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冷たささえも判らなくなるほどその体温を奪って、火傷するほどの肌で温めて。
凍える腕で抱きとめた躯に、毒を注ぐように口吻けて。
灼熱の思いの意味を刻みたい。
何も知らない無垢な子ども。
………判っていながら穢す大人。
罪深さなど遠の昔から自覚している。
それでも伸ばした腕は振払われなかった。
ならば……何故抱きとめてはいけないと囁く声が存在するというのか。
熱を奪われた躯を冷えた指先で辿って。
自分を永遠に映せと乞う事が罪ならば…………もうどんな思いも与えられない。
求めても求めても消えゆく雪のように。
儚くも強き雪のように。
まっすぐに自分の影を追う至純の視線。
…………白を染めたいと思う、無邪気な残酷さでこの腕を伸ばす事は罪なのでしょうか……………?
粉雪の野原
肌を刺す寒気に子どもは身体を小さく震わせた。
………もうどれほど待っているのだろうか。
気紛れな自分に負けず劣らず気紛れな青年。不意に入った通信に導かれてこの草原に座り込み、もう何時間か経つのではないのか…………
そう思い、子どもは小さく苦笑をこぼす。
それほどの時間が本当には経っていない事は判っている。
ただ……一人待つ事の退屈さが何倍にも時を長く感じさせている。
なにを話すわけでもなく、ただ傍にいるだけで何時間も息詰まる事もなく時を過ごせるのに。
たった一人ではもうそんな事も出来なくなっている。
別に普段だったら問題はないのだ。
沈む夕日や、雲の流れ。……たったいま降り始めたこの雪。
自然は姿を変えて子どもの目を引き付ける。それを眺めているだけでも充分時間を過ごす事は出来る。
けれどいつからか……彼を待つ時だけはそれが出来なくなっている自分に気付いた。
美しい刹那の輝きも、無限に変わる綿細工も。視界を埋める白き綿毛も…………
色褪せてしまう事実。
そして苛立つ、いまだ来ない青年に。けれど待っている。時間にルーズな人間を待ち続けるほど奇特ではないのに………
ただ青年にだけ通じる法則。他の誰にも判らないルール。
それを成すなんてことはない理由を知らないわけではないけれど。……それでもどこか釈然としないのだ。
いつだって笑って、彼はまるで待っている自分を気にしないような顔をする。
凍えた肌に頬を寄せて、謝るでもなく小さく笑って………………
恭しい口吻けを与えてから何気ない…飄々とした顔で普段通りに話すのだ。
まるでなにもかも判っているような目で。
…………なにもかも気付かない視線で。
泣きそうに笑って、凍った腕を掻き抱く指先はいつも震えている。
それを思い出し、子どもは微かに顔を顰める。
「あの…馬鹿は………………」
なにをしているのだと雪に溶かすように囁く。
その声は白に彩られ、見上げた底のない灰色の絹から落ちる羽根に交じる。
馬鹿な大人は馬鹿なままだ。成長などしない。……もしするとしたならよりいっそう馬鹿になるだけ。
それを引き寄せて閉じた目を開かせるのは子どもの役目。どこか立場の狂ったその役割分担は、けれど案外誰にも気付かれずに誰もが行なう行為。
それが少し……自分達は顕著だ。
遠くを見つめていまに気付かない馬鹿な青年。………自分の肌以上に凍えた指先に気付かないと思っている愚かさ。
肌を辿る唇の氷のような滑らかささえ、青年は知らない。
抱きとめれば泣きそうに歪む眉。それでも笑おうとする不器用な青年の内にある溶けない氷解。
小さく吐き出された細い吐息は子どもを染めあげる雪の結晶を緩やかに溶かす。それを見つめ、こんな簡単な事なのかとふと気付く。
……解かせない氷があるはずはない。
子どもは深く息を吸い込む。清涼な冷たさが容赦ない強さで肺を浄めた。
ゆっくりと辿られる新雪の上の軌道。……子どもの通った証を踏み締める青年の足音。
それに耳を澄ませ、不敵な笑みを子どもは口元にのせる。
現われた青年に……一体なにを囁いてやろうか…………?
