柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
空は高く澄んでいて 空に還された羽根 2 軽くドアをノックする。返答はない。きっとまだ、寝ているのだろう。帰宅直後に伝えられたシスターの言葉を思い出しながら、少年は手持ち無沙汰な手を見つめた。 頭を掻いた手のひらをそのまま、またドアへと向ける。少し強めにもう一度ノックをして、躊躇いがちに問いかけた。 「………起きてるか?」 ドアを通り越して聞こえるかも怪しいが、それでも問いかけは自身への言い訳には必要な事だった。 部屋に入る事への疚しさはないが、どうしても少女の部屋への違和感は拭いきれない。生活感のない、必要最低限の室内は、まるでいつ消えてもいいという意志を表しているようで息苦しい。 そこで眠る姿を見るのが嫌いなわけではないけれど。眠る少女を見つめる事が嫌なわけでも、ないけれど。 ………体調を崩した後にそれを覗くのは、怖かった。ただ、怖かった。 「入るぞ?」 もう一度声をかけ、ドアノブに力を込めた。 抵抗もなくすんなりと開いたドアから覗く室内の殺風景な様は、いつもの事だ。伏せがちの視界にそれをおさめ、迷う事なくベッドへと向けた視線は、少女の長い髪を見つけた。 清楚な白のベッドはどこか病室を思わせると、顔を顰めそうになる。が、その分鮮やかに少女の髪を浮き立たせた。微かな寝息が聞こえ、次いで、窓から入り込んだ風に踊るカーテンの音が聞こえた。 よくよく見てみると微かに窓が開いている。見回りの度にシスターたちは開いていれば閉め、閉まっていれば開けていたのだろう。ならば今は閉めておくかと、少年はベッドの端に膝を乗せ、腕を伸ばして窓へと指先を向ける。 大人であるシスターたちであれば、ベッドに振動を与えなくてもなんとか手が届くのかもしれないが、少なくとも少年には無理だった。 ベッド脇からサイドテーブルを避けて手を伸ばすなど、更に難解な事だ。 起こすかもしれないと頭の隅で思いつつ、どちらにせよ起こしにきたのだから同じだと自分に言い聞かせる。 ………どちらかといえば、今起きてくれた方が有り難いとも思った。少年は眠る少女を起こすのは、少し苦手だったから。 大声を出す事も出来ず、さりとて思いきり揺さぶる事も、まして叩くなどという真似も出来ないのだ。どうやって起こせばいいのか困惑して、赤子が母の手を求めるような小さな力で手を引く、そんな真似しか出来ない。 ギシリとベッドが少年の膝を迎え入れて軋んだ。体重をかけたせいで斜面になったシーツの上で、少女の頤が揺れる。 窓に届いた指先が、なんとか留め金を外して窓を落とした。 それを待っていたかのように少女の睫毛が震え、ゆっくりと瞬きをするようにして黒目が覗いた。………まだ眠りの中にいるのだろう、微かに潤んだ瞳はぼんやりとシーツを見つめ、そこにのたうつ自身の黒髪を眺めていた。 「………起きたか?」 確認というよりは、それによって目を覚まさせるためにかけた声に、少女の睫毛が頷くように落とされ、また持ち上げられた。そうして覗いた瞳は、意志を持ってしっかりと煌めく、常のものに変わっていた。 緩慢な動きで腕を這わせ、なんとか上体を持ち上げるようにして起き上がった少女は、困ったような笑みを浮かべて、ベッドから膝を下ろした少年に顔を向けた。 少年を通り越して時計を確認した少女は、心得ているようにベッドから足をおろして深呼吸をした。 「もう、こんな時間、ね」 手間をかけさせたと、軽く謝罪のために頭を下げた少女に、ぶっきらぼうな声で少年はそっぽを向きながら答える。 「まだ調子良くねぇんだろ。寝足りねぇんなら寝とけよ」 別に、すぐに食堂に行かなくてはいけないという時間でもない。 まして少女であれば、体調によってはいくら横になっていても誰も咎める事はないのだ。無理をする必要は全くなかった。 それを熟知している少女は微笑み、軽く首を振った。 「平気。あの、ね」 話をしようと思い続けた言葉は、けれどかさついた喉に遮られて、うまく音が出なかった。 目を瞬かせて、喉の渇きにようやく気付いた少女はベッドサイドに目を向ける。 大抵、そこには飲み物が常備されていた。水指しに手を伸ばしてコップに移し、それを飲み込む短い時間、小さな沈黙が落ちる。 その合間、少年は室内のあちらこちらに所在無さげに視線を送った。別に少女は見られていても気にはしないが、何となく不躾に見続けている事への抵抗が、少年の中に生まれつつあった。 それはおそらく、周囲の喧しい囃し立ての声のせいもあるだろうし、窘めるシスターの言葉のせいもあるだろう。 当人同士が構わないと思っている事に、どうして他人が口出しするのか解らないが、そのせいで少女にまで累が及ぶのは、結局本末転倒だ。 