一人空を見上げた
真っ青な空は高く遠く
星空すら陰るほどの晴天で
自分は一人なのだと、思い知る
共に星になりたかったなど
今はもう嘆くことも出来ない
甘えているだけの幼かった日の、思い出
5.結局、何もかも君のお陰だった。
吐き出した息が白く染まる。空には満月が掲げられ、星たちはその明るさに身を潜めていた。
歩む足は軽く、どこか浮き立つようだ。それに気付き、苦笑をこぼす。
……………そんな気持ちで歩いたのは、どれほどぶりだろうか。
そう思ったなら、かすかな暗雲が己の脳裏に沸き起こる。軽く頭を振りそれを払いのけ、満月を睨むように見遣った。
凛とした光は、けれど朧な明かりだ。太陽とは比べることも出来ない、幽かさ。それでもこの夜の暗さをたった一人で支えるように光り輝く様は、どこか神々しい。
それを見て、心浮き立ちながら歩んでいたのは、もう何年も昔の話だ。そんなものを見上げる余裕すら、ずっとなかった。
それら全ての清算を、たった一人の後継者を打ち負かして手に入れようと意気込んでいた今朝が懐かしい。まるで違う心境で家路につく己がどこか滑稽にさえ思えた。
苦笑が深まり、眉が垂れるままに、長い耳もまた、垂れ下がった。
長い一日だった。否、短かったのかも、知れない。どちらのようでもあって、どちらでもない。それはきっと、もっと彼を見ていたいと、そんな風に願ったせいだろうか。
小さな子供に見えた。自分の方が強いと、そう思った。………強さの意味など知りもしないで、そんなことを。
まだ丸みを残した頬。大きな目。小さな背中。薄っぺらい肩。細い手足。どれをとっても負ける要素がなかったのに。それでもあの至純の意志に膝を折ってしまった。
守る意味も知らず守る立場を手に入れた、愚かな自分。
守られる立場にいるべきはずが、守ることを選んだ子供。
まだ遊びたい盛りの、もの知らぬ年であろうに。そんな同情さえ疎ましかろう、そう思ったのは、あの深すぎる思慮を宿した目を覗いたせいか。
そっと吐息を落とす、また、白が空気を彩る。それをぼんやりと見ながら、走ることのない足がのんびりと自国を目指す。
帰ったなら、師になんと報告をしようか。…………後継者の話をするべきなのだろうが、自分には彼をどう表現すれば正しく伝わるのかが分からなかった。
「………偉そう……といったら怒られそうだし……………」
聞こえるはずもないのに次に会った時に問答無用で殴られてしまう予感がする。それを想像して少し落ち込んでしまう。同時にふと気付く。
「あ………れ…?」
ぴたりと歩みを止めて、目を瞬かせる。こぼした言葉を探すように唇に触れた指先には、かすかな熱を持つ吐息が触れた。
今日、初めて会った小さな子供。力試しをして、勝ちを得るのだと、ただ強さに捕われて挑んだ勝負。………結果は、惨敗だったけれど。
けれど、自分は考えていなかった。
今朝も昨日ももっとずっと前、も。
……………もう一度会うという、そのことを。
その勝敗すら考えてはおらず、ただ闇雲に後継者に会い勝負をすると、それだけを思っていた。
その事実に、頬が急激に朱に染まる。何と言う、不遜な物思いだろう。情けなさに顔がひそまり、耳が力なく垂れた。
その表情を天に掲げられた満月にすら見せたくなくて、少年は片手で顔を覆い地へと向けた。
名も知らず、相手を見ようともせず、誰かの影しか追わず。その上、おそらくは…………興味すら、なかったのだ。
「………………………〜〜〜〜っ」
恥じ入る思いに地に埋まってしまいたい。あんなにも輝くように生きる人を、こんな無関心なままに出会って、関わってしまった。敬意を表して接するべき相手を貶める言動しか、出来なかった。
己の目の節穴さ加減を今日一日で何度恥じればいいのだろうか。これほどまでに育っていない情感を、何故誇るかのようにいたのか、今朝までの自分に問いただしたいほどだ。
こんな夜遅く、こんな辺鄙な場所を歩む影は少年以外にはいない。そんな安堵があるせいか、少年はそのまましゃがみ込み、幼い子供のように頭に手をやり小さく蹲った。
…………いっそ、その姿が合う年齢まで戻れたなら、良かった。そんなことを思ってしまう。
彼よりも小さな存在だったならまだ、甘えられた。彼の年に追い付けばきっとと、そんなバカなことを思うことも出来たかもしれない。けれど自分は明らかに彼より年上で、彼に道を指し示すべき年長者だ。
彼よりも先にGCとなり、おそらくは彼よりも先に修行もしていて、武術という部分に特化しているというのに。