いつもと同じ寂しげな笑みを不意に向けた青年の視線に絡む子どもの視線の輝き。
…………気付かない青年は変わらずにその腕を子どもへと伸ばした…………………
どこか……自分の中が変わったと感じた。
子どもを見つめてきた数年間での変化。……悠久を背負って歩んだ永久の間にはなかった変化。
この心に空いた隙間がなんなのか判らない。寒くて……いつも凍える。ぬくもりが欲しくて伸ばす腕を子どもは厭いはしないけれど。
いつもなにか言いたげに開閉される唇を知っている。
……囁かれる言葉は二つに一つ。それを自分は選べない。
決めるのは子ども。だからそれから逃げるように青年はその冷たい唇を覆う。
それはもう一種の儀式。
……………子どもを手放さないと囁くための……儀式。
そんなものに縋らなくては囁く事も出来ない情けない大人の弱さ故の……………
いつからだろう。………この身に巣食う氷に気付いたのは。
吹雪く雪は季節になど関係なく自分の視界を埋めた。伸ばす腕はいつだって冷えていた。……触れる肌は熱くて、この思いの深さを知らしめるように更なる熱を与えて溶かす。
それだけでもいいと……思うべきなのに。
それ以上など望める身分ではないのに。
肌を辿れば抱き締める腕が欲しい。口吻ければ応える吐息が欲しい。囁けば眇められる視線が欲しい。
……………寄せる思いに応える思いが、欲しい。
木陰に隠れ、呼び寄せた子どもの凍える様を見つめ………それでもなにを求めるのか。
待ってくれているのに。それが明確な答えなはずなのに。
足りないと…囁く。
枯渇した大地は降り積もる雪を溶かす力もなく凍てついている。
子どもを見つめていて、子どもが待つ姿を見つめていて………… 少しでも感じたい。自分がいない事に焦れる子どもを。
けれどそんな事に結局意味などなくて。先に堪えられなくなるのはいつだって自分。触れたくて、その熱を感じたくて。………声を肌で知りたくて。
言葉もなく近付いて口吻ける。………それはもういつものこと。
頬を辿る青年の指先。凍えて震えている事さえ気付かない。
そして青年は小さく笑うのだ。………子どもの肌はそれでも熱を感じられると。
より凍えているのがどちらか知らない馬鹿な大人。
「……………………」
小さな青年の笑いに子どもは不敵に笑う。……少しいつもと様子が違う事にも気づけない青年に子どもは呆れたように視線を眇めて青年の顔を覗く。
不意に近付いた視線に少し青年は後ずさった。それをきょとんとした顔で子どもは見る。………いつも不必要に近付くくせに、青年は子どもが近付く事に怯える瞬間がある。
仕方なさそうに子どもは少し距離をとったまま青年の離れた指先に指を搦めた。
…………氷のような体温に子どもは顔を顰める。
そうしたならびくりと震える指先。怪訝そうに青年を見上げ、子どもは不意に愛しそうに笑う。
泣きそうな……青年の瞳。雪に彩られ溶ける白き思い。
馬鹿な大人は馬鹿なまま。子どもの成長に追いつけなくて取り残されて。…………腕の届かない場所に去る背に怯えている。
…………そんな不必要な影に怯えて一体なんになるというのか。子どもは絡めとった指先を口元に寄せ、熱い吐息で氷に囁く。
自分にだけ溶かす事のできる氷解に…………
「本当に無駄な時間の過ごし方だな」
「…………?」
不意に囁かれた言葉の意味が掴めずに、青年は困ったように目を瞬かせる。
それを見つめ、子どもは苦笑を上らせた。
「俺が貴様を待つ姿を…一体いつから覗いていたらここまで凍えられる?『激を待つ』姿が見たいなど……馬鹿だと思わんのか?」
「………………爆……?」
吐息のような呼び掛けに子どもは深い笑みで応える。……捕らえられない真意に青年は怯えるように子どもの唇に触れる指先を動かした。
それを感じ取り、子どもは小さく息を吐く。灯る白に染まる指先は微かに熱を覚える。
……瞬間の火傷するような感覚に微かに青年の眉が顰められる。
「互いに多忙の身だ。いつ会えるという確証もない。……なら、もっと傍にいればいいだろう?」
遠くから見つめるだけなら誰でもいいではないか。……誰にでもできるではないか。
けれど傍らに坐る事も、辿る指先も………寄せられる唇も。許しているのはただ青年にだけなのだから。
そう囁いたなら、大きく見開かれる青年の瞳。
ゆっくりと舞い降りる雪が静かに青年の瞳に触れて………一粒頬を辿る雫を作る。
それを抱きとめるように指先を引き寄せれば、青年の声が耳に注がれる。………熱い吐息と共に。
「お前も充分馬鹿……だろ?」
「なんだと?」
不快げな応えに、青年は喉の奥で笑う。何も含まない無垢なる子ども。そんな囁きに凍えた肌が震える事も知らない。
また一粒……流れ落ちる雫。子どもには見えない事を安堵して吐く息さえ熱い。つい先程までも寒気の行方さえもわからない熱の奔流…………
「そんな事いって……この場で押し倒されてぇの?」
どこかおどけた青年の声に子どもの身体が硬直した。はっきりと判る変化に青年は喉の奥でまた笑う。
肩を抱いていた子どもの指先に力が入り、青年の身体を引き剥がすように蠢く。……こぼれる旋律さえ愛しいぬくもり。
「そ、そういう意味でいったわけではない!離さんか馬鹿もの!!」
こぼれる涙と頬に灯る朱。……互いに見せたくなくて肩に埋められた顔を退かす事は出来ないけれど。
降り積もる雪の寒ささえ気付かない熱い肌は心地よくて、微睡むように頬を寄せる。
…………それは思いの通じた初めての抱擁…………………