一歩を進めば近付ける。
たった一歩でもいい、進めば。

小さな背中
細い手足
自分よりも下の、その視線

それでも遠い、その背中。
一歩でもいい。ほんの少しでも。
近付きたい。その背中に。



たった一人で立ち尽くし、傷すらものともしない

その、小さな背中に。




1.いつでも僕を支えていた



 小さく息を吐く。己の弾んだ方が視界の端を掠めた。
 不意に頬を過る風に導かれ、空を見上げた。そこに広がるのはどこまでも澄み渡った空。雲一つない、青空。
 高い場所が好きなのだと、そこから見下ろす小さくなった景色が好きだと、そういった小さな人を思い出す。…………未だ成長しきらない幼い人は、その手の中にすら包めそうな景色が楽しいと、愛しいものを見つめるように微笑んでいた。
 それはきっと、今のこの現状と同じ理由、なのだろう。全てを守りたいと、守るために生きるのだと、そんな途方もない意志を持つ人を自分は初めて見た。そしてそれは、口先だけではない、ひたむきな行動を伴った、意志。
 その腕の中、抱きしめられるなら守れると、そんな風に祈るような、生粋の意志。
 きっとあの人には全てがそう見えていたのだろう。守るのだと、そんな切羽詰まったようにひたすらに祈る様は、どこか物悲しかった。
 …………守りたいと、自分もまた、願う人間だったからこそ………尚更に。
 見上げた空の美しさに微かに顰められた眉。そして、小さく吐き出した吐息が地に落ちる頃、何かが自分へと向かって飛来した。
 視線を向けるまでもなく気配で分かる飛来物を軽やかに片手で掴む。竹筒の、手製の水筒だ。重みもあり、たっぷりと水が汲まれていることが分かった。
 それを感じ、視線を飛来物の来た方向に向ければ面白くなさそうな顔で立っている少女がいた。
 「ありがとうございます」
 軽く頭を下げて感謝を示せば、すたすたとまっすぐに歩む少女が近付いてくる。女性らしい歩みというよりは、きっぱりとした性情を示すような堂々とした歩みだ。彼女らしいと自然口元が綻んだ。………が、続いた少女の言葉に、思わず顔が引きつった。
 「………簡単にキャッチしないでくんない?」
 「………………え、当てる気でしたか?」
 憮然とした少女の言葉に本気を感じ取って微かに青くなる。別段、この程度の物がぶつかっても多少痛いだけで大事はない。けれどそれを敢行しようとした相手が問題だった。
 決して愚かではない、少女だ。何らかの理由があるに決まっている。そしてその理由はひどく単純明快で、竹を割ったようなという形容がひどくしっくりくる彼女の性格に確かに由来する。
 それ故に、なにも分からない現状での言葉に及び腰になってしまう。こうした顔をしているときの彼女は逃がしてくれないし誤魔化されてもくれない。なまじ超能力のライセンスがあるせいか、ひどく勘が良く、こちらの誘導になど従う気配すら見せてくれないのだ。
 戸惑いをのせて少女を伺えば、呆れたような視線とともに組んでいた腕が解かれ、細い指先が突き付けられた。…………戦う立場の、自分と同じ守るものの立場ではあるけれど、その指先はその性を伺わせる補足たおやかなものだった。
 「焦っているのは自分だけって顔、されてたら腹も立つわよ!」
 こっちだって十分焦っているというのにと、少女は不貞腐れたように口をへの字に引き締める。それはどこか幼い子供のような、仕草。
 その様子が微笑ましくて浮かびかけた笑みは、けれど沈んで首を傾げてしまった。
 いまいち、少女の言葉の意味が浸透してこない。焦っていることくらい、自分は知っている。自分達は実力が圧倒的に足りないのだ。だから今、一緒にいるべき人と離れ、修行に身をやつしている。
 ……………傍に、いたいのに。
 それは自分だけではなく、この少女だって思っていることだ。理解、している。彼に惹かれるのは自分だけではないと、そんなこと、痛いほど知っている、のに。
 「あの………一応、分かっているつもりなのですが…………」
 躊躇いがちに口にした言葉は、少しだけ見開かれた大きな目と交わる。次いでその目が憮然とした半眼に変わる様までをしっかりとおさめた。
 何か解答を間違えたらしい。それは、分かった。けれどそれ以上は分からない。自分は人の心の機微というものには疎い。少女のような勘の良さも、彼のような深い洞察も持ち合わせていない。ただひたすらに感性のみの、受信だ。
 受け取る波長を誤ればそれ以上になることはなく、誤ることも多い。そんな不確かな、確固たる基盤のない、予測としかいえないもの。
 首を傾げかけた時、少女の溜め息がこぼれる。思わず跳ねた方は、恐れではない。…………どこか憂いを持つ少女の目が、悲しかったからだ。
 「あんた………本当にバカ」
 呟かれたのは小さな声。少女の、いつもの大きな朗らかな音とはまるで違う、その音。
 目を揺らし、真意を探すように少女を見つめた。どう受け止めるべきか分からないときの、少年の癖。
 それを知っている少女は軽く頭を掻き、少年の斜め横に腰を下ろした。隣でも前でもない、微妙な位置。それを見遣りながら、少年は耳を澄ませた。声を………否、音を、知りたくて。
 望めば少女は言葉をくれる。それはどこか、今はいない子供に酷似する生粋さ。
 「………焦っている意味も、取り違えているんでしょ。本当、バカ」
 「取り違え、て?」
 目を瞬かせて言葉を繰り返す。いっている意味は、いまいち掴めない。同じだと、自分は思う。
 離れ離れになった自分達。足手纏いにしかなれないから、同じ場所を目指し同じ願いを持っていても一緒に歩めなかった現実。
