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それはどんなに良く言ったとしても、美しいものではなかった。
もちろん、それらを研究する人間からすれば、どこかしらの良さはあるのだろうけれど。
ただ自分が見たそれは、醜悪に見えた。

 何もない場所で、それでも生きる。
 条件も何も関係なしの、命。
 その他者を求めない生き方は他者を拒んでいるようだ。

 自分、の、ように。

ああそれでも
そうであるというのに。

こんなにもそれに属して生きるかのような、あの小さな背を
自分は尊く清らかなものなのだと思っているのだろうか。



化学合成細菌



 「…………はぁ?」
 唐突な相手の言葉に子供は眉を顰め、傍目からも解るだけの不愉快さを示しながら、棘ついた声を上げた。
 それを心得ているかのように笑って受け流し、もう一度同じ言葉を彼は口にする。
 「だから……まるでお前って細菌じゃね?」
 「…………火山と深海、死ぬならどっちの方がいいか、希望くらいは聞いてやるが?」
 あっけらかんと返された青年の言葉に、氷のように冷たく響く子供の僅かに高い音が響いた。それは底冷えするほどに苛立ちを秘めている。
 そんな子供の声を、まるで愉快なリズムに耳を澄ませるような顔をして聞きながら、青年は屈託のない笑顔を晒した。
 ………どこか、それは胡散臭いまでに鮮やかな笑顔。
 それを確認して、子供は眉を顰める。先ほどまでとは違う種類の不愉快さが身を占めた。
 彼がこんな顔をする時は大抵、負の感覚をやり過ごすためだ。鮮やかに笑い、自らの中に入り込む言葉の全てを拒絶する。
 その上、年輪を重ねただけに青年のそれは、打ち破りがたく気付かれることも少ない。子供でさえ、気付くことが困難な時があるほどだ。
 そういった意味ではこれは随分解り易く晒された方だ。………もっとも、この後こそが面倒な問題なのだが。
 「流石に俺もそんな場所じゃ生きられねぇな」
 「当然だ」
 戯けた風に答える青年に、即断言する子供の声が重なった。腕を組み居丈高なその様子は、けれど同時にひどく必死さを垣間見せる。
 引き結ばれた唇は綴る音を間違えぬように僅かに緊張をしている。射抜くほどに睨み据えた瞳は一挙手一投足とて見逃さぬつもりだろう。
 どうしてだろうと、青年は目を細め笑みを深めた。
 この子供はどこへとて奔放な魂のままに赴き、その先々に受け入れられて生きることが出来るだろう。
 自分のいる世界にだけ存在する、そんな輝きではないし、そんな不自由さはこの鮮やかな子供には似合わない。
 解っているのに……それでもどうして、この淀む物思いは吐露されるのだろうか。
 際やかに羽撃くこの幼い命の美しさを愛でながら、それでもこの泥まみれの居場所にいて欲しいと求めるような、醜悪さ。
 自覚しているから笑みが洩れる。その穢れを少しでも気付かれたくなくて笑んだ唇は、どこか滑稽な泣き笑い。
 「でも、お前は生きられそうだろ?」
 微睡むように惜しむようにいう言葉は、現実を見つめれば不可能極まりないことを悔しそうに呟いた。
 まるでそうであることを悔やむようだ。…………それが、まるで真実なのだというような、声。
 「…………一応、俺も人間なんだが?」
 呆れたように息を吐き出して応えてみれば、写ったのはどこか焦燥を孕んだ青年の瞳。
 その唇に象られた笑みとは正反対のその色に、もう一度子供は息を吐き出した。今度のそれは正真正銘、呆れたためだ。
 何を考えているかなど解るわけもない。自分は彼の何分の一を生きたか解らないほどの身だ。
 彼の抱える深淵は、自分では垣間見ることは出来ない。同様に、自分の抱えるものも、彼の目には映らないのだが。
 不安を彼はいつだって抱えて生きている。それは年経たが故の焦燥なのかもしれない。
 幼い自分には希望や夢に掻き消されて見えない闇や恐怖を、今まで幾度となく目の当たりにしたのだろう彼には、まざまざと見えるのだろう。
 遠くへと旅立つ自分を送り出す前日、決して腕を解けずに眠る様は失う恐怖を知っているからだろうし、離れることで途切れることを知っているからだろう。
 難しいことなど考えずに生きればいいと明るく笑うくせに、その実、彼こそがもっとも難解な生き方をしているのだ。誰よりも笑うことに長けた、奈落の底さえ包み込んで隠す、愚かな青年。
 「第一、火山や深海では酸素がないのだから、エネルギー代謝が出来る筈がないだろう」
 現実的に不可能なことで物忌みに捕われているなと顰めた眉で突き付けてみれば、ふわりと、青年が小さく笑んだ。
 …………それはどこまでも遠い、自分の知らない何かを悟り生きてきた者の笑み。
 息を飲んでそれを見つめてみれば、歌うように滑らかに青年が囁く。どこまでも穏やかな微笑みのまま。
 「原始の地球には、酸素なんてなかったんだぜ?」
 その様さえ見知った光景のように呟く姿。あり得るはずのないことを一瞬夢想しそうになり、子供は否定するかのように首を振った。
 彼は確かに長い、永劫とすら言える時を生きはしたが、決して生物種の根源からを見守ってきたわけではない。その身は確かに人間の血肉で出来ており、人間が誕生したのは、生物史を考えたなら極最近とさえいえるものだ。
 「それでも適応する生き物はいて、そいつらは酸素なんて使わずに生活エネルギーを作れていたんだ」
