小さな背中が駆けていった。それを見送る瞳は、どこまでも清らかに澄んでいた。
ずっと見守ってきた眠り姫。けれどその実、彼女の事を自分は知らない。
………嘘を、言っているとは思えない。そして誰かを無闇に糾弾する人間にも、見えない。思いながら、その直感を信じるならばと考え、暗澹たるものが胸に蔓延る。
それを嫌ってこっそりと首を振ると、躊躇いがちないたわりの声をかけた。きっともうすぐ、全世界からGC達が集まるだろう。姫の作り上げた虹の架け橋を渡って。
その時に事の次第を話すのは多分、自分の役目だ。解っている。そう思いながら、虹を見つめ、そうしてか細い吐息で立ち上がろうとする姫に駆け寄った。
「姫、あなたは休んで………」
「大丈夫です」
告げた声は、その細い身体に似合わずひどく力強かった。
それに、一瞬、錯覚しそうになる。………先程相変わらずの無鉄砲な方法で炎の元へと舞い降りていった子供の、凛とした未だ高い声音を思い出してしまう。
その微かな躊躇いの間に、虹の橋のひとつに、気配が生まれる。…………どうやらGCが到着し始めたらしい。
振り返った先には、もっとも面倒臭い相手がたたずんでいる。セカンのGCの少女と、サーのGCの少年だ。
舌打ちしかけて、けれど納得してしまう。初めに駆けつけるなら、確かにこの二人だろう。二人はずっと、あの子供とともに苦楽を乗り越え旅をしてきたのだ。
何があろうと真っ先に駆けつけるに決まっている。その信頼に背かぬならば、どんな無茶だってやってのけるのは想像に難くない。
溜め息を吐きかけて、遣る瀬無く少女を見遣った。何か、言いかけた。その唇が音を作りかけた時、背後の姫の身体が僅かに傾(かし)いだ。
慌ててその身を支える。その様子に困惑が場を染めた事が解る。………無理もない。二人の中の記憶にある自分は、こんな風に誰かをいたわるような腕は持ち得ていない。
何か言おうと思った。二人が駆けつけたのは、階下に向かった子供の為だ。自分などに拘(かかずら)っている暇はない。
裁きも怨嗟も、疾うに覚悟した。けれどそれは今ではない。全てが終わり、あの子供が無事この世界に舞い戻ったその時の話だ。
唇を噛み締め、言葉を探る。………が、それは叶わなかった。
開きかけた唇を制するように、姫がそっとその腕を持ち上げる。それはまるで全ての眼差しを吸収するように、その場にいた人間の意識が集中してしまう。
……………圧巻、する。彼女は確かに生まれながらの王族だ。
人の心を捕らえ引き寄せるカリスマ性を拒める意識はなかなかあり得ない。思い、それをあっさり撥ね除けた子供は、やはりどこか別格だと内心苦笑した。
その腕はゆっくりと滑らかに弧を描き、先程子供が空けた巨大な穴を指差した。そうして逸らす事など叶わない無辜の眼差しを、立ち尽くし言葉をなくしているGC達に向けた。
「よく来てくれました。爆は今、全ての決着を付ける為、階下へとくだりました。あなた達の力が必要となるでしょうから、どうぞ急ぎ追って下さい」
「え………、決着って…」
「説明する間が惜しい。あなた方には辛い事が待つでしょう。が、どうか爆を………」
綴る言葉が、唐突に途切れた。ぐらりと揺れた姫の身体。細くまだ大人になりきらない肩が傾いだ。
驚き、慌てて支える腕に力を込める。少女が目を丸めて腕を伸ばし、少年もまた、駆け寄ろうと歩を進み出ている。
………それを見つめた姫が、笑んだ。嬉しそうに愛おしそうに、幼い子供達を見つめる柔らかな眼差しで、それらの腕を見上げる。
「私は大丈夫です。どうぞ、急いで」
ゆったりとそう呟き、微かに浅い息を繰り返して、また自力で立ち上がった。
「姫、とにかく休んで下さい。爆くんの助勢は、ちゃんと僕もいきますから……!」
懇願するように告げた声に、二人の眼差しが動いた。アイコンタクトがなされ、小さく頷く気配。なかなか、息が合っている。これもまた、あの旅のおかげだろうか。
そうしてこちらに向き合った少年が、躊躇いをなくした真っすぐな眼差しで声を掛ける。
「あなたがどなたか解りませんが…とても大丈夫には見えません」
理由は知らない。何があったかも解らない。が、今確かにこの女性は子供の名を告げ、その助けとなれと言ったのだ。
