柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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空と森はキャンパスの中で混じりあっている
青と緑が美しく互いを包むように
空は大地を覆い、森は空を受け止める。

 その美しさを知っている。
 澄んだ空気と一緒に緑が運ばれ
 掠れた喉を癒してくれる。
 軋む胸を癒してくれる。

空は美しく森も美しい。
二つの異なる色彩の奏でる音は
柔らかく世界を包むのだ。



森で出来た窓   3



 足を向けた先は、当然少女の部屋だった。もっともそこに辿り着くより前に、泥にまみれた姿を整えてはきたけれど。
 もう一度手のひらを確認する。……少し爪の間に土が入り込んでしまっているが、それはいつもの事だ。彼女自身、気にはしないだろう。
 外から様子を伺った時は、窓の中は動く気配はなかった。眠っているのかもしれない。真っ白なレースはしんとして、空気のように少し冷たく感じた程だ。
 その窓を叩くことに躊躇いを覚えて、思わず遠回りと知りつつ院内に入り込んだ。
 長くもない廊下を歩けば、すぐに少女の部屋のドアが見える。元々は寄付されたものなどをしまうための部屋だったせいか、院内を歩く動線上で一番、この部屋は出入りしやすい位置にあった。
 少女の部屋の前、少し逡巡する。眠っているだろう、きっと。けれどそれだけではなく、この部屋を訪れる事に、少しだけ院の子供たちは戸惑いと恐れを持っている。
 ここは、よくドクターが駆け付ける場所だ。自分達の知らない医療器具が置かれる事もある。
 本来なら室内へはあまり干渉しない筈のシスターたちも、ここにだけは躊躇いなく訪れ滞在もする。
 そこはまるで、学校の保健室のような職員室のような、子供にとって違和感を覚えさせる空間なのだ。
 入る瞬間にとても勇気が必要な、静けさに包まれた子供の部屋。
 少しだけ眉を顰め、和也は首を振った。そんな風に思っていたからこそ、噂は肥大化したのだ。
 ただ自分達よりも身体が弱いだけの少女を面白可笑しく脚色して、煌めく筈の瞳を静かに陰らせ微笑みを奪っていた。
 それは無邪気な悪意だ。知らず人を貶め傷つける。無自覚であっても罪は消えず、気付いたその瞬間に苦みは全身を冒す。
 それでも正当化しようとするから苛立ちは増し、彼女を傷つける刃が増えてしまう、この悪循環。
 そんな真似をしたいわけではない筈なのだ。そう思っても、行動に示せなければ何の意味もない。
 細く息を吸い、静かに吐き出して競り上がりそうな苦味を沈下させる。そうして、さざ波を飲み下した指先は、少し震えながら少女の部屋のドアを叩いた。
 ………あの花火大会の日、窓を叩いたように躊躇いながら。


