柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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神よ、あなたの幕屋に泊まる人、
あなたのとうとい山をすみかとする人はだれか。
それは、とがなく歩み、正義を行ない、
心からまことを語る人。
ことばで人を傷つけず、
その友に悪を行なわず、隣人をはずかしめない人。
神を捨てた者を戒め、神を畏れる者をとうとび、
誓った事が自分の損害になっても、
それを変えることのない人。
金を貸して利をむさぼらず、
わいろを取って無実の者を苦しめることをしない人。
このようにふるまう人は、
とこしえにゆらぐことがない。





嘆きを思い嚥下する



 ふと過ったそのフレーズの意味なんて、他愛無いものだった。
 どうしてそんなことを思ったのかなど、意識を馳せるまでもない。自分の中の価値観というものが彼に則してしまっていると、もう随分前から気付いていたのだから。
 「……………………」
 瞼を落とし、一瞬だけもの思う。そんな余裕があるわけがないにも関わらず、心はひどく静かだった。
 裏切りは、生きている限り決して味わわずに生きることは出来ない。この世はそれほど甘くは出来ていないのだ。
 信頼だけで構築された世界など、逆に不気味だろう。そう思う自分の精神が病んでいたとしても、それが人という生き物の本質だと理解している。
 そうして、そうであると知っているその上で、自分は信じようと思うのだ。
 自己犠牲でも博愛でもなく、自身の意志のもと、心寄せた相手のその善性を。
 そうしていくつもの壁を乗り越えてきた。飛び越えることなど出来もしないその聳える山は、けれど遅れるなとこの背を蹴りあげる友がいたから、存外あっさりと踏破出来た。
 信じられないと振り返る自分に彼は当然だと笑い、もっと先に進むのだと眩い世界を目指し歩み始める。
 自分も、と。
 この頼りない足を踏み出す。彼を支えるなどという不相応な願いを抱きながら、この肩が並べられるほどに強くなろうと歩み始めた。自分自身の、意志で。
 彼は強い人だと思う。それはきっとこの先も永遠に変わることのない印象だ。意志の強さをたたえたその目が閉ざされる瞬間まで、きっと彼は己の弱さも脆さも自身の中でだけ昇華し生きようとするだろう。
 まるで、絶対者かのように威風堂々とその背を晒しながら。
 思ったなら、ちくりと胸が痛んだ。
 いま目の前にある、自分よりも小さな背は確かに揺るがない。真っ直ぐにしゃんと伸ばされ、毅然としていた。
 それでも、おそらくその唇は赤く腫れている。きっと多くの涙を飲み込むために、噛み締めただろう。思うがままに彼が涙を流す姿を、自分は見たことなどなかった。

とこしえにゆらぐことがない

 また、浮かぶ、フレーズ。
 頭を振って小さな背中を見つめる。…………言葉をかけることも出来ない。本当なら駆け寄って少しでもその痛みを自分に叩き付けてほしいと思うけれど、動くことも出来ない。
 彼は、自身を知る人だ。
 それは決して信仰や祈りなどというものではなく、かといって倫理や哲学といった分野でもない。
 ただ己が己であるということを、当たり前に体感している人だ。他のどんな要素も己を染めることはないのだと、自身を確固たる個体として認識している人だ。
 他者に揺られ染まることのない、希有なる人だ。
 だから………こんなにも、歯痒い。
 小さな肩を揺さぶることも出来ない、彼よりは逞しい自分の手のひらを、忌わしむように握りしめる。硬く、硬く。
 皮膚の裂ける音と爪が肉に食い込む感触と血の滲む生暖かい滴りがほぼ同時に起きた。それを押し込めて、瞬きを落とす。
 それでも、心は、静かだった。この上もなく。
 息も軽い。おそらくベルトコンディションというに相応しいだろう。あれほど疲弊していた筈だというのに、虹を渡る途中から傷は癒え、力が溢れるような感覚に浸されていた。
 それでもまだ、自分達は彼に及ばない。
 彼の背中は未だ、たった一人だ。
 早く……もっと早く歳を重ねたい。その一瞬だって無駄にはせず己を高めたなら、あの強く孤独で潔い、凛とした背中を包めるだろうか。
 きっとまだ自分は力不足だ。それは解っていた。そうだと解っていながら、それでもこの足は歩みを止められなかった。
 多分誰もが知っていた。…………声もなく姿にさえ現されず、彼は静かに涙をたたえるから。
 崩れることのないその膝を、弛むことのないその背を、晒して。
 たったひとり、彼は泣く。
 …………誰にも知られぬようにひっそりと。

