柴田亜美作品

逆転裁判

D.gray-man

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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ゆっくりと降り積もる。それは雪。
美しさに見愡れ…息を飲んで見つめれば身体にまで浸透する。
……けれど雪と決定的に違う事を知っている。

ゆっくりと降り積もる。それは雪。
指先にのせ、そっと吐息を吹きかける。
……それは静かに溶けて…自分の心に染み渡る。

白く穢れない……この心に降る雪。
けれどそれは冷たくはない。
………優しくあたたかい…鼓動と共に重なりゆく。

それはこの心にだけ与えられるあたたかな雪……………





曙光の君



 少し肌寒い初冬に山を登るのはきっと酔狂なのだと……思う。
登る前に見上げた山は……はっきりいっていつであっても登りたいと思わせるような類いのものではなかったけれど。
空気の薄くなってきた山頂付近では、吐き出す息も微かに白い。
よくよく見てみれば辺りに茂っている木々の葉に乗った水滴は薄い氷となって煌めいている。
こんな中を機嫌よく登っている目の前の少年は……どう見ても自分よりも薄着だ。
上着を着ている自分でも…少し…否。かなり寒さを感じる。
それでも寒さを気取られるのを厭い、子供は声を震わせる事のないように息を吸い込んで少年に声をかける。
………肺に染み渡った清涼な空気は冷たくて、身体の芯を凍えさせる効果があった。逆効果だと心の中で舌打ちをし、それでも毅然と子供は言葉を紡ぐ。
「…………カイ、お前はそんな格好で寒くないのか?」
肩さえ露出している少年ははっきりいって見ている方が寒くなる。
少しだけ顔を顰めて囁く子供の声に、少年が振り返る。
………きょとんとした顔には子供の言葉への疑問さえ浮かんでいた。
「いいえ?これくらいは慣れてます。修行で真冬に滝に打たれるのは日課ですから」
にっこりと笑みさえ浮かべていわれた言葉に子供の顔が僅かに引きつる。
何も……そんな体調を崩すために行うような修行を取り込む事はないと思うのだが……。
その思いが顔に出たのだろう、少年が苦笑して子供の隣まで戻ってくる。
寒さに少し頬が赤くなっている子供に気付き、少年は小さく笑いかける。
子供も決して厚着ではない。年間を通して動き易いように長そでを着てはいても、それに防寒の効果は余りない。
………標高の高いこの山に登ろうといっても、いやだとはいわない子供。傍にいたいといえば、出来る限り叶えてくれる。
自分の願いも望みも……小さな腕はしっかり抱き締めて応えてくれる。
嬉しくて……つい我が侭ばかりいってしまう。
だから…見せたかった。この山の景色を。………後少し、この濃紺の空が光を取り戻すまでにはたどり着ける。
きっと子供も喜ぶだろう……神々しき光を見せたかった。
…………何もかもを失った日に見つけた、生きる事を許す癒しの灯火を。
絶望さえ溶かし浄化してくれる光…………
それはあまりに傍らの子供に似ていた。………否。子供が、似ていたのか。
忘れられないのだ。いつまでもあの日の曙光が。
この身を包んだそれに……自分は力を与えられた。………生き抜く強さを教えられた。
思い出したそれを惜しむようにゆっくりと吐き出した吐息は白く霞む。
それが赤くなった子供の頬に触れ、俯いていた子供の視線が少年に向けられる。
どうしたのだと瞬きに疑問をのせる子供に、少年は優しく微笑む。
………こんな些細な変化にさえ…気付いてくれる。
そんなちっぽけな事さえ…愛しい。
歩みを止めた少年に合わせて傍らに残る子供の肩を少年の指先が包む。
「…………カイ?」
問いかける声に微かな戸惑い。………寒さ故ではない頬の朱。
それに優しく微笑んで、少年は子供を引き寄せた。
微かに震えている身体は、服の上から触れても少年の指先よりも冷たい。
小さな背を抱き締めるように包み、少年は子供の耳に唇を寄せる。
「…………私よりも、爆殿の方が寒そうですね」
熱く熟れた吐息で凍った肢体を溶かすように少年は囁く。
優しい声音は普段以上に親密なぬくもりを秘めていて……包まれた鼓動が高鳴る。
頬に宿る熱が一気に高まるのを感じ、子供はぶっきらぼうな声で応えた。
せめて顔が見える立ち位置でない事だけは救いだと小さく息を吐きながら………
「…………貴様がはりついたから…暑い」
微かに俯く頬に少年は吐息だけで笑いかける。
不器用な子供は甘える事が苦手だ。………それでもその指先は少年の腕に絡まり、離れるなと囁いている。
しんなりと力の抜けた子供の身体に腕を絡め、白く灯る吐息を朱に重ねるように頬に寄せる。
熱い熱に、びくりと腕の中の身体が跳ねる。……火傷をした瞬間のような刺激に、子供が目を丸くした。
人に触れられる事で……こんなにも衝撃が走るとは思わなかった。
戸惑うように……怯えるように後ろにある少年を見返した子供の瞼に降り注ぐ熱。
固く閉じられた瞼が必死になってそれを受け止める様を見つめ、少年は困ったように笑う。
………幼い子供はまだ分け与える熱にさえ怯えている。
人との関わりをあまり持たなかった自分達の間にある不器用さが少しだけ歯痒い。
それでもその全てが愛しくて大切で………少年は子供の肩に顔をうずめた。
縋るような強さで自分に触れる指先に子供は少し眉を寄せる。
……………熱い体温に、息も出来ない。
「……カイ………?」
どうしたのだと囁く声に、少年は微かに答える。
ぬくもりを手放したくないと祈るように…………
「朝日を……見た事はありますか………?」
「…カイ……………?」
突然の言葉に子供は少年の名を囁く。……それには応えず、少年は埋めた肩に震える唇を隠してくぐもった声で呟く。
「私は……両親を亡くした日をこの山で明かしました。眠る事も出来ないで……泣く事も忘れて……ただ呆然と空を見ていました」
独白のような少年の声に、子供は言葉を挟まない。
………慰めて欲しいと…声はいっていない。ただ聞いて欲しいと願う声に答えるようにただその震える腕を抱き締める。
包まれる熱に小さく笑い、少年は言葉を続けた。
「日を浴びた時……初めて泣けました。……なにも出来なかった自分への怒りも亡くした哀しみもなにもかも…やっと動き始めた」
囁く度に熱の触れる肩に、子供は切なそうに瞳を閉じる。
消えゆく泡沫を確かめるように少年の腕が強く子供を抱き締める。
………そっれを受け止め、子供は少年の髪に頬を埋めた。
「あなたに……見て欲しかった。私が歩み始めた最初の場所を。……我が侭を言ってこんな所まで登って頂いて申し訳ないとは思うのですが………」
それでも……子供に見て欲しかった。
自分が生きようと思えた光景を。
………共に死ぬ安らぎよりも生き抜く強さを教えられた陽射しを。
そう囁けば、子供は瞳を眇めて少年に微笑む。
普段は見せない……幼い子供の笑み。
それを少年の髪に溶かし、子供はぬくもりを求める少年に囁く。
「…………馬鹿もの……。まだ登りきってもいないだろう………?」
一緒に進むのだ……と。
囁けば、少年は子供の肩に瞳を押し付ける。
溢れる熱をとどめる事など出来なくて……子供の肩が微かに濡れる。
それを抱き締めて、子供は少年の腕を寄り掛かる。


…………朝日はまだ登らない。
だからせめて濃紺が橙を灯すまで。
ぬくもりを分けあいたい。




――――――重なる吐息を凍らす風さえないのだから………