この世にある全てのものをこの腕は手にしただろうか。
そんな不可能なこと、ある筈がないけれど…………

それでも思う。

もう与えなくて構わない。
充分……自分は与えられてきたから。

何も望まない。
何も願わない。

………だから与えさせて欲しい。

たったひとりあなただけに。
この身に詰め込まれた全てを捧げよう。

あなたがより輝ける為の肥やしに……なりたいから……………………





あまねく声の求むもの



  空が高くなった。
 不意に見上げた青を見つめ、子供はそんなことを思う。
  駆ける雲もない水色一色の空はどこか寂しげで、ひどく遠い。
 思わず伸ばした腕は……当然ながら空を掴むだけでなににも触れなかった。
 「………どうした?」
 それに気づき、青年は軽い笑みとともに声をかける。
 柔らかい、透き通った声音。それが耳に触れると子供は伸ばした腕を握りしめ、上体を起こした。
 微かに高くなる視線。……が、空はなおも遠い。
 微苦笑とともに幼い指先が空を指差す。
 それを視線で追い、青年は合点がいったように笑った。
 声に出さなくとも繋がる思い。……それを確かめて喜ぶような、やわらかさも含めて。
 どこか……包みこむような深さをその笑みは携えていて、子供は不貞腐れたように眉を寄せる。
 その眉間に口吻けを落とし、青年は囁きかける。
 甘く……微かな澱みを含む囁きは深く子供の耳を侵す。
 「空に……行きてぇの?」
 だったら方法を教えてやろうか、と…………こぼれる笑みさえ幼く淡い。
 それに本格的に子供は眉をしかめる。
 声の中加わる深淵がなんなのか……まだ子供には見えないから。
 それでもこの声は隠されたもの。………闇の中もがき続けた青年は、素直な笑みの裏側に押し隠したなにかを抱えているから。
 決して自分には見せまいとする、深過ぎる青年の澱み。
 …………幼い自分には抱えきれないからと、小さく笑って青年はいつもそれに鍵をかける。
 勝手に決めつけて、笑う時の顔を知っているのだろうか…………?
 こんなにも幼く………あどけない。
 誰もが騙される、青年の防衛線に自分はかからない。………かかる気はない。
 それをどれほど厭っているかも…………知っている。
 否。………厭うのではなく、悲しんでいる。苦しんでいる。
 曝け出したくても出来ないことを、ではなく……………子供に気づかせてしまった事実に。
 「………くだらん」
 物思いに耽った自分の行き着いた言葉は、つい言葉として形どってしまった。……もっとも、青年への返答としてもそれで十分だったけれど…………
 その声の深さにきょとんと青年が目を丸める。
 何故に子供の機嫌が悪くなったのか、考え込むように小さく眉が寄り………視線がやわらかくなった。
 それを見ないように逸らされた視線。………感謝を刻むように青年は小さな子供の肩を抱き寄せた。
 抵抗もなくそれは自分の腕の中に収まる。
 それに苦笑がもれる。………嗚咽を含むそれを零すまいと、青年は子供の身体に回した腕に力を込めた。
 喉の奥に、なにかが蟠る。
 それさえ飲み下し、青年は囁く。……………その声に震えさえ滲ませずに。
 「ったく…………。気づくなよなー、お前は」
 僅かに戯けた調子で、やわらかくいう姿はきっと周りから見れば変わらない青年。
 それでも子供は知ってしまった。……気づいてしまった。
 青年は…………変わる術を失った、時の囚われ人。
 凍ったその時を溶かしたくて、伸ばされた腕を甘受した。
 だからなにもかも曝け出せと囁けば……泣きそうに顔を歪めて、それでも笑った青年。
 それが歯痒くて、それでも自分ではどうすることも出来ないのも事実で。
 悔し紛れに包む青年の腕を握りしめる。
 …………どれほどそれが青年の心に響くかなど考えない幼気さで……
 縋るのではなく与えようとする子供の指先。
 包まれるのではなく包もうとするそれに……溺れたい。
 けれど……………
 「俺はもう……十分なんだぜ?」
 与えられることは……怖い。
 いつかこの幼い子供の全てを壊してしまいそうで……怖い。
 貪欲になのもかもを欲しがる自分を知っているから。
 もう……与えるものになりたい。奪うこともなく……奪われることもなく。
 ただ与え。願うままに与えて……息絶えたい。
 だから、この指先の価値に自分も貢献させて欲しい。
 ………踏み付けられるのではなく、世にも希有なる華を咲かせる為の栄養に……なりたい。
 「だから、俺の持ってるもん全部……お前にやりてぇんだよ」
 そうしたなら、この穢れた肉体に宿った全ては昇華され、いつかきっと実るだろう。
 汚濁に塗れた自分の心では、美しく咲かせることも出来ない数々の種。
