柴田亜美作品 逆転裁判 D.gray-man 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
不意に気付く。 コロンブスの卵 笑顔で……見送った。それはほんの数週間前の話。 思い出せるのは微かな苦笑に彩られた子供の口元と、差し出された幼い手の平。 また会えるのがいつかは判らないから約束はしないと、子供は力強い笑みとともに囁いた。 それが……いまはただ痛い。 小さくなっていく背を見つめて…ざわめく胸に顔を顰めた。 まだ…彼ほど強くなっていない自分は共に歩んでも彼の負担となる。それを知っているから…諦めた。 自分の為に……仲間の為に。強くなりたいとそう囁いたのは自分自身だったから。 それを違えたくなくて、寂しく目を眇めても泣かずにその背を見送る事を選べた。 だけど……気付いてしまう。……………約束が…欲しかった。 会えるのだと確証を持てる証が欲しかった。 あんまりにも自分と彼は遠過ぎて……走り始めた子供に追いついた時、子供が自分を覚えていなかったらと思うと息が出来なくなる。 唇を噛み締めて、少年は握りしめていた棒を薙いだ。 …………澄んだ音が芝生を駆け、青年の耳まで走り去った。 その音を聞き、青年は苦笑する。 「………カイ、迷ってる時に棒は振るな。怪我の元だぜ?」 「激殿…………」 からかうような青年の声に困惑した少年の瞳が重なった。 それを見て、青年はきょとんとする。 …………気付いて…いなかったのか、この少年は。 自身がここ数日上の空で、いくつもの傷を負っているというのに。 その全ては浅いもので心配する必要は確かにない。………が、いい加減自分で原因を探してもいい頃合だと思っていたのだが。 それとも……戸惑ったままこの幼い少年は動き出す術を見つけられなくて立ち尽くしているのだろうか………? 不器用な子供達。自分の目には明らかなものも……彼らには不可視の存在。 その背を向ける事で寄り添えるとしても……真っ暗やみでは伸ばした腕さえ見えはしない。 小さく、青年は笑う。 ………子供が旅立つ前日、自分が目撃した事。 子供も少年もからかうに足るそれを見せたなら……少年はどんな反応をするのだろうか? 困ったような顔のまま掴んでいる棒を眺めている少年に手招きをして、棒を受け取る。 それを横に置き、青年は岩場に座るように顎をしゃくって指示し、自身も続いた。………不審そうに自分を顧みる少年に青年は楽しそうに笑った。 「安心しろよ、別に修行取り止めじゃねぇから」 少年の中にある不安を先に取り除こうと青年は頭の後ろで腕を組みながら言った。 ………ほっと息を吐き、少年の頬に小さな笑みが灯る。……子供に追いつきたい少年は、青年の厳しい修行すら文句もいわずさぼる事もなくこなしている。 それが……何故の情熱か解っているのだろうか………? いまだ拙い感情しか知らない少年は、深い思いの存在すら理解していない。 知識として一般教養もなにもかも教え込んだけれど……こればっかりは体験しなくては理解しきれない。 岩上に礼儀正しく正座して、教えを乞う者の姿勢を身につけている少年はまっすぐに師を仰ぎ見る。 それを見つめ……青年はあの日の情景を思い出す。 ………澄んだ空があまりにも鮮やかで………目を奪われる優しい情景を……… 別に覗く気はなかったのだ。………きっと相手も自分も……そして眠っている少年も互いに何故こんな所にいるのだと疑問に思った瞬間。 樹の上で瞑想していた青年の気配は断たれていて、子供は見つめられている事さえ気付かない。 少し遠くの樹の根元で休憩していた少年は眠ってしまって、連日の猛特訓にちょうどいい休養だと思って起こさずにいた。そうしたなら……現れた子供。 足音を響かせる事もなく…ましてテレポーテーションで少年を起こす事もなく。 まるで少年が眠っている事を知っているように声も掛けずにその足下に座る。 淡い雲に…一瞬だけ太陽が陰る。 それに青年は空を仰ぎ見た。深い青が目に痛いほどだと小さく笑う。 ゆっくりと風が雲を揺らし、眩い光が数枚の帯となって草原に舞い降りる。 ………まるで……神話の情景のようだと青年は喉の奥で笑った。 樹木に抱かれた少年を、子供は起こそうとその指先を向ける。……けれど肩に触れた指は動く事を拒むように優しく少年を包むだけだった。 困ったように苦笑を零し、子供は少年の寝顔を覗き込む。 掠れた声が……小さく響く。 常人ならば聞き取る事の出来ない距離でも、青年には関係がなかった。……その切ない揺らめきさえもはっきりと聞き取れる。 「……カイ……、早く……追い掛けろ」 決して弱さを見せない子供の、それは微かな弱音。 少年が眠っているからこそ囁ける言葉。………決して誰にも聞かせる気のない呟き。 待っている事の出来ない子供は……それでも離れたくないのだと小さな声で願う。 思いを自覚していながら……踏み出せない。それは勇気の有無ではなく…いまが時でないから。 いまだ歩む途中の少年は子供のような強さをもっていない。それを手に入れるのはいまが最良で……子供が願えばなにもかも捨てて駆け寄る少年に……子供は我が侭など言えない。 まだなにも気付かない少年の中にある思いさえ、子供は知っていて……それ故に二人分の苦しさを抱えている。少年が思いを自覚していない事さえ包み込む。 ………子供は何一つ少年に悟らせない。そうであっても時が熟すまで待てる揺るぎなさがあるから。 