その体はひどく小さかった
自分の腕にさえ、抱きとめられた
その額は自分の肩ほどの位置で
しなやかな背中は
けれど自分よりもずっと薄く小さい
もっとずっと、頑強に思っていた
彼は強く雄々しく、揺るぎない、から
3.君の強さと優しさがあまりにも残酷なほどに君を殺した
それに気付いたのは、何がきっかけだったのだろうか。
視界の端に常にその姿が確認できる、そんな旅だった。一緒にいるのが当たり前というにはあまりにも出会ってから短い時間の後の、旅だった。
出会いは最悪で、思い出すだけでも地中に埋まってしまいたいほどの身勝手さに後悔ばかりが渦巻く。それはたいして時間の経っていない過去の話だ。まるでしこりを残さずに関わってくれる彼の潔さに舌を巻いたのも、やはりほんの少し前のことだった。
強い人だと思った。優しい人だと思った。………生粋の命とは彼のような人をいうのだろうと、そう思った。
けれど、と。いつからかそんな考えが脳裏をよぎる。
「…………どうした?」
不粋に見遣るような真似をしていない自分の視線に気付いたのか、子供が声をかけてきた。
………武術を得意とする自分の気配は、一般人に比べ希薄なはずだ。それにも関わらず、注意して更に薄めたそれを、彼は容易く読み取ってしまう。
目を細めて微笑み、首を緩やかに振った。少しだけ困ったという、そんな笑みで。
それだけで彼は少しの間をあけて自分を見遣り、軽く息を吐くだけにとどめて追求を止め、顔を逸らした。
小さく苦笑が漏れる。………彼は、過敏といっていいほど人の気配に敏感だ。
一緒に旅を始め、少女の豪快さに目を丸める姿を幾度目撃したか解らない。開けっぴろげで嘘偽りのない、よくも悪くも己に正直な少女を、どこか眩そうに見つめるのも。
自分や少女が発する些細な言葉も覚えている。ちょっとした仕草も見逃さない。それらは彼が自分達に見せていたあの豪放さに比べ、ひどく繊細で細やかなものだ。
どうしてだろうと思わなくもない。そうした二面性があるものだと納得することは容易かったけれど、それでも気にかかった。
「鬱陶しい!」
「痛っ! ちょっ……ピンクさん?!」
ぼんやりと空を眺めながら物思いに耽っていたら唐突に頭を殴られた。近付いていたことは知っていたが、まさかそんな真似に移るとは思っていなかったので無防備なまま少女の拳を受けてしまう。
さして強い力ではなかったとは言え、つい反射で驚いてしまうのは、彼女のそうした応対に慣れてしまったせいだろうか。
目を瞬かせて少女を見遣ってみれば、顰められた顔が不機嫌そうに向けられていた。
一体何が気に入らなかったのかまるで見当が付かない。そもそも今は休憩中で、自分は木に寄りかかって空を見ていただけだし、少女は確か聖霊とともに花を摘んでいたような気がする。………全くお互いの行動に共通点がない。
「鬱陶しいっていったの! ったく、あんたは顔に出やすいんだから、もうちょっと気にしなさいよ」
自分の思考を読み取ったように少女が言葉を継いだ。考えてみれば彼女超能力のライセンスを持つGCだ。普段はテレポーテーションしか使わないが、あるいは多少の感応能力もあるのかもしれない。もっとも、その点については少女自身の気性が多くを占めている可能性が高いけれど。
小さく首を傾げてどれに対してかと、その問いを込めて少女を見上げた。
それだけで解ってしまうらしい少女は、ふと辺りを見回した。その視線の先には、聖霊の遊びにつき合っているらしい子供が映る。同じように向けた視線の先、どこか幼く見える顔で聖霊と何かを話している子供がいた。
………ひどく、穏やかな顔だ。それは確かに彼の年齢を知らしめるほど、幼い。
あまり自分達と一緒にいる時にそうした顔を見せることはない。どちらかというと無表情である方が多いだろう。不遜な物言いにはとても似合う、まっすぐな意志を込めたその眼差しとともに。
あまり見ることのできない微笑ましいその姿に知らず笑みがこぼれる。すぐに視線を外して自分へ目を向けた少女が、子供を見ることを妨げるように視界に入ってきた。
何事かと首を傾げそうになるが、睨みつけるような呆れたその目に、何か自分が間違えたことに気付く。
「あ…の………?」
「いい加減、気付きなさいよ」
忌々しそうな目つきが苛立っていることを教えてくれる。それはマイナスの感情でありながら、どこか憂えて心配している姉のような表情。
