その人を思い出す時、浮かび上がるのは風。そして眩い光。
この暗い世界にあるはずのないものを一心に受けて育った子供。
揺るぎない視線も、逃げない心も。
………余りに神聖で、息が止まる思いだった。
この闇しか自分は知らず生きてきた。
この暗さに抱かれ、朽ちていくのが定めだった。
その呪縛を解いてくれた陽射し。
………煌めきに慣れない自分の瞳は、それを直視など出来なかったけれど。
それでも傾斜するのに、理由などいらなかった。
奔放な魂はあまりに自由で、掴む事など出来ない。
そして彼はその輝き故に人を魅了してやまない。
…………自分は、そんな光に捕われた闇を背負う塵芥に過ぎないのだけれど……………
消える鎮魂歌
指先が鍵盤を押し、思い描いた音が想像通りの滑らかさで美しい旋律を奏でる。
オルガンと自分。たったそれだけで満たされる事できる。
……………他に何一つ存在しないから。
ほんの少し前までは自分と同じ呪いを受けた聖霊が傍らに佇み、自分の作る音楽に耳を傾けていたけれど………
彼もまた、消えた。
それなのに自分はまだ存在する。
…………昼も夜も関係なく、ただこの世界にたった独り在り続ける。
墓標で埋め尽くされた、哀れな世界の支配者。………否。囚われし咎人。
思い至ったその思考に少年は小さく苦笑を漏らす。
それはもう、生まれた時から知っていた。
一つの身体に二つの魂は存在しない。
多重人格ではなく、完全に違う思考をもつ根すら同じではない自分達。
選ばれるのは、明るく無邪気な少年だろう。………生きた世界で育った彼が残るに相応しいと知っている。
だから与えられた。ほんの僅かな時間、昼であるにも関わらず彼はその身体を明け渡した。
…………たった一つ、自分達に共通するもの。それはいままでは音楽だけだったけれど……………
あの子供が、加わった。
守りたい。その力になりたい。
当たり前の顔をし手厳しい言葉を投げる、自分にも他人にも逃げる事を許さない清風。
昼の太陽も夜の月も関係なく自らの意志で光る、鋭き閃光。
脳裏に焼き付いて離れない彼の子供の姿に、滑らかだった指先が不意に止まる。
…………願ったのは、自分だった。
少年よりも、自分の方がより強いから、だから…………
だから変わって欲しいと、意識も閉ざされている籠の中で小さく囁いた。
彼は快く笑い、受け入れてくれた。無邪気な笑顔に微かな寂しさをたたえて…………
知っている。彼は自分が力になりたかった。
記憶だけの手助けでなく、この腕で、この意志で。……この姿で。
それでも子供を支えるには力不足だと退いてくれた。
………だから、覚悟は出来ている。
最後の戦いで、自分は子供の傍にあれたから。もう、思い残す事などない。
このまま針の塔の呪いが消えるまでの僅かな間、独りここのいようと決めた。
他のなにも見ずに、何も触れずに。あの子供にも会わずに………
無邪気な少年にさえ気付かれる事なく、この世界と共に無に帰る。
それでいい。……微かに笑い、少年は俯いた視線を上げた。
視界に入ってきたのは白い譜面。
まだ完成していない新たな曲。………せめて、これが出来上がるまで存在できれば、他のなにも望みはしない…………
眇めた視界が一瞬揺れる。それに微かな苦笑を零し、少年は何も描かれていない譜面を取り上げた。
目を瞑れば瞬く光。
……最初は焔だと思った。
なにもかも飲み込む激情。激しく燃え上がる強い意志。……自身のことのように怒りを露にできる子供の瞳に飲み込まれる。
………それは初めての出会いの時。
ナイナイまで来た彼は、焔ではなかった。
仮に焔であったなら、きっと彼は自分を助けはしなかっただろう。自分は彼がその特性のまま、全てを灰に帰すと思ったのだから。
彼は当たり前に手を差し伸べてきた。
その目からは自分や少年が行った彼への攻撃も侮辱も消えている。
…………そして悟った。この子供は焔ではない。それは閃光。あるいは突風。
その刹那の感情のみしかない。彼は自身に向けられる負の思いに感化される事がないのだ。
だから、強い。何者にもまっすぐに立ち向かえる。