 返事は思った通りなかった。少し思い悩み、無礼を承知でドアを開けた。
 友人の部屋ならさして気にもせず入り込んでしまうが、自分と少女はそうした間柄ではなく、この部屋は勿論、自分の部屋に彼女を招いた事だって、なかった。
 一度は誘ったが、その時咲いた菊の花が萎れるまで、彼女は熱を出してずっとベッドの上だった。………それが悔しくて、また八つ当たりをして傷つけた事も、忘れられる筈もなく覚えている。
 彼女と会うのは大抵が外で、散歩途中に休憩をしている姿を自分が見つけるだけだ。あるいは食事の時に、食堂の隅でひっそりと座っている姿を見るか、だ。
 たったそれだけなのだ。自分と少女の接点は。そうだというのに、自分は彼女を苦しめる割合が他の子供に比較して、あまりに大きかった。
 僅かに軋む音を立てたドアに、ぎょっとする。気付かれないようにと緊張していたせいか、不必要な程力が込められていたらしい。
 少しだけ慌てた指先が躊躇いがちにドアノブを離すと、静かにドアは開かれた。
 質素な、部屋だった。ただ机と椅子と、彼女の眠るベッドがあるだけの部屋。
 唯一の除外品は、窓にあるカーテンだけだ。それだけは真っ白なレースで、部屋の無機質さを和ませていた。
 意外な室内の風景に絶句してしまう。少しではあるが、自分達には小遣いが与えられる。慈善事業の手伝いをすれば、それにプラスもされる。
 彼女がそうした活動に参加出来ない事は解るが、かといって自分達のように小遣いが与えられないわけもない。机に重ねられた本は図書室のものだし、私物と思われるものがほとんどなかった。
 違和感が強まる。……ここは、子供の部屋には到底見えなかった。
 ぎこちなく一歩を踏み出して室内に入り込むと、ひんやりと冷たい気がする。それは錯覚ではあるけれど、この部屋に住む人間の色が染みていないせいもあった。
 どんな人間でも、住んだ場所にはその人間のサインが記される。だというのに、ここにそれは見当たらなかった。
 ただ最小限の家具が据え置かれ、慰み程度に本が添えられただけ。それでもこの部屋で、少女は何年かを過ごしているのだ。室内の空気さえ、自身の色に染めぬまま。
 ゾクリと、肌がざわめいた。
 初めて会った日、天使は羽をもがれてベッドに横たわっていた。あの医務室のような、無機質さ。
 そうして、知らず悟っていた予感を幾度も打ち消し続けていた。天使はいつかは空に還る。この地上の汚濁を嫌い、空気に溶けてしまう。…………溶けて、消えてしまう。
 まるで、この世界に天使は降り立たなかったかのように、何一つ証拠を残さずに。
 恐怖が畏縮していた身体を凌駕した。躊躇っていた足は迷う事なくベッドサイドまで運ばれ、まだ眠り続ける幼い少女の寝顔を視界に映す。
 微かな呼気。少し紅潮したままの頬は、未だ下がらない熱を示しているのだろう。
 「………おい、起きろ」
 掠れた声が、呟いた。少しだけ震えた声は、噛み締められた唇から零れる。
 未だ眠りの中に落ちる目蓋は動かず、長い睫毛が幼い肌に蒼い影を落としていた。
 「なあ………起きろよ…」
 ただ言葉が繰り返される。ぽつりぽつりと落とされるだけの音。願いは正しく言葉に変わっているが、その中に力は宿ってはいなかった。
 少女の身体を揺すったなら、すぐにでも覚醒を促せるだろう。それくらいは解っていた。それでもそれを出来なかったのは、ただ恐かったからだ。
 少女は小さく細く、自分でさえ容易く抱える事が出来る。小さな命は自分の腕でさえ手折れるのだ。事実、幾度となく自分は少女を痛め、こうしてベッドに縛り付けている。
 知らず折れた膝は地面につき、ベッドに眠る少女と同じ程の高さに、視線は変わっていた。
 自分と大差ない幼い輪郭は、普段見せるあの遠い眼差しを差し引いてしまえば、確かに年齢相応だ。発育が多少遅れている事を考えたなら、逆に驚かせてしまうのかもしれない。
 「………なあ………」
 その名を呟かず、ただ問いかけるように声をかける。
 彼女にとって名前は記号と同じだ。院に来てから与えられただけの、目印。未だ断ち切れない記憶の枷が、彼女の中でその名を拒ませているのかも、しれないけれど。
 ……それでも自分は多くの傷を与えるから、せめて知っている痛みくらいは与えずにいたいと願うのだ。
 数度、同じ単語を繰り返した。考えてみれば語りかける言葉を、自分は持ち合わせてはいなかった。
 出直そうかと立ち上がるためにベッドに手をかけ、体重を移行させた。僅かに軋んだベッドに身体が揺れたのか、微睡みの中にいて問いかけの声に刺激されていた意識が、覚醒を始めた。
 長い睫毛が静かに開かれ始める。無表情のまま、ゆっくりと。
 …………まるで人形が動き出すようだと、思った。
 開ききらない目蓋は、微睡みを乗せたままベッドの上で左右を見回した。そうして自分を見つめる視線に気付き、一度瞬きをする。
 真っ直ぐに澄んだ瞳が、和也を映した。透明な、空気と同じ静かな視線だ。
 自分など通り越して、全く違うものを映せるのではないかと思わせるその眼差しに顔を顰めると、布団の中に隠されていた少女の指先が蠢いた。
 外気に晒された白く小さな手のひらが、ゆっくりと自分に伸ばされる。自分にだけ与えられている視線、呼気を落とす唇。それを眺めながら、不可思議さに息を飲んだ。
 未だ微睡みに身を任せている少女は、無自覚だろう。きっと自分だと認識もしていない。そうでなければ、説明がつかなかった。
 何一つ善きものを与えられない自分に、少女が微かであれ、笑みを与えるなど。
 空気さえ動かない室内で、まるで絵画のように静かにたたずんだ二人の姿は、静寂に溶けていた。
 その静けさを破る事のない掠れた小さな声が、緩やかに少女の唇から落ちた。
 「…………かな……し、の………?」
 「………え?」
 「泣きそう、に……見え……」
 呟こうとした瞬間、少女は小さく咳を落とす。それに気付き、和也は一瞬身体を強張らせるが、その咳は続かずに、すぐに消失した。その事実にホッと緊張を緩める。
 ほぅと小さく息を吐き出し、和也は目を覚まそうとする少女の意識を遮断するように、その手を微睡みを帯びたままの眼差しに被せた。
 そしてそのまま、腕を動かしたことでずれた布団を直し、幼子を眠りにつけるように布団の上から少女の肩を叩く。
 「………………?」
 「まだ、寝てろ。熱……下がってないんだろ」
 問いかけるように微かに頭を動かした少女を、宥めるように和也が言葉を降らせる。静かな………優しい音だ。
 それが耳に触れ、少女は布団に隠され見えない唇を笑みに綻ばせた。
 ………これは知っている、音だ。初めて出会った時の躊躇いと戸惑いの中の、純粋な好意の結晶。それは小手毬に願いを囁いたなら、与えられた解答。
 傷つけたにも関わらず与えてくれるその優しさに、少女は小さく息を落とす。
 「また……森、行こ……ね」
 「…………………?」
 「ここは……なにもない、から」
 何も残さないために、何もない空間のままで存在している、部屋だから。
 だからこそ、外が好きだった。空も森も川も空気も、自分のものではないけれど、自分を包んでくれる。
 その中に溶け込んで、微睡んでいられる。それはこの世界に自分の痕跡を残さずにいようと定めながら、それではあまりに生きる事が苦しいから覚えた、自然との対話。
 だから森の中なら、自分に課せられるものは何もなかった。たった一人の自分には、自然が優しく語りかけてくれるものだけで十分だった。
 けれどそこに、いつの間にか別の命が加わっていてた。
 それは願った自分の祈りの声を汲んで、自然が導いてくれた命だった。優しくて。とても優しいのに、それを示す事の不得手な、不器用な幼い命。それ故にその命は自分の異質さに気付いてしまった。
 誰も巻き込まずに潰えるつもりの自分に、気付いてしまった。
 そうして自分もまた、それを拒めない。その魂の本質を知ってしまったなら、嫌えるわけもない。
 気付かなければ良かったと思いながら、こんなにも安堵しているのだから、始末が悪い。
 「森………行きたい、の。行こ………ね…」
 少年の手のひらの優しさに隠れて、浅ましく願う。
 長くはないと自覚して、一人で消えようと思っていたのに。幽霊のように掻き消える事の出来る存在のままでいいと、そう思っていた筈なのに。
 「……………………ああ…」
 それでもその言葉は、自分もまた人間なのだと、そういった彼の誠実さと同じように、優しい。
 自然の中に消えるのではなく、人として生きていいのだと、そう思えたから。
 今この時だけ甘える事を許して欲しい。過去と今と………この先とが入り交じり混乱した、この時だけでいいから。
 目蓋を落とし、息を吸い込む。眠りは間近に待機していて、すぐに自分を包み、安息に導いてくれる。眠りに落ちるその瞬間まで、溢れそうな恐怖と困惑を、他者の体温が鎮めてくれる事に感謝をしながら。
 「………………………」
 答えたならすぐに眠りに落ちた少女の唇は、もう語りはせず、微かな呼気を落としているだけだった。
 静かに指先を放せば微かに震えていた。緊張が、今更ぶり返したらしい。
 ………おそらく自分である事も気付いてはいなかっただろう。当然だ。この部屋に自分が訪れる理由など、ないのだから。そして少女が自分の訪室を受け入れる謂れもまた、ない。
 切なく軋んだ胸に眉を顰める。
 少女の言葉の真意は解らないし、彼女が誰かと森を訪れる姿を見た事もない。けれどそれでも、それを願い約束を乞う幼い声音を拒めるわけもなく答えたなら、あどけなく溶けた気配。
 悔しいと唇を噛む事すら、烏滸がましい。自分勝手で力ない自分が、誰かを羨む資格などある筈もない。
 だから、一歩を踏み出してみよう。
 花火大会の夜に少女が示してくれたように。
 この拙い腕で出来る事は数少ないけれど、それでも今与える事の出来るものが、ある。
 情けなさと腑甲斐無さと……けれどほんのひとかけらの希望とともに少女の部屋のドアを閉め、少年は廊下を歩き始めた。



