多分、自分が一番それを思い知るのが遅かった


それがいいことか悪いことかは判断出来ない
ただ、わかる
どこまでも幸せで愚かな、ちっぽけな子供だったと
変わらない未来を信じて
その未来に固執して
失った後、それを穢さないことばかり必死で
あるがままを受け止めるという
その柔軟性に欠いた
どこまでも幸せで愚かな、ちっぽけな子供だった




04.限りある世界の



 目を瞬かせて、周囲を見た。当然のようにそこにいるのは、まるで悪戯が成功したような少女の笑顔と、申し訳なさそうに後ろにたたずんでいる少年の顔。
 それだけで大体のことは想像が付き、深く子供は息を吐き出した。
 「……………で。今日は一体なんだ」
 まだ食事の途中だと、抗議するようにテーブルの上で鳴き声を上げる聖霊と同じ渋い顔で子供がいった。
 場所は子供の家。当然ながら、ダイニング。時刻は朝の8時近い。………突然の来訪が許される常識的な範囲からは逸脱した時刻と場所だ。
 玄関からではなく直にダイニングに入り込んだ二人に向ける子供の眼差しが多少剣呑でもそれは仕方のないことだ。分かっているからこそ少年は耳さえ垂らして怯えている。が、そんな様子すら気にもかけていない少女は得意満面というに相応しい笑みで子供に指を突き付けた。
 「さっさと食べ終わって、行くわよ!」
 「話が見えんぞ、下僕」
 「誰が下僕よ、誰がっ! いいから早く食べて準備しなさいってば!」
 説明するのももどかしい様子で少女はそう言い、まだ食べかけのハムエッグの乗った皿をずいと子供に押し付けた。ついでのように逆の手では咀嚼中の聖霊の口にパンを押し込んでいる。
 窒息しそうな聖霊をそっと自分の傍に寄せて少女の暴挙から守り、ちらりと少女の奥の少年に目を向ける。説明は彼女より彼からの方が早く聞けそうだと判断した視線にびくりと少年の肩がはねた。
 もともとあまり良くない目つきだ。おそらく機嫌が悪いだろうと予測している少年には、睨まれたようにしか感じないのだろう。
 そう思っている間に少女はすでに説明は少年がするものと了承したようで、さっさと子供たちに背を向けるとキッチンの方に潜り込んでいった。飲み物の準備はしておくというその言葉に、子供と聖霊は顔を見合わせ手首を傾げた。
 「で?」
 突然の訪問に首を傾げるもの同士では話は進まないと判断した子供と聖霊の視線を一挙に受け、少年は冷や汗を流しながらごくりと息を飲んでいる。まるで怒鳴られるのを覚悟するようなその姿にまたたいした意味もなく朝から押し掛けたのだろうと溜め息を落とした。
 「えっと………です、ね」
 言い淀むような言葉を口にした後、しばらく視線を彷徨わせて言葉を探すような間を開け、少年はようやく言葉が見つかったのか、子供の方に目を向けた。
 それに咀嚼中のパンを飲み込み、聞く姿勢を向けると同時に、耳に入り込んだ音。
 「花冠を作ろう、ということ……らしいです」
 「意図が見えん」
 真剣に最上の説明をするような顔でいった少年に間髪置かずにやり直しを要求するとまた少年の耳と眉が盛大に垂れて情けない顔をした。
 おそらくそれ以上の説明のしようがないのだろう。あるいは、彼女が言った言葉を整理した末の、それが結論だったのかもしれない。
 それは分かるのだが、どうしてもその結論と、それを行うための意図とが繋がらない。
 花冠を作るというのはまだ、分かる。今は春で、それを作るための花はあちらこちらに咲いている。その気になれば自分の庭でも十分に可能な花が咲いていた。
 だから作りたければ作ればいいだろう。けれどそれはこんな朝早くから突然押し掛けて人を巻き込む理由にはならない。
 我が侭な少女ではあるが、自分達の中では一番一般的な常識を持っている。突然の訪問にはいつも彼女なりの理由や意図があり、それは常に自分や少年のためを思っているのだ。だからこそ、こうして人の予定も何も構わない態度を取られても敢えて文句はいわないのだが。