ざわめく肌の感触を、覚えている。
全ては煌めきの中、閉ざされる。
だからせめて、これを残そうと思うのだ。
自分の生きた証。自分が存在していた記憶。
………たった一人自分を見てくれた子供に残す、彼の為の曲。
あと、ほんの一フレーズで終わる。それがまだ、出来ない。
彼の子供に終焉は似合わなくて。結末を決める事がどうしても出来ない。
小さく息を吐き、少年は持っていたペンを置いた。
見上げた空は暗く曇っている。
陽射しを、自分の目は見た事がない。だが知っている。昼間の彼が残してくれる記憶で、覚えている。
それを全身に浴びたなら、きっと自分は溶けてしまう。神話に在る魔物たちにように………
いっそそうして消えたなら、よかった。
せめて亡骸を残せるなら、あるいはちっぽけな自分も子供の記憶に残ってくれるかもしれない。
……まだなくせない微かな希望に苦笑し、少年は瞳に映る空の暗さを忘れたそうに瞼を閉じた。
彫像のようになんの音も響かない世界で凍った少年の耳に、微かな足音が響く。
その覚えの在る響きに、少年の瞳が弾かれるようにひらかれる。
信じ難そうに、少年は空を見つめていた。
……何も写さない、黒い空。
変わる事のないその景色。
踏み締められる音に耳を済ませば、幼い声が響いた。
「……おい、オルガン弾き。起きているか?」
遠慮のない強い声。
羨望してやまない輝きの内に生きる、眩さの化身。
ゆっくりと少年は視線を落としていく。
そのおとが幻聴でない事を願いながら…………
佇む子供の変わらない姿に、少年は微かに笑いかける。
「お久しぶりです、爆くん……。僕になにかご用でしょうか………」
微かな音が子供の耳に触れる。それを受け止め、子供は少年に近付いた。
目の前まで近付いた子供を見上げながら、少年は戸惑う。
………余り言葉を語る事を好まない自分は、どうしても話す事が苦手だ。
この世界で奏でる事を許されるのは、眠る魂たちへの鎮魂歌だけ。
雑音にしかならない自身の声を、いつも少年は飲み込んで生きてきた。
だから、こんな時なんと声をかければいいか判らない。
憮然とした子供の大きな瞳に映る眉を寄せた自分の顔。
音のない事がこれほど苦痛に感じるなんて、信じられない…………
沈黙に慣れているはずの自分の方がいたたまれなくて、もう一度子供の名を呼ぶ。
「……………爆くん……」
それにため息のように息を吐き、子供は腕を組んだまま少年の顔を覗き込んだ。
間近な瞳は、ゾッとするほどまっすぐで澱みがない。
駆け登る嫌悪にも近い遣る瀬無さに、少年は視線を逸らした。
「デッド、何故逃げる」
解かれた腕が、逸らされた視線を許さずに戻させた。
頬を包む子供の幼い手の平。絡み合う視線に混ざるものがなにもない現実。
高鳴る心音に耳を済ますような余裕はなく、少年は困ったように笑う。
「爆くん……僕はあまり他人に触れられるのは…………」
「イヤならお前が外せ。……それくらいできるだろう?」
自主的に手を引いて欲しいと囁こうとしたデッドに、爆は最後まで語らせずにいった。
戸惑いながら、デッドはその言葉に従うように爆の手に自分の指先を絡める。
その時初めて気付く。いつもは手袋に覆われているはずの子供の手が、滑らかな素肌を晒している事に。
触れた指先が、痺れるように熱い。包むぬくもりを剥がす事が出来なくて、デッドはそのまま固まってしまう。
それを見つめ、子供は満足そうに笑った。……もっとも、酔うように目を閉じていたデッドにそれを見る事は叶わなかったけれど……………
まるで硝子細工を抱き締めるように恐る恐る触れる指先に、爆は囁きかける。
「何故お前は、ここに残る?……もうすぐ、この世界は消えるだろう?」
針の塔によって作られた世界。ナイナイはいつ果てるともしれない幽閉から解き放たれた。
いまこの瞬間に消えたって、不思議ではない。
………その事実を思い出し、さっとデッドは顔を青ざめる。
子供の熱によっている場合ではない。すぐにでも子供を避難させなくてはいけなかったのだ。
「そうです……。ですから、あなたももう帰って下さい」