なにもかもが、足下にも及ばない。あの無遠慮な眼差しと小さく雄々しい背中が脳裏に蘇る。
「………きっと………」
ぽつりと声に出した音は、微かに震えて寄る辺なかった。それさえも情けなさを助長するものでしかなかった。
それでも声として、落としたかった。心で繰り返し考えるのではなく、口にし、肌にも耳に触れさせて、そうして染み渡らせたかった。
「分かって………いたんですよね、爆殿……………」
地面を見遣る視界が歪む。月明かりだけをたよりとする視界の中、うっすらと分かる土に色濃いシミができた。
あとからあとから増えるシミを睨みながら、震える喉を叱咤して、音を紡ぐ。
「自分を見ていないこと、も…………『爆』というその人間に、興味すら持っていなかった、こと………も」
遣る瀬無くて胸が軋んだ。
…………どれほどの、それは痛みだったのだろうか。
目の前にいながら目の前にいない。自分が生きているということすら気付かれない。…………自分がそこに存在しているのに、認められない。
それは、いっそ無邪気なまでの、残虐さだ。知らないから許される、そんなはずがない暴力だ。
相手のアイデンティティの全てを完全に否定して、傀儡であれと、そういっているようなものだ。自分の望むままの肩書きだけあればいい、と。
どれほどそれが傷を与えただろう。まだ幼い人の、柔軟なその心に。
それなのに、彼……は。当たり前のように自分さえ守る道を選ぶのだ。
止めどなく頬を辿っては土にシミを作る原液が、視界を揺らす。…………痛みを自分が感じることさえ、烏滸がましいのに。
震える体を自身で抱きとめ、小さな背中を思い出す。不敵に笑んで、不遜な態度で…………それでも何もかもを許す、優しい子供。
痛かっただろうに。辛かっただろうに。………あるいは、泣きたかったかも、知れないのに。
それらすべてを飲み込んで、彼はたたずむのだ。彼という、たった一人の存在として。
……………過去のどんな英雄にも似ていない、たった一人の、ファスタのGC爆として。
多くのフィルター越しに見つめられることを、これからだって彼は背負わなくてはいけない。それだけの前任者を、彼は得てしまっている。
何も知らない無知な彼は、それでも全てを知っているのだろう。それはおそらく、情報という形ではない、その意志だけが汲み取れる世界の真理。
「………………………っ」
息を飲み込み、顔を拭う。土にしみる水は止めどなくとも、自分が嘆く資格はない。
だから、留まるのではなく、進まなくては。
そっと息を吸い込む。満月の光に染まった空気は喉を潤すように流れ、肺へと滲みた。
首を振り、己の浅薄さを呪う物思いを振払う。…………後悔したとしても、過去は変わらないのだ。それならば、償いを。
明日、また、彼のもとに訪れようか。
……………今度は後継者などとはいわず、その名を呼んで。
そうして、彼のこと、を。…………一つずつ知っていこう。自分のことも知ってもらえるように。
頬が濡れる感触に少年は空を仰いだ。満月が霞んで見える。紺碧の中の、たった一つの灯火。
過去の日、暗闇の中こぼれ落ちた曙光に救われた。だから自分は今も生きている。
あの日の光に恥じないように、生きたい。……………強くなる意味を取り違えず、傷つけることなく生きられる、そんな命に。
失敗を繰り返すだろう自分でも、同じ過ちは犯さずに生きる努力はできるから。そっと目を閉ざし、満月の明かりを目蓋の裏に溜め、少年はその目を道の先へと向けた。
歩が、進む。止められていた歩みが再開した。
そよぐ風は冷たい。濡れた頬がかさつき痛みを訴える。それら全てを粛々と受け入れ、少年は歩む。
今はまだ満月の冴える時間だけれど、必ず日が巡り、曙光がこの身を包むから。辿々しく覚束無い、頼りにならぬこの足を、それでも一歩ずつその明かりへと向かわせる。
…………せめて、曙光に恥じることのない生を、歩めるように。
4の方とちょっとリンク? まあ単に季節の問題なんですけどね。あちらで春にしたので、出会いを冬にしてみただけです。蜂があれだけ元気にいるのだから、確実に冬ではないことが分かっていますがね、カイの道場破り。
私は勝手な妄想やイメージで決めつけられるのは、正直冗談でも好きじゃないです。重ねられることも嫌だし、似ているというのも嬉しくない。私は私だもの。他の誰かに似ていようと、それは自分じゃない誰かだから。
だからこそ、こういう出会いでも、ちゃんと相手と向き合おうと改めてくれる人が、きっと好きなんだろうな、と。たまに思います。たまに。
07.3.28