柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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  幸せなのと、微笑む人
  いつだって雁字搦めな癖に
  どこまでも自由であるような人

その腕を捕まえて
消えないでと縋って
引き寄せれば、微笑んでくれる

  幸せなのと、微笑む人
  当たり前の事に感謝する人
  ちっぽけな事を大事にする人


この力ない腕さえも大切なのだと、
繋いでくれる、人





その一歩を(後)



 「…………それ、なぁに?」
 首を傾げて、目の前の自転車をしげしげと見回す少女に、少し吹き出しそうになる。
 院にも何台か自転車はあった。けれどあまり運動神経が発達しているとは言い難い少女は、当然一度も乗った事はないし、周囲の人間も敢えて彼女に勧める事はなかった。
 だからこそ、少女にとって眼前の鉄の固まりは物珍しいものなのだろう。
 普段自分よりも余程達観したような感を受ける相手の、取るに足らないものへの感心の念は、どこか滑稽で可愛らしい。
 年下の少女と年上の自分が、その年齢に沿った位置関係である事を思い出させてくれるのも、少し気分が良かった。
 ………なまじ、昨日、いつものように落ち込んだりもしたので、余計だったのかもしれないが。
 思い出し、込み上げそうな苦みを口腔内で噛み砕き、少年はポンと荷台を叩いた。
 「お前、乗った事ないだろ?ここに腰掛けりゃぁいいから、座ってみろ」
 一応、震動等の負担を減らすためにもクッションをくくりつけた荷台を指差し、少女に促す。それを見上げる仕草で追って、少女はまた、首を傾げた。
 少年は既に自転車に跨ががって出発準備は万全だ。後は少女が荷台に座ってしまえば漕ぎ出せる。
 けれど、いつまで経っても少女は少年を不思議そうに見ているだけで、動き出そうとしなかった。
 「………おい?」
 訝しんで眉を寄せて問う声音を出せば、困ったように少女は笑って少年を見上げる。瞬く睫毛を隠すように、長い前髪が風に揺れた。
 「あの、ね、和也」
 躊躇いを若干含んで綴られた後、ほんの少しの間をあけて、少女は少年に問いかけた。
 「どうやって、座るの?」
 「………………………あー………そう、だな」
 困惑に染まった眼差しで問われて、少年は軽く溜め息を吐き出して答えた。
 考えてみれば、少女は自転車に乗った人間を見た事もおそらく、ほとんどないだろう。そもそも自転車は町の学校までの交通手段であり、朝自分達を見送る事の出来ない少女は、当然、自転車を漕ぐ姿を見ない。
 自分達が帰ってくる時間帯は自室にいる事が多いのだから、院内に入ってきた後の子供達を見るだろう。自転車を漕ぐ姿を見る機会が少ないのだから、必然的に二人乗りを見る事は更に少ない筈だ。
 すっかり自分達の感覚で、当然と思っていた事を押し付けてしまった。少女は年齢の割に博識ではあるが、体験的な常識は、無知に程近い。
 軽く咳払いをして失念を誤魔化すように少年は視線を泳がせ、上体を捻って後部座敷部分を振り返る。
 「とりあえず、ここ、クッションのところに跨が………れねぇな……」
 クッションを叩いて感触を確かめながら、自分と同じようにと言いかけて、少女がワンピース姿である事に気付く。
 ズボンにしておけと言えば良かったかもしれないが、考えてみると彼女がズボン姿であった事がない。
 戸惑っている少女に、仕方なさそうに安定性は低いが横乗りで腰掛けるように促すと、躊躇いがちに荷台のクッションを細く小さな指先で撫でた。
 初めての自転車なのだから、おそらく好奇心と同じ程、恐怖心もあるだろう。
 やはり歩きで行ける範囲にしておけば良かったかと、少年が顔を顰める。あるいは、事前に自転車で行く事を教えておいて、どんなものか見せておけばよかったと。
 自転車を支える足に、無意識に力が籠る。さっさと自転車は止めておこうと言ってしまえばいいのに、どうしても言葉が出てこなかった。
 閉ざした唇を、それでも口腔内で言葉を反芻させているせいか僅かに動かしながら、顔を顰めた少年を見上げ、少女はクッションをなぞっていた指先を少年の前に移動させた。
