頭を撫でる心地よい指先に満足げな笑みを浮かべ、先ほどまでは不機嫌だった子供は頷くと少女の荷物に腕をのばした。 「任せておけ。その代わり、すぐに帰ってくるんだぞ!」 命令のような物言いで乞うように見上げる子供に少女は微笑み、約束だと頷くとその小さな頬を撫で、立ち上がった。 小さな背中は少しだけよろめきながらも少女の鞄を抱えて駆けていく。 曲り角で見えなくなるまでその姿を見送り、少女は深く深呼吸を繰り返すと、自身の首周りに触れ、体温の上昇具合を確認する。 ………微かな溜め息を残し、少女は元来た廊下を戻り、シスターの在中する部屋へと足を向けるのだった。 ドアを開けると微かに寝息が聞こえた。 それに気付き、少女は音を立てないように慎重にドアを閉める。ベッドに目を向けてみれば小さな影が心地よさそうに横になっていた。 腰を掛けた状態のまま眠ってしまったらしく足はベッドから落ちて入るものの、寝苦しくはないのかその表情は穏やかだった。それを確認し、少女は子供の傍で蹲ると驚かせないようにゆっくりとその小さな足を支えベッドの上に導いた。 微かに身じろぎはしたがまだ眠りから覚めずにいる子供を見下ろし、少女はベッドに腰掛ける。………少しだけ身体が熱く感じるが、動けないほどでもなかった。 きっとこのまま、子供が眠る姿を見守り床につく時間が遅くなれば、この子供は怒るだろう。そして寝入ってしまった自身を恥じて、悔しがりもするだろう。この子供は、あまりにも精神性が高すぎた。 子供だから解るはずがないなどと、少女は思いはしない。現実的に、自身が幼い頃にあまりに多くのことを考え思い続けてきたからこそ、子供が思い悩み生きていることを疑うつもりはなかった。 もっとも、それ故にこの子供の意志の頑強さが、この先を生きる上で枷となるであろうことも予測がついた。 「………………………」 眠る子供は本当に幼かった。その肉体年齢と変わらないほどに。 いつも子供は大人になりたがっていた。大人となればもっと出来ることがあるのだと、悔しがっている。それは幼い願いではなく、切実な祈りだ。子供が自分を思い支えるための腕を持ちたいと望んでいることを知っているが故に、少女は微かに悲しみに曇る瞳で幼い寝顔をのぞいた。 ………人を思い、人のために何かをしたいと心砕くことが出来ることは、正しいことだと言える。けれどそれに自己保身が含まれず、他者のためだけに生きることは、決して正しいことではなかった。 己自身を守り生かすことが出来ずに他者を守り導くことは出来ない。 自己犠牲は美徳などではないと、少女は知っている。己を押し殺し消えることを願って生きた幼い頃、どれほど近しい人間たちを苦しめたか、恥じ入るほどに思い知っているから。 だからこそ、この子供にはもっと自由に生きてほしかった。自分という狭い世界に捕われず、もっと多くのものを見つめ、多くの命に触れて生きてほしかった。 「ねえ……爆?」 眠る子供の頬を撫で、少女は笑みを象った唇をあまり動かさないまま、吐息のような微かさで囁きかける。 その音さえ、眠りの邪魔をしないことを願うように。 「どうか……強く生きて。世界はあなたが思うほど、狭くはないの」 慈しむ指先は頬を撫で、額を辿り、その前髪を梳くように動き、子供の頭部を包んだ。 幼い身体は、薄く細い少女の腕でさえ抱きしめるには事足りる。そのたおやかな腕は怯えを孕んで僅かに震えながら、己の腕にさえおさまるその身体を覆うように抱きしめた。 「あなたが思うほど………優しくも、ないの」 こぼれそうな涙の震えを閉ざした瞼で霧散させ、吐息よりもか細い少女の囁きは虚空に溶けた。 いつまでも今が続くと、そう囁けない残酷さを恨むにはもう、少女は己の運命を受け入れて時間が経ち過ぎていた。神に祈る空しさを吐くほど、その絶対性を望んでもいない。 時間の少なさなど、とうに悟っていることだ。この子供を見つけ今まで一緒にいられたことさえ、自分の肉体の脆弱さを考えれば奇跡に値するだろう。今回の旅にしたって、同様だ。 世界はあまりに広く、そして、時にあまりにも…………残酷だ。 自分という小さな世界しか知らないこの子供は、いつか絶望を味わってしまう。それだけは、どうしても避けたいことだった。解っている悲しみくらい、少しでも拭っていきたいのだ。 その傲慢な願いが叶わないことくらい知っている少女は、だからこそ、目の前にいる小さな命に対していつだって誠実にあろうと決めていた。 「ねえ……爆」 泣き笑う顔で眠る子供に微睡む瞳で囁く。それは唄うように柔らかく、思いの悲嘆を知らしめることのない、深い慈しみに濡れていた。 「強く……生きて、ね………?」 ころんと子供の額の間近に己の顎を横たえらせ、歌うような軽やかな声音は眠りのいざないに漂い小さく澄んでいた。二人分のあどけない体重を受け止めたシーツが寒さから庇うように蠢くが、少女の毛布を手繰る腕は途中で止まった。子供の下敷きになった部分が動かせず、また、片腕だけではとてもそれを引き寄せることが出来なかったためだった。 仕方がないと少女は子供を引き寄せ、その胸に抱きしめる。包むように、寒さから守るように。 少しだけ体温が上がりはじめた身体は、せめてそれくらいの役には立つだろう。夕食の時間になればシスターたちが声をかけにくる。それまでの、小一時間であれば悪化もしないだろうと祈り、少女は目を閉ざした。 子供の寝息が耳に響く。幼い寝顔を瞼に蘇らせながら、少女は祈るように小さな音を唇にのせた。 「あなたの歩く道は、あなたにしか……見つけられない、から………」 眠るそのとき、響くのは優しい願い。聞き届ける相手はなく、さりとて無下にするものもいない。 ただその空間の中の優しさに溶け、微睡みを深め、目覚めのときに立ち上がる力を降り注ぐ。 はじめから、そして最期まで、きっと祈りは変わらず捧げられるだろう。 ……………けれど今は唇を閉ざした少女からはもう、子供と同じ寝息が響くだけだった。 あたたかなその身体をなくさぬようにと伸ばされた指先を、抱きしめたまま。 本当は子守唄代わりの歌の話だったのですが。 でもまあ、こっちの話も書きたかったものなのでいいか。 爆の必死さとまだ幼すぎる気遣いと独占欲。 シスターの先を知っているからこその物の見方と願いと決意。 どっちもかけがえがないけど、どっちも100%の正しさはない。人間の意志だから、自己満足やエゴは当然なんですけどね。 他者との関わりの中で、どうすれば自分のためにも相手のためにもなる生き方ができるのか。 この二人を書いているといつもそんなことを考え込んでしまいます。人間関係は複雑怪奇だよ。 06.4.2 |
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