柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






命の長さはよく知っていた。
小さい時、当たり前にみたいに自分の前で話していた言葉を、覚えているから。

その歳が巡ってきた時、まだ生きている事が不思議だった。
まだきっと、何かが残っているのだと、思った。

だから、その話を聞いた時、頷いた。
生きているのなら………まだ、生きる事が出来るのなら。
きっと、自分にやるべき事が残されていると。


そう、思いたかった、から。





空に還された羽根   1



 目を、覚ました。
 身体がまだ少し怠かった。それでも動けないほどでなかった事にホッと息を吐く。
 起き上がって暫くの間、その体勢で止まっていた。耳を澄ますと、窓の外の風の音と鳥の鳴き声が入り交じって聞こえた。
 今日も雨は降っていないようだ。それに小さく笑みを浮かべ、ベッドから足をおろした。


 「………よく寝れたみてぇだな」
 スープを飲んでいると、不意に安心したような声でそう言われた。目を瞬かせて、正面に座っている少年に目を向ける。
 カップをテーブルに戻し、口元を軽く拭ってから、小さく首を傾げて少女は声を出した。
 「なんで?」
 「クマ。見えなくなった」
 にっとからかう顔で笑い、少年は自身の目元を軽くなぞった。その仕草でここ数日の事を思い返し、さっと少女の頬が朱に染まった。
 この院に来てから、大分経った。この間7年目を祝われたほどだ。………誕生日としてではあったけれど。
 それでもその時の感慨は、多分例年の比ではない。ことに自分自身だけでなく、古株のシスター達にとってもだ。
 少し興奮していたような気もする。動悸が強くて、あまり寝付けなかった。そのせいかもしれないが、それから少しして、また体調が悪くなったのだ。
 ベッドに縛られている生活が暫く続いたが、横になっていても眠れるわけでもない。ぐるぐると思考ばかりが渦巻き、埒も明かない事を問答し始めてしまい、更に眠気が遠のいてしまう。
 そういった時に人が傍にいる事を嫌うのはいつもの事で、それを言った事もないのに、この少年はそうした時にはあまり部屋のドアを叩かない。たまにシスターとともに食事を運んでくれる程度だ。
 それが彼なりの気遣いである事を知っている。………同じように多少の恐怖である事も知っているが。
 顔を合わせないからといって、何も思われていないわけではない。食事の時やドクターの診察に同伴するシスターが、よくからかうように彼らの事を教えてくれる。
 ずっと、すぐに消える自分の事など気にかける必要はないのにと思い、憂えていたけれど、今回は少しだけ違って聞こえた。
 同じ内容なのに、9歳を迎えたのちに聞くとは思っていなかっただけに、不思議とそれはよく響いた。
 「………昨日、ドクターが来た、から」
 小さく答えると、今度は少年が目を瞬かせた。
 「珍しくあのヤブ、ちゃんと治していったのか」
 「お話も、したから。それで、よく、寝れたのかも、しれないわ」
 不意に躊躇いがちに言っていたドクターの口調を思い出し、仄かに少女は笑んだ。
 それはどこか、いたずらをする子供を見つめる母親のような、そんな静かで包むような笑みだ。………その行為による損失の全てを請け負う意志を持つ、目だ。
 それに一瞬顰めかけた顔を少年は、軽く首を振ってなんとか堪え、出かかった棘ついた声を飲み込むように、コップの麦茶を喉に流し込んだ。
