彼女が言葉が下手だといった以上に、自分は下手だった。
守りたいものを苦しめたり
包むはずが悲しませたり
そんなこと、日常茶飯事だ。

それでもやっぱり伸ばしたい腕はあって
今は、その対象が、増えて。
ぎこちなくへたくそなまま
それでも二人とも、結局は許してくれる。

傷だらけの、この腕を。




近似する命だからこそ  3



 院に辿り着く途中、微かな喘鳴が聞こえる。自分の肩に担がれている子供は珍しい高さの光景を見入って静かになったが、そのせいか、逆に隣を歩く少女の体調の変化がはっきりと伝わる。
 ここから院まで、それなりの距離だ。昔だったら来る途中で倒れ込んでも不思議ではない。
 日差しは暖かいが、きっと彼女にとってはきついだろう。日傘がなくても平気そうだと言ってはいたが、それは散歩程度であれば、なはずだ。この距離では体に溜まる熱量は相当なはずだ。
 それなのに少女は笑えるのだ。やわらかく、苦しみを知らないほどに、優しく。
 かける言葉が見つからない。彼女が何故に無茶をしたのか、解っている。自分は昔からこういった面はまるで成長していないのだ。そうして結局迷惑を被るのは、自分よりも小さく幼い女の子で。
 …………苦しませたり、悲しませたり、ばかりだ。
 「シスター?」
 不意に目を瞬かせながらもぞもぞと動き、ようやっと肩に座ることのできた子供が声を少女にかけた。
 軽く首を傾げて言葉を促し、少女は日差しを眩しそうに細めた眼差しにおさめる。
 「………どこかで、休むか?」
 「あら、大丈夫よ。喉乾いたし、早く帰りましょ?」
 「本当か? さっき、すごく手が冷たかったぞ」
 訝しそうに子供は身を屈めて少女に手を伸ばす。普段であれば必死に背伸びしなければ届かない彼女の頬は、いまは差し出すだけで届いた。何となく、大人になれたような、そんな気分がした。
 幼い指先を額に受けながらクスクスと少女は楽しそうに笑う。まるで、じゃれあう子猫同士だ。
 「それは驚いていたからよ。でも、少し疲れたわ」
 「だろうな。院に帰ったら休むんだぞ。その間に宿題終わらせるから」
 やれやれと言わんばかりに威張った調子で子供がいった。それはどこか大人に対しては無礼な物言いだったけれど、真っすぐに向けられたのは、この上もないいたわりだ。
 二人の会話を聞きながら、こっそりと溜め息を吐く。………どうしてこの二人は、こうも似通ってしまうのか。
 先ほどの、この子供の声を思い出す。凛と響く、その幼い肢体から発せられることが信じられない圧倒されるほどの清らかな響き。まるで、幼い日に戻ったようなそんな錯覚が身を浸した。
 響く音の綴る、あまりにも際やかな世界。穢れを孕まない言葉は自然の音色と換わって肌を伝い心に沁みる。それは、この少女が幼い頃幾度となく自分に捧げてくれた音。
 バカだと、幾度叫びたかったか解らない。もっと子供の特権を行使ししてしまえば、傷付くこともなく優しく包まれるだろう、と。
 それでも少女は自分よりも小さく脆いその体で、背を蹲らせることを拒んでいた。己の生き方は己で決めるのだと、その目は囁いていた。
 こんな生き方をする子供はきっとこの子だけだと、そう思っていたというのに。
 また、自分の目の前にそれは生まれ落ちた。
 鮮やかに涼やかに。颯爽と自分の目に留まらないほどの早さで成長していく命たち。
 遣る瀬無いこと、この上ない。自分に出来ることのこの少なさが苛立たしい。
 「……馬鹿な奴ら」
 知らずもれた言葉にきっと睨みつける視線を感じる。………音となってこぼれたかと慌てて口を噤んでも詮無きこと。
 「馬鹿はお前だっ! シスターに無茶させるな!」
 「だったらお前もあんなガキに負けてんなっ」
 「負けてなどいない! 怪我させないように気をつけていたから、引き分けただけだっ」
 「………だからっ! それが、……馬鹿だってんだよ…………」
 声が、小さくすぼむ。どうしてこうも同じになるのか。相手のことばかり気にかけて自分の傷には無頓着で。
 痛みなど知らないという顔をして耐えることばかりを覚える、至上の命たち。
 守りたいというのに、守り方が解らない。
 それが悔しい。ぎゅっと、小さな子供の体を肩から落とさないように抱きしめる。
 「………………。馬鹿はお前だろう」
 縋るような、大人の腕。シスターのような柔らかさなどない、無骨さのある、学者には到底見えない無法者の、腕。
 それでも知っている。シスターはこの腕を信頼している。便りに、している。
 それでも知っている。自分はこの腕を拠り所にしている。憧れを、抱いている。
 「でも、俺もシスターも、お前のそういう馬鹿なところ、好きなんだぞ」
 だから蹲るなと、感情の豊かな男をけして疎まぬ幼い音が響く。
 それは尊いと、そう囁くように幼い腕を男の頭上で組みながら。 
 守りたいというのに、守り方が解らない。それが悔しくて、いつも癇癪を起こしては周りを困らせていた。
 それでもいつだってその心に気付いて汲み取り、複雑に絡んだ糸を解いて鮮やかに織り上げてくれるのは、傷つけたはずの女の子。
 守ってくれるのは、いつだってたおやかな少女の腕であり、この子供の何気ない言葉なのだから。
 「………………」
 悔しいと、思うのは愚かだろうか。
 傷一つ与えられずに生きることは不可能だ。いわれない中傷や非難だって、受ける。それが院に住う自分達の現実だ。
 それでもそれを一つでも少なく。あたたかさを、一つでも多く。
 幼い日に少女が自分に与えてくれた鮮やかな世界の見方を、既に獲得してしまった幼い子供を自分がどう守れるかなど知らないし解らない。
 「ほら二人とも、もう院に着くわ」
 不意にやわらかな高音が響く。蟠りのない、清婉な音。
 「少し休んだら、お茶にしましょう。ミンスパイも焼いたのよ」
 微笑んで、少女は軽やかな足取りで歩く。昔のように日差しの下、喘鳴を堪えることなく。
 苦しいだろうことは、解るのに。少女はどこまでも己の足で歩むことを望む生き物だ。最後の最後まで、きっと彼女は歩みを止めはしないだろう。体が弱いということを逃げにはせず、それをバネに歩むことのできる希有なる人。
 「ああ、そうしよう」
 するすると和也の肩から器用に滑り降り、子供は地に足を着ける。そうして幼い手のひらを少女に向けた。
 ふうわりと笑んでそれを恭しく受け取り、少女は和也に目を向ける。
 子供の言葉はどれもが真実であり誠実なのだと、そう囁くかのようだ。
 溜め息のように息を吐き、少し乱暴な仕草で少女が握るのとは逆の子供の手のひらを掴む。
 「……………」
 軽く見上げる視線。不貞腐れた仕草は、自分に少し似ている。
 それでも文句も言わないで受け入れる様は、少女似か。
 ゆっくりと息を吐き、静かに目蓋を落とす。日差しは優しい。あたたかな手のひらも、心地いい。
 それが好ましいなら、守らなくては。
 …………もう自分は何も出来ないとただ癇癪を起こすだけの子供ではない、欲しいものを掴むことのできる腕を持つ、大人なのだから。
 あと少し、もう少し。
 目標までの道は、もう大分短くなった。
 静かな音で互いの声を聞き入っている二人を眺めながら、少し誇らしく、笑う。
 もう少しの時間があれば、自分は二人のためにできることがある。
 それまでもう少しだけだから。
 待っていてというのは、多分、言葉にしなくてもいい約束。
 いわなくても二人は自分にお帰りといってむかえてくれるのだから。
 こここそが帰る場所だと、そういうかのように。


