けれど、その存在を気に掛けたことはなかった。
掛ける必要すらなかった。
自分は自分で。それ以外の者の要素故に自分が変わることも、存在することも認めたくないから。
自分の生き方も、自分の考えも。自分のこの腕に宿る力も抱き締めることのできる思いも。
全てはこの魂が決めたこと。……それだけはけして譲らない。
この手が必要だと囁く少年が、かつて求めていた偶像であったとしても…………
籠の中のカナリヤ
見上げた空に瞬く星。……それを愛でるのはどれほど久し振りだろうか。
ツエルブワールドを巻き込んだ一人の少年の野望が静かに解け、正しい歯車に修正されてから、かなり時間はたったというのに。
この空を見上げることはなかった。
瞬く星のどこかにいるだろう少年を思い出すのがまだ、少し辛かったから。
……そう考え至り、子供は口元に苦笑をのぼらせた。
裏切られたわけではない。まして失ったわけでも。
この手に縋らなくなったことが、寂しいのだろうか。
………否。知っている。
少年が、本当に見ていたのは自分ではなかったことが辛かった。
それを思い出してしまうから、少年に関わるものが切なかった。
自分を見てくれたのは、あの瞬間から。
……世界を浄化し、少年が宇宙へと旅立った時から。
まだ、自分達は出会ったばかりなのだ。……少なくとも、少年にとっては。
これほど焦がれることがあるなど……思いもしなかったけれど。
彼にだけは初めて出会ったあの時から捕われている。その出会いの瞬間から少年の歯車が狂ったのだとしても……関係はない。
自分はただ彼の強さと真直ぐさに惹かれた。
それは脆さと歪みを内包したが故の際立ちでこの目を奪った。
ゆっくりと息を飲み込んで子供は立ち上がった。
その反動で腹の上にいた聖霊が転がり落ちた。それを抗議するように鳴く聖霊に苦笑し、すくいあげると肩の上に移動させた。
「少し……散歩に行くがどうする?」
久し振りに見上げた星空に心が傾斜する。……たとえ目で見る事叶わないどこかにいたとしても……見つめたくなる。
木々に阻まれる事のない広場にでもいこうかと囁く子供に、聖霊はニッと笑って頷いた。
微かな清風がゆっくりと二人の背を押し…木々のざわめきを伝えた……………
それほど歩かなくても、すぐにそこはあった。もともと野宿しようと決めたポイントのすぐ傍にあった事を確認していたので迷う事はない。
深く息を吸い込み、子供は星の瞬きさえ抱き締めるように寝転がった。
子供の髪に転がった聖霊は慌てて立ち上がり、その頭に背を寄り掛からせて同じように空を見上げた。
…………目に広がるのは煌めく星。それを支えるようにやわらかな月の光が降り注ぐ。
全身にそのあたたかさを浴びて、子供はうっすらと瞳を眇めた。
初め……その背しか見ていなかった自分。ただ幼い自分の夢を知って、なお認めてくれた少年に惹かれた。たとえその心を見せてもくれていないと知ったとしても……その傾斜は止まらなかった事に自覚があるほどに。
ただ彼の深い笑みや、物憂げな優しさがこの心を疼かせた。
何も持っていない、……自身の身以外に価値のない自分が、初めて本気で誰かを見ようとした。……追い掛けようと、思った。
それはきっと愚かなほど幼い感情表現だったと……思う。それでもそれ以外の方法を知らなかった。
彼と同じ所に立ちたかった。
寂しげな背を抱き締めたかった。
同じ視線でモノを見たかった。
伸ばした腕を……抱き寄せて欲しかった。
その全ては叶い……そして叶わなかった。
自分に傾斜したわけでない少年。ゆっくりとまた初めから紡がれ始めた自分達の絆。
………小さく子供は笑う。
それでいいのだ。
どれほど時間がかかったって構わない。この身に流れる血故に思われる苦痛に比べれば……そんなもの痛くもなんともない。
疼く心はただ彼だけに反応した。
この世にたった一匹しかいなかった自分達。
番を求めて…疲れ切った羽根をそれでも伸ばしていた。
…………やっと、見つけたのだ。
この羽根を傷つけても、たとえもがれようとも。
共に空を目指せるものを。
だから……いまは離れたまま思うだけで構わない。
帰って来たならもう、離さない。
眇めた瞳を閉じ、揺らめく風を受け止めながら子供は笑う。
きっと……少年もまた新しい自分に戸惑うにちがいない。
そうしたなら存分にこの思いを教えてやる。
それでせめて……痛み分けで許すから。
……………………早く、帰ってくればいい。
開け放たれた鳥籠。
そんな中に閉じこもらずに……空を駆けるのだ。
怯えた羽根を叱咤して…苦しくても立ち上がればいい。
その背を……自分は見つめていたのだから…………
閉じられた瞼にたなびく鮮やかな赤い髪。
