柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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知らない事。

太陽の色
雨の冷たさ
走る心地


………感情の、迸り

得たいと思う事すら許されない、忘れられた祈り。





燃え尽きたあとの灰(後)



 熱を出して寝込んでいた。それは確か、昨夜の事だった。
 起きてみれば、大分身体は軽い。といっても倦怠感のない事は珍しいので、その程度のレベルの話だが。
 それでも動けないわけではなかった。ベッドから下り、パジャマのまま、ぼんやりと室内を歩いた。唐突にぺたりと座り、そのまま床に丸まるようにして頬を寄せた。
 冷たい床の温度に、微かに唇がほころぶ。耳を寄せたせいか、廊下を歩く足音もよく聞こえた。
 ばたばたと走る足音。それは近くはなかった。段々と薄れるその音に、二階へと駆けていった事に気付く。
 軽さからいって子供のものだ。大分慌てているようなそれに、蹲ったまま子供は瞬き、ぼんやりと瞼を閉ざして、微睡むように身体を横たえた。
 先程までと違い、身体全てが床に触れる。暫くその態勢で耳を澄ませ、子供は目を開けた。
 仰向けになれば床しか見えなかった先程とは違い、高い天井が見上げられた。薄い膜を張られたように淀んだ視界でも、それくらいは十分見分けられる。
 たまにこの家では、ああして駆け回る人間がいた。普段は注意されるそれも、理由がある時は誰も咎めなかった。
 そして今も咎める声は響かない。だから子供は気付く。
 …………誰かがきっと倒れたのだ。
 自分が一昨日動けなくなったように、また誰かが。
 動けない時の痛みや、呼吸を奪われるような苦しみは、嫌になる程解る。倒れた誰かが辛くなければいいと、ゆったりと瞼を落としながら祈る思いで子供は胸裏で呟いた。

 大分この家に慣れてくると、少しずつ歩ける日が増えた。それでもまだ環境の変化にも季節の変化にも追い付かない体調は、よく悲鳴を上げて周りを手こずらせる。
 けれどその日は珍しく心地よかった。
 歩いていても胸は痛まない。手足も重くない。階段さえ、一人で登る事が出来た。滅多にない快挙に笑みを浮かべ、子供は手すりの一つに寄りかかるようにして、最後の段を上りきった。
 階段の先は、すぐに共有スペースだった。本棚といくつかの遊具用の箱が見える。数名の子供がそこで遊んでいたが、階段から登ってきた自分に、特に注意を向けるものはいなかった。
 自分以外にも子供がいる事は知っていたが、直に目にするのは初めてだった。食事は部屋でとる事が多かったし、この家に来てから部屋を出た事自体、数えるほどしかない。
 大抵は自室として与えられた部屋で眠っているか、医務室で看病されていた気がする。よく覚えてはいなかったが。
 奥の廊下の角から大人が一人、歩いてきた。見た事のない人だった。
 背が高い、おそらくは男の人だろう。帽子を被っているせいで、顔はよく見えない。信者の誰かだろうかと首を傾げる。
 子供達も同様に相手に気付き、警戒するように一か所に集まって彼を見ていた。
 彼は立ち止まり、子供たちを見下ろして、不意に手を伸ばした。遊んでいる子供達に声をかけるつもりだったのだろう。その口元は優しそうな笑みが浮かんでいた。
 けれど、その直後に響いたのは、奇声。
 あるいは………悲鳴、か。
 耳を(つんざ)くその音の後、自分の耳には馴染んだ音が聞こえた。ヒュ、という、呼気を吸う事も吐く事も出来なくなる瞬間の、窒息の音。
 声に気付いたシスター達と、子供の目の前に立っていた男が驚いたように声をかけ、介抱をしている。
 それを拒むように子供は縮こまり、瘧のような痙攣を繰り返し、喘ぐように酸素を求めて口を開いていた。
 とてもそれは苦しそうだった。
 とてもそれは辛そうだった。
 とてもそれは………悲しそうだった。
 階段に座り込み、同じように胸が痛む。自分の呼吸の仕方が、うまくいかなかった。けれど今、彼と同じ状態になるわけにはいかない。
 落ち着かせるように幾度も呼吸を繰り返す。蹲り、身体を守るように抱きしめて。
 「どうしたの?大丈夫?」
 問いかけの声に、子供はただ笑んで頷き、そのまま目を閉ざした。