誓った事が自分の損害になっても、
それを変えることのない人。

 また、浮かぶ、フレーズ。何の断片であっただろうか。
 脳の片隅がそんな問いを発しながら、遣る瀬無さに目を眇めた。寄せられた眉の痛ましさなど、実際に彼の感じる痛みに比べたなら、なんてことはないのだろうと自嘲する。
 奥歯を噛み締めて前方を睨む。決して目を逸らさずに、その姿を焼きつけるために。無力感など、あまりにも今更だ。
 …………もっともっともっと。
 幾度もそう願いながら、未だ追い付けない。
 真っ直ぐに己を見せることを決して恐れることのない子供は、そうであるが故に世界を底から覆されるように吹き荒ぶ現実に対峙しているというのに。
 偽らないということの、なんと難しいことだろうか。
 飾らないということの、なんと困難なことだろうか。
 自身であるという、たったそれだけのことの、なんと……………
 思い知り、その尊さに平伏しそうになる。
 けれどそんなもの望まれていないと知っている。彼が隣に求めるのは対等に歩むもの。そしてそうでありたいと望むのであれば、それに応えなくてはいけない。
 一歩を、踏み出す。
 覚悟を決めるのは、一瞬。さざ波さえない水面のような精神の平常さは、どこか可笑しかったけれど、声は淀むことなく響いた。
 「オレ達もですよ…ピンクさん」
 声の強さに意外そうに彼が振り返る。それに苦笑しそうになった。
 考えてみれば、彼の目の前でこんな風に強気な声を出したことは、今までになかった。いつも、どこか自分は畏縮していた。
 敬虔とさえいえるだろう尊敬の念を、この小さな命に自分は注いでいたから。
 痛みを多く抱えているだろう人。それを決して誰にも語ろうとはしない人。同情も哀れみも受け付けず、血の滲む傷さえどうってことはないのだと笑う、人。
 それはとても厄介で美しい命だ。
 そしてそれ故に、憂えてしまう。
 裏切りは決してこの世からなくなりはしないだろう。
 痛みさえ、生きる上では不可欠なのだ。そんな風に人というものはどこかチグハグな生き物だから。
 そんな世の摂理の中生きるには、その輝きはあまりに眩く、暗き目にはその強烈な閃光は害とさえとられるだろう。
 それでもそれを決して隠しはせず周りを甘やかしもしない。どこまでも潔い魂。
 そんな命に惹かれ、出来るのであればその背に背負う重荷を一つでも軽いものとしたいのだ。
 肩代わりなど、望まれることはないだろうから。荷を放り出せなどとは、いわない。
 けれど歩むその時、確かに傍にいるのだと、全てを肯定して見定めると、自分は言おう。
 どんな時でさえその傍らに鎮座して。
 そうして音を綴る。彼から与えられた深く響く凛とした旋律。
 覚悟などとうに出来ていて、この一歩を躊躇う理由もない。それでもそんな自分を見て息を飲んだのは、おそらくはこの視線の先の子供一人だ。
 不思議なものだと思う。…………今日初めて出会った人間たちはどこか当然として受け止めている自分の言葉。けれどきっと彼だけは、不可解なものとしてとらえているのだろう。
 こんなにも自分達を導き高めてくれたというのに。
 初めて会った他国のGCたちとさえ、一瞬で交わる意識。たった一人の人間を思うだけだというのに。それでも、彼は失うわけにはいかないたった一人なのだ。
 だから、己の腕を振るうべき先を誰もが知っていた。
 かけがえがないのはどんな命も同じ。………他愛無い当たり前のことを、慢心のもと忘れかけた自分達にその歩む背中だけで知らしめた小さな子供。
 だから、きっと誰もが同じ思いを掲げた。
 「この世界は我々の手で守り抜く………!」
 幼稚な正義感などではなく。ましてや自尊心故の使命感ではなく。
 なくしたくはないものを誰もが見つけだしたから、戦うことを……諦めないことを知った。
 それはどこか不可解な感覚だった。
 信仰や祈りに、あるいは酷似していたかもしれない。

 きっとそれは、誰よりも彼が祈りを捧げる人間だったから、感化されたのだと。
 そんな風に笑って話したのは、もっとずっと先の未来の話。


 それはとても美しい生き物だ。
 自身のための祈りだといい、他者を許すために祈れる命。

 そう、それは、まさに。

『それは、とがなく歩み、正義を行ない、
心からまことを語る人。』

 綴られた聖書の一節を、舌に転がした。





甘く苦くまろやかで……痛い。
不可思議な味を嚥下しながら。








 冒頭部分はこの間買った豆本くらいの小冊子から引用しました。
 まあ簡単にいってしまえば、旧約聖書部分の詩編なんですが。私が買ったやつは詩編の中から更に項目ごとに抜粋したものなので、本当に手のひらサイズくらいしかないですけど。
 結構読んでいるとカイとか激とかがクルクル頭の中で巡ります。うん、信仰心など欠片も持ち合わせてないね。煩悩の固まりですか、私。

 今回は本編の最終巻の話でした。以前にもここの部分引用したけどね。
 気にしないで、好きなんです、カイのこの台詞……………。

05.12.21