柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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見えなかったのだと、思う。
その女の子に、自分は見えてなどいなかったのだと。

彼女の目には鮮やかな色が映されるばかりで
決して自分達のように淀んだものは映らないのだと
まるで被害者のようにそう思い、泣いた。

こちらを見てと、のばす腕の残酷さ。





木漏れ日の花よ。



 その日自分は天使を見つけた。
 小手毬に頬を寄せ、穏やかな高い声で囁いていた。
 声は聞き取れず、何を囁いているかなど知りはしなかったが、その幼い女の子の笑みに、ただ目を奪われた。
 自分は一度も見たことがなかった。彼女に表情があるなど、知りはしなかった。
 向けられる顔はいつもどこか遠くを見つめ、霞んだ視界を思わせる濁った目をしていたのに。
 柔らかく咲き誇る花が、咲いていた。春の日差しの中、その天使は舞い降りた。
 その天使にこちらを見てほしくて。………自分に気づいて欲しくて。
 声を、かけた。
 「…………それ、小手毬だよ」
 はねそうな鼓動を押さえ込み、必死に告げたその声は確かに天使に届いた。
 届いた、のに。
 「…………………そう…なんだ」
 呟いた声は静かに掠れ、綻んでいた口元は閉ざされる。煌めいていた眼差しは、影を帯びて伏せられた。
 天使が、逃げてしまった。自分の声を聞いて。
 取り返しのつかない過ちを犯したような気がした、木漏れ日の花の下。



