柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






見上げた先には栗色のソバージュ
ふわふわ風とワルツを踊る

幾度も幾度も口を動かし
何かを伝えるつもりだった
それでも 言葉を知らない唇は
ただ蠢くだけで音を作らない

単語ならいくつも知っていたよ
あなたがいつも口にしていた
伝えれば抱きしめてくれる言葉、
音に換えるのが上手になった
それでもその時 言葉を知らない事を思い知った

…………何と言えばよかったのでしょうか





遠い背中にかける声



 うとうとと微睡むように窓にもたれ掛かる。このまま眠ってしまえそうな心地に、少女の唇から緩やかな呼気が洩れる。
 穏やかな春の日差しは柔らかく降り注ぎ、窓硝子越しに少女の身体を温めた。
 これに吹きかける風があったら揺り籠のようだと笑みを浮かべると、不意にコンコンと少しくすんだ音が耳の傍で聞こえた。
 何の音だろうかと落とされた瞼をのんびりと開き、辺りを見回すようにして首を巡らせると、出窓の外に立つ少年が視界に入った。
 「………和也?」
 小さく呟き、出窓を引き上げようと鍵を開ける。その仕草を見ていた少年は、少女の手が窓を開けるより早く、それを引き上げた。
 固定された位置で再び鍵をかけロックを行うと、少年の手が退き、また立ち尽くすようにして、その位置から出窓に座る少女を見上げた。
 どうかしただろうかと少女は首を傾げ、室内に首を巡らせる。
 特に変わった点はなく、うたた寝をしていた点に関しても、きちんと鍵をかけていたのだから、少なくとも叱られる事はない筈だ。
 何かあったかと目を瞬かせて、少し下に見える少年の顔を見下ろしてみる。が、相変わらず見上げるだけの少年は言葉を発さない。
 どこか揺れるその瞳の様に、困ったように少女が微笑んだ。
 「………どうか、したの………?和也………?」
 問うというよりは、諭すような声音で少女が囁きかける。柔らかい、優しい音。
 それに詰めていた呼吸が稼動するように、ひゅっと不思議な音がして、少年は小さく唇を動かした。
 呼吸する事さえ忘れていたようなその様子に、肩を宥めるように撫で、そのまま滑るように俯く少年の髪を撫で梳いた。
 こうして出窓で会話をする時によくする、癖のような少女の仕草にようやく慣れたらしい少年は、初めて行った時のような動揺は見せる事がなくなった。
 時折心地よさそうに目を細める様子は、母に褒められる事を喜ぶ子のような面差しさえ見える。
 揺れる前髪でようやく意識が戻ってきたのか、目を一度瞬かせた後、少年は少女を見上げた。その目はしっかりとした意志を持ち、揺らめきはしない。
 髪に絡めた指先を解き、少女が出窓に座り直すように足を垂らした。少年から離れた指先が、自身の身体を支えるように腰掛けた出窓に添えられ、伸び始めた黒髪が動きに合わせるように揺れる。
 ゆったりとした時の流れに微笑みながら、少女は言葉を待つように僅かに首を傾げた。
 「………桜、が」
 躊躇うような逡巡にも取れる間を開け、少年が唇を開く。
 それは再び僅かな間を求めて噤まれるが、背に吹きかけた風に後押しされるように口を開く。乱れてまう前髪の先、霞みそうに少女が見えた。
 揺れる髪は少年の前髪か、少女の黒髪か解りはしなかった。混じるように、それらは視野というフレームの中で乱舞する。
 それを追うように顎を上げ、軽く首を振って視界を広げた。差し込む日差しもまた取り込み、僅かな眩さに目を細めた。
 「蕾……つけてた」
 どうってことはない、まだ咲き始めてすらいない木の事を、少年が口にする。
 わざわざ部屋を訪ねてまで伝える内容ではないと、そう彼自身思っているのか、声はどこか辿々しく、言葉数も極端に少なかった。
 驚いたように目を丸めた少女が見え、少年は顔を顰めて横を向いた。不機嫌そうな視線が、何もない空間を睨むようだ。
 ぱちりと、そんな音さえしそうな瞬きを送り、少女は笑んだ。もっともその仕草は、顔を逸らした少年には、ひとつとして見届けられる事はなかったけれど。
 さわりと衣擦れの音が耳に響き、少年が訝しむように振り返る。
 逸らされていた視線は再び出窓へと向けられ、そこに座っていた筈の人を一瞬探して惑った。確かに先程までそこに居た筈の少女の姿がなくなり、室内へと入り込んでしまっている。
 会話が終わったとしても、無言で姿を消すような真似を少女はしない。眉を顰めて暫く立ち尽くすように待ってみれば、ひょっこりと出窓の奥に少女の顔が現れた。
 「………外、出るね」