そしてそれを相手に求めなくとも崩れない強さをもっている。 微かな囁きに少年の瞼が小さく痙攣する。びくりと…子供の肩が跳ねた。 深く息を飲み込み、子供は不自然でないよう近付けていた顔を離し、少年を見つめる。 微かに……少年の瞳が覗けた。朱に染まった瞳はぼんやりとしていて、いまだ泡沫の住人である事を示していた。 完全に覚醒しないだろう気配に苦笑し、子供は少年を見つめる。 瞳があった瞬間……少年はやわらかく微笑む。 「爆……ど…の…………」 掠れた声は呂律が廻っていない幼さで…困ったように子供は笑う。 それを見つめ、少年はその指先を子供の頬に伸ばす。……触れる前に力つきたのか、少年は再び瞼を閉じてしまったけれど。 近付いてきた指先を受け止め、子供は込み上げる熱さをゆっくりと流す。 少年の頬に灯る安らいだ笑み。………それだけでいまは十分だと、優しく指先を芝生に戻させた。 こぼれる雫を拭い、眠る少年を見つめて子供は微かな逡巡を見せる。 頬を微かな朱に染め、子供は眠る少年の頬に顔を寄せた。 ………ほんの一瞬掠めた熱。それに少年が気付く事はない。 それでも……交わされた約束。 肩を並べられるその日までの別離を甘んじようと微かな笑みで風に囁き、子供は立ち上がった。 真っ青な空に、まるで溶けるように……反発するように。 子供は悠然と存在した。ただの一度も少年に別れを告げず、子供はその草原に背を向ける。 それは子供というにはあまりに切ない瞳を持つ……一人の男だった……………… 息を…飲む。それほどまでの思いを、こんな幼さでも持てる子供の存在に。 そして眇めた瞳に映るのは雄大なる子供の背。この草原のように全てを抱き締め癒せる魂。 その背を年相応にさせる事のできる少年は……いまだ眠りの中にいるのだけれど……… 眼前に座った師を見つめ、少年は小さく息を吐いた。 このところ調子が悪い。それは知っていた。 焦って…いるのだろうとも思う。子供に追いつきたくても……その背はどんどん先に進み、いまは見つめる事すら出来ない所までいってしまったから。 不安で……怖いのだ。待っていて欲しいなどとは思わない。ただ……追いつけない自分が歯痒くて腑甲斐無いのだ。 軽く俯き、自身の葛藤に唇を噛む少年に青年は苦笑した。 自身の不調の原因を解っているけれど……肝心な所で少年は抜けている。 噛み合わないパズルは…ただピースが足りないだけなのだ。 まだ造り上げていないそのピースを与えるぐらいの手助けは……構わないだろうと、青年はいまどこにいるかも解らない子供に囁く。 応えなど返らないと知っているけれど………。 「お前さ……爆が旅に出る前日、ここに来たの知ってっか?」 「…………え……?」 唐突に思い描きもしなかった事を尋ねられ、少年は目を見開いた。 その反応はあまりに予想通りで思わず青年は吹き出してしまう。 そんな青年を見てからかわれたのかと少年は眉を顰めて青年を睨む。 どうにか笑いをおさめ、青年は少年に声をかけた。 ………それはかなり時間を要したけれど。 「わりぃー、わりぃー。あんまりにも予想通りだったからついな。……で、知らねぇか?」 「………知りません」 青年にだけ会いに行ったのだと少年は拗ねたような声で小さく答えると俯く。 勝手な勘違いをしている少年に喉の奥で笑い、青年は愛弟子に囁きかけた。 「そっか……。お前の寝顔見て泣いてたけどな?」 「……なっ!?」 青年の言葉に驚いた少年は思わず立ち上がって間近な青年に詰め寄る。 困惑と不安と……深い思いで揺れる赤を見つめ、あと少しかと青年は心の中で優しく笑う。 拙さだけを胸に懸命に生きてきた少年と、潔さを心情に毅然と立つ子供。 あまりにチグハグで……それでも不揃いと思った旋律は思いの他優しい音色を醸した。 それを……見つめていたい。父にも似た感覚に苦笑し、青年は少年の頭を軽く叩く。 「わからねぇか?あいつはお前にだけ会いに行って……お前にだけ泣きかけた」 意固地なほどプライドの高い幼子。弱味を見せる事を厭って泣き顔など決して晒さない。 それでも……少年の前だけでは見せたのだ。その意味に気付けと青年は囁く。 見開かれた少年の赤が……海に浸って揺らめく。 寄せるさざ波に止め処なくこぼれるその青を……青年は乱暴に拭う。 「……会いたい……です……………」 波に流されそうな少年は、隠す事もないそれを晒したまま青年に小さく呟いた。 それを受け止め……けれど青年は首を振った。 「……あいつの思いを無駄にする気か?」 微かな囁きに、少年は切なそうに眉を顰め……はっきりと否と応えた。 痛みも苦しみも、全部たった一人で抱き締めていまも独り戦う子供が望んだのはたった一つ。 この先を共に歩める少年だけ。……それならそれに応えうるだけの力を身につけなくてはいけない。 吐き出した遣る瀬無さを抱き締めて…少年は空を仰ぎ見た。 どこにいるかも教えられていない子供は……それでも同じ空の下、自分を待ってくれている。 見えない背は、それでも伸ばした腕を迎えてくれる。 ………強くなりたい……と。 少年は流れる涙の合間で青年に囁く。 自分の為だけでなく、どこかで寂しさを抱えた子供を温められるだけの強さが欲しかった。 握りしめた少年の拳を青年は見つめ、優しく囁く。 お前なら必ずなれると……静かに風にのせて……………… |
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