 だから、焦っている。たった一人で傷付くことを当然とする子供を、自分の力無さ故に孤独に放り出したことを。
 守ることしか知らない人を、より過酷な地に、一人進ませてしまったことを。
 …………ずっと、焦っている。願うままに強くなれればいいと思っていた昔とは違う、守るためにこそ力が欲しいと思う。それでも思いが変わったからといって唐突に強くなれるわけでもない、この地道な毎日が、焦燥を募らせる。
 それはけれど、自分だけではなく、あの場で子供に背を向けさせなければならなかった少女にとっても同じ思いだ。………自分一人の感情だなど、自惚れることはできない。
 彼を思うのは自分だけではなくて。きっとこの先だって増える一方だ。それくらい、分かっている。
 沈みそうな思考の中、少女の声が響く。まるで自分の声のように。
 「あいつを一人にさせたことは、当たり前でしょ。あんただけじゃないわよ、そう思うのは」
 だから同じなのだと、そう伝えようとした唇は、けれど蠢くことを忘れた。
 まっすぐに遠くを見つめる少女。その視線は、空のかなら、どこかにただ一人歩み続ける子供を見遣っているように、見える。
 ……………疼く、痛み。
 同じ意志を携えて空を見遣る少女に、共感とは違う痛みが身を駆ける。それが何かなど分かるはずもなく、微かに顰めた眉で痛みをやり過ごせば、少女は見透かすようにして、呟いた。
 「あいつに支えられているのだって、あんただけじゃない。分かっているから、焦るんでしょ」
 それは同じだけど違うのだと、少女はいう。
 ……………痛みが、増した気がする。
 まっすぐな視線。まっすぐな言葉。まっすぐな、意志。なにもかもが彼の子供に似ていて、けれど決定的に違う、少女。
 わかるようでわからない問答。
 ……………目を逸らし続ける、解答。
 瞬きの裏にその答えを見つけた気がして、少年はこくりと飲み込む息とともにそれを沈めた。
 「ピンクさん、やっぱり、同じ……ですよ?」
 ふわりと、柔らかな笑みとともに呟く。それは強がりではない、真実の音。
 まだ言うかと睨むように振り返る少女に笑み、少年はそっと空を見上げた。
 …………遠い遠い青。彼の人の着る服に似た、色。その色に溶けて、きっと彼は世界を包み全てをその手で守りたいと、幼い我が儘のままにひた走る。傷を負うのは自分一人で十分なのだと、どこか歪んだ意志で、守ることだけを求める。
 「あなたも私も、爆殿が支えなら、やっぱり同じなのだと思います」
 空を映した目を閉ざし、目蓋の裏に彼を思う。きっと今も留まることを知らずに歩んでいるだろう。いくつもの茨をその手足に絡ませて、その棘に傷付きながら、それでも怯える花弁を千切られぬよう、守っているだろう。
 彼は守ることを望む人だ。
 ………………守られることに怯えている、人だ。
 だからこそ守られることを、知ってほしかった。……………その力がまだ、自分にはないけれど。
 それでも一歩ずつでも、傍に近付きたい。焦燥に身を焦がし、不相応な身で駆け付けることなど望みはしない。
 分かっているから。そんな中途半端な立場では、自分の願いは叶わない。
 傷付くことなく生きてほしい、なんて。不可能なことでも、せめて一つでもその傷を少なくしたいと思うのだ。
 だからこそ、この意志はきっと。
 「爆殿に救われた人はみんな、同じなのだと………思います」
 不遜にふてぶてしく、傲岸なまでのその真っすぐさで。蹲り立ちすくむ人たちを救い上げてくれる人だから、その清廉さを守れるようになりたいと、思う。
 …………強くなることを己に課すことが、出来る。
 それは自分一人であればいいと思えることだけれど、それでも、彼を守る手が一つでも多い方がいい。自分の手だけで守れるほど、彼は小さくはないのだから。
 だから、同じがいい。同じように守りたいと、強く雄々しく…………脆い彼を、思ってほしい。
 「………………本当に、大バカね」
 呆れたような吐息とともに呟かれる、本日3度目の単語は、けれどどこか誇らしげな響きを持って風に乗った。
 それに苦笑して、少年は目を開ける。雲が流れる空の先、彼が求める答えがいつかは手に入るだろう。そのとき、出来ることなら傍らにいたい。
 出来ることなら、より多くの人とともに、彼を囲み包みたい。
 …………愚かなことだと笑われても、自分一人の人になど出来るはずもない命だから。
 自由に、彼が意志のまま生きられるように。どこに行こうとも守る意志を持つ人が、傍にいますように。


 今は遠い土地にいる人。
 たった一人傷付くことを望む人。


 多くの人にいとしまれ、多くの腕を差し伸べられて。


 どうぞ、その命の尊さをこそ、知って下さい。


 あなたが生きているからこそ、生きる道を模索できる。

 ……………そんな愚かさを、哀れまないで。







 少しばかり依存的で、消極的。なんだか初期のカイだな…………。
 今回のお題ではカップリング一歩手前、です(いつもだろうとかいわない)
 感情は名前を付けられて初めてその重さを持つと思うのですが、出来ることなら自分だけという独占欲よりも、より多くの人に愛されてほしいという、広い範囲での愛情がいい。
 ずっと傍らにだけいる人なら独占欲がいいけど、遠くにいることが多い人なら、その腕が届かないそのときも、誰かが傍らにいてくれれば、傷付くことは少なくなるだろうから。
 自分の不安や痛みよりも、相手を優先できる、そういう感情が好き。
 ……………まあだからこそ、私は恋愛感情を書くことが下手なんですがね。恋愛は束縛と独占欲の固まりのように思えるよ(遠い目)

07.3.27