許せないことなど……多過ぎてきりがない。
認めたくないことも、知りたくないことも……………
それでも、なにも見ずに生きるには自分は貪欲だった。

この腕に抱えられる物など少ないくせに……多くを願い過ぎた。
弾けるほどに溢れた腕からこぼれるものはないかといつだって不安だった。
それらを忘れられるわけもなくて……顧みては痛んだ胸を覚えている。
だから……それに気づかせたくはなかった。

いま大変なのは自分ではないから。
少女に……少年に。気取らせることなく済ませたかった。
優しい二人が気づかないわけがないのに……………

それでも強がっていたかった。
………それ位の我が侭、叶うだろうと思っていたから………

 

 

記憶に刻まれた腕

 

 ふと頭の奥が疼いた。……痛むというよりかゆい感覚に眉をしかめる。
 この徴候がなにに繋がるか知っている。幼い頃熱を出し手はベッドに眠らされたから。
 それは決して嫌いなことではなかった。優しい腕が熱くなった頬を額を冷やしてくれた、から………
 けれど、その腕はもうない。そして……いまはそんな暇もない。
 ちらりと後ろで地図を確認している二人の連れを見返り、子供は微かな不快感をやり過ごす。
 ……どこか遊ぶように気楽げだった少女はひた向きに前を見据え、必死になって進むことを願っている。
 知って、いる。肉親の苦しむ姿を見つめる痛さを。
 自分は血をわけた相手ではなかったけれど……その痛さは身を切るよりも辛かった。
 それを長引かせたくなどない。あの痛みを、できることなら誰にも味わって欲しくなどないのだ。
 「…………………」
 思い出した長い黒髪に視界が霞みそうになる。子供は眇めた視界の先に写る見ることの叶わぬ輝きに静かに瞳を伏せた。
 …………体調に変化があらわれると、いつだってその姿が傍らにあった。慈しみ愛し……育ててくれた人。
 消えない記憶は自分が固執しているが故。亡くすことはない。永遠に抱き締めて褪せることなく思い出した人だから。
 それは勿論痛みさえも附随し、時にこの目を奪うほどに激しい哀しみを刻むのだけれど………
 苦しみも痛みも……知っている。この身はいまだその呪縛から解き放たれていないから。
 だからこそ、この少女にそれを刻みたくはない。
 この少年にそれを思い出させたくはない。
 無理をするのは自分の独りよがりな我が侭だと熟知している。……ただ、そうしたいだけなのだ。
 前を見つめる張りのある瞳を曇らせたくはない。
 まして……自分のように悔やませることは絶対にさせたくはなかった。
 二人は優しくて、あたたかくて。………いまはもう亡くしたものを彷佛させるほどにもうこの身に深く浸透してしまったから………
 「…………………」
 喉の奥に蟠りそうな息をゆっくりと吐き出し、子供は努めて平静である顔を作る。
 それを子供の肩に乗る聖霊は仕方なさそうに息を吐いて見つめた。子供の考えていることなど簡単に判り過ぎるのだ。………幾度となく、その顔を見てきたから………………
 仮面を作ることに慣れた子供は、痛みも苦しみも…………自身に掛かる負荷の全てを覆い隠す術を知っている。
 気づけ、と。誰かに囁くことのないその潔さは揺るぎない意志のもと決して外に晒されない。
 それは痛ましい事実。
 …………まっすぐに生きることを決め、一人で立つことを決めたが故の行き過ぎた自制。
 そして人は騙される。………彼が痛むことはないと。
 泣くことも、悲しむこともなく生きてきたのだと……………
 そんな人間がいるはずはないのに。それでも彼にそれを見い出そうとする。弱さを持たない人が存在するのだと、敬い平伏し………その恩恵を与えてくれと乞う。
 厭わない子供の深い優しさは……いっそ滑稽だ。
 ………自分にはそれを見せろと示すように、少しだけ不貞腐れた聖霊はその頬に背を寄り掛からせた。
 体温のない自分の肌は高まり始めた子供の肌には心地よいだろうと、労るように…………
 それに気づき、子供は小さな笑みを零すと後ろを歩く二人には気づかれないようにその頬を寄せて紡ぐことのない声音で礼を囁くのだった……………
 何気ない優しさを知っている。……それはこの聖霊とともにあるようになってから色々な人から分け与えられた。
 それを……その全てを返したいのだ。
 この身の刻まれたぬくもりを残らず、余すことなく覚えていて、返したい。だから……それを行なう為に必要な無理は許せと、唇をとがらせた聖霊に苦笑を零すのだった。