そして自分達は各々の場にやって来たライセンスを持つ強者達に導かれ、虹を渡ってここに来た。
ならば、この不可解な虹は、この女性が為したと見なすのが、妥当だ。
全世界で同時に、そして突如起きたこの異変。おそらくは、その理由も知っているだろう。
「そうよ、無傷なわけないし、それどころか結構重症でしょ?!」
少年の声に被さるように、少女も声を張り上げた。何者であれ、どうしたって傷付くもの見捨てられない。そんなところは、あの子供に本当によく似た二人だった。
それを見つめ、姫は笑った。嬉しそうに満足そうに。その身に刻まれた傷などなければ見惚れる程に清楚な、慈しみ深い微笑みで。
「問題ありません」
頷き、雹の腕を断り姫はひとり立った。ふらつく事もないその様からは想像も出来ないが、かなり傷は深い筈だ。証拠のようにこの場の破壊は酷いものだし、血痕も目を覆いたい状態だ。
それでも姫は笑った。何もなかったかのようにしたたかに、いっそ不敵に真っすぐと。何もかもを飲み込み屹立する、王者たる眼差しで。
「私は大丈夫です。あなた達はあなた達で、やるべき事があるでしょう?」
「………え…」
響く声の、その絶対性。それに知らず背を正してしまう。踞る事なく進めと、言葉にせずに示してくれる、あの幼く細い、子供の小さな背中を何故か思い出した。
目を瞬かせ、二人は小さく息を飲む。まさかと思い、その可能性を否定した。あり得ない。あり得る筈がない。そう思うのに、何故か心はその意思を否定して納得してしまっている。
しなやかなその細い肢体を凛とたたずませ、微かに荒い息を悠然とした笑みの中に隠す姫を、間近に立つ雹はやきもきとした焦り顔で伺っている。
あの子供に頼まれたのに、この姫はあの子供と同じく、自分の言葉など耳も貸さずに己の意志を頑固に示すのだ。あの揺らがない眼差しまで同じで、余計に気が気でなくなってしまう。
「姫っ!」
あの子供は炎の元に行ってしまった。姫にこんな大怪我を負わせ、破壊の限りを尽くした張本人の元に、たった独りで。
幾度も彼とは剣を交えた。腕試しだって繰り返した。だから知っている。その底知れない実力を。
震えそうなその声に笑みを向け、姫は柔らかく瞳を細めるとゆったりと頷いた。立つ事さえ辛い筈のその傷で、それでも彼女は笑む事を止めはしなかった。
「大丈夫です、雹。ありがとう、あなたもあなたのやるべき事を成す為に、行きなさい」
「ですが………っ」
「気に病む必要はありません。大丈夫、この程度、なんて事はない」
不安に染まりかけた雹の声に、姫はまるで何事もなかったかのように頷き、いっそ不敵な笑みで己の身にある数々の傷を見下ろしていた。
この程度、どうという事もない。過去にもう、幾度も味わった痛みに比べれば、耐えられない事などなかった。
破壊されていく国。痛みと嘆きと悲嘆に溢れる民の声。失った両親。塵と化した還るべき星。
たったひとり愛し、この身に子を宿す事を許してくれた、最早還らぬ愛しい人。
耐えてきた。全て、抱えて飲み込み、この身の糧と変え、生きてきた。
何一つ無駄になどしない。それらを経て、今の自分があるのだ。そうして、だからこそ示せるものがある。
「お忘れですか?私はこれでも王族の末裔。守られねばならぬ存在ではありません」
悠然と笑むその眼差しは虹色に煌めいていた。全世界に通じさせた虹の橋のように、その姿は揺るぎなくこの世界の未来を見つめているように、見えた。
それに飲み込まれ、三人は息を飲む。かしずきたいその衝動に、驚いた。
「人々を守り導く為に、この命はある」
柔らかな声。響くのは慈悲の音。そうして、己の為すべきを知り見据え、その為に命を賭ける事を知る、守る為に立ち向かう事を知る音色だった。
畏れるように震える子供達のその微かな畏怖の念に、姫は微笑んだ。何一つこの世界に爪を立てるものなどないと教えるような、そんな柔らかな微笑み。
「………少々、我が侭に使わせていただいていますけど。私も、この星が愛しいんです」
囁いた、戯けるような響きの中の、真摯なその意思。それに、GC達の眼差しが揺れる。
彼女が何者かなど、知らない。知る筈がない。それなのに明滅する、可能性。
