柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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さらさらと日差しが肌を滑る。
ずっと、こんな風にそれを浴びたいと思っていた。

皮膚が弱くて、触れる日差しはいつも痛かった。
まとわりつく湿気は喉を締め付けるようだった。
ずっと、それは続くのだろうと、思っていた。

  自分の命は短くて
  でも、誰かの命を狂わせるなら
  それは仕方のない事なのだと
  当たり前に思っていた

けれど小さな指先が、必死になって引き寄せる。
遠くに行くなと。
同じ人間なのだから、と。

…………一緒に生きる事を、許してくれるのですか?





その一歩を(前)



 ベッドの上、膝立ちになると、そのまま腕を伸ばして窓を開けた。
 頬を過っていく微風は心地よい温度。差し込む日差しもまた、仄かなもので芳しく感じた。
 目を細め、少女は出窓に手をかけると、そのままゆっくりと立ち上がった。
 ベッドがあるおかげで、ほとんど高低差はない。容易く腰掛ける事の出来るそこに足先まで乗せると、またぼんやりと窓の外を見遣った。
 新緑が日差しの下、輝いている。花もほころび優しい風景は、微睡むような柔らかさで展開されていた。
 背中を預けていた壁から離れ、立てた膝を抱える腕の中に頬を埋没させる。視線は窓の外を捉えたまま、羊水の中の胎児のような格好で風を全身に受けた。
 ほろほろと角砂糖が紅茶の中で崩れるような柔らかさの日差しは、窓硝子を介す事なく肌に触れた。が、それが痛みを知らしめる事はなかった。
 その事実に小さく少女が笑む。思った以上に自分は幸運だと、そう思いながら。
 「……………きれぃ……」
 小さく掠れるようにして落ちた声は、胸中で呟かれる筈だった。零れ落ちた音を耳に触れさせ、苦笑するように唇の笑みを深める。
 日差しは、ずっと憧れていた。自分の身体を冒すものであり、痛みと苦痛を与える筈なのに、憧れてやまなかった。
 日傘の下でしかそれを見上げる事が出来なくて、雲の奥に隠れた姿しか、知らなくて。
 本当はその光の下に、いつだって駆け出してみたかったのだと、思う。小さな頃は何も願う事なく生きようと自身を律する事に躍起で、明確な欲求は何一つ覚えてはいなかったけれど。
 それでも、初めに願ったのは光だった。それを浴びる事が出来るなら、きっと変わっていたと思ったから。
 ………せめて歩く時にこの手が自由なら、傍にいる人が傷付かなかった筈だと、そう思ったから。
 細めた視界には透き通った薄い青。その先に佇む光の束。その帯を注がれて輝く草原と森。
 こんなにも美しいものが間近にある幸福を、誰に感謝すればいいのか少女は知らない。
 瞼を落とし、風に耳を澄ませる。もうすぐ、学校に行っている子供達が帰ってくるだろう。
 同じ程の時間……といっても、体調のよい時に限定されてしまうけれど、少女もこの院の中で学習する時間に当てているが、町中の学校まで通う子供たちとの通学の時間差分、自由な時間があった。
 心地よい風にうっとりと睫毛を振るわせ、唇を笑みに染めながら、ふと思い付いた楽しい事を脳裏に浮かべて、うとうとと知らぬ間に少女は眠りへと落ちていった。