多少の気配りくらいは出来るのだと、自身に言い聞かせる意味も込め、気付いた時は出来るだけ……せめて物を食べていたりする時は視線を外すように心掛けていた。 それは本当に、純粋に、ただ思うための行為だった。 嫌な思いを少しでも減らしたいという、ただそれだけだった。 それ故に身につき始めた仕草が、調度机の上へと視線を滑らせ、そこに乗せられた書類の言葉を追ってしまったのは、偶然の産物に過ぎない。 「ねえ、和也。話が、あるの」 聞いてほしいのだと、潤った喉が滑らかに音を紡いだ。手の中のコップをサイドテーブルに戻しながら綴った声は、けれど和也の皮膚を滑り落ちただけで、その脳内に届きはしなかった。 カタカタと指先が震えている。知らず握りしめられている手のひらは、痛むのではないかと思う程の力が込められ始めていた。 「………和也?」 反応のない少年に首を傾げ、少女はもう一度声をかける。 他愛無いその声は、いつもまろみある響きで少年に届く。優しい、鈴の音のように柔らかく心地いい音。他の誰にも真似出来ない、少女だけの音色。 聞こえるけれど届かないその音と一緒に、耳の奥でキーンと高く、何かが鳴り響く音がした。 目の前が赤く、なる。…………短い息を、噛み合わせた歯の隙間から落とした。警鐘は、多分、互いに鳴った。けれど逃げ場はどちらにもなかった。 少女が少年から逃れるには、少年を通り越してドアへと向かわなくてはならず、少年がこの発作的な衝動を沈めるには、何かしらの形でそれを噴出しなくてはならない。 そうなる前に沈める事も、それを別の形で発散させる事も、まだ少年には出来ない。その術が見つからない。止めるもののない衝動は、目標物を求めて体内を赤く染める。 赤の乱反射に染まった脳裏。眼前にいる筈の少女すら見えず、衝動だけが体内を駆ける。 ………壊したい、という、原始的な凶暴な感情。 振り上げられた拳は、まだ子供のもので、大きくはなかった。それでもきっと見上げた少女の目には、十分恐怖を駆り立てるものだった筈だ。 焦点の合わない視線のまま振り下ろされた拳が、ミシリと嫌な音を立てる。………軋んだベッドと、その衝撃に、少女の身体が一緒に揺れる奇妙な風景。 ふわりと、黒髪が数房宙を舞い、背中へと舞い戻った。 「……………っ……っ!」 呻くような、息遣いだけの声が響く。……苦しそうで、悲しそうな声。 少女は眉を歪め、自分のすぐ横に振り落とされた、大きくはない拳を見つめた。 いっそ、それが自分を断罪してしまえば、こんなにも彼を苦しませないのだろうかと、眇めた視界が霞みそうになる。 遠く……いっそ自分が遠くへと消えてしまえば、彼は痛ませる要因は消えるのではないか、と。 彼がその状態になった原因は、容易く想像が付く。彼の視線が留まっていた場所。そこにあるもの。そして、それがどんな内容を記していたか、自分は誰よりもよく知っているのだ。 出会った当初よりもずっと落ち着き始めた少年は、今はそう容易くこんな状態にはならない。勿論、発作的に呼吸困難に陥ったり、暴力的な衝動に駆られたりはしているけれど。 それでも少女は知っている。………幾度も幾度もそれらを見たから。 少女の瞳が翳り、憂いに染まったまま、半ば伏せられる。視界に映るのは小刻みに震えて、それでもなんとか耐えようと必死な少年の手のひら。 優しい少年は、悲しんでばかりだ。 机の上には、眠る前に自分が読んでいた書類が乗っている。それは治験に関する意義と説明、方針や治療内容に関する事が記載されているものだ。 それがなんであるかを、少年が完全に理解したわけではないだろう。多分、中途半端な知識と文字を組み合わせて混乱しているのだ。 モルモットにされるのだ、と。きっとそんな風に憤っている。 「………和也、聞いて?」 浅く短い呼気を繰り返し、自身と格闘しているのだろう少年に、やんわりと声をかける。聞こえているかどうか、判断は難しかった。 痙攣のように震えている全身は、それでも張りつめた糸のように緊張している。きっと少女の一挙手一投足、全てが解るだろう。 そう見て取り、少女は言葉を続けた。 「昨日、ドクターから、お話があったの」 膝の上に乗せられた手のひらは柔らかく組まれ、動かない。 今、少年に触れる事は、きっと本人にとって苦しいだろう。せめて息が整うまでは我慢しないといけない。今触れたならきっと、彼は見境なく自分すら破壊対象と定めて、その拳を奮ってしまう。 それを厭うわけでも恐れるわけでもないけれど、そうしたなら自分以上に彼が傷付き苦悩するのだ。 だから、動かさない。己の手のひらを押さえるように組んだまま、ゆったりと静かな声を紡ぐ。 「他の国では、成果のあるお薬、に、切り替えるだけ。この国では、まだ、認知されていないから、治験、という形…だけど。