逸らす事の出来ない眼差しの中、その姫は凛々しく立ち尽くし、微動たりともせずにその身の傷を覆い隠すに足る声音で子供達に進むべき先を示した。
「あんな風に真っすぐと突き進む子供が育った星ですから。………さあ、あなた達も、あの子を追いなさい」
細いしなやかな腕が示すのは、巨大な穴の先。見えもしない遥か階下にたったひとりで向かってしまった子供の背中。
本当ならば、自分も追いたかった。追いかけ、この腕で守り、痛みなど何一つ知らずにこの先の未来を与えたかった。
けれど、と。先程初めて出会った子供の眼差しを思い浮かべ、誇らしく姫は笑んだ。
あの子供は、守られる事など望まないだろう。共に戦い掴む未来をこそ、願う。
安穏とは過ごせなかったのだろう、幼い子供。それでも、その眼差しは確かに美しい未来だけを見据えていた事が、嬉しかった。
自分の愛した人と同じ、夢を忘れず裏切らない、揺らぐ事を知らぬ生粋さ。
「人には互いに違う為すべき事があるものです。行きなさい、子供達」
その誇りを讃えた澄んだ眼差しが、子供達を射抜く。清々しいその声は、耳に心地よかった。
それは透き通った声音。己の責を己で背負い歩むものの、歪みを知らぬまっさらさ。
知っている、その音の響きを。そして全てに納得してしまっている己自身に、愕然とした。
目を見開き、少年は悠然としたその姫を見遣る。何をどう問えばいいか、解らなかった。
「……………あなた、は…」
「カイ、行くわよ。何ぼさっとしてんのよっ」
躊躇いの声で言うべきではない確信を言葉に換えようとする少年を、少女は殴る代わりに地面を蹴って置いていく事で制した。
彼の思い至った答えは、言葉にするべき事ではないだろう。それをあの子供が知っていても知らなくても、明確にすべき話ではない。
野暮な少年の仕草を捩じ伏せて、少女は視界の端、躊躇いがちに自分を見たGSを一瞬だけ、見つめる。
悄然とした、眼差し。初対面の時の冷徹さが消えた、遣る瀬無いひたむきさを乗せた眼差しだ。
これはきっと何か、大きな事が起きた。全世界を巻き込んだ事態だけでなく、もっと自分達にとって身近で、けれど覆されたなら価値観が揺らぐ、そんな事態が。………こんな時ばかりはよく当たってしまう己のライセンスの優秀さが恨めしかった。
「ピンクさん……、ちょっと、待………」
背中に聞こえる少年の焦った声は無視をした。急がなくてはいけない。もっと早く。
少年のように体術に優れていない自分は、こんな距離を落ちて無事ではすまない。テレポートを繰り返して、階下へと落ちていく。
早く早く、一刻も早く、赴かなくては。
彼女が求めた助けの手を、届けなくてはいけない。きっと、あの子供は苦しんでいる。辛い思いをしている。それを彼女は知っていて、それでもその背を見送ったのだから。
思い、小さく少女は笑んだ。何が出来るわけでもない。彼女の為、何かをしたいわけでもない。けれど、あの眼差しの求めるものならば、支えたいと祈ってしまう。
「親子そろって、厄介なんだから………!」
小さく口の中で囁いて、少女は見定めたその床に立つ為に、最後のテレポートを行った。
子供達の小さな背中は頼もしく駆けていった。
自分の傍にと残っていた雹も追いかけさせた。最早ここに自分以外を残す意味はない。
やるべき事はある。自分に出来る事がある。否、自分にしか出来ない事が、あるのだ。
それに誇り高く姫は笑った。この世界の空は、自分達の星と同じく澄んで美しい青を讃えていた。
………その空を見上げる事が好きな、愛しい人を思い浮かべる。
「ここで私が為すべきを成さないで、どうするの。ねえ、真。あなたもそう思うでしょう……?」
ささやかな音で呟き、姫は世界を守る為、子供達を守る為、最後の力を解放する。
あの日守られる事しか出来なかった自分に、出来る事がある。
それはなんと幸せな事だろう。
思い、彼とともに見上げた故国の空を、閉ざした目蓋に浮かべた………………
ハッピーバースデー、神奈川県民………!
なんとか出来た、多分出来た!と思う(オイ)
そんなわけで天とカイ&ピンクですよ−。まさかの組み合わせありがとう。
女の子書くのが異様に楽しかったです(きっぱり)
この小説は草原恵ちゃんに捧げますよー。誕生日当日に間に合わず申し訳なかった!
11.8.7