見つめていればわかる事。
それはまるでパズルを組み立てるように容易で。
………けれどあまりに難解だった。

多分誰も気づけない。
気づかせないよう培われているその性情。
毅然としたその小さな背中。
………どれほどの痛みに耐えているの?

腕を伸ばす事を恐れている小さな吾子。
自分のことで思い煩わせる事を罪悪と思う愚かな幼子。

罪も穢れも途方もなく注がれたこの身で浄化など出来ないけれど。
それでもどうかと祈っている。

――――――――縋る腕をとらせて下さい。





知らないままで……



 小さく脈打つように鼓動が揺れる。
 ………いつも、こんな感じだ。このたかだか10年そこそこしか生きていない子供を前にすると。
 瞳から全てを覗き込むような深遠さ。いっそ断罪された方がましだと叫びたくなるときもある。
 風もない室内、僅かに揺れた子供の髪に歩いた事を知る。足音すら、消して。
 戦う事を知らなくてはいけなかった、哀れな生け贄。称号と使命と、確かな実力とを与えて自らの世界を守るために針の塔に捧げられる雁字搦めの戦士。
 生きる限りつきまとうその名を、けれど誰もが焦がれるように仕組まれた過去。
 静かに吐き出した呼気は誰にも気づかせない。そうして、笑んでみる。どこか余裕を孕んだ大人の笑みで。
 ………それに返されるものが苦笑ともつかない笑みと知ってはいるけれど……………
 小さく笑う、気配。
 どこか朧に感じるのは自分がいま集中していないせいか。あるいは、本当にその存在が微かになっているのか。
 戯れ言のように考えたことにゾッとする。
 ……………あり得ないなんて、言えない。それを自分はよく知っている。
 自らを傷つける事を恐れない愚かさをこそ愛しいと思う事は認めているけれど、だからといって命すら捧げて生きろなどとは思わない矛盾。
 いっそもっと我が侭に、何もかもを振り切ってひとりずる賢く生き延びてくれればいいのに。そうしている振りをしながら、誰よりも傷を負う。誰にもそれを気づかせずに…………
 なんて嫌な既視感。
 自身の過去が蘇るなんて、この子供を穢しているようなもの。汚濁さえ心地よく思っていた昔なんて思い出したくもないのに。
 それでも消えないのは、きっとその目が突き付けるから。
 ………近付いた気配がより一層濃くなる。視線の音さえ聞こえそうだ。
 子供の手にある重い本が視界を掠め、それすら内包する事を恐れるように瞼を落とす。息すら、苦しい。錯覚とわかっていても物理的に喉を締め付けられているような気がする。
 暗闇に支配された視界の中、それでも感じる気配がほんの少し苦笑する。
 ……………………いっそ愚かしいと嘲ってくれたなら、もっと気が楽なのに。
 微かに響く絶対の音。鼓動さえも手繰れるそれは、けれどひどくまろやかに注がれる。
 「随分息苦しそうだな………?」
 微かな疑問をとりながらも、それは確信に満ちている。
 おそらくは自分が与えている事を知っているのだろう声音は、どこか自嘲げだ。
 戯けて答えようと口をひらきかけ、けれど目を閉じた状態でどれほど誤魔化したところで何の意味もない。
 どうも、うまくいかない。
 いつだって余裕を振りかざして周りを振り回すのは自分なのに、この子供を前にしたならいつも慌ててばかりだ。余裕もなにもありはしない。ただ取り繕うのに必死で………擬態すら壊される。
 我が侭な幼い頃に、戻ってしまう。
 開きかけておきながら噤んだ唇を眺め、爆は軽く息を吐く。
 時折……本当に時折、まるで溺れるようにこの男は息をする。
 それでもそれを自分には見せたくないというように笑んで誤魔化す。うまくやっているつもりであるなら愚かだと言えるほどの稚拙さで。
 それでも知っている。
 見せたくはないその理由も、誤魔化す仕草さえぎこちなくなる意味も。
 自分にも覚えのある感覚。
 …………それでも彼は、気づきたくないと囁き目隠ししている。
 どこまでも自分を美しい生き物に仕立て上げたがる、我が侭で傲慢な男。
 「窓も開けずにいるからだ。たまには換気をしろ」
 近過ぎた気配を遠ざけ、わかるように足音も落とす。
 その変化さえわからない余裕のなさ。ほっと吐くその息が無意識である事は薄く開かれた視線でわかるけれど……………
 いい加減、失礼とは思わないのかと時折糾弾してやりたくなる。
 もっともそんな真似をしたなら行き先をなくしたこのやりきれなさを吐き出す事もどうせ出来なくなるのだろうけれど。
 自分を器用なのだと思い込もうと必死な、不器用極まりない男は、それでも無意識ですら自分に縋る事を恐れている。
 まるで空を羽撃く鳥のその翼を手折るのだというかのように……………
 からからと微かな音とともに開かれた窓。清涼な風が頬を過り、涼やかさを贈った。
 室内を循環しながら緩やかに流れる空気の道筋を眺めながら爆はいまだうずくまる自分よりも大きな青年に声をかけた。
 「今日は随分静かだな。声をくれてやったのか?」
 人魚姫のように。
 微かな揶揄とともに呟いてみればムッとした気配。
 わかりやすい変化さえ、多分本人は気づいていない。余裕のなさとか、幼くなる瞬間とか。なによりも、その無防備さを。
 それがあまりに殊勝で、……あまりにも儚くなる。それこそからかいが揶揄でなくなってしまいそうなほどに。
 瞳の中に微かな悲哀。もっとも、それを掬いとるほど今の青年に自分を見る余裕はなさそうだけれど。
 「…………お前にはわからねぇよ」
 ぼやくようなほんの微かな掠れた声。
 拗ねたような不貞腐れたような………寄る辺なき声音。
 囁く事を恐れているくせに、ほんの少しつっつくだけで零される本音。
 そして零した事を恥じるようにムッとした顔で唇を引き結ぶ。…………傷つけたいわけではないのにと、泣きそうな瞳で。
 届いていない事を祈る仕草に苦笑がもれる。その程度の音で、傷つくわけがない。
 もっとずっと傷つく言葉がある事くらい知っている。それらは故意に傷痕を残すための音。自分を思って零されたものに、本当の痛みを植える事なんて出来ない。
 ………傷ついた記憶すらやわらかくする思いがあるなら、厭う気もない。
 「そうだな」
 だから答えた言葉は至極当然の音。
 変わる事のない声音。それは多分、意志すらも。
 それがどうしようもなく苦しい。いつだって苦しげなのは相手で。その痛みを構築するピースの自分は加わっていて。
 …………それを知っているくせに許されて傍にいる。
 茨に抱き締められるように絶えず痛みがこの身を抉る。それでも離れる事も出来ない愚かしさ。互いを傷付けない一番の方法を知っていながら、それをこそ恐れている。
 気づいていたから。小さな身体で必死の虚勢。痛みを痛みと思わないように自分に暗示をかけている悲しい仕草。
 掬いとりたくて………抱き締めたくて。大丈夫なのだと囁きたくなって伸ばした腕。
 その全てを思っていながら、願っていた。自分にもと。