 目を覚ませば自室だった。今はまだ自分一人しか使っていない、奇妙に広く感じる室内をベッドに横たわったまま見回した。
 ずっと暗室に身体を横たえる事もなく寝ている事が多かったせいか、この広さに慣れるには時間がかかる。…………特に、発作を起こした後は。
 くらくらとする脳内を叱咤するように震える腕で押さえる。まだ細く小さい腕。自分よりも大きい生き物が掴めば、容易く折れるだろう。自分が、自分より小さな生き物を踏んで殺せるくらい、それは容易な事だ。
 顔を顰め、子供は起き上がった。突然の動きに目眩が襲ったが、それにも構わずに首を振る。
 それを見計らったかのようなタイミングでドアがノックされた。
 起きているとは思っていなかったらしく、特に入室を断る事もなくシスターが顔を覗かせた。視線が合うと驚いたように目を丸め、直後、柔和に笑んだ。
 そうして彼女から、大体察していた事態を教えられる。
 また息が出来なくなって倒れたらしい。やはり原因は解らない。この間は神父が話しかけてきた時だし、更に前はシスターだった。
 けれど特に大人だから駄目というわけではなく、現に今も普通に目を見て話しても吐き気もしなければ呼吸も乱れはしない。
 男と女という大別も無意味であるし、年齢もそうだった。敢えて年齢に加えるべき点があるとすれば、それは子供には反応しないという事だろうか。
 ………それでも子供といっても、ボランティアに来た中学生の前で一度発作を起こしているのだから、その部分もまた微妙だった。
 体質的なものではないし、身体的に欠陥もない。環境の変化に対応しきれていないのかといえば、その割には順応力は他の子供よりは彼の方が高かった。
 理由の検討すらつけられず、未だ原因不明の発作だった。まだ病名が解る分、彼より少し遅れて入所した子供の方が、気分的には気が楽だったかもしれない。
 小さく息を吐き出すシスターに顔を顰めるでもなく、淡々と子供は頭を下げる。もう大丈夫だと言い、迷惑をかけた事を謝した。
 年齢には見合わない応対に、シスターは戸惑うように眉を寄せ、気にする事はないと言う。
 何か嫌な事があればいって欲しいと言い、原因が解れば教えてほしいと言う。
 彼女を見つめる子供の視界が平淡に、物を見るような抑揚のなさである事にさえ気付かずに。
 首を振り、無言のまま否定を示す。それは解らないとも拒否ともとれたが、前者である事を疑いもしなかったのか、ただシスターは頷いて子供の顔を覗き込んだ。
 言葉はいつでも受け取るからと呟き、額に口吻け、もう一度眠るようにシスターは子供に伝えた。
 子供もまた逆らわず頷き、布団の中にもう一度潜り込む。ドアを閉めるシスターの背を目で追い、閉ざされた空間で軽くまた息を吐き出す。それに呼応するように窓から微かに風が吹き込んできた。
 閉ざされた空間を嫌う子供のために、たとえ眠る時であってもシスター達は、窓かドアを開けておいてくれる。
 逃げ出す場所がある事を示されると落ち着くなど、未だあの物置きを引きずっているようで辟易とする。が、それはさして遠い過去の話ではないのだから、仕方がないのかもしれないと、達観するかのように呟く。
 今はまだ、仕方がない。
 暗闇も閉所も嫌いだ。自分よりも小さな蠢くものも煩わしい。けれどきっと遠くはない未来で、自分はそれらと決別してみせる。自分は過去に縛られる気はないのだ。
 あの淀んだ世界など足蹴にして、自分の成したい事を成すために生きてみせる。
 この箱もいずれは抜け出し、同じ形をした生き物のいない場所で、植物を育てて生きるのだ。それはなんと素晴らしい楽園だろうかと、子供は笑んだ。
 そこを作り上げれば、きっとこんな事もなくなる筈だ。まるで何かから逃げるかのように呼吸を拒否する、この衝動。
 ぎゅっと自身の身体を抱き締め、もっとこの身体が大きくなればいいと思った。
 そうすればこの箱から逃げ出せる。捕まえる腕など振払って駆け出せる。守られる必要などない程、大きくなりたい。
 深く息を吸い、呼吸を確かめ、子供は目を瞑った。
 まだ当分の間、眠りは訪れそうにはなかったけれど……………。