 真っ白な肌が、微かな日差しに照らされて、細い血管さえ透き通りそうだ。
 「和也…あの、手、いい?」
 頑張って荷台の位置を確認して座ろうとする少女は、けれどどうしてもほんの少し身長が足りないせいで、うまく座れなかった。少年が自転車を若干斜めにして座れるように位置を低くはしても、少女の身長は少年に比べ、かなり低い。当然、腰の位置も違う。
 不安定である事に不安があるのか、差し出された手のひらが少し、怯えて震えていた。
 ………やはり自転車は止めておこうか。
 所詮自分の我が侭だ。こうして、二人で出掛けるのも。本当は少女が他の子供達も誘うつもりであった事くらい、知っていたのに。
 それでも初めて、を、独占したくて。昔ながらの我が儘と浅慮でもって彼女の腕を掴んでしまう。飛び立つ翼をもいで、風に乗る足に縋って。そうして、ここに居てと、尊大に浅ましく、願ってしまう。
 歩こうと、言えばいい。今からでも遅くはないのだ。他の子供達も誘ってやろうと言えば、少女はきっと頷くだろう。
 俯いた少女は不器用な仕草で荷台に腰を掛ける。帽子と、その長い前髪とで表情は見えなかった。だからこそ、余計に後ろ向きに考えてしまうのだろう。
 怯えているのではないか、とか。嫌がっているのではないか、とか。………本当は一緒じゃない方がいいのでは……とか。
 「………なあ…」
 小さく息を飲んで、声をかける。帽子が揺れて、頤が上げられた。少しずれた帽子は若干顔を隠して視線を合わさせなかった。
 慌てたようにすぐに指先が移動して、つばを持ち上げてその瞳が覗けた。………その瞬間を、どう言い表せば、いいのか。
 ふうわりと少女が笑いかけた。楽しそうに眩そうに目を細めて、あの、太陽を見上げる時のような仕草で、笑うのだ。
 相変わらず若干手は震えている。腰掛けた荷台は少し浅く、安定していない。それでも、少女は笑った。怖いと拒否するのではなく、未知のものに触れてみたいと、幼気な健気さで挑戦を試みようと。
 「………もう少し、奥。で、腕、俺の腰」
 軽く背中を支え、座る位置を調整した後、掴んでいた少女の腕を自分の腰へと誘導する。
 言う筈だった言葉はあっさりと霧散して、淀んでいた思考は馬鹿みたいに浮き立っている。いつも怯えて、いつも怖がって。おっかなびっくり、それでも離れたくなくて腕を伸ばす滑稽さ。
 それをいつだって少女は受け止めてくれる。傷つけて倒れさせて。そんな繰り返しさえ、受け入れて。
 だから何か与えられるようになりたいと、そう思える自分に感謝したい。
 「こ、う?」
 細い腕が腰に回される。なんとか指を合わせる事が出来る程度の、本当に細くて小さな腕。やろうと思えば、自分でさえいとも容易く折れてしまうだろう。
 ………壊す事は簡単で、怖いなら消してしまうのが一番楽だった。今まで、あの小手鞠の下、天使と出会うまで、ずっとそうして生きてきた。片手程の年数は、それでもその頃、人生の全てだった。
 「手、離すなよ。落ちるからな」
 簡潔にぶっきらぼうに言って、顔を逸らす。素直でないのはいつもの事で、小さな少女はそれを知っていて、許してくれる。
 …………壊す事は簡単だった。周りも自分も、いっそ消えてなくなってしまえば、気楽だった。
 そういう物思いが今もないわけでは、ない。誰の心にもあるその淀んだ衝動を、自分は色濃く受け継ぎ、いつだって燻らせていた。
 頷く仕草が、背中に触れる帽子のつばで解った。きっと返事もしたのだろうが、小さすぎてそれは耳には聞こえなかった。ただ指先が精一杯の力で握りしめられていた。
 「……………………」
 ペダルに足をかけ、漕ぎ出す。颯爽と、風が吹き付けるようにして過っていった。
 …………多分、と、いつも思う。
 もしもこの院に来なかったら、たとえ保護されていても、自分は今の自分にはなれなかっただろう。優しい生き物になりたいと思える程、自分は強くなく、周囲に興味も関心もなかったから。
 あの頃、自分を壊す世界など滅びてしまえばいいと、淀んだ意識は全てを呪う気持ちに染まっていたから。
 ただ植物達だけが、自分にとっては救いの象徴だった。清らかに慎ましやかに、けれど強かにしなやかに生きるもの。踏み付けられてもなお花開くその強さだけに、憧れた。