 まだもう少し、自分にはやることがある。
 それでもそれが達成できれば
 そうすれば
 きっと彼女は笑ってくれるだろう。

 そうして笑う彼女の隣、子供は不貞腐れて、
 それでもその腕は自分に差し出してくれる。

 どこまでもどこまでもそれは穏やかで




 優しい、夢物語。







 院に帰るまで。………本当は帰った後の話も入るはずだったんだけどね。
 入りきらなかったんだよ! 長くなっちゃったんです、悪いですか!
 なんでこう私は計画どおりに話すすめられないかな………(凹)

 ミンスパイ。何でももとはクリスマスの時に作られたもので、楕円形でキリストの揺りかごを表したものだそうで。
 で、東方の三博士が捧げた祝いの品にちなんだシナモンやナツメグなんかのスパイスを入れたらしい。
 まあ私はミートパイ系のものあまり好きではないので(油っぽかったんだ!)作ったことないですがね。
  もっともこれはミートではなくドライフルーツで作るパイですが(昔は牛のミートだったらしいよ☆)

 和也は和也なりに、二人が大切なのでやってあげたいことがあるのです。
 それは子供ではちょっと難しいことだったので、そのために都市の方にある学校で学んだり。今は植物学者としての研究なんかに力を注いでいますが。
 自分のために生きることと、誰かを守りたくて歩む道が同じだったことが、彼にとっては何よりも救いだったと思うですよ。


05.2.28