 「………懐かしいこと思い出した…」
 「どうか、したの?」
 不意に呟いた言葉に返事が返る。向かいの椅子に座り昼食を食べていた女の子は、小首を傾げて不思議そうな目を向けていた。
 それに目をやり、和也は器用にパスタを巻き付けたフォークを口元に近付けながら答える。
 「いや、昔のこと。ちょっと思い出しただけで、たいしたことじゃねぇよ」
 パスタを口にし、それを咀嚼している間、少女に目をやるが、きょとんとした目を瞬かせた後、納得したのか小さく笑い、自分と同じようにパスタを食べ始めた。
 味は悪くなかった。が、昨年よりもトマトの質が落ちた気がする。もう一度資料に目を通して対策を立てなくてはいけない。
 頭の片隅で考えながら飲み下したパスタは、自然一色の味がする。全てを自家製のものでまかなったのだから、当然といえば当然だ。
 大分畑のことを任せてもらえるようになった。
 今は小さいとはいえ、自分で自由に使ってもいい土地さえもらえた。まだ何を作るか決めかねてはいるが、どんな作物を実らせるにしても、最上の土を最上の状態で与えられるように日々余念なく状態を把握していた。
 「おいしい、ね」
 ふともれたように呟く声に惹かれ、遠くに飛んでいた思考が舞い戻る。目の前には、淡く笑う小さな女の子。
 子供というには、どこか大人びた静けさをまとう子供だった。自分よりも小さい身体で、けれど彼女は自分よりもずっと先を見据えていると、いつも感じる。
 「和也が作った野菜だって、シスターから聞いたわ」
 「………別に俺一人で作ったわけじゃ…」
 まっすぐな好意と賞賛は、この上もなく心地のいい音楽に似ていた。赤らみそうな頬が照れくさくて、横を向く。
 怒ったように心持ち険しい表情になってしまうのをどうにかしたくても、どうにもならない。それでも身の内に湧くのは、喜びだった。
 どうしたってこの小さな女の子に敵わない自分でも、彼女を喜ばせる術があることが誇らしかった。
 「でも和也、たくさん勉強しているし、研究も、しているでしょう」
 ふと言われた言葉に、顰めるように眉を寄せていた顔を、彼女の方に戻した。
 気まぐれな自分の移り気な態度に慣れている女の子は、特に気にした風もなく言葉を続ける。
 「シスターが、驚いていたわ。自分達でも見落としていた場所を、すぐ見つけて改良するって」
 「……なんで、知ってんだよ」
 「なにを?」
 どういえばいいだろうと迷いながら呟く疑問に、彼女の大きな目が、問いかけをもってむけられた。
 真っ直ぐで迷いのない瞳は、純度の高い宝石に似ている煌めき。昔、彼女を見つけた、あの春の日差しの中の煌めきを思い出す、清らかさ。
 「勉強……それに、研究も。俺は誰にもいって、ない」
 言葉に詰まりそうになりながらもなんとか聞きたいことを言葉にすると、彼女は些細なことだというようにふうわりと、笑んだ。
 幼い細い指先がテーブルの上で交差し、組まれた。そうして微笑む女の子を、天井近くの擦りガラスの窓から入り込んだ日差しが、照らす。
 まるでひとつの絵画だ。あるいは、神話の挿絵だろうか。
 どこか彼女は現実離れした表情で笑う時がある。遠く遠く、人智など及ばない未来を知り得たように、静かに笑む時が。
 それはあの時の天使の再来を思わせるのと同時に、息を詰まらせるほど、自分を恐れさせる。
 ……………………声をかけたならまた、天使は消え去るのではないか、と。
 今度こそその姿ごと全て、消え去ってしまうのではないか………と。
 「わかるわ。だって、和也いつも泥だらけ」
 「……他の奴だって…」
 「それに、よく図書室に行くわ。袋に土を入れて、どこかに行くのも…見たことがあるし、このあいだは、去年の農作物の資料、コピー、していたでしょう」
 「…………………………」
 くすくすと、まるで見知った物語を語る軽さで彼女は教えてくれる。彼女の目から見た、自分を。
 本当に、彼女はよく人を見ているのだ。
 あまり動き回れないせいか、その分、人一倍観察力に優れている。誰がどんなことをしていたか、大抵彼女は把握しているのだ。
 まるで全身がアンテナだ。どんな些細なことも聞き逃さずに受け止める、そんな雄大で脆いアンテナ。
 「……気に、触った…………?」
 心持ち傾げられた首が、申し訳なさそうに寄せられた眉を差し出すように揺れた。長い黒髪がそれに従うように揺れて、光を照り返す。
 首を振れば安心したように笑い、彼女は残りのパスタをゆっくりと食べていく。咀嚼をしっかりしなくてはいけない彼女は、いつも大抵、一番に食べ始めて、最後まで食堂に残っていた。
 いつの頃からか、そんな彼女が気遣わないよう暗黙の了解で、彼女の座るこの隅のテーブルは彼女の専用となり、そしてやはりいつの頃からか、当たり前のようにそこに自分は陣取るようになった。
 奇妙な関係だと、常々思う。周りが囃し立てるような、そんな浮ついた感情なのかと自分で問いかければ、否定は出来なくともどこか違う。
 そしておそらくは、彼女は自分にそうした感情は抱いていない。それだけは、確かだ。
 それでも傍にいることが、随分当たり前になりつつある。
 ちょうど今のこの位置が、多分互いに心地がいい。
 離れることはなく、かといって決して無理強いのない、自然さ。
 そう思いながら、自分にも降り掛かる日差しを細めた視界におさめた。ぼんやりと、彼女を見る。
 身体の弱い彼女は、常に誰かに見られて育ったせいか、こうして食事をしている時であろうと、視線を向けられることに抵抗がない。そのせいか、自分は時折彼女に対して随分不躾な態度を取ってしまうことも、多々あったけれど。
 だからその時も、本当に些細な日常の会話のつもりだった。
 彼女が自分について知っていたように、自分もまた知っていると、いいたかったのも事実だ。
 それでも本当にただ、思い出しただけで。
 ………それ、だけのことだったのに。
 思い返せばいつだって申し訳なさに息が詰まる。それでも彼女は微笑み、当たり前のように自分の過ちを許すから。
 気づくのは、いつだって遠い遠い未来になってしまうのだ。
 「そういえば…」
 「…………ん?」
 「お前、俺らみたいにバカ笑いって、しないよな」
 「…………」
 「怒鳴ったり叫んだりも聞いたことねぇし、本当に大人顔負けだな」
 もっと子供らしく甘えればいいのにと、揶揄する言葉は多分………自分にも甘えて欲しかったからだ。数歳といえど自分の方が年上で、彼女にとって頼れる存在になりたかった。
 微睡むような心持ちで呟き、彼女はなんと答えるかを想像する。
 困ったように笑うか、不思議そうに見返すか。それとも…………
 どこか楽しいクイズの解答を想像するような気持ちで思い描いていたいくつもの彼女の顔が重なり、そうして、眼前に座る彼女の影に重なった。
 「………そうね…」
 彼女は笑っていた。思った通りだとその唇を見つめて思う。
 ゆっくりとその唇を追い越し、その顔を全て視界におさめようとして、視線が凍り付く。
 ………………笑っていた。それは、確かなのに。
 どうしてその時に、思ってしまったのだろうか。
 彼女が泣いていると、そう感じた。
 音でもなく、表情でもなく。まして確かな涙などあり得ぬ姿で、それでも彼女は泣いていた。
 「あ…………っ!」
 がたりと音を響かせ、立ち上がりそうになる。けれど実際は微睡んだ姿勢を正し、彼女との視線を確かに交わるよう背をのばすことしか出来なかった。
 何かを間違えた。伝え方か、あるいは言葉自体か、話題そのものか。
 それがなんであるかは解らないけれど、彼女の中の何かを踏みにじった。それだけは解った。
 解ったことを誇ればいいと、きっとシスターたちはいうだろう。他の人間には解らないことを知り得たのだから、それは素晴らしいことだと。
 それでも、子供である自分だって解る。それはあまりに傲慢だ。自分のことだけを主体に、傷付くことを恐れて相手を(ないがし)ろにしているだけだ。
 傷つけたことから逃げて、解りあえる筈だと、未来に希望を託しているだけだ。
 そんな愚かな真似、したいわけではない。だから声をかけようとした。それなのに、自分が口を開くより前に、彼女は笑うのだ。
 「そう出来ると、いいわ」
 ふんわりとやわらかく。あの日の木漏れ日に舞う天使の笑みで。
 何もかもを悟り、許しを与えるように彼女は笑う。自分の愚かささえ知っていて、そうしてその上で、笑うのだ。
 後悔したのなら構わないと、そういうように。
 気にする必要すらないのだと、そう諭すように。
 どうしてと叫びたい感情を飲み下し、和也は彼女の視界に入らぬ膝の上で、拳を握る。