 ………いつかは踏み付けた足を絡めとり喰い千切る、そんな牙を研ぎながら。
 風が髪を揺らす。少女の帽子が背中に当たる。細い指先は少しだけ震えながら、それでも変わらず自分の腹にあった。
 あの日、天使を自分は見つけた。傷だらけでボロボロで、ちっぽけで力ない、天使。
 それでも綺麗だと思った。何にも心動かされず、大好きな植物の美しささえ、見失いかけていた頃。
 木漏れ日を浴びて、小手毬にさえずる幼い女の子は、幾度読み聞かされても馬鹿らしいとしか思えなかった聖書の世界のように、見えた。
 救いの書なんて、所詮は偽善だと思うのに。………神頼みなんて、何の意味もないと知っているのに。
 それでも自分はあの時天使だと、そう形容する以外の単語を知らなかった。そしてそれは何年も経った今も同じだ。
 風を浴びて、少し震える少女の腕を見つめて、こっそりと後ろを振り返る。帽子で顔が見えないけれど、腕の震えからいって喜んでいるという事はないだろう。
 あの日天使と思った女の子は、ちっぽけで無力で身体の弱い、時に自分の癇癪を大いに刺激する事しかしない、ただの人間だった。
 解っていて、それでもやはり、少年には少女が天使に見える。
 だから、今をこんなにも嬉しく思う。遠く遠い場所ばかりを思い、憂えてばかりいる少女。その人が、今はまるでただの子供のように振舞う。それが、嬉しかった。
 ペダルに力を入れる。もっとスピードを出そうかと前方を見遣ると、少女の腕は怯えたように力が籠って腹に食い込んだ。………それに気付いて、ようやく思い当たった。
 走る事も出来ない少女。自転車など、初めて乗った筈だ。だからきっと慣れない早さに怯えている。自分達には心地よい風も、突風のようで、身体を攫いかねないのだろう。
 緩やかに漕ぎ出されたペダルは、スピードを若干落として伸びやかに走行する。暫くは震えていた指先も、そのスピードに慣れたのか、少しずつ緊張がほぐれてくる。
 振り返った先は、帽子と風に踊る黒髪。顔は見えない。それでも解る。伝わってくる、喜び。
 ………だから、いつも、思うのだ。
 不器用な笑みを浮かべて、少年は自転車を漕いだ。スピードを出さないように気をつけながら。
 優しい生き物になりたいと、そう思えるようになった因。誰よりも健気に、生きる事に必死だった小さな命。
 あの日あの時小手毬に呼ばれた。………それに、どれ程の感謝を捧げればいいだろうか。
 この腕が、足が、生きるために生きようと、している。
 自分のため、だけではなく。
 植物達のため、でもなく。
 たった一つの命を支えられる事を祈って、生きている。
 「………怖くねぇか?」
 頷く帽子の動き。指先の力は程よく、緊張は解かれている。それに笑みを深め、少年は目的地を目指して、負担にならぬようスピードに注意しながら進んでいく。
 まだ子供の少年に出来る事は少ない。………とても、少ない。
 だからせめて知っている事を守っていく。覚えた事を、忘れないようにしていく。
 たとえば、名前を呼ばない事。
 たとえば、大丈夫と尋ねない事。
 周囲から見れば不躾で気遣いのない態度でも構わない。たった一人、それを認め感謝してくれる人がいるから、それでいい。
 「もう少しだからな」
 クレマチスがとても綺麗に咲いているのだと、少年は声を弾ませた。
 それにもう一度頷いて、少女は流れ行く景色を見つめた。




 あの日あの時小手毬に呼ばれた。
 ………それに、どれ程の感謝を捧げればいいだろうか。








 クレマチスの全盛は5月ですかね。まあ大体そんな時期で少女の誕生月を想像して下さい。

 で。ピクニックに行く話でした。いや、初めはマフィン焼いている少女の話とかでもいいかな〜と思っていたのですが、和也の独占欲(大笑)と初めて(!)の自転車乗車を書いてみたいかなーと。
 ちなみに、少女は一生自転車一人で乗れません。バスは乗れるようになりました。子供が自転車乗れるようになってからは子供がバス停から送り迎えしています。
 歩ける距離なんだけどね。単に一緒にいたいだけです。子供の独占欲は可愛いなぁ。
 和也の独占欲は間抜けだけどね☆

06.8.18