空から舞散るのは美しい花弁。

雪のように儚くもなく

けれどどこまでも透明な存在。

穢れなく降り注ぎ

地に落ちて踏みにじられる

まるで天使のような、花弁。

どうかどうかと祈る愚かしさ。

それでもどうぞ、穢さぬままに。

君は君のまま、生き抜いて下さい。





空色の花弁



 ふと思い付いたのは、ただの気まぐれだった。
 だから何も考えずに得意のテレポーテーションで場所も移動したし、なんら手土産も持たずにそのドアを眺めた。よく耳を澄ませてみれば中に人がいることは解り、だからこそ、何の躊躇いもなかった。
 別段珍しくもなく、特に何の注意もしないでそのドアを叩いてみる。
 僅かな間の後に足音のないまま気配が近付く。無意識にそうしている辺り、底知れなさが見えた。
 緩やかにドアが開けられる。呼び鈴もなく、ノックだけでよく聞こえるものだと思わなくもないが、そうした五感は常人よりも相当優れた子供だ。当然だといわれればその言葉で納得してしまうしかない。
 開かれたドアの先、いつものように笑って軽く手を挙げる。
 ………あからさまに相手は顔を顰めたけれど。
 「……………貴様か」
 憮然とした音で子供が呟き、息を吐き出す。まるで厄介ごとを請け負った大人のような仕草。
 小さな身体で大人の仕草。そのアンバランスさが子供を同世代の中から大分浮いた存在にしているのは解っているが、自分のようなタイプから見れば苦笑を誘う程度だ。
 「とりあえず、中入っていいか?」
 ドアの前に仁王立ちしたままの子供に軽いノリで問いかければ、すっと身体が横に流れる。とりあえず、中に入ることは許されたらしい。そう思いながら、やはり笑みが込み上げる。
 この子供は聡くて。大抵の人間の前では幼さは見せず毅然としている。
 それでも自分のような老獪な人間から見れば、気を張っているだけの幼子と大差がない。もっとも、そんなことを子供にいったなら追い出されるのは目に見えているのだが。
 靴を脱いで中に入り先導する子供の示すままに、居間のソファーに腰掛けた。
 子供ひとりで住むには少々大きなその一軒家は、けれどひどく居心地のいい場所だった。だからついソファーの上にだらけてしまいそうな自分に苦笑する。
 すぐに戻ってきた子供の手には盆があり、軽いお菓子と茶が乗っていた。
 それを見ながら好都合だな、と、ソファーに背をもたせかけながらぼんやりと思った。
 目の前のテーブルに子供がそれを置こうとする。その仕草を遮るように、激は声をかける。どこかいたずらっ子のような茶目っ気を含めながら。
 「なあ、花見しねぇか?」
 「…………は?」
 「じゃ、いこうかね」
 唐突な言葉に子供が顔を顰めた頃には激は腕を伸ばし、爆の腕を掴んでいる。いつの間にか逆の腕には盆が軽やかに乗せられていた。
 それに気付くよりも一瞬早く、空気が振れて脳内が微かに歪む感覚。………肌が感じる空気が一瞬だけ冷たくなり、鳥肌が立ちそうになる。
 その僅か数秒の感覚を耐えて目を瞬かせてみれば、そこには先ほどまでの己の家の今ではない景色が広がっていた。
 …………他人のテレポーテーションに巻き込まれるのは初めてではないが、正直、あまり好めない。何の覚悟もない状態で突然なら尚更だ。
 不機嫌な顰められた眉に、何かが柔らかく触れて……落ちた。
 「……………?」
 まだ何か悪戯を残しているのかと、顔を顰めて隣に立つはずの男を振り返るが、その顔は思っていたような悪戯っぽさはなく、どこか、柔らかな笑みだった。
 怪訝そうに見上げてみれば、目に映ったのは彼の顔。と、鮮やかな空の中に舞う、花弁。
 桜よりもやや大きい薄紅色や白の花びらが空をスクリーンに映し出されていた。
 それは……どこか幻想的な景色だ。見たことのない花弁。辺りを見回してみれば、桜によく似た木がひっそりと枝を伸ばしていた。その枝には密集してたくさんの花の蕾が見える。
 けれど花開いたものは見当たらなかった。が、降り注ぐ花弁の量は相変わらずで、不可解そうに眉を顰めれば、また頬に触れ鼻先を掠め、花弁はからかうように地に落ちた。
 まるで追いかけっこだ。子供の頃によくやる他愛無い仕草のようなそれは、不可解というだけで顔を顰めるにはあまりに鮮やかで美しい。
 「これ……は」
 かけた声は小さかった。もっとずっとはっきりとした音を出したつもりだったが、驚きと感嘆が混じった声はそれに相応しく掠れてしまう。
 相変わらず眼前の男は柔らかく笑み、どこか夢見心地なままだ。
 まるで、それこそ芸術作品を遠く眺めているだけのような、そんな現実感のなさ、で。
 思いいたり、子供はむっと顔を顰めた。
 彼のこういった穏やかさは大抵が落ち込んだ時などに見せるものだ。大丈夫だと己に言い聞かせるために必死になって自身を騙しているに過ぎない。
 そのうえ腹立たしいことにそうした仕草を、主に自分に対して行うのだ。その意味が解るといえるほど、自分は自惚れることは出来ない。
 愛しいから、とか。そんな単純な話ならまだいいのかもしれないと深く息を吐き出しそうになって、子供はそれを一度飲み込むと、ゆるやかな呼気を口から漏らした。
 それに気付き、憧憬に染まっていた眼差しに光が戻る。夢現つから戻ったような惚け方を目に入れず、子供は空を仰いだ。
 鮮やかな、青だ。
 そしてそれに染まりはしない花弁たちは、けれど空に溶けたかのようにその一部となっている。