 けれど付き合わされるからには、その理由くらいは知りたい。そう思うのは人として当然だろう。用があったわけではないが、だからといって暇なわけでもないのだから。
 「何故花冠なんだ?」
 少年のみの情報では難しいと判断し、子供は一つずつその推論に行き当たった材料を探すことにした。
 助け舟を得た少年がほっとしたように眉を垂らし、おそらくつい先ほどの出来事だったのだろうそれを口にした。
 「花冠というのか分かりませんが、こう……花を輪にした絵を描かれたので」
 「どこかに行くつもりらしいが、花の種類は決まったものなのか?」
 がさごそと飲み物を作るだけにしては盛大な音がキッチンから響き、どうやら昼食の準備まで始めたらしい少女を見遣って問いかける。
 同じようにキッチンの方を見遣りながら少年が苦笑をこぼした。おそらく同じことを彼の家でもしたのだろう。それは微笑ましそうな、そんな笑みで、たいして歳の変わらないもの同士だというのに奇妙なものだと子供は小さく笑って息を吐いた。
 「特にいっていませんでしたが………ミモザ?がいいといっていたような………」
 「ミモザ……アカシアのことか? あれは木だぞ? 花冠にするなら大人しくシロツメクサでも摘めばいいものを」
 少し驚いたように子供がいうと、そちらの名は知っていたのか、少年も目を瞬かせた。普通ミモザの方が一般的なはずだがと、相変わらず変わった知識の身に付け方をしている少年を見遣りながらも子供は少女の意図を探そうとした。
 ミモザに花冠。………春の訪れを教えるように真っ先に咲く、黄色いミモザ。昔、それを待っているのだといった女性がいたような気が、した。
 誰だったかと考えるまでもない。さして広くもない自分の交友関係の中、女性と称される大人はさらに数少ない。その中の、大人と形容することを拒みたくなる姿を思い描き、思わず顔を顰めた。
 「…………ウエルカムリース…………か?」
 「あ、そのような名前もいっていたような気がします」
 ぽつりと呟いた子供の言葉にパッと少年の顔が明るくなった。どうやら少女はきちんと説明をしたが、少年の知識の中にそれがなかったため、理解しきれなかったらしい。それに思いいたり、さもありなんと軽く息を吐き出した。
 植物に詳しくとも、彼のそれは薬草が専門だ。しかも俗称や一般名よりも学名や医薬用語で覚えている。しばしば単語の食い違いからそれは予測がついていたが、あまり名称にこだわらない少女は分からなかったらしい。
 そんな少年が女子供が好むリースを知っているとは限らないし、自身の手で作るものと認識していなくても仕方がない。
 「一体それはどのようなものなんですか?」
 まだ朝食を食べ途中の子供に遠慮しつつ、相手が紅茶を飲んでいる時に少年が問いかけた。
 持ち得ていない知識を吸収することに、自分達は貪欲だ。だからこそ、こうしてまだようやく歳が二桁に達したばかりの身で国を守る任に就くような真似をするのだろうが。
 そしてそれに従ってしまう従順な少年は躊躇いながらも情報は欲しいと願う。それは立場が逆なら自分にもいえることで、パンをちぎりながら子供は仕方なさそうに簡単に説明をはじめた。
 「花冠を枝を交えて作るようなものだ。若干、大きくなるがな。壁やドアに飾るものだ」
 「オブジェなどのようなもの……ですか?」
 「………………まあ、そう思っておけ」
 首を傾げてなんとか理解しようとする少年の微妙なたとえになんともいえず、間違いではないだろうと子供は聞き流すことにした。
 その傍で食事の終わった聖霊がからからと笑うように鳴いている。それに見当違いなことをいったのだろうかと慌てた少年が、また問いかけた。
 「あ、あの……! なにか、意味とか…由来とかがあるものですか?」
 たとえものを知っていてもその由来などそう知るものではないが、それでも少年はそうしたことをよく子供に問うことがあった。無条件の信頼というべきか、過剰な期待というべきかは難しいところだ。ただ彼にとって、子供は絶対的な何かに見えてしまっている瞬間があるのは否めない。