 出来る事をせめてと思う、その尊き思いを無くさぬままに。








 どこまでいっても和也は少女に弱いです(笑)
 まあ少女も和也には弱いんですけどね。多感な幼少期に自分を理解しようとしてくれた唯一の同年代の子供ですから。

 無邪気な悪意、は、自分自身覚えのある感覚です。シスターシリーズの幼少編ではよく出てくるフレーズですが。
 小学校の頃めで見て解るほどいじめられている子がいたんですよ。もっともものすっごい低レベルで、似たようなことは私自身されていたので(そして馬鹿らしいと放っておいた)さして気にも止めず、そのうち飽きるだろうと思っていました。せいぜい「くだらないから止めなよ」的な事を自分に振られた時にいう程度で。
 でもある日の学級会に、先生がいじめについての事をなんだかんだといった後「○○君にこうしたことをした人は立ってきちんと謝罪するように」というよーな事をいったのです。
 私は同じ事されていても何にも感じなかったけど(むしろ何が楽しいのか悩んだ)○○君はそれが嫌で先生に相談したのかな、と。
 私は現状を知っていて、でも自分が気にしていない事だから誰だってそうだと思い込んで、矢面に立つわけでもなく積極的に止めるわけでもなく、ただ静観していただけで。
 実質他の子のような真似をしていなくても、きっと彼にとっては同じだったんだろうな、と。
 結構ショックを受けました。
 小学生の時は違和感が強かったんですよね。具体例はこれとか痛みに対しての感覚とか感情表出と受け止め方の違いとか位しか覚えていないですけど。
 意識的に誰かを傷つけた事はないけど、無意識に誰かを悲しませた事は多かったんだろうな……と思い返します。
 他者の感覚まで考えて生きるのは難しいのですけどね。

05.10.6