 不意にそう囁いたかと思うと、先程と同じように出窓に腰掛け、持ち出した靴を片手に見せた。
 慣れた仕草で片足ずつ靴を履き、目を細めて少女が笑う。呆気にとられた少年を見るその顔はどこか幼く、悪戯を仕掛けているようにも見える。
 苦々しそうに顔を顰める少年に笑んで、少女は足下を覗き見るように下方を確かめ、するりと腰掛けていた場所から身体を滑らせて地面に降り立った。
 一応の保険として差し出した少年の腕に縋らなくとも、今はもう少女は一人でも窓から降りる事は出来る。まだ小柄ではあったが、今は出窓を見上げなくとも室内を覗けるくらいの身長にはなっていた。
 本来ならば夜とはなっていないこんな昼下がり、わざわざ出窓から外に出る必要はない。監視されているわけではないのだから、いつものように普通にドアを開ければいいだけの話だ。
 それでも敢えて出窓から降り立った少女に、結局何でも見透かされていると少年の顰めた顔が不貞腐れたように濃くなった。
 …………少年もまた、窓からの訪問などしなくても良かったのだ。今日は学校はなく、丸一日自由に遊ぶ事が出来るのだ。
 だからこそその背に鞄はなく、わざわざ外に出なくとも、室内のドアを叩く事が可能だ。
 それでもなんとなく、窓を叩いた。それは多分、他の誰かに声をかけられたくなかったからかもしれない。いまいちそうした機微が、未だ少年の中でも上手く組み立てられず、仮に少女が理由を問うたとしても解答は得られないだろう。
 ただ、思っただけだ。
 桜の木に蕾がついたと、昨日の帰り道見た光景を思い出した。暖かくなり始めはしても、まだ風は冷たい春先だ。まだ花が開くまでには時間がかかる。おそらく蕾すら気付かない人間もいる、そんな時期だ。
 固く凍るような寒さの時期から、力を蓄え丸みを作り上げた小さな蕾を、不意に思い出しただけで。
 それがなんだという、特に意味も思いもなかった。
 ただ、思って。ただ、伝えたくなった。そうして………出来るなら連れ出したいと、思ったのかもしれない。それはもう、無意識の領域。
 言い訳出来るものがないから、誰かに見られたくはなかった。そんな浅ましさから、窓を叩いた。こちらからなら、そうそう誰かが見咎める事はないと知っていたから。
 自分自身でさえ構築しきれていないそんな思考を、まるで知っているかのように少女は同意し、少年の躊躇いを包むように寄り添ってくれる。どこか、まるで自身の我が侭かのような、そんな振る舞いで。
 「和也?桜……どこの木?」
 問う声の柔らかさに、自分の意識がまたどこかへいっていた事に少年は気付く。
 これでは普段、少女に遠くを見るなと責められない。軽く詰めた息を重々しく吐き出して、少年はふいと顔を背け歩き出した。
 唐突なその行動をさして気にするでもなく、少女は歩き出した少年に従うように足を動かした。若干、彼の歩調は早く、足音を立てないように気をつけながら少女は早足で少年の背中を追った。
 …………時折、彼はこんな日がある。
 言葉に換えるには語彙の少ない自分に、当て嵌る感情や意志のカテゴリーは解らない。ただ解るのは我が侭とは少しだけ違う、彼の声と行動だけだ。
 それは少し昔の自分を思い出させる。重なるというよりは、掠るといったイメージではあったけれど。
 図らずもそれは今日、少年が自分に声をかけにきたその原因に酷似している。
 小さく、弾み始めた息に乗せるように少女が笑った。それは少しだけ困ったような笑みではあったが、ひどく楽しそうでもあった。
 相変わらず振り返る事のない背中は、変わらない歩調で先を歩む。
 自分は、出来ればそれをずっと続けてほしいと願い、彼は振り返れるようになる事を願っている。
 …………先を歩み続ける少年に、いつか少女は追いかける事が出来なくなる。それは同じように歩み続ける限り、確実に実現する事だ。彼が道から消えない限りは。
 先に歩めなくなるのは、おそらく…否、確実に、自分だろう。だから、振り返らせてはいけないのだ。
 彼が歩みたい道を、彼が思うままの速度で進まなくてはいけない。彼の歩みは彼だけのもので、自分を気遣い、振り返らなければならない事ではないのだ。
 それは決して、我が侭でもなければ身勝手な真似でもない。生きるという、それに対しての誠意であり誠実さだ。
 冬の間に力を溜め、新たに芽吹くために耐え忍び続けるように、着実にゆっくりと前に進む。時の流れのままに流されるのではなく、己の足で歩む事。
 それは生きるという、この世でもっとも成し難き道を成すために、欠かす事の出来ないものだ。
 自分達とともに生きる子供達は、その冬を春より先に知ってしまった。この世の季節全てが冬であるかのように、生まれた時から冬を知っていた。