 昼食の為に立ち寄った町は地図には小さく名を列ねているだけの、辺鄙な町だった。なにか特徴があるわけでもなく、ただ穏やかな空気と多くの自然に包まれた優しい町。
 喉に注がれる清々しい香気を持つ空気に少しだけ身にかかる負担が減った気がした。
 それに微かな安堵の溜め息をひっそりと落とす。
 少しずつ悪化していく体調はそろそろピークに達してきたのか、関節さえ痛み始めていたから………。
 普段から多くを語らない質なのでしゃべらないことに不審を抱かれはしないが、流石に緩慢になり始めた歩調に気づかれそうでヒヤヒヤしているところだった。
 丁度いいと一息ついて、子供はバックから取り出した水筒の水を一口飲むと静かに息を吸い込む。
 喉にあった蟠りが一時的とはいえとれた。その間にと短い言葉で子供は町を見ている二人の連れに声をかける。
 …………気づかれないように、極力落ち着いた声音で囁かれた声は、体調の悪さなど微塵も滲んでいなかった。いつもと変わらない、深く…染み込むほどに穏やかなその独特の声音。
 その精神力の強さに聖霊は小さく溜め息を吐いたけれど…………
 「俺は用があるからいってくる。昼はお前たちだけでとれ」
 言葉とともに翻された背に慌てたように少女が声をかける。
 別に珍しいことなわけではない。唐突な思いつきで成り立っているような旅なのだ。子供がなにか思い出して立ち寄ろうとしたって咎めるいわれはない。
 ただ……なにかひっかかるのだ。……朝から口数は少なかったけれど、これはあまりに唐突すぎる。
 なによりを人を労ることに慣れた子供が、いま自分達から離れようとすることに何の意図もないとは思えない。
 …………そう思えるほどには、彼のことを理解してきたのだ。
 「ちょっと爆!?用って……どこ行くのよ?」
 心配を滲ませた声に僅かに叱咤するように少女は自分の唇を噛む。
 これでは……逆効果になる可能性すらあるではないか…………
 微かな悔やみを滲ませる少女に振り返ることのない背は静かにたった一言を返す。
 「貴様には関係ない」
 訝しさを微かに滲ませた少女の声に子供は心の内で小さく舌打ちをする。
 ………少女はいま、過敏になっている。誰かを亡くす恐怖は簡単にはなくならないのだ。それは自分も経験のあることだから……よく覚えている。
 ましてその元凶を取り除いていない彼女にそれを忘れろという方が無理な話だ。
 だからこそ、普段ならば自分の気紛れだと受け流す行動も、気になってしまうのだ。………そしてそれは間違っていないのだから正直困る。
 少し冷たい物言いになってしまったことに申し訳なさを覚えるが、それでも出した言葉は戻ってこない。
 息を飲んで紡ぐ言葉を決められない少女になにか声を掛けようかと子供の背が動きを止めた。
 それに気づき、同行している少年は苦笑を零す。
 似たもの同士な面のある二人は、互いを気遣うことが不得手だ。心砕くことはできるくせに……自身の我が侭をぶつけることに気後れすることがある。
 その調整役をしてきた身には、その優しさが心地いいのだけれど……本人たちにとっては互いに痛みあってきりがない。
 仕方なさそうに少年は笑みを零し、動き出せない子供の背と、囁けない喉に眉を寄せる少女を見つめ、凍った空気を溶かすように囁く。
 「………せめて待ち合わせ場所を決めましょう。合流出来なくなってしまいますよ?」
 諭すようにやわらかく紡がれた声音に緊張していた背が緩やかにほぐれる。肺に清涼な空気を落とし、子供は振り向かないままに小さく答えた。
 「町のはずれの森に、楓の大木が一本ある。その根元に夕方までにはいく」
 そこで待てと囁く声音の最後が……微かに掠れた音であったことに気づくけれど。
 小さく寂しそうに笑って、少年はただ頷くのだった……………