仲間である少女は、普段は我が侭を言って自分達を振り回す幼さを示すけれど、それ以外のときはどこかあの子供に近い性質だ。意志の強さと潔さを、彼女もまた、携えている。………それはある種、至純の性質。
耳を垂らして言葉の意味を掴めない己の腑甲斐無さに項垂れる。彼女は言葉が少ないわけではない。感情だって、まっすぐに知らしめる。そうであるにも関わらず理解出来ないのは、己の至らなさだ。
二人の仲間であり、旅をともにする一人でありながら、どうしてこうも自分は力ないのか。そんな風に落ち込みそうになった瞬間、バンダナの上から額を弾かれた。
痛くはないその衝撃に目を向ければ、仕方なさそうな顔をした、少女。
「きっと……爆はもともと繊細なんでしょ」
「…………は?」
唐突な言葉に間の抜けた声が漏れる。否定というよりは、思いがけない言葉に驚いた反射。目を瞬かせる少年を後目に、少女は言葉を繋げていく。
少しだけ寂しさを溶かした眼差しを、手にもつ花へと向けながら。
「詳しくは知らないけど、あいつ、体の弱い人と一緒に暮らしていたんでしょ」
「…………」
「あんたは健康そのものだから解らないかもしれないけど、そういう人と一緒に暮らしているとね、自然と人のちょっとした違いに敏感になるのよ」
大切な人であればあるほど、失いたくないのは当然の心理だ。そして大事にしたいと思うことも。だからこそ、間近にそうした対象がいたのであれば、人は知らぬうちに他者の機微に聡くなる。過敏なほどに、それに気付き悪化する前に対処しようとする。
もしも、それが…………手遅れであった過去を持つものであれば、殊更に、だ。
濁した言葉の奥底に眠る悲嘆を垣間みて、少年の目が見開かれる。実際、考えたことはなかったこと、だ。
怪我人は多く見てきた。それによって失われる命だって、知っている。けれどそれは長い期間ではない。何年も接していたなんていう記憶は、持っていなかった。
健康であることが当たり前で、手習いによって人の気配や動きに敏感には、なった。
けれど……と、痛感する。それはあくまでも習ったことでしかない。学んだことでしか、ない。
生活という当たり前のサイクルの中、日常的に組み込まれた、一時さえ手放されることのない意識では、なかった。
愕然とした意識の中、それでも言葉が瞬いた。それが事実を指すものか、自己弁護でしかあり得ないのか、少年自身分かりはしない。
ただ、煌めいた。主張するように、訴えるように、己が胸中で、言葉が蠢く。
「でも………!」
切羽詰まった声は滑稽だった。掠れて、空気に震えるだけの音。叫ぶような形相で、それでも音はあまりにも儚く小さかった。
…………泣きたい心境を、模するかのように。
「爆殿、は……そうではなくて………変わりたいと、そう………」
言いたい言葉がうまく言葉に変換できない。ひどく、もどかしかった。
伝えたいことだけは解るのだ。ただ、それを音と換えて人に伝えるとなると、あまりにも難しいことだと実感する。
「人のために生きるのでは、なくて………だから、自分の道は自分で決めるという、そういう………」
繊細と称される子供の性質は、確かに正しいだろう。もしも彼が繕われた表層部分のままの気性であれば、人は彼に惹かれはしない。そんなもの、ただの破壊者だ。慈しみを知らない裁きの腕は、恐怖しか与えはしない。
けれど、思うのだ。たとえ本質がそうであっても、ありたい姿は別にあるのだろう、と。
もしもそうであることを願うなら、そのままに花開けばいい。変わる必要も、取り繕う意味もない。あるがままを知らしめればいいだけのこと。
けれどそれを彼は包み隠した。その優しさを厳しさと傲岸なまでの意志の中に、隠し込んだ。
ならばそれは、そうありたいと、願ったのではないのか。………他者のために生きるのではなく、己の意志のままに生きることを、願ったのではないのか。
「きっと……ね。だからあんたは鬱陶しいっていってんの」
言葉を探して必死になる少年の言う意味は、おそらく知っていたのだろう。少女は手の中の花をもてあそびながら、どこか素っ気ない声でそんなことを呟いた。
「………はい?! って、え? 繋がっていたんですか?」