 思いながら、心の内で軽く息を吐き、子供は知っている自分もまた悪いのかもしれないと苦笑する。
 「そのままの意味だがな。春がくることを喜び迎える。そのために春の花を用いる。あとは……リースの輪は、永遠の愛と平和、喜びを表すともいわれているな」
 もっともそんなもの関係なく可愛かったり綺麗だという理由だけで人はそれを求めるし、意味を理解せずともその意図は十分に伝わる。
 当然だ。美しいものを美しいと思えるのは、平和だからだ。それを贈る相手、一緒に見る相手が愛しいからだ。巡る季節をまた共有できて、嬉しいからだ。
 だから意味も由来も知らなくとも人はそれに惹かれると子供は囁く。
 それを見つめながら、少年はだからか、と、小さく笑んだ。
 「そうですね。………だからピンクさんは、一緒に作りたいと言い出したんですね」
 「……………?」
 嬉しそうにいう少年を見遣り、何故そう結論されるのかと子供は目を瞬く。
 ウエルカムリースはあくまでも迎えるためのものだ。共に作成することを喜ぶ種のものではない。それが悪いことではないが、納得する理由をいった覚えがなかった。
 そんな子供に少年はやわらかく笑い、キッチンから聞こえる音に耳を澄ませるようにして、そっと囁いた。
 「ずっと同じままなんて、ないですから」
 「……………」
 「それでもやっぱり、一緒がいいと思うことはあるじゃないですか」
 小さく囁く声は、まるで秘め事だ。少女に聞こえないように、彼女の意図を知らないままでいようとするように、囁く声は子供と聖霊にだけ聞こえるほど、小さい。
 それを二対の眼差しが見つめ、続きを促した。分かっている気のする言葉を、それでも音として聞こうとする。………形にすることで、あるいは戒めたかったのかも、知れない。
 時折忘れてしまう、そんな自分を。
 「必ず来る明日は分かりませんが、一緒に作ったものは、残りますから」
 優しい思い出は、一つでも多い方が悲しくないと、囁く。…………それは寂しい覚悟を秘めた、言葉。
 世界は永続的ではないと、自分達は知っている。いつかは失われるものだ。だから、せめてそのときが優しく穏やかであるようにと、祈る。
 …………辛さや悲しみのままの別れは、残されたものを苦しめるから。
 「沢山、増えるといいですね。巡る季節の分、重ねる歳の分……増えれば、いいですね」
 そしてそれを一緒に迎えられるのが最上の喜びだと、少年は笑う。何もなくとも、一緒にいられることこそが嬉しいことだと。
 ぼんやりと、食べかけの朝食のことも忘れて子供は少年を見上げる。
 失うことを自覚し続けるのは寂しいことだ。それを知った上で出会いを大切に出来ることは、…………尊いことだ。
 時折一人生きようとして周囲を顧みることの出来ない子供には、一緒の未来を想起することを忘れがちだ。  …………だから、驚かされる。  少女や少年の、共に生きようとする至純の思いに。
 そうして……ゆっくりと、感化されていく。
 誰かが一緒にいるのが当たり前になってくる、日常。

 小さく不器用な笑みを浮かべ、子供は頷いた。



 誰かと歳を重ねるのは、確かに嬉しかったのだと、そう噛み締めるように。







 初期の爆はまるで一人で生きるのが当たり前みたいな、そんな雰囲気が強くて、結構痛ましかったです。
 なんというのか……自分の身を守るのが自分一人であればいいという、誰の手助けも求めない棘のような感じが。
 …………誰も自分のために傷つけないという、裏返された優しさみたいで。不器用な子供だなぁと。
 そういう部分を同年代の子供と関わることで癒されていけばいい。
 当たり前のことを当たり前に願えれば、世界は広がっていくから。

 ちなみにミモザの花言葉は『プラトニックな愛・豊かな感受性』などです。

06.11.7