 「なんで行かせたりしたのよっ」
 子供の背が見えなくなると、途端に少女は少年に食って掛かった。
 ………判らない少年ではないのだ。子供の様子がどこか変だと、気づいていながらその背を捕らえずに解き放ったことに怒りを覚える。
 眉を吊り上げた少女に少年は苦笑しながら寂しげに囁いた。
 「………ピンクさんも、判ることだと思いますよ………?」
 「……なにがよ」
 なんと話しに気づいていることだけれど……それでも認めたくなくて少女は逸らした視線のままにぶっきらぼうに答えた。
 それを承知の上で、少年は幼い背の立ち去った方向を見つめて呟く。
 ………風が…その背を追うように緩やかに吹き、新緑の葉を数枚慰みのように落とした。
 「労りたい時に労りたい相手に労られる………それがどれだけ負担か、知っているでしょう………?」
 やわらかな声音は悲しいほど深い。
 ………痛みを、よく知り過ぎた子供達はあまりに不器用に人を思う。
 拙い指先は悲しいほどのためらいを含んで静かに伸ばされる。それはまるで手折る花の健気な思いを知ってしまった瞬間のように………
 「………………」
 幼い頃に病身だった身には、嫌になるほど刻まれた思いだった。
 大丈夫だと……そう囁き続けた。いまが幸せだからいいのだと……我が侭など言えるはずもなく、ただ自分の意志で決めたのだ。
 今以上の幸せを願いはしないと。
 ただ……生きて愛されて、自分の意志を残せればそれでいい。健康でなくても、走ることが出来なくとも………それでも生まれた意味を刻むことはできるはずだと信じて。
 だから泣かないで欲しいと……幾度も願った。
 たった一人の肉親が、まるで自分の罪だと囁くように笑いかける姿は辛かった。………抱き締めても消せない哀しみは苦しかった。
 それでも……祖母はただただ自分を思い愛し……尽くしてくれた。
 痛みを、知っている。
 ………哀しみを覚えている。
 寄り集まったぽんこつのような自分達はあまりに多くの傷を抱え、触れあうにはあまりに痛々しい。
 思うことさえもが傷に触れるのだから、遣る瀬無い………………
 どうすることもで気ないのかと悔しげに唇を噛む少女に、少年は小さく笑う。
 痛みを、抱える者同士の切ない微笑みで…………
 「大丈夫ですよ。爆殿は……きっとあのまま待ち合わせの場所に向かってます」
 もしも寝過ごしたり、動くことが億劫になったりした時に自分達が傷を思い出さないように。
 少しでも身体を動かすことの少ない場所で、じっとただ静かに待っている。
 ………待ち合わせの場所に、自分達が現れるのを。
 それはあまりに不器用な労り。抜けない棘をそれでも手放せないままに厭えないままに、人を思う。
 拙いが故に愛しい……それは愛されるべき幼さ。
 包まれるべき思いは、傷を持ったものばかりを呼び寄せ、優しく包むことだけを願っている。
 自身の傷を見ぬ振りをして…………………
 「だから……迎えに行きましょう。あたたかいものと……薬も調達して」
 抱き締められることに怯えた子供。
 労られることに臆病な子供。
 ……その全てを抱えられない自分達が歯痒いけれど……………
 少しずつ、近付いてはいるのだ。だから…歩み寄ればいい。
 傷さえも誇りだと笑えるその日まで…………








 前に書いたキリ番のカイ風邪ネタの対にしようvと思って書き始めたなんて誰も気づきませんね………
 自分でも驚くほど違う物体に変わってしまいました。
 書いていくうちにピンクを書きたくなって書きたくなって……。
 カイ爆にすらならなかったです(オイ)
 でもこういう話も好き。互いが互いを思い過ぎて、だからこその擦れ違い。
 でもちゃんと気づける人がいないといやですけどね。悲しいから。