 目を開けると部屋の中だった。階段で蹲ったまま、また倒れたらしい。さぞかし騒ぎを大きくしてしまった事だろうと、眉を寄せる。
 それに気付いたのか、ベッド脇に椅子を寄せて座っていたシスターの手が頬を撫で、眉間を辿った。気にする事はないと、そう暗に示すその手を見上げ、睫毛を上下する事でそれに答えた。
 軽く首を斜めにし、シスターの顔が見える位置にすると、そのまま唇を少しだけ動かすようにして問いかける。
 自分が見た、最後の光景。あの子供はどうしただろうかと、そう思って。
 同じように自室に連れていかれ眠っていると言われ、ほっとする。呼吸が出来なくなる苦しさはよく解るだけに、早くよくなればいいと、子供は掠れた声でシスターに言った。
 するとシスターは困ったように首を傾げ、違うのだと教えてくれた。病気ではなく、心因的なものだと。心が原因で、何かをきっかけに、ああなってしまうらしいと。
 言われ、言葉を反芻しながら、子供は思い出そうとする。瞬きをして、自分が見たものを、文字に変換された情報を、もう一度読み解く。
 原因があり結果があるのだと、シスターは言った。
 自分が苦しい事に原因があるのを教えてくれたのも、彼女だった。だからその原因をなくすために、治療をするのだとも。
 それならばあの子供にも治療が必要なのだろう。なんであれ、原因がある事象であれば、治す事は不可能ではない筈だから。
 思い出しながら、ふと、気付く。………気持ちが原因なら、たいして問題ではない事が原因なのだと。
 それは例えば自分が、大丈夫と問われると笑ってしまうように。他愛もない反射行動。計算でも意識でもない。まして肉体的な不具合でもない。
 ただそれがあった時これが起こる、という、自分の中での当たり前すぎる事象。
 それならば、なんとなく……解る。
 幾度かシスター達から聞いた。ここがどんな場所なのか、どういった子供が集められるのか。自分もまたその一人であるから問いかけ、嘘を嫌い、事実だけを求めて与えられた答え。
 それが本当である以上、きっと、その結果は当然だったのかもしれない。優しさ故の原因は、痛ましい結果を招いたという、それだけで。
 子供はシスターから顔を逸らし、真っ直ぐに天井を見上げた。
 前にもこうして天井を見て、階段を駆け上がる子供の足音を聞いた。あの時もきっと、あの子供か、あるいは別の子供かが、同じような状態になったのだろう。
 肉体的に枷の多い自分と同じように、ここにいる子供達は、心に枷がある。目になど見えず、在り処を本人さえ知らない、そんな不可視の病巣を。
 一瞬だけ躊躇うように瞼を落とし、眠るのだろうかとシスターが顔を覗き込んだ時、また目が開かれた。
 真っ直ぐに子供はシスターを見つめる。蟠る喉の奥、言葉の紡ぎ方を覚え始めた声帯が震え、音を形へと変換していく。

 「………だめ、きっと。のばす…て、たつ……こと」

 自分は見た。あの時、子供は床を睨んでいた。
 まるで見上げてはいけないと、そう自身に課しているように。そしてそんな子供に男は声をかけようと、その肩に手を伸ばした。
 …………あるいは、具合が悪いと思ったのかもしれない。その真意は子供にも解らないけれど、ただ彼は腕を伸ばした。
 そうして、あの場が形成された。
 この家には悲しい子供が集まると言われた。自分のように、親に連れてこられる場合は稀だと。子として認められず、ペットのように弄ばれた子供達が、ようやく保護された先なのだと。
 痛みを……内的なものではなく、外的な痛みを、まったくと言っていい程知らない自分とは違い、誰もが身体中を傷つけられて生きてきた子供達だと。
 言葉の意味は難しく、到底自分には理解は出来なかった境遇。ただ解るのは、同じように持っている反射反応。
 ………問われれば答えるように、無意識に出るもの。
 自分が見上げた母親に笑いかけるように。苦しいや辛いや痛いを、全部飲み込むように。
 自分より大きいものが近付き手を伸ばす。それが優しさのためではなかったなら、拒絶する方法は何であろうか。
 思い、シスターは遣る瀬無く眉を顰め、無表情に天井を見つめる子供の目を癒すように、その手で覆った。
 この腕一つでどれだけの子供を癒せるのか、と。
 途方もない夢物語を願うように、けれど強く、祈る。
 一人でも多くの子供を守れるように。………伝える事も気付く事も、ましてそれを認める事さえ恐れ忌避している子供達のために。
 自分に出来る事を一つでも増やそう、と。
 この院の中、最も幼い子供の不明瞭な言葉の意味を辿り、シスターは腰を浮かせると子供の額に口吻けた。
 あなたの言葉はきっと正しいでしょう、と、静かに穏やかに……何よりも誇らしく、囁きかける。
 手のひらの下、瞬く大きな瞳は未だ感情の揺れが不得手で、笑うべきでない場で笑い、辛さや痛みを表面に表す事がない。能面のような顔に、時折過ちの笑顔を馳せるだけ。
 いつかはそれも抱きとめられるように祈り、シスターは子供の頬を撫で、もう一度口吻けると、夕餉と薬をとりに部屋を後にした。

 子供達はベッドの上、天井を見つめる。
 真っ直ぐに、自身の求める答えも、自身が問いかける問いさえも、知らないままに…………








 まだ互いの存在も知らない時の事。
 子供達は自分が生きる場所が解るらず、それでも生かされていた時の事。
 箱はただ、生かすためだけにあった、箱。

 後一年くらいで出会うのかな。前半は和也のみ、後半は半年後なので少女が来たばかりの、初夏くらい。年表でも作らないと自分で頭こんがらがるな…………←作ったよ。
 でもそれぞれ院に来た時期が違うせいで計算が面倒くさい(汗)

06.9.14