微かに笑いかけ、少年は子供から手を離した。
………本当はずっとずっとこのぬくもりに触れていたい。
思うままに抱き締めて、同じ日の光の下笑いあいたい。
けれどそれは叶わない願い。
………願ってはいけない願い。
それを知っている。だから関わらないでいたい。……希望を抱いて逝けるほど、悟ってはいないから…………
少年の囁きに、子供は顔をしかめる。
…………そして、その手を差し出した。
「…………………?」
なにを意味するのか判らなくて、少年は視線だけで問いかける。
それを受け、子供は口をひらいた。
「貴様も来い。ここにいる必要は、もうないのだろう?」
誰もいなくなったナイナイ。もう魂の眠り場ですらなくなった廃虚。
だから、いる必要はない。共に来いと手を差し伸べる子供を見つめ、少年は顔を歪めた。
これは、自分の願い。自分の願望。
………けれど叶うはずがない事。
だから少年はただ首を振った。
なにを否定したいのか、自分でも判りはしなかったけれど…………
それを見つめ、子供は顔をしかめる。
なにを恐れているか、判らないほどバカでも考え無しでもない。
けれど、何故気付かないのだろうか。
指し示されるぬくもりに鈍感な事は、相手を深く傷つける事もあるのに…………
「ちゃんと、自分を見ろ。お前と共に生きる気があるのに、気付いてやらない気か…………?」
もう薄れて消えそうなこの世界。光すらないこの闇の中、何故自分が見えるのか気付けばいい。
………守るように包む、縋るように必死になって。その光を送る半身に気付けばいい。
子供の示すそれを見つめ、少年は愕然として呟く。
「……え…………?なぜ……?」
「決まっている」
呆然とした無垢な少年い、苦笑して子供は答える。
………伸ばした腕が、長身の少年を包む。
見開かれた少年の瞳に映る、子供の輝き。
「貴様と生きたいからだ。……こんな所で腐っているな」
微かに震えた囁きに、少年は震える指先でその背を辿る。
温かい、子供のぬくもり。……注がれる半身の光。
ホッと息を吐き、少年は子供を抱き締めた。
それを受け止め、くぐもった声で子供は小さく少年の耳に囁きかける。
「あいつも……俺、も。待っている。早く帰ろう………」
優しい旋律に凍った身体が溶ける。
固まったままだった恐怖と不安と……寂しさが雫に変換されて少年の体内から消えていく。
それを受け止める子供の後方から、もうなくなったはずの風が吹いた。
……まるで子供が風を作り出したかのように……。
その風はゆっくり二人を通り越し、オルガンの上に置かれていた閉じられていなかった譜面を攫って空に舞い上がる。
「…………あ……!」
それを見て、子供が焦ったように声を上げ、手を伸ばす。
掴めるはずのない白書は暗い空の奥に消えていく。
それを見つめながら、少年は微笑む。
…………何故、曲が仕上がらないのかやっとわかった。
どこかで知っていたのだ。身勝手な自分をそれでも受け入れてくれる半身を。
そして迎えに来てくれた子供に、終わりは存在しない。
また、新たに書き綴ろう。
この子供の生きる姿を旋律に変え、永遠に終わる事のないソナタを…………
暗く澱む世界に射す光。………それはこの世界のもう一つの姿。
動き出せずに躊躇う自分を導く光。………それはたった一人の小さな子供。
手放す事の出来ない光は、それでも自分を待っていてくれる。
………この身に巣食う澱みを流しきったなら、歩き始めよう。
子供と共に、半身の元へと……………
キリリク5564HIT、デッド×爆です!
………難しい。いや、書きづらくはなかったんですけど、まとまらない…………
そのせいで無駄に長くなってしまいました。
これは原作の設定です。デッドとライブは一つの身体に存在しています。
でも魂は別人になってます。
それを頑張って説明したつもりなんですが……足りないなー(汗)
もうこれ、コメントつけるの難しいです!
自由に受け止めて下さい…………
この小説はキリリクを下さった藤恵様に捧げますv
へんちくりんなものでスイマセン………
そしてデッドのイメージ壊したら申し訳ないです(涙)