柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
小手毬に寄り添って 白い花に頬寄せて ふと思い出した昔のことに、子供は目を瞬かせた後に不機嫌そうに顔を顰めた。 子供の歩む速度が僅かに速くなる。それに気付いて隣を歩いていた少年は歩幅を少しだけ広げた。 「爆殿?」 問いかけるように名を呼べば、小さな背中はそのままずんずんと先に進む。突然の不機嫌に原因の解らない少年は首を傾げながら、子供の背にもう一度呼びかけた。 「突然どうかしましたか?」 「…………………………。思い出しただけだっ」 顔を顰めて噛み付くような調子で返された声が幾分高く、幼さが滲んでいる。本気で気分を害したというよりは、照れ隠しにほど近い。その声音にそう判断し、少年は子供の傍らから引き離されない程度の速度を保ちつつ、相手が落ち着くのを待った。 しばらく進み、辺りの景色が森の濃さに包まれてくると緩く詰められた息が吐き出される音が聞こえた。 風が緩やかに吹きかけ、初夏の爽やかさが木々の揺らめきに滲んでいる。心地よい風と日差し、それに包まれた緑の濃い香りを醸す森。 その中を数メートル先に進むと、不意に子供が口を開いた。 「……………覚えているか?」 唐突な問いかけには何一つ情報が含まれていない。何をだろうかと首を傾げ、一歩、子供に近付く。隣に立つと、子供は顔をずらし、何かを探すように周囲を見渡した。 そうして視界の端に小さく映った、木立の奥の白い花にまっすぐ視線を向ける。それが何という花であるのか知っている少年は、小さく笑んでそちらに身体を向けた。 その僅かな間を縫うように、………まるで取りこぼされるのを願ったかのように、子供が言葉を付け足した。 「この間の、母の日のこと」 より正確に言うのであれば母の日よりも早い日のことだ。が、その名称だけで十分知れたのだろう、途端に少年は顔を真っ赤に染め、同時に歪ませて沈痛な面持ちで俯いた。 その両方の意味が理解出来る子供は白い花を目指して歩を進めた。それに従うように続く少年の表情に変化はない。何か言いたそうに唇を開きかけては噛み締めていた。 背中越しに解るはずのないその仕草を、けれど悔恨の気配でなんとはなしに知り、子供は振り返ることのないままにぽつりと言葉を落とす。 「あのとき、俺は嘘を言った」 「………………………………は?」 しっかりと耳に伝わるように発声された子供の言葉は、けれどあまりに彼に似合わない言葉であったが故に、取りこぼしかけた。意味を理解することが出来ず、少年が間の抜けた相槌を示してしまった。 それは予想されていたのだろう、特に咎めることもなく子供は先を歩み、木立を避けて小さな広場へと足を向ける。淡々と歩むその背からは想像出来ない、否、子供の年齢にはそぐわない深い声で、また音が紡がれた。 「嘘つきな女が眠っていると、いっただろう」 「…………ええ」 「成人するまで一緒にいると約束をしたと」 「いいました」 そのときの様子を思い出すだけで胃が軋みそうになる。浅慮な親切心で傷を抉り塩を塗り込んだ己の愚昧さが呪わしいほどだ。 苦みを噛み締めたえるように唇を噛んだ少年の耳に、ふわりと、風が吹きかけた。 「本当は、約束などしてはいなかったんだ」 それは子供の声のはずだった。けれどあまりにも微かで儚く、彼の声とは到底思えなかった。 目を瞬かせ、真っ直ぐに背を伸ばして歩む子供を見つめる。自分よりも幾分薄く細く小さな背中。けれどどんなことさえ背負い歩むことの出来る背中だ。 それがひどく脆く見えた。…………痛んでいるように、見えた。 瞬間的な否定の念に、過去を知り得ず口を挟むことが不作法であることは承知の上で、少年は子供の言葉に反発するように声を上げる。 「ですが………っ」 「勘違い、ではないからな。俺はあの人の言葉は全部……覚えている」 子供を庇うように紡がれるはずの言葉を遮り、子供は己を断罪するかのように告げた。 その痛々しさに顔を歪め、少年は子供の肩に腕を伸ばす。一人先に進み、罪科を全て受け入れるような、そんな殉教者じみた互いの距離が厭わしかった。 なにより、声の質が恐ろしかった。あの日の彼を思い出す。無表情なその顔の中、ただ濡れて溢れる涙だけが生きている証のような、あの痛ましい姿。 ………また自分がそれを触発させたのかと、血の気の引く思いで、彼を呼び戻そうとした。 無骨さを見せ始めた指先が掴むには小さすぎる肩。それが揺れて振り返る。 真っ直ぐに射抜くような子供の目が、少年の目に映る。濡れてはいないその瞳は、けれど沈痛なほど痛みをたたえていた。流れてはくれない涙故に、よりその苦しみが身に篭るかのように。 「それで喧嘩をしたばかりだったんだ、あの日は」 ぽつりと、魅入るように子供の瞳を見つめていた少年の耳に、子供の音が落ちた。 「あいつは願うだけで確かな約束などしたことはないと、怒鳴られた」 小さく蠢く唇からこぼれるには、あまりに声はハッキリしている。見つめる瞳は澄み渡り、痛みすら感じるほどの、純乎さ。 息を飲み、少年は震えそうな手のひらをぎこちなく動かした。眉を寄せ、その見えない痛みを探るように子供を見つめる。