 見知った物語を語るような軽やかな口調は、単純な理だった。ただそこから一体どうしてあんな発言に繋がったのかが、解らない。
 解らないから、口は挟まなかった。言葉を添えることで中断される音の存在を惜しみ、子供は耳を澄ませて青年の音を聞き取る。
 あまりにも自分は、彼に比べて無知だ。彼の思うものの半分も自分は知りはしないだろう。
 ………けれど、だからこそ、自分は彼の法則を打ち破る術を携えることもあるのだ。
 「でもな、そういうのの子孫とはまた別に、へんてこな生き物もいるの、知ってたか?………『化学合成細菌』っていうの」
 耳慣れない単語に子供は首を振り、眉間の皺を深めた。………どうせ碌なことな訳がない。それだけは嫌になるほど解っていたから。
 彼はどこか厭世的だ。そしてもっと厄介なことに、己自身の価値を否定したがるのだ。
 生きていることさえも時として拒みたがるような、そんな危うい脆さを内包している。そうであるが故に、彼はいつだって道化を演じ続けてもいるのだろうけれど。
 「そいつは還元状態の単純な無機物を酸化反応させるんだ。その過程で生活エネルギーを作り出して生きている。…………解るか?」
 その問いかけは一見、自身の講義内容は明快かと問うているように、聞こえた。
 頷きかけて、子供はけれど止めた。
 淀んだように優しい彼の目。穏やかな口元には微笑。難解な言葉を操りながらも、その声は静かなさざ波のように伸びやかだ。
 本当に、くだらない。
 子供は苛立たしさが込み上げる自身の感情を吐き出した息で押さえ込み、青年を見据えた。
 「そんな生き物がいて、だからどうだというんだ?」
 何を自分に見せつけたいのか、段々とそのベールが剥がれてきた。どうしてこの男はこうも不器用に自身の心情を訴えるのだろうか。
 もっと単純な言葉で与えればいい。そうであっても別に侮蔑や軽蔑を向けるつもりはないのだ。それでもどこまでも己の価値を信じられない青年は、愚かな方法でばかり自分に答えを求めるのだ。
 本当に、くだらない。
 …………一人で生きないでほしいと、ただそれだけを言えばいいではないか。
 たったひとりで全てをまかない生きるように自分が映るのだと、そんな例え話ではなく。
 人のことを細菌呼ばわりして苛立たせて、こ難しい講義まで行って、結局伝えたいことはそんな単純極まりないこと。
 「生活エネルギーが生産出来るということは、その細菌が他の何らかの生物を生かしているということだろう」
 その単体のみで生きられる細菌を餌とし、そうして生きる微生物は当然存在する筈だ。どんな小さな生活空間であっても、必ず食物連鎖は存在し、生産者が現れれば消費者が生まれるのは必然だ。
 そして、そうであるが故に生物は単体のみでは存在しない。そこにどのような理由があるかは多種多様であったとしても、互いが影響しあう命が寄り添いあう。
 「なら、単体のみがあるわけじゃない。………そうじゃないのか」
 単独種のみの生ではないはずだと、幼い声は真摯に呟く。
 真っ直ぐに、淀みすら知らない静謐な音。
 子供の答えに青年は小さく笑い、困ったように眉を顰める。どこまでもどこまでもこの小さな命は清らかで、手放すべきだと思いながらも、やはりこうして飛び立つ彼に枷を与えてしまう。
 逃げないで、と。
 傍にいてほしいのだ、と。
 決して言葉には出来ない浅ましい祈り。純化されるべき知識にそんなシミを落とし、子供に植える。そのこの上もない背徳的な講義はどうだろうか。
 それでも子供はそんな穢れさえも昇華して、廉潔な命のままの音で煌めかせるのだ。
 本来あるべき、尊き知というその姿へと還元して、子供は自分の携える濃密な……毒とさえなる要素を生かすための姿へと換えていく。
 なんてそれは美しい行為だろうか。…………こんなにも汚濁に塗れた身さえも浄化するほどに。
 「………………いっそ、単体だけで生きられれば……良かったのにな」
 小さく独白のように呟き、青年は視線を険しくした子供の腕をとり、引き寄せた。
 温かなその身体を腕の中に納め、息を吐き出す。この先幾度も子供を見送るだろう。行ってこいと笑い、その背を押して。
 そうして、いつか見知らぬ地でその命の終焉があっても、きっと自分は知らないままだ。帰ってくる彼を、ただこの土地で待つだろう。
 どこまでも浅はかで………収縮する終焉のみを晒す、生だ。決して他者を受け入れそのために糧となり死ぬことはないのだろう自分が、それでもこの腕の中に包むことを許された、命。
 その迸りのままに生きる子供を手放すべきだと知りながら、それでももう自分はこの命なくして生きることは出来ない。
 もう………とうに手遅れだ。
 切なく笑い腕の中の存在に唇を寄せれば、顰めた眉を解かぬまま子供は与えるように瞼を落とす。

 それでも決して一か所には留まれぬ現実が、苦味を唇に与えた。

 








 久しぶりの激爆です。初めはこのネタ、和也とシスターにしようかと思っていたのですが(ハビタットとリンクする感じで)内容が暗くなったので激の方が似合うなーと。
 うん、うちのサイトの激はそんな奴だ。そして別にだからってアンハッピーエンドな訳じゃないのよ。病的な感じでハッピーエンドなだけ(やだな、それ)

 今回の話は熱水鉱床にいたチューブ・ワームと化学合成細菌の話から。見事なくらいの閉鎖的環境だね☆

05.11.30