 そうして救われたのは、自分か子供か。

 詮無き問いを繰り返し、幾度自身を嘲っても答えが変わらない。
 ………救われたいと願ってばかりで、支える事も出来ないのか。
 吐き気すら傲慢な物思い。噛み締めた唇を眺め、子供は軽やかに息を吐く。
 「お前も、俺を知らない」
 そしてそれが当たり前。
 知らしめるように笑んでみれば、俯いた顔が微かに持ち上げられる。
 驚いたような瞳のあと、極まり悪げに笑んだ。どこか申し訳なさを孕んだままの、素顔で。
 痛みも傷も、確かに重要。それを救ってくれる御手も大切。
 けれどそれだけで生きているわけではないのだから。
 ………全てをわかれなど、誰も思わない。ただ気づこうと思ってくれるその思いが欲しいだけ。
 それだけで、十分なのだから。
 近付いた気配。ゆったりと歩む幼い足先を、今度は微笑みが待ち受ける。
 逃げない視線と伸ばされた腕。
 微かな謝罪とともに抱きとめられた細やかな肢体は、それを許すように微かに笑んだ。

 何も出来なくて当たり前。
 できるなんてただの傲慢。
 …………だからどうか祈らせて。

 その腕をとるために、いま自分がいるのだと。

 








なんだか昨日カイ爆で激視点書いていたら妙に書きたくなった激爆。
相変わらずねちっこく根暗な師匠(笑)

なにもかも全てをわかって欲しい、という欲求はあると思います。
でもそれは、微妙に本当に欲しいものでもないかなーとも思います。
自分を知ろうと心砕いてくれる相手が欲しいのであって、何もかもを知られたいわけでもないんですよね、人間って。
我が侭で微妙な所です(笑)
でもだからこそ、相手を知りたいなと思うのもまた人情ですが。