 それを見る少女は、その笑みを苦笑に変えていたけれど。
 軽く逸らした視界の端にそれを止め、今度は少年の目元が微かだが朱を帯びる。………我ながら子供のようだと、思ってはいるのだ。
 それでもという言い訳はあとを尽きない。いっそ自分の年齢を楯に我が儘だけをぶつけてしまっても、きっと少女は同じ笑みで当たり前に受け入れるだろう事も知っている。
 ………同時に、あの遠いどこかを見つめる何も見ない透明の瞳や、汚濁の全てを飲み込んで淀んでしまう供物のような瞳を、自分は見ないふりをしなくてはいけなくなる事も知っているけれど。
 思えば胸に沸き上がるのは釈然としない、けれど陶酔に近い胸騒ぎ。それはどこか、そうなってしまいたいという思いと、決して靡くことのない意志のせめぎ合いにも似ている。
 明確には出来ないその靄のようなものを腹の奥底に沈め込み、少年は天井を軽く見上げた。
 ステンドグラスのはめ込まれた窓から差し込める光は、朝日でありながらも朧に見える。今日も天気がいいと思い、その思いのまま少女へと視線を落とした。
 顔色は悪くはなかった。もっとも、いいわけでもなかったが。
 ここ数日の事を思えば、外に出たりはしないだろう。折角の太陽も、今の彼女には荷が勝ち過ぎている。
 ついこの間の誕生パーティーで見せた、少し惚けたような顔を思い出す。……それからすぐだったのだ、寝込んでしまったのは。
 もしかしたらあの時既に病変はあったのかもしれない。浮かれる周囲に気兼ねして言葉にしなかったというだけで。
 思い、苦いものが口腔内に満たされた。それが舌を染めない事を祈りながら、細めた視界でパンをちぎる少女を見遣った。
 「…………今日、午後にそっち行っても平気か?」
 「………………?大丈夫、だけど」
 目を瞬かせる少女に、少年は時計を確認して椅子を引いた。もうそろそろ準備をしに部屋に戻らなくてはいけない。朝食ばかりは学校がある分、少女のペースに最後まで一緒にいることは叶わなかった。
 それを承知している少女は、一度パンを皿に戻し、立ち上がった少年を見送るように顔を向けた。
 玄関までは見送れない少女に、いつものようにその場で行ってくると告げようとし、思い出したように言葉を付け加えた。
 「土曜だから、昼は院だぞ」
 先程の不思議そうな顔の理由を思い付き、そう伝える少年に、小さく驚いたような顔をしてから、少女は得心いったように笑みを浮かべて頷いた。
 それを見届け、改めて行ってくると口の中だけでいうような小ささで呟き、少年は背を向けた。気をつけてと伝える可憐な声に、少年より少し先を歩いていた子供たちも振り返り、軽く手を振る。
 それに憮然としながらも少年は特に咎めず、少女には振り向けないまま、片手だけを軽く上げて返答とし食堂を出た。
 少しずつその性情を知られるようになって、少女は愛しまれる存在になっている。物ではないのだから独占も占有も出来るわけがない。それくらい、子供であっても解っていた。
 それでもやはり込み上げるのは面白くないという感情で、開花し始めるその花を愛でながら、たまに拳を握りしめる。
 ……………この身の内に流れる血の、なんて穢らわしい事だろうか。疎ましい事だろうか。
 少女のような命にこそなりたいのだ、と。祈るために手のひらを組む事も出来ない。
 この手が少女の血を吸わない事だけ、いつも祈る。自身の赤に染められた、まだ皮膚の弱い成長途中の子供の手。
 虐待の連鎖、なんて。引き千切ってみせると、噛み締めた奥歯の軋む音さえ無視して、少年は自身に言い聞かせた。