 子供の内にある肥沃なる大地に……全て植え付けたいのだ。
 そうしてこそ……価値がある。自分の為になど、何一つ残らなくていいから…………
 望め、と……優しい瞳が切なく瞬く。
 抱き寄せた肉体はやわらかくあたたかい。
 ………いつの日かきっと誰よりも美しく華ひらく。
 それだけの価値を持っている。優しすぎるが故に、自分の中の闇にさえ手を差し伸べてくれた子供だから…………
 与えたい。………与えてくれた分だけ全て。
 自分にそんな価値はないけれど、子供を高みに昇らせる為の術くらいなら、この身に刻ませているから。
 縋るように額を自分の肩に埋め、囁く青年を子供は微かな溜め息を吐き見つめる。
 「………なんで貴様はそう自虐的なんだ…?」
 まるで肉食獣に自らを裂いて与えようとする小動物だ。
 屠られ喰らわれ果てることを願うように……青年は与えたいと囁く。
 微かに震える腕は恐れている。
 ……………そうされることを、ではなく………拒まれることを。
 愚かしいほどの思いは、それでも清廉な眼差しに宿る。
 微笑むように眇められたそれは、静かに近付き頬に口吻けを落とす。
 「………別に自虐してる気はねぇんだけどな。ただ……与えてぇだけだ」
 この先お前以上の存在に出会うことなどないだろうから。
 だから……いま自分の全てを与えたい。
 そうしたならもう……いままでの無為な時間さえ救われるから。
 ……………結局は自分の為に与えたい。だから……願って欲しい。
 押し付けることなどできないから…………………
 囁く声音はあまりに儚く、頬を撫でる風にさえ搦めとられろうで。
 子供は苦笑を浮かべる青年の胸に寄り掛かり、微かに瞼を落とす。
 歪むことを受け入れなくては……生きることのできない悠久。その中でどれほどの傷を負ってきたかなど、子供には判らない。………判る筈がない。
 見せようともしないその傷を、理解など出来ない。
 経験したことのない思いを、知ることなど出来ない。
 それなら自分の欲しいものは決まっている。
 ……………声が、降る。
 やわらかく降り積もる、春風のような清艶な……………
 「それなら……貴様を寄越せ」
 唇を噛むほどに、固い心。
 …………寄せる思いを包みながらも拒絶している。
 癒されること以上に、罰ばかりを願っている愚かな青年。
 罪を犯さずに生きることの出来る人間などいないのに、あまりに潔癖であったが故に、己を許す術を忘れた吾子。
 だから、自分に見せればいい。
 それがどれほどの罪かなど知らない。自分が、決めてやる。
 ………少なくともこの馬鹿な青年が思うほどの罪深さなど、自分は青年の内に見ることは出来ないのだから………………
 「貴様の中にある、俺に見せないもの全部、見せろ」
 与えたいというだけいっておきながら、青年は本当に自分が知りたいことはいつだって包み隠しているのだ。
 ………そんなのは、欺瞞だから。
 全部、寄越せばいい。
 それで壊れてしまうほど自分は弱くなどない。
 ……………青年を切り捨てられるほど、軽くは見ていないから。
 まっすぐに前を見据える瞳が、ひらかれる。
  澱みを孕むことさえ忘れた強固な意志を宿す視線が、青年を捕らえる。
 怯えるように臥せる瞼に噛み付き、子供は逃げを許さない清純さで囁く。
 「…………それ以外など、いらん。ちゃんと、俺は口にした」
 だから願うものを与えろ、と。
 ………やわらかく包み込む声音は青年に深く染み込む。
 もう遠に捕われていた、声音。自分の為になど用意されている筈がないのに……伸ばした腕は受け入れられて。
 それ以上を願うことが、怖かった。
 負担になどなりたくなくて。未来を展望出来る子供の足枷になりたくなくて。
 ………逃げていたのは、自分。


  清浄なる春風の囁きに、凍えた寒風は静かに平伏し頷くのだった………………

 








キリリク26400HIT、激爆で春の話でした。
………どこが春って……ほら、空が高い(遠い目)←それは秋。
いや、真面目な話、春の空は青ではなく水色で、あまり雲がないっていうイメージがあるんです!!(あくまで私的)

相変わらず暗いです、激(笑)
いや……書き易いですが。彼くらい書き易いキャラがいると逆になんか可哀想になりますね…………
爆とかカイとか、自分のこと救ってくれそうな有望な子供ばっかり周りにいたら、激みたいな奴には苦痛でしょうねぇ。
甘えられないのに甘えたい。その上相手は甘えてくれないときた!(笑)
…………強く生きろよ、激(それで済ますな)

この小説はキリリクをくださった朱涅さんに捧げます♪
……春だっていうのに、まったくあったかくなくてごめんなさい…………(むしろ寒い?)