ふとした時に、思い出す。
それが少し腹立たしくて苛立たしい。
生きる世界は闇夜の中で
見える光は月明かり
太陽を教えてくれた子供のために
対峙したなら……歪んだ月夜
感情とは別次元の意識
未だ知らない赤子のよう。
生きる世界は闇夜の中で
見える光は月明かり
同じ闇夜に包まれて
光の見えないその瞳の中に
漆黒の命を映す。
………それならば対峙を畏れることもないのにと、微笑もう。
闇夜の底の、月明かりの及ばぬ影で。
月の雫の冠
まだ闇が支配しきらない空の中、小さな影が荒れた地を歩む。崖の上からそれを視認し、知らず笑みがもれる。
音もなく地を蹴り、身体を押し上げるような風の抵抗を無に帰し、ふわりと舞うような軽やかさで少年は遥か上空にあった崖から、子供の歩む地面へとその身を落とした。
すぐにその動作に勘付いた子供は歩みを止め、こぼれ落ちた流れ星のような早さで現れた黒い影を見遣った。
その視線に気付き、黒衣に身を包んだ少年は柔らかくほころぶように笑んだ。
「………お久しぶりです」
息すら乱さずに、まるでずっとそこにいたかのような風情で呟く相手に、子供は苦笑する。
「相変わらずだな」
音もなく気配すら稀薄で、まるで存在自体が掴めないこの国の元GCは、けれど訪ねれば必ず己から顔を出す。あたかも初めから傍で歩んでいたような顔で。
それに笑みだけで返答を返し、少年は子供が歩む先を見るように視線を漂わせる。それに合わせるように子供の面も動き、示されたのは、ランプの飾られた古木のある丘だった。
………一瞬だけ顰められた少年の顔に、子供は忍び笑う。
それは厭っているとか、拒んでいるとか、そんなものではない。自分に見透かされたことさえ彼は許すだろう。が、その原因を作った相手が脳裏に浮かぶ瞬間だけ、彼は隠しきれずに顔を顰めてしまう。
先導するようにして子供が先を歩き、それに続くようにして少しだけ後ろを少年が歩く。さくさくと、二つの足音が静寂の世界に響いた。
不思議な、光景だ。土は乾き木々は枯れ、空は太陽を孕むことのない闇。歩む生き物は、自分一人。そんな閉鎖された退廃的なこの国の中、子供は眩いほど躊躇いなく歩む。怯えも恐れも持ち合わせず、道なき道すら己で開拓する、人。
自分より若干小さな背中を見遣りながら、その頼もしさに苦笑する。………そんな風に依存するように頼ってはいけないのだと、知っているはずなのにと。
「今回は、どこから……?」
灯ってしまいそうな甘えを隠し、少年が問いかける。音を出すことで漂う寂寞を霧散させるように。
「イレブスの科学技術の調査が終わった。次はサーだな」
振り返らない背中は、………少し柔らかくした声を返した。
その国にいる人間を思い、少年の視線が僅かに鋭くなる。その鋭利さが子供の背を射抜いたのか、まるで見透かしたように彼は振り返った。
子供の先には、巨大な古木。いくつものランプを身に宿し、まだ藍色の空に黒くそびえている。
「…………いっておくが、調査の分析を激に頼むだけだぞ」
自分の専門外だと笑い、子供はたしなめるような声で言った。けれどその声の中、柔らかく響くものは確実に自分が思い描いた相手へ向けられたものだ。
それへの悋気を持っているわけではない。ただ、憂えてしまうだけだ。憂えなければならない相手を彼が選んだから、その相手の腑甲斐無さに憤りは覚えるけれど。
少しくらいなら呪術を施しても大丈夫だろうかと半ば本気で考えていると、子供の声が感嘆とした吐息とともに零された。
「また増えたな」
「………………ええ…」
子供の声にどう答えるべきかを悩んだのか、返答に奇妙な間が開いた。そのことに子供は視線を少年に向けたが、少年の視線は古木に向けられていた。
細められた視界は、見ようによっては苛立ちとも憤りともとれる。が、それは少し、本質と違う。
それを思い、喉奥で子供が笑う。自分の声の色にはあれほど機敏に反応するくせに、己のまとう色には随分と鈍い。
歩を進め、子供は古木のすぐ傍までやってくる。もう少し暗くなれば、少年がランプに灯をともすだろう。その幻想的な風景を思い出し、いとしむように唇が笑みを象る。………灯火を送るための風を起こす、もう一人の少年を思いながら。
「……しかし、ずいぶん個性的だな」
子供は古木の根元に進み、うねる根に足を乗せると一番間近な枝に手を伸ばし、見覚えのないいくつかのランプを指先でたどった。そうして、シンメトリーという言葉を無視した凹凸に呆れたように呟く。その原因は予想がつくが、それにしてもと、苦笑が漏れた。
「…所詮鳥ですから……。細かい作業には向きませんね…」
ランプを携えてくる日は必ず、手といわず腕にまで傷を付けている馬鹿な鳥を思い出し、少年は呆れたように息を吐き出す。器用とは言い難い無骨な指は、戦闘以上の傷を負って小さなランプ一つと激闘してばかりだ。