 窓を開けると涼しい風が吹き込んできた。もう初夏になるが、朝の空気は涼やかだ。
 それを頬に受け、少女は目を細めて外の景色を見つめた。
 まだ体調の戻らない今、いくら歩きたいと思っても散歩は出来なかった。精々院内を歩いて回って足を慣らす程度しか出来ないだろう。もっとも、それも重要な事なのだが。
 吸い込んだ新鮮な空気を軽く吐き出し、少女は椅子に腰掛けた。机の引き出しから、昨日ドクターから貰った書類を取り出し、目を通す。
 もう既にそれは昨日貰ったその時に読んだものではあったが、それは熱で朦朧とした目でだった。勿論、簡単な口頭説明もされたし、それはきちんと覚えている。
 それでももう一度きちんと理解して、それに臨みたかった。
 憂いを浮かべて自分を見つめたシスターと、困惑と複雑な思いを噛み締めたドクターを思い出し、うまく像を結べなかった脳裏に苦笑する。覚えられるようになってきたとはいえ、やはりまだ完全ではない。
 それでも自分はもう9歳を超えた。そしてそれはボーダーラインだったのだ。
 だから、自分は何かをしたいと思った。思えるようになりたいと、願った。
 それはきっと、未来を駆け抜ける少年の影響だろう。彼の傍に居られないのだからと思いながら、それでも同じように未来を思ってみたいと思うのは………あるいは憧れに近いものかもしれなかった。
 そう考え至り、苦笑が漏れた。
 もう少し小さかった頃、そんな事を素直に思える程、自分は生きる事に執着していなかった。いずれは潰えると知っていたし、それがとても間近である事も自覚していた。
 ただ、少しずつ変化があった事だけは、この院に来た当初と異なる事だろうか。
 誰にも関わらないで消えると思っていたのに、寂しさを自覚したなら少年が招き寄せられた。
 見限る事もなく、幾度だって彼は手を差し伸べてくれる。戸惑いながら、時に畏れて弾いてしまう、それでも優しいその小さな手のひら。
 与えられる度、否定して。否定する度、本当は解っていた。
 ……………自身に言い聞かせなくてはいけないくらい、生きたいのだと、関わりたいのだと、そう祈り始めていた事を。
 遠回りをして、ようやくそれを受け入れた。まだまだ頑な自分はそれを素直に認めたがらず、一人生きて一人死にたいと、そう思いがちではあるけれど。
 少しずつ、願い始めている。それは目を逸らせない現実だ。
 「認めるって……難しい、こと」
 ぽつりと呟いた言葉は、紙面を追う視線とはまるで違う事を呟いた。そして、その言葉は多分、この後の彼にも与えられる事だろう。
 怒るだろう姿が目に浮かぶ。どうしてと、泣きそうな目で、それでも憤る灼熱のような激情。
 自分は決して手に入れる事の出来ないその迸りは、いっそ綺麗と称してもいいのかもしれない。けれどそれはあまりに寂しく、悲しい発露だ。
 憂いに染まりかけた眉を軽く振った頤で消し、少女は一度書類を机の上に置いた。
 怠かった身体が、少し火照ってきた。喉のかさつく感じで何となく理解したそれに、少女は立ち上がる。
 今日はお昼には少年が帰ってくる。そうしたらちゃんと話をしなくてはいけない。明後日から薬が変われば、どうしたのかと彼は問うだろう。
 そうなってから伝えるのではなく、自分の口から伝えたかった。
 自分が選んだのだと、そうしたいと望んだのだと。他の誰が教えるよりも早く、自分がそれを言わなくてはいけない。
 だからこそ、体調をこれ以上悪化させるわけにはいかなかった。久しぶりに睡眠時間は長くとれたが、眠りが浅かったせいか、一度自覚してしまえば瞼が重かった。
 ベッドに崩れるように腰掛けて、億劫な腕を動かしながら布団の中に入った。
 少年たちが帰ってくるまで、まだ数時間はある。それから更に昼食になるまでの時間を考えれば、十分眠る事が出来るだろう。
 あと30分もすれば、きっとシスターが様子を見に来る。そうしたら、昼食の頃には起こしてくれる筈だ。
 ベッドの中蹲り、開け放たれた窓からそよぐ風がカーテンを揺らす音を子守唄のように聞く。


 パジャマに着替え忘れた事に気付いたのは、眠りに落ちる、ほんの少し前だった。








 少し時間系列整えないとダメだなー。重要な時期を何歳にするかは結構候補があったせいで間違って記載している場合があるのだよ。まずいね。
 基本的に赤ん坊を見つけた11歳を基準に、どれくらいの時間が必要かで決めているもので。
 …………どっちにしろほとんどが一桁の年齢じゃないか。それもどうよ。

 そして個人的にパジャマに着替え忘れた事より、一階の部屋にいる癖して窓を開け放ったまま寝ちゃっている事の方が問題だと思いますよ。
 そういう意味では危機感がないね。まあ院の中の人間が知っている人間の大半だから、犯罪者というもの自体が架空の人物にほど近いのかもね。

06.6.13