…………いまだ本当の笑みさえ教えてくれない人。
その人の残像を寂しげに見送って、子供は瞬く空を見上げた。
このどこかにいるのだと……愛しげに………………
見上げた星空に、幽かな月が映っている。
それを隠すように薄い雲がゆっくりと風に乗って移動する。
……その様を眺めながら、少年は小さく息を吐き出した。
「………炎様?」
そんな少年の様子に気付いた少年が不思議そうな声音で囁く。
それを受け、炎は小さな微苦笑を浮かべた。
「いや……時の流れはこんなにゆっくりだったかと思ってな」
自嘲げな囁きに、少年は痛ましげに眉を寄せる。
流れる流砂のような時さえ消して、夢見たものが……彼にはあった。それを手助けし、支える事が正しいのだと……全てから目を瞑って思い込む自分がいた。
その全ては小さく歪んでいて…塞き止めた時の量だけその歪みは大きくなり……ついには亀裂が入り崩壊した。
それを指し示したのは幼い子供。
傷つく事さえ恐れずに…まっすぐに人を見れる子供は、涙さえ奥底に隠して自分達に道を示した。それは終局ではなく新たなる始まり。
壊れたはずの砂時計は再び静かに時を刻んだ。………それを奇蹟という者は多いだろう。
けれど自分達は知っている。
それは奇蹟でもなんでもない。命すら賭けて人を正せる力を宿す者達がいたから実現出来た事実。
ずっと閉じこもっていた自分達。
かつてを求め過ぎて、古ぼけた壊れそうな籠の中にしがみついて微睡む事を選んだ。
それは確かにこの心を癒すのに必要な時間だったけれど…………
……………それでも思うのだ。
飛び出した世界の広さ。その尊さ。………知らないモノだけで構成された眩さ…………
逸らしていた視線の中にはなかった。それを得る事をこそ……望んでいた者を二人は知っている。
その命と引き換えに生きる意味を知らしめてくれた。
受け止め損ねた思いは、同じ血を流す者の意志によって再び与えられる。けれど………
―――――いままで、知らなかった。
望む誰かがいない時に受けるものは辛さであり哀しみであり…苦しみなはずなのに。
いまこの心を満たしているのは優しさでありぬくもりであり…安らぎだった。
ただ緩やかな時の流れ。………瞬きの一瞬で塵芥とならない世界。
それでも…だからこそ愛しいと思える自分。
その全ては子供が教えてくれたもの。
…………それに包まれて…見つめて自然微笑む。
これは…なんなのだろうか…………?
いままでかの子供に求めていたものと微かに違う。それは判るのに……判らない。
奇妙な感覚は……それでも焦りも不安も呼ばない。
ただ…この心が疼く。子供を抱き締めて、その腕をとってこの星を見せたい。
やっと環境が整い始めた自分達の第2の故郷。子供の住む世界によく似た星を。
「現郎……。明日…ツエルブワールドに行ってくる」
「………炎様?」
突然の言葉に少年の目が見開かれる。
それを深めた笑みで受け止め、少年は穏やかな声で言葉を紡ぐ。
…………どこか夢を追い掛ける子供と同じ煌めきをのせた瞳で。
「あいつに…会いたい。この星を見せて………」
そしてどうしたいかはまだ…判らない。
続く言葉は霧散し、小さな苦笑で終止符を打つ。
判らなくて…いいのだ。
まだ自分達は互いさえよく知らない。
過去に捕われていた自分には、いまを生きる子供は眩し過ぎて見つめられなかった。
閉ざされた瞼の裏に蘇る……光。
せめてその傍らに立つ資格ぐらい……自分は持っただろうか。
その笑みも、真直ぐな瞳も。……愛しささえもがこの腕に触れるには清廉過ぎて、過去を映した瞳には受け止め切れない輝かしさだったけれど。
それを抱き締めるくらいの力を…与えて欲しい。そうしたならきっと、もう自分は道を間違わないで進めるだろうから。
その思いを抱き締める主に、少年は小さく微笑む。
……………仕えるに足る者が、より高みへと目指す手助けを誓いながら……
鍵を掛けた鳥籠。……それは自分の望んだ世界。
広すぎる外に出るには勇気がなかった。
安穏とした籠の中で、ただ緩やかな時を刻んで外の世界を恨めば痛みは与えられないから。
………けれど突然破壊された鍵。
解放されたカナリヤは戸惑い啼く事さえ忘れて怯える。
自身の羽根で飛べる事さえ忘れていた鳥は、いまだ雛の鳥にその羽根の存在を教えられる。
飛び出した青空に溶ける雛。
それを追い掛けたくて…カナリヤは羽ばたく。
―――――眩さに目を閉じない勇気と共に……
なんかあんまりにも炎が不器用で爆が可哀想なので(苦笑)少しはちゃんと爆見ているよって知らせたくて(遠い目)
でも書き上げて思ったのは…結局会わないまま終了か。でした。
この二人…どうなるのかなー……進展するのめちゃくちゃ遅そう。