懲りない鳥だと、幾度いったか解らない。その度に鳥は自分を見上げ灯火に揺れるランプを見て、綺麗だからと笑うのだ。
傷だらけの手に包帯を巻きながら、馬鹿な鳥だといっても、きっと彼は笑うだろう。そうしてまた、傷だらけになってランプを持ってくるのだ。
止めさせたいなら、これ以上かける枝などないと、たった一言いえばいいだけのことも………知っているのだけれど。
吐き出された溜め息の中の、ほんのひと欠片を見つめて、子供は爪弾くようにしてランプから手を離す。
その指先を見つめる少年が何を思うか、自分には解らない。けれど想像するくらいは許されるだろうか。
美的感覚は、多分自分よりもずっと少年は秀でているだろう。音楽を愛でることは芸術を愛おしむことに似ている。その感覚の中、自分でも解るこの不格好なランプを、それでも拒まなかったのか。
少年には不要なランプ。訪れる鳥のための、目印。増えれば増えた分、少年に隠れる場所を減らしていく。
黒衣に身を包み、闇の中に紛れてただ生きていた少年。鍵盤を奏でる指先だけが、血の通う証。………それがゆっくりと瓦解する。
その理由の単純さを思い、子供は自分を見上げる少年と同じ位置に立つように、古木の根から足をおろした。
「そうだな。所詮、惚れた弱みか」
お互いにな、と、からかうような声音で付け加えればあからさまに顰められる顔。
「お互いでは……」
「そうか?」
目を瞬かせ、意外そうに子供が声を返せば、少年は未だ顰められたままの顔で言葉を継いだ。
「そうです…大体、勝手に来て、勝手に居座って、勝手に……帰っていくんですから………」
少しだけ急ぐような、そんな声。
思い立ったらすぐに行動に移すことの出来る、未だ幼い少年は、それ故に向こう見ずで無鉄砲だ。いつ来るという約束もないし、約束というもの事態、お互いに厭っている。
だから多分、取りこぼし続けるのだ。すくい皿がないのだから、こぼれ落ちるままにいつかは消え失せる。
そういう、種の、ものだ。
微かに眼差しを下げ、少年は感情を飲み込むようにして唇を噤む。言葉に換えたものと、換えられないものを分け隔てて打ち鎮めるように。
「僕には関係…ありませんよ………」
いつもと同じ、少しだけ掠れるような語尾。消え入ることを受け入れる声音。
それを眺めながら、その辿々しい情のあり方に子供は手を伸ばす。
ふうわりと、風と同質の軽やかさで漆黒の髪をすくうようにして撫でる。さらさらと音さえ醸して流れ落ちた毛先が、空気の闇に溶けながら、こぼれ落ちてくる生まれたての月明かりに輝いた。
たぶんきっと、お互いに謎掛けのままの二人。ほんの少し遠くから見ていれば、こんなにも鮮やかに映るのに。
自分達もまたそんな風に見えてしまうのかと、若干の自戒を込めて、子供は笑んだ。
相変わらず力強く人を引き寄せる、その笑み。知らず視線を注ぎその唇が音を紡ぐことを少年は祈った。
それを知っているように子供の唇が音を奏でる。澄んだ空気の中、注ぐ月明かりを縫うように。
「だから、ランプがあるんだろ」
声は幼いくせに、揺るぎない。………まっすぐに人に与えることを躊躇わず、恐れない。見惚れるようにその音を見つめ、少年はやんわりと高貴なものを見つめるように睫毛を落とす。
「ここに戻れるように、迷わないように。それでいいだろう?」
手繰るように、招くように灯火が揺れる。それが途絶えることを願わないのなら、それこそが答えなのだと。取りこぼしたものを拾い集め、優しい火に焼べ、まろやかな光彩を生めばいい。
楽しいなぞなぞを解くように、子供が笑った。
その子供の髪を染めるように月明かりが落ちる。つややかな黒が光沢を持ち、淡い輪郭をともす。それはどこか、王冠のような煌めき。
それを見つめながら、少年は幽かに息を飲む。言葉にも形にもきっとこの先換えることのない感情は、おそらくは誰の内にも秘められている。それがあると自覚するかしないかは、形を定めることと同義ではない。
…………だからその言葉一つくらいは受け止めてみよう、と。
世に二つとない王冠をいただく、ただ一人の子供の声に、少年は笑んだ。
満足そうに笑った子供は、不意に何かを探すように辺りを見回し、ついで空を見上げる。生まれたばかりの月は仄かな明かりを静寂に染まった世界に降り注いでいる。
その月を食むように、小さな小さな影が灯る。
振り返る子供が目に映した少年の顔を、きっと、この世の誰も知りはしない。
なんといいますか。
…………デッドが鳥への感情露にすること自体、怖いんですけど(オイ)鳥のこと語るデッドを見るにはどう考えても話し相手が爆になる以外の選択肢がないし。
そんなわけで爆の登場はある意味デッドに必須ですね☆カイが出てきたら呪われるけどね………。
06.7.25