ちゃんと、説明をしてもらって、私が受けるって、決めたの」 少年の心配するような事ではないのだと、子供の高い音はいっそ柔らかい歌声のように響いた。 難しい言葉を、それでも少女は間違えもせずに綴った。それは多分、幾度も己でそれを考え咀嚼し、理解する事に努めた証だ。 たった一日だ。その間の、少女が自由に出来る僅かな時間、それを考え思い、そうして血肉に染み渡らせた結果だ。それを思う意識を、けれどどうしても感情が上塗りし、塞き止め、隅に追いやってしまう。 幾度も幾度も意識的の呼吸を繰り返し、少年は脳内に酸素を送った。 赤い乱反射が少しでも薄まるように、小刻みに震える腕が衝動に身を任せないように。少しでも、冷静になれるように。 喘ぐように必死に、ただ呼吸を繰り返していた少年は、唸るような声で、それでも答えた。 「………実験と、変わらねぇ………っ!」 結局は、危険がないかを試すための実験だ。 この少女は、小動物の後の、人間の形をした実験動物にされる。そう噛み締めた奥歯が軋むような低い音で唸る少年に、少女は困ったような笑みを浮かべた。 「ねえ、和也。私、9歳に…なったの」 「……………………………」 「私、本当なら、もう……生きて、いないの」 あっさっりと言われた言葉は、ひどく軽やかな口調だった。少女の顔を覗ける状態ではない少年には見えないが、きっとその表情もまた、笑みを浮かべた常の柔らかなものなのだろうと伺わせる。 ひどく他愛無く口ずさむ言葉の重さに、少年は目を見開いた。 「平均余命って、知ってる?………平均だから、確実な寿命では、ないけど。基準、みたいなもの」 「それ、が……………っ」 一体なんなのだと、叫んだつもりの声は掠れていた。喉がひどく渇いていた。酸素を取り込む事さえ忘れそうで、少年の肩が上下に動く。 「この院に来た頃、前のドクターが、言っていたの。私は、9歳まで…生きられないだろう、って」 反射的に見上げた視界に、少女がぶれるようにして映った。 ぼやけた視界は、ひどく少女の像を曖昧に映す。窓から覗く外の日差しの明るさが、それに拍車をかけた。 それでも解る。少女は微笑んでいる。優しい、やわらかな笑み。何もかも許すような、受け入れるような、静かな………笑み。 「私、まだ、生きているの。生きて、いるなら………何か、してみたいの」 「でも……………っ!」 「ねえ、和也。初めて、なの。自分で決めて、自分で、やろうって、思たの」 ずっと、すぐに消えるのなら何も残すまいと思っていた。残してしまったなら、それは思い出に変わり悲しみを呼ぶから。 ずっと願う事も望む事も躊躇って、怯えていたけれど。進んでみてもいいのかもしれないと、ほんの少し思えるようになった、から。 「みんな…みたいに。生きて、みたいの」 全て遠い国の出来事のように見つめるだけではなく、自分の足で出来る事を行ってみたい。そんな風に生きれるなら、きっと物思いも軽くなるから。 そういって、少女は笑った。………ひどくそれは、嬉しそうな明るい笑顔。 「……………………………」 まるで少女の生きた年齢と変わらないような、幼いその笑み。呆然と見上げるようにそれを見つめて、少年は遣る瀬無く顔を顰めると、俯いて唇を噛み締めた。 「元気に、なったら。……日傘がなくても、歩けるわ」 そうしたら一緒に散歩をしよう、と。少女はやっぱり嬉しそうに笑った。 それを感じて俯いたまま、少年は歯痒そうに目を瞑る。 恐ろしくない筈が、ないのに。あの誕生日を祝ったその日まで、どれほどの恐怖を背負って生きていたのだろうか。………笑っていたのだろうか。 覚悟を定めた治験だって、成功が約束されているわけではない。それなのに、それでも少女は笑うのだ。怯えて憤る自分が、目の前にいるから。 唾棄すべきは浅慮に染まり、弱体化する自身だ。怯えては衝動に身を任せる、その弱さだ。 自分に成すべき道はどこにあるのだろう。 …………少女のように、生きるべくして生きるための、その道は。 治験に関してはどうしようかなーと思っていたのですよ。特効薬が出たからそれで元気に、といっても、完治するわけじゃないからね。 進行を遅らせたり、体調を安定させたり、そういった方向で考えていたので、まだ一般化されていない方が都合が良かったのです。ただそれだけ。 岐路を、何歳にしようかは結構悩んでいたのですが。11歳で赤ん坊見つける事を考えると、遅くとももう未来を見ようという意識を持ってもらわないと。という事で。 もともと平均余命で宣言された年は一桁にしようと思っていたので、そこいら辺はいいんだけどね。 蛇足的に数年後の話に続きます。 06.6.22 |
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