 ……………そして、その先に芽吹くための暖かさがあるなど、知りはしなかったのだ。
 だから時に、蓄えるべき力を蓄えず浪費してしまう事もある。春がある事を知り得ず、枯れたいと願う事もある。
 それでも、歩む事を止めなければ蕾は実り、必ず花開くのだ。ゆっくりと、花開くのだ。
 弾む息が段々と大きくなる。うっすらと浮かんだだけだった汗が、玉となり頬を伝った。………気付かれてしまうと、躊躇うように息を飲み込んだ時、足音が消えた。
 「…………おい…っ」
 呼気を閉ざすような声で、少年が唸るように叫ぶ。否、叫びというにはあまりに力なく、小さかった。
 困ったように少年を見遣り、止まってしまった足を少し寂しく感じた。振り返ってほしいわけではないのに、それでも自分は彼の歩みを留め、自分へと引き寄せてしまう。
 彼の自由を束縛などしたくはないのに、彼は優しすぎて、いつも自分を振り返る。
 そうして、悲しむのだ。………もっと早くに気付ければと、顔を歪めて己を責める。
 「………どう…し、たの………?」
 掠れそうな声のまま、少し上気した頬を持て余しながらも、少女は微笑み問いかけた。大丈夫なのだと、そう言外に示しながら。
 彼は泣きそうな顔で、………もしも誰かが彼を見たなら憤っているといわれるその顔で、それでも泣く事を耐えるように唇を噛み締める。
 同じように歩く事すら出来ない。こんなに元気になれたのに。………涼しい日であれば、日傘を持たなくとも歩けるようになったのに。
 それでもこの足は、彼と同じ歩みは出来ない。追い付く事すら出来ないのだ。それはもう、違えようもない事実。
 だから、いつも思う。
 …………彼の春が来ればいいと。彼の蕾は確かに芽吹き、日差しを受けて花開く時を待っているのだ。
 冬の中、凍てつく氷にまだ捕われている自分の足を待つ事はない。
 「蕾……見に、行こ?」
 ゆっくりと呼吸を繰り返し、少女は微笑む。頬から滑り落ちた汗が中空を舞う。
 「ね………?」
 唇をあまり動かさないで、願うように囁く。足を止めないでと、細めた瞳は柔和に相手を映すのに、まるで涙に濡れるように瞬いた。
 噛み締めた唇を解こうとしながら、それでも怒鳴りつけそうな衝動を恐れて、少年は首を振るうとゆっくりと深く息を吐き出す。
 そうして、ほんの少しの間その行為を繰り返し、呼気の整った少女を睨むように見つめて、その手を差し出した。
 先を歩くと何もかも失念してしまう。そんな自身の視野の狭さを少年は知っている。だから後ろではなく横で、自分の目の届く場所にと、願うように。
 躊躇うように差し出されたその手を見つめ、少女は困ったように笑う。
 ………気にかけないでと、そういう事も思う事も彼は望まず、伝えたなら傷つける事を知っている。
 それでもその手を取る勇気は、春を知らない身にはひどく重い。
 「……………早くしろ」
 呟き、少年は拒まれる前に少女の手首を掴んで歩き始めた。歩調は先程よりも若干遅くなり、指先が蠢いて少女の脈を確かめるように添えられた。
 気遣う形が、互いに少し違う。そしてそれは、見ているものの違いであり、未来を思う形の違いでもあった。
 それでも今は歩む道が同じなのだ。だから拒むなと、怯えるように掴んだ手首。
 前を歩く背中は、瞼を閉ざせばぼんやりと浮かぶ。少女は隣を歩く不機嫌な顔を見つめ、また前方を見遣った。
 視界の先に、大振りな枝を広げた桜が見える。おそらくは蕾をその身に彩らせた桜が。
 ゆっくりと呼気を飲み込み、歩む足に力を込めた。それは互いに無意識の仕草。
 そうして吐き出した吐息の先、こっそりとお互いを見遣る。
 かち合った視線に目を瞬かせ、一人は顔を逸らして不機嫌眉を顰め、一人は困ったように笑った。
 それはまだ春になりきらない季節の、ほんの一コマ。



 まだ冬に座る少女と、春を見遣る少年の、一コマ。








 永遠にすれ違う二人だね、相変わらず。時期的には赤ん坊を拾う2か月くらい前。
 ちなみに少女が日傘なくても歩ける季節は、冬が終わった頃から春の中旬くらい。暑くなってくるともう駄目です(苦笑)冬は逆に日差しが痛い。

 二人はお互いに望むものが違うので、どうしても重なりあわない。でもきっとお互いほど相手を知ろうとしている相手もいない。理解できるできないは別として。
 他者を理解できているなんて、そんなエゴは二人とも持ってないし、持てないから。
 ただ知りたいだけ。知った上で、それでも相手を受け入れたいだけ。それが何より一番、自分が欲しいものだから。
06.10.7