 初めて彼女を見た時、人形だと思った。
 どろりとした眼は透明すぎて何も映さず、表情はどこかぎこちなかったから。
 木漏れ日の下の彼女を見た時、天使だと思った。
 祝福を与えるように笑んで、小手毬に頬を寄せていた。
 どちらが本当の彼女かなんて、自分には解らない。
 知っているのは、そのどちらもを彼女は内包し、そうして今もまた、笑んでいる。

 なにもかもを許すように祝すように。
 あるいは
 なにもかもを諦めるように手放すように…………








 和也とシスター。いや、シスター名前は一応あるんだけどね。この頃ちゃんと呼ばれている名前は。
 でも和也はそれで呼ばないし、シスターはそれを自分の名前と認識はしていないので敢えて出しません。
 呼び名などたいした意味はないのですよ。その人が解ればいい、それだけです。

 まだこの頃は少し不安定なシスターです。もう少し、この数カ月後くらいに赤ん坊を拾って開花されていきます。ん?半年くらい先か?
 全てを受け入れて笑うことと、全てを諦めて笑うことは似ています。
 彼女の中でそれがまだせめぎあい続けています。
 揺れる天秤への、最後の重しが、赤ん坊なのですよ。
 和也にはその全ての因は赤ん坊にあって、自分には欠片もないと思いがちな部分がありますが、そういうわけでもないのです。
 最後の一押しがとても印象的でも、その最後までを支えたものだって同じくらい大切なものです。
 まあおそらく和也は気付きませんけどね。まだ13歳ですから、そこら辺は仕方のないことです(シスターにいたっては11歳だよ)

05.2.11