 「…………お前、危ないから止めろよ、その癖……………」
 憮然とした声が窓の外から聞こえた。至極もっともなその言葉に、反省している少女はしゅんと項垂れている。俯いた顔を包むように肩まで伸びた髪がさらりと落ちた。
 治験を経て、少女の身体状態は確かに改善された。
 それは目に見えて明らかだったが、それで全てが治ったわけではない。あくまでも、無理をしなければ普通に暮らせるであろう、という希望的観測をその大部分に添えた上での、改善だ。
 当然、無理をすればあっさりと体調は崩れる。にも関わらず当の本人は、時折その自覚をどこかに取り忘れたような間の抜けたドジをするのだ。
 それは普段垣間見せる驚く程の慎重さを覆す程の無頓着さ。
 軽く息を吐き出し、苦々しさが渦巻く胸中をなんとか押さえられないかと少年は努力する。が、それは徒労に程近い。
 …………学校から帰ってくる途中、少女が読みたがっていた本を図書館から借りてきたので、貸してから部屋に戻ろうと思ったのだ。
 そうして出入り口に入り込む事なく、そのまま少女の部屋の窓に回ってみれば、眠っている少女の右肩と幾分伸びた髪が窓から揺れて見えていたのだ。驚くなという方が無理だろう。
 その驚愕が大きかった分、少女への風当たりも自然強くなってしまう。他の子供が同じ真似をしたところで気にもしない事だというのにと、少年は荒々しく溜め息を吐き出す。
 怒鳴るような大声で少女を起こしてから、ずっと少女は出窓に正座したまま俯いている。
 「ごめんなさい……考え事してたら、寝ちゃったみたいなの………」
 それに反応するように繰り返される言葉が、また少女の唇から落ちた。
 実際、謝る以外の術がないのだから、同じ言葉を繰り返すしかないのだろう。その自覚があるからこそ、繰り返される謝罪は本当に小さな音だ。
 叱られる事など滅多にない、模範生といって差し障りのない少女は、それだけに与えられる叱責には従順だ。
 ………あと数年も経てば、少女のそれが模範生故ではなく、過去の経験からの、怯えを孕んだ受け身であっただろう事も理解出来るが、未だ子供の範囲内である少年にはそこまで考え及ばない。
 少女は謝罪し、状況を説明する。
 けれど決して『だけど』という言葉は口にしない。自身の保身という事を知らないのは、やはりどこか奇異だ。
 俯く少女の顔は身長差があっても立ち位置の関係上、少年には全て見渡せた。相変わらず白い肌をしていて、ようやく肩まで伸びた長い髪がその頬に濃い影を作り、消沈したその容貌をより痛ましいものに彩っていた。
 いらない世話をかけてしまったという恐縮もあるのだろうが、自身の失態への面目の無さも強い。なまじ少女はその年齢に見合わない、老成された人格を有しているだけに、たまに見せるその幼さは周囲の度肝を抜く程の衝撃があった。
 以前同じような場面を、自分ではなく見回っていたシスターに見つけられた時は大騒ぎになったものだ。
 もっとも、それは研修として滞在していた年若いシスターで、眠る少女の真っ白な顔を体調の悪さと勘違いしたが故の騒動だったのだが。
 思い出し、また苛立たしさが体内を駆け巡る。それに合わせて紡がれる声もまた、鋭かった。
 「………それで、窓から落ちて骨折でもする気か?」
 呆れたように言ってみれば、小さい身体が更に小さくなるように縮こまった。
 本当にそこまで小さくなれるのであれば、今現在開いている窓の隙間で、十分少女は転がり落ちる事が出来るだろう。
 平均身長に全然足りていない体躯は、それに見合った強度もないので、下手をすれば骨折では済まない可能性もあるから笑えない。
 そう考えると、呟く声にも憤りが孕まれる。そんな自身の未熟さに顔を顰め、少年は少女の声を待つ事なく深く息を吐き出した。
 「…………ごめんなさい……………」
 棘ついた声に更に顔を俯かせ、少女はまた小さく謝罪を口にする。
 沈んだ表情はその肌の白さや髪の作る陰影によって現実味が薄れている。痛ましさを題とする絵画のような、実感のなさ。
 どうしてだろうかと思い、ふと気付く。
 「…………別に、何もなかったからいいけどよ…」
 ふいと視線を逸らし、思い当たった事に口元が緩みそうになる。  おずおずと少女の引かれた顎が上げられ、まだ眉を顰めて顔を逸らしている少年の頬を見遣る。まるで、幼い子供が寄る辺なく誰かを求めるような、顔。
 その身に起こる全てを、まるで遠い国の出来事のように粛々と受け入れるのではなく、かけられる言葉や感情を間近なものとして受け止めて見上げる、瞳。
 …………それは、もう少し昔には、見られなかった変化。
 別段それが自分故にというわけではなくても、それでも湧き起こったのは、歓喜に程近いものだった。
 その変化を見て違和感を感じるのは、あまりに少女がそこにいるという事実が希薄だったからだ。いるのだと、そう思える事が当たり前なのに、ずっといつ消えても不思議ではないと思っていたから。
 その印象が全て払拭されたわけではないし、同様に、この表情もまた、幾度も見れているわけではないけれど。
 それでも希望が頭を擡げる。自分達と同じように少女もまた、子供として歩み始めるのだと。
 …………拙く甘く、叶え難き夢のような、そんな曖昧な感覚で、ただ、思った。
 「ん……、気をつける、ね」
 謝罪を受け入れて許しを与えてくれた少年に、ほっとしたように小さく笑んで少女は呟くと、ふと思い出したように窓から外を見遣った。
 少年の背後、ずっと遠く。まるで少年達が通う学校さえも見渡すように、広大な草原と森と空を、日差しが反射して輝く大きな瞳で見つめる。
 不意にまた、くすぐるような違和感を覚えて、少年はその視線を追うようにして背後を振り返る。
 特に何の気配もなかったがと、首を捻るようにして。見遣った先には、やはり草原と森と空。ただ純粋なまでに、自然の営みがそこには広がっている。
 うっとりと見惚れるようにその光景を見つめている少女を振り返り、もう一度少年は背後を見遣った。が、何も特別なものは見当たらなかった。
 「あの、ね……和也」
 さらさらと砂時計の刻を刻むような涼やかな音で少女が呟く。
 長い前髪が風に揺れている様を見つめて、そろそろまた切ってやらないとと考えていると、そのベールの奥で睫毛が揺れる。
 その様を見つめ、少年は逸らせなくなった視線で少女の言葉を待つ。
 「ここにいても、痛く、なくなったの」
 「…………………?」
 「あねの………」
 ふうわりと、幸せそうに少女が微笑んだ。微睡むような仕草で、身体を抱きしめる細く白い腕を隠す薄布が、膝を抱えていた。その頂上に頬を寄せて、細められた瞳を彩る睫毛が風に掬われるようにすら、見えた。
 こっそりと囁く唇はとっておきに秘密を綴るようだ。なんだろうかと窓に身を寄せ、少年は少女を見上げる。目の前を、一時よりはずっと短くなった黒髪が風に弄ばれて過った。
 「日差し、浴びると、…いつも……痛かったの」
 「………え…?」
 「でも、もう、痛いって…思わないの」
 それがたとえ春先の、やわらかな陽光であるが故でも嬉しいのだと、少女が笑んだ。幸せそうに、とっておきにプレゼントを与えられた子供のように。
 目を瞬かせ、少年は、蹲るようにして日差しを全身で浴びようとする少女を見上げる。………ずっと、少女は太陽が見たいと、そう言っていた。
 それを知っている。自分は、幼い頃から知っていた。
 「………………………」
 噛み締めた唇が少女に見えないようにと、少年は背後の風景を見る振りをして顔を背ける。僅かに上げられた頤に、瞳を射る日差しが真っ向から降り注ぐ。
 陽射しに弱い事は知っていた。日傘を冬にだって持っていたし、曇りの日も、用心にと与えられていたのも見た。この院にいる子供達なら誰もが知っているだろう、その事実。
 でも、知らない。熱に弱かったのではなく、その皮膚を冒すように痛ませていた、なんて。
 ……………自分達が当たり前に浴びているその光が、少女にとって苦痛を加える凶器だった、なんて。一度だってそんな事、言われた事はない。
 言われなければ自分は気付けない。いつだって、少女はそれを乗り越えてようやく教えてくれるから、自分の腕は間に合わず、守るなんて真似、到底出来る筈もない。
 悔しくて情けなくて。つい今さっきまで少女を叱るような真似をしていた自分が、歯痒くて。
 噛み締めた奥歯が、軋むように痛い。いっそ拳を握りしめて皮膚を食い破らせれば、少しは気が晴れるかもしれなかった。が、人を見ることに長けた少女の前でそんな真似をすれば、また、彼女から落とされる本当の声が消えてしまいそうで、痛みに逃げる事も出来ない。
 「和也……明日、暇?」
 ふと耳に触れた音に、軽く首を動かして理由を問うように仕草だけで問いかける。振り返りもしない自分の気紛れはいつもの事で、少女は笑んでそれを受け入れる。
 声を出す、ただそれだけが難しい、なんて。………なんという因果なのだろう。
 「ピクニック、してみたいの。一緒に……」
 行きたいのだと、そう言うより早く、和也の首がはっきりと頷きを示した。少女は嬉しそうにその後ろ姿を見つめて、また空を仰いだ。
 「ありがとう」
 そよぐ風にのせるように呟いて、少女はもう一度少年の名を呼ぶ。
 …………振り返らない背中に苦笑し、もう一度、同じ名を。
 そうして少しの間を置いて、ようやく覚悟したかのように振り返った顔に微笑み、出窓から足を下ろした少女は、手を伸ばした。
 少し屈むようにするだけで、少年に触れる事が出来るくらい、互いの距離は近い。
 さらりと、風がくすぐるような軽さで少年の髪を掬い、少女が笑む。