囁く度にその瞳から隠されていく痛みと嘆き。………あるいは、悔恨。 それらをすくいとるにはあまりに役不足だと己で思いつつも、今それを示されているのは他ならぬ己なのだと、唇を引き締めた。 「それでも俺は約束が欲しかった。だから……そうありたいと願う言葉を全部、断定の響きに変えた」 一言一句覚えているにも関わらず、改竄した。己の願うままに。………なんと浅ましく愚かな行いだろうか。それをこそ恐れ、厭っていたにもかかわらず。 「だから余計にあの時、悔しかった」 傷も痛みも受け入れて、それらによって圧力をかけられぬままに思える少年が、羨ましかった。そうありたかったにもかかわらず、知らぬうちに背を向けていた己を恥じた。 無表情にさえ見えた静かな幼い面が、不意に眉を寄せて顔を顰める。身の内のその衝動に似た 肩を掴んだ指先に力がこもる。離すべきかを逡巡していた指先は、けれどそれさえ忘れ、引き寄せた。 細く小さな身体はあっさりと少年の腕の中に包まれる。年齢よりもなお小さく感じるその身体は、どれだけの重圧に耐えて生きているのか、思うことすら難しい。 その身を伸びやかに発育出来ないほどの重しが与えられているのではないかなど、愚かな思い違いだと解ってはいる。それでもそれを否定しきれないほど子供は傲然と前を向くのだ。 頼ってほしいと伸ばす自分たちの腕の拙さも歯痒かった。少なくとも自分達は、彼を真っ向から否定し断罪出来るほどのものを持ってはおらず、それが出来ないからこそ、彼は抱えるものを己一人で背負おうとしてしまう。 「私は…それほど優れてはいません」 それでも願ってしまう。祈ってしまう。………この覚束無い指先でも、彼を守りたいと。 何一つ特出していない、彼を追うにはあまり相応しくはない己の能力。それでもなお、高処を求めようと諦めないことを教えてくれる小さな背中。 「あなたが私に示してくれたから、そうあろうと思えただけです」 潔癖な子供は己にあまりに厳しすぎる。一切の甘えを忘れ生きるには、まだいとけない年齢であるにも関わらず、そんなことすら忘れ果てる。 それを願うものなど誰もいないのに、彼は自身を律することを止めはしない。 ………それはまるで、遠い場所に消えた人を追いかけるような、そんな殉教的な、歩み。 奪われたくはない。今はもういない命に殉じてなど欲しくない。自分たちの傍らでその輝きを見せていてほしいのだ。迷い淀み、時に蒙昧さに足さえすくわれる自分達を照らしてほしい。 それはあまりに暴虐な願い。愚かで一方的な、盲目的な祈り。 「あなたが許してくれたから、です」 それでも必死な声音で綴り、縋るように子供の背に添えた腕に力を込める。 自分を清いかのように囁く子供は、己の清廉さを知りはしない。その傍に一歩近付かせてもらえたに過ぎないのだと、消えそうなその身体を引き止めるように少年が噛み締めた言葉。 「………………」 縋るように己を包む腕の強さは、いっそ痛いほどだ。けれどそれに身じろぐことさえせず、子供は頬に触れる長い黒髪を見つめた。 過去の日、ずっと包まれていた色。優しさやいたわりや幸せを、生きる上でおそらくは親というものから与えられる全てを、自分に注いでくれた人が携えていた色。 自分の世界の全てはその人に彩られていた。いなくなった後もなお、それは自分を包んでくれていた。 一人歩くようになり、誰も頼れなくなり、時に蟠る息が憤りを抱えても、それを押し付ける先はたった一人だけ。………けっして裏切らず咎めず、ただ凛と、正しさだけを示し立つことの意義を教えてくれた。 抱え込むものを吐き出すことを教えてくれたのはその人だけで、幼さにかこつけて全てを彼女に押し付けた。 ………それがどれほどの醜さか解らないわけではない。時が経てば自分でそれを けれど未だ自分は幼く、糾せもしないまま、言葉を吐き出した。 それは自分たちを知るものにとって、痛みだっただろう。だからこそその言葉を真っ向から切り裂き矛盾を突き付けられた。 痛かった。けれど、だからこそ、長いときの間に歪められることなく彼女を鮮やかに蘇らせることが出来る。 今は痛いだけの切り傷だ。けれどそれもまた、いずれは癒える。 そして癒えた後、この痛みをどれほどの思いで感謝すればいいだろうか。 泣きそうな顔で怒鳴る男の顔と、今こうして自分を繋ぎ止めようと言葉を重ね包んでくれる少年。 甘やかされていると自嘲気味に笑んで、子供は目を閉ざし少年の肩に顔を埋めた。 わずかに遠く、白い花を半ば手放した低木が、風に揺れていた。 懐かしいなぁ、遥か昔…むしろ初期にキリ番で書いた『小手毬の記憶』の続編です。 いや、すっかりこの話の部分書くの忘れていたのに今さら気付いただけです。何年間忘れていたんだよ、お前。むしろ書いた気でいたんだよ。 シスターは約束はあまりしない人でした。特に未来の約束は確実にしないです。 叶えられないと解っていて、嘘になることを知っていて、それが慰めになるものだなんて思っていなかった人ですから。 寂しい事だけど、そうだと知らなかったとも言えます。そういう人、だったから。 06.9.24 |
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