なんとか通じたらしいと歓喜しかけた瞬間、少女の言葉の意味を理解して、少年は複雑な表情で驚くように少女を見遣る。考えてみればそこから話が始まったのだから当然なのだから、いつの間にか自分の話から子供の話にすり変わったと、そう思ってしまっていた。
「当たり前でしょ。だから、ちょっとはその顔、やめなさい」
「………顔?」
少女の言葉に眉を顰め、少年は己の顔を指先で確認する。顔という造作自体ではなく、表情のことであるのは、分かる。が、生憎鏡などそうは見ない身だ。彼女の指す表情が一体どんなものか、見当も付かなかった。
大体察していた反応に少女は呆れた溜め息を吐いて、持っていた花を指先で弾いて少年の眼前にテレポーテーションさせた。一瞬の芸当に目を丸め、瞬かせるような顔をした後………彼は苦笑するような仕草で、少女を見遣った。
「ピンクさん?」
言いづらいから勝手に気付と、そう言いたいらしい態度に困ったように笑んで、問う声を落とす。
どちらでも、よかった。答えを己で模索することは当たり前のことだ。けれど、そうでありながらいつもであればさっさと背を翻してしまう少女はそこに佇んでいるのだ。
だから、問うた。終わりにするも続けるも、彼女の自由に任せるために。
「…………心配ばっかされていたら、あいつの気持ちに引っかかるでしょ」
もっと豪快でいなければ、あの子供の道を阻んでしまうのだ、と。………そう、不貞腐れた少女の小さな声が囁いた。
「あのバカ、大丈夫だっていう代わりに、無茶な真似ばっかするんだからっ」
言葉はあやふやで曖昧だから、全てを行動で示してしまう子供。それは、言葉以上の雄弁さではあるけれど、それ故に、痛ましいのだ。
こくりと、知らず息を飲む。ただ、いたわりたいと思っていた。大切な人だから、傷付かないように気を配っていた。それが、そもそも彼をとらえる茨の一つだと、いうのだろうか。
それは、けれど……あまりにも。あまりにも、悲しいではないか。
「ですが、ピンクさん…………!」
その言葉を受け入れるにはあまりにも重い。彼はいつだって無茶をして、引き止めなければ容易く命を投げ出してしまう、そんな危うさがあるのだ。
心配をするなといわれて、出来るわけがない。それが彼に安堵を与えるといわれても、納得ができない。
傷付くに決まっている。彼は、強くて。………あまりにも、いっそ不条理なまでに優しすぎるから。他者の傷を肩代わりするくらい、当たり前の顔でやる。
「まだだめなんでしょ。だって、私ら、守られてしかいないもの」
あっさりと不機嫌な顔で少女は呟く。その意味を咀嚼する必要すら、ない。あまりにも事実だけの言葉。
息が、詰まる。あの一瞬に見た小さな雄々しい背中。
それが………守るための背中だと、知らなかったわけではない。
自分よりも小さく幼い彼が、自分達を守る存在だと、気付かなかったわけではない。
それでも、守りたいと、そう思った。強さ故に儚い彼を。
「…………………………っ」
「いっとくけど、無様な顔、見せないでよ。私は慰めてあげるほど優しくないわよ」
こちらだって泣きたいのだと、かすかに震える声は噛み締めた唇の合間から漏れていた。
「わかって………いま…す」
息を飲み、掠れる音を正すように途切れる音を紡ぎ落とす。
肩を並べたい。傍にいたい。そして、出来ることなら………守ることしか知らないあの孤独な子供に、守られるという感覚を、教えたい。
こぼれ落ちそうな涙を飲み込んで、固く固く拳を握る。
今はまだ、守られるだけの自分達。傍にいながら、負担でしかない自分達。
いつかは守れる存在に、なろう。一秒でも早く、なろう。
全てを背負い立ち上がることさえ良しとする人だから、その負担を共に背負えるものに、なろう。
その優しさと雄々しさ故に、彼が世界に潰される前に……………
まだ背中を任せられていない頃の話。
多分爆にとっては相手は守るべき対象で、それらに不安を与えないためにただただ雄々しくあることは義務に近い。意識しているわけではないので二人にそんなこといわれても首を傾げるだろうけどね。
本心を与えているつもりでも、不安を与えたくないとか、安穏とした空間でだけ生きてほしいとか、そう思うことは、多分、同じ痛みを分かち合うつもりはない、ということでもあるのでしょう。
それを共にしたいと思うか、その関係のままを願うかは、互いの関係によって異なるのでしょうけれど。
07.2.1