 自分はとても幸運なのだと。…………とても幸せな人間なのだと、そう、呟いて。





 歪みそうな少年の瞳を掬いとるようにもう一度、少女は短い少年の髪を梳いた。








 あと少しで十歳になる頃の少女です。前後編。というか、ピクニック(?)の話書きたくて書きはじめたのに長くなった(遠い目)
 もはやいつものことなので目を瞑って下さい。

 日差しは私自身得意ではありません。いや、私は痛いというよりは、熱が籠ってダウンするんですが。でもやっぱり、海とかプールに行かない理由は日差し浴びるからです。露出度高いほど浴びる日差しの量が多いせいか、圧迫感があるんですよね。
 あれは痛いのか、焼かれている感覚がするだけなのかよく解りませんけど。
 だけど苦手でも、やっぱり太陽は好きなんですよね。矛盾しているようですけど(笑)
 感覚的なもので言葉にはしづらいけど、なんとなく最近は、それが自分が手に入れられなくて憧れている感覚に近いのだなぁと納得し始めました。
 シスターシリーズは、客観的に自分が感じていることなどを強調しつつ書いているので、今まで自分で気付かなかった事なんかが言葉に変換されていく事がしばしばあって、自分自身を振り返るいいきっかけになってます。
 良きにつけ、悪しきにつけ、ですけどね(苦笑)

06.8.9