 「な、結構凄いだろ?」
 ふと先ほどの言葉が聞こえたのかどうか怪しい相手は、けれどタイミング良く繋がっている言葉を吐いた。屈託なく笑う、仮面のような笑み。
 それを視界に入れず、子供は空を見つめる。言葉にも、答えない。
 「鳳仙花の種みたいに弾け飛ぶ花びらってのは面白そうだと思って、ずいぶん昔に作れねぇかやってみたんだ」
 実験自体は失敗だったが、この山のここに植えたこの一本だけは何故か蕾の後に花開かずに花弁を吐き出し、その花弁に付着した花粉で受粉する機能を持っていた。
 不可解な花だ。他に同種はないのだから、どれほど遠くまで花弁を散らそうと何の意味もない。ましてこの近くにはこの木以外は岩しかなく、花も草も生えてはいない。
 無駄な努力であることに変わりはないというのに、この木は毎年性懲りもなく蕾をつけては弾き、花弁を降らせていた。
 もっとも花を開かせず美しく瑞々しいままの花弁を落とすのだから、その様は壮観なのだが。
 別に桜のような、と思ったわけではなかった。それに面白い程度で着手したのだから頓挫しても一向に構わなかったし、木で成功例が現れるとも思わなかった。
 ただいくつかの特殊な条件と偶然、それに何よりもその株の突然変異性のおかげで、こうして今もその花びらは舞うことを忘れてはいなかった。
 簡単な説明をしている間、ずっと子供は空を仰いでいる。
 まるで言葉が語れないもののように、ただ空を。
 「それに………って聞いてるか?」
 不意にそう考えいたり、話していた言葉を止める。
 そうしたならその視線が空から自分に戻ってくると解っていたから。
 ………それなのに動かない、子供。
 見上げた姿勢のままでいるのは辛いだろうに、微動たりともしない。まるで本当にそこに築かれた彫刻かなにかのように。
 ぞっと、した。
 まさかと思い息を飲む。ついさっき単純に思い立って子供を連れてきたのだ。その子供が何十年もここに鎮座していた像な訳がない。
 子供はきちんと話すことが出来るし、その目でものを見ることが出来る。何よりも、自由に動き回り己の足で世界を駆けることが出来る。
 …………考えた答えに、背筋が凍りそうに、なった。
 「………爆……?」
 息を飲むような密やかさで問いかける。
 子供の名が、ひどく空虚に響いた。
 言葉には反応しないかのように思えた子供は、けれどまっすぐ見上げた空をそのまま目に映し、一度瞬きをすると、静かな音を吐き出した。
 「木は、動かないな」
 「…………」
 「周りには何もないし、こいつは実らせるものもないのだろう」
 淡々とした、声。
 子供は時折ひどく深淵で、自分が無意識で思っていたことさえ、看破してしまう。
 いまの、ように。
 「俺は自由に歩けるし、仲間もいる。成したいことがあれば、一人で成し遂げる」
 覚悟を知っている声は澄んで響く。清浄な空気のような、鮮やかさ。
 ゆっくりと、子供がこちらに目を向ける。ようやっと見ることの出来た子供の双眸は、澄み過ぎて透明色。
 まるで、花弁のように、空に溶ける。
 ゾッと駆け巡る、悪寒。
 「一人のために咲くような花に、なることはない」
 求めることの出来ない願いをいうなと、そう憂えるように子供は呟く。それはたとえ心通わせようと譲ることの出来ないものを知っている、己の歩みに責任を持つものの目。
 己で歩むことを知っているからこそ、眩いまでに人を惹き付けるのだと、自分とて知っている。
 解っているのだ。ちゃんと。自分一人のために生きるようになったら、彼は空に溶ける種だ。己の成すべきことがなくなればそれを悟ったかのように事切れかねない、種だ。
 彼の生きる理由に自分はなり得ない。………それくらいは、知っている。
 それでもほんの少し、夢を見たくもなる。この木のように、自分にだけ腕を伸ばすなど、浅ましいことだけれど。
 「知ってる」
 苦笑して、子供を見つめる。まっすぐな目は少し痛かったけれど。
 「それでも」
 顔を顰め、子供は言葉を続けた。それ以上は別にいいというように首を振る相手を許さず、まっすぐに向けたままの視線で。
 「自由に歩けるから、たまにはお前のところに、来れる。………それではダメなのか」
 一か所になど留まっていられない。それは自分というものの性質だ。
 それでも、否、そうだからこそ、自分は帰り着く場所を己で定めることが出来る。
 それではダメなのかと微かな不安を溶かして問えば、差し出されたのは、腕。まるでその顔を隠すかのように目を覆いながら……回されたのは両の腕。
 未だ幼いままの子供の肢体を強く抱きしめる。壊さないように、気をつけながら。
 己の思うがままにしか生きられず、一人のために咲くことの出来ない花を携えた人。

 自分のために、それでも咲くことが出来るのだろう。
 こんなにも彼の言葉で胸はあたたまるのだから。

 

 綻ぶ唇には、零れ落ちた花弁。
 ………それは日差しに透明に光り、地へと沁み入った。

 








 リクでは幸せな話、だったんですけど。
 ………あの、これは幸せ?幸せかな?
 個人的にこういう関係は好きなのですが。っていうかまるでカイと同じ位置?(それはどうよ)

 基本的に激爆は切ない系ばかりなので。
 うん、ほら、うちの激ってああだから。幸せすぎると不安になるタイプ。

05.3.7