柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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天使はワルツを踊っていた。
風と戯れるように
花と交わるように
美しく緩やかなそのワルツ。

 一歩そばに寄ればそれは壊れると知っている
 だから、遠くから眺めていた
 あの初めての日から、ずっと…………



木漏れ日の花よ。  2



 空は晴天だった。春の日差しに変わりつつある薄い青を映す空気は清々しく鮮やかだ。
 今日は随分気温も高い。ゆっくりと春が近付いていることが知れる。
 土をいじりながら、ふと見上げた空に緩む口元。こうした天候の日、昔から欠かさず散歩に出る女の子を知っている。勿論それは身体の自由が利けば、という限定範囲ではあったけれど。
 それでも今は……昔よりは不安定さの薄れた今は、晴れてさえいれば必ず外に出るように心掛けていると言っていた。
 昼食の時にでも誘おうか。自分も付き添っていれば、多少の遠出も認めてもらえるだろう。
 こんな天気の日は、自分だってどこかに出掛けたくなる。彼女が一緒なら、また何か別の発見がありそうだ。
 周りが囃し立てる声を想像して僅かに眉を顰めながらも、おそらくは子供を見る視線と同じ穏やかさでそんな友人たちを見つめるのだろう、自分よりも小さな女の子を想像し、苦笑する。
 浮いてしまうのは、多分仕方のないことだ。彼女は少々生き難い生き方をする子だから。
 普通と括られる子供には、その感覚がまだ解らない。
 もっとずっと先になればきっと解るのだろうが、おそらくその頃に彼女はもう、この世にはいないのだろうとも思う。………決して否定出来ない事実としての、それは認識。
 思い、小さく息を吐く。
 やはり後で彼女を誘い、どこかに行こう。
 もっと沢山、彼女には知ってほしいものがある。時折いまも垣間見せる諦めに似た微笑が消えるくらい、幸を贈りたい。…………傲慢で浅はかな祈りではあるけれど。
 今日の作業は終わりにして、先にシスターたちに許可を貰おうと和也は立ち上がる。麦わら帽子とタオルを近くのベンチに置き、ポンプ式の井戸水を汲み上げて顔を洗う。清々しい心地よさだった。
 そうして顔を拭きながらぼんやりと道を見遣ると、ちりんという、可愛らしい鈴の音が聞こえた。
 それに気づき首を巡らせる。それはあの女の子が自分の日傘に括りつけている目印だった。
 一人で出歩く時はどこにいるか解るようにと、愛らしい鈴をつけたシスターを顔を顰めて批判しそうになった自分とは対照的に、彼女はやんわりと笑んでそれを承知した。………まるでそれは、子供の我が儘を聞き入れる大人のような、そんな静かで柔らかい、慈愛深き様だったことを覚えている。
 もう体調も大分落ち着いているし、そろそろその鈴の必要性はなさそうだとこの間シスターも言っていた。彼女は物持ちもよく、鈴のつけられたその日傘はもう大分古びてきている。
 シスターに許可をもらう時、ついでに今度の彼女の誕生日プレゼントに日傘を買ってもいいか聞いてみようか。勿論、鈴のないものを。
 どこにでも自由に行ってもいいという、その象徴のような日傘を。
 それは華やかな想像だった。彼女が一人どこかに行っても、それに自分が連れ添われているような、不思議な安堵。何があっても守れるような錯覚に似た、安堵だった。
 麦わら帽子とタオルを掴み、和也は土を踏み締めて道へと駆けた。
 早くシスターにいって、許可が欲しくなってしまった。これではとてもではないが、彼女の誕生日まで待てそうにない。
 それでもきっと潔癖な彼女は、理由のない贈り物はやんわりと断るだろう。自分のために何かしなくてもいいのだと、十分事足りているという笑みで。
 物欲に薄いその姿は、少し、執着のない浮き世離れした風情があった。
 ちりん………と、また音がする。
 その音に誘われてふと見遣った先には、小さな背中が見えた。もっとも軽量型の大人用の日傘は彼女にとっては大きく、背中が見えたといっても、結局はそのほとんどが傘に隠されてしまっていたが。
 それを見送るように眺め、また駆け出す。
 この道を進むのであれば、きっとあの小手毬の木の方に向かうのだろう。
 この辺りに花は少なく、農作物が中心の菜園ばかりだ。この時期、花が綻び始めた小手毬の木の下、彼女はぼんやりと夢想したり本を読むのが好きだった。
 シスターとの話が終わったら彼女を迎えに行こう。その頃にはきっと、昼食になる。もしかしたら道の途中で出会うかもしれない。
 どちらにせよ、きっと仏頂面になるだろう自分を、それでも彼女は笑って一緒に帰ろうというだろう。
 そんな珍しくもない一日の途中、和也は院に向かい駆けていった。
 その日が、彼女にとってどれほど特別な日になるかなど想像も出来ない、穏やかな日の幕開け。


 思いの外あっさりと許可は降りた。少し遠出の散歩も、日傘の件も。
 遠出に関しては、前々から検討していたらしい。彼女一人でもそろそろいいのではないか、と。
 あまりに彼女の生活範囲は狭い。この院を中心に、菜園と森と、その先に広がる広場だけが彼女の知っている世界だ。………遥か昔、この院に来る以前の記憶はあまりに幼くて、彼女には残ってはいない。
 近頃の病態の安定を考慮すれば、多少世界を広げてもいいという結論らしい。  いくら大人びていても、彼女はまだ11歳の子供なのだ。もっと沢山我が儘を言うべきなのに、彼女は与えられる生活空間への不平不満がない。目の前にあるものを愛おしむという、大人ですら難しいことを当然のように体現していたから。
 彼女に言ったら、どんな顔をするだろうか。
 もしかしたら、歓声を発するかもしれない。
 今まで一度として、自分は彼女の感情の昂りを見たことはなかった。そう考えると、今から伝えることが出来る事実が、ひどく特別なことに思えて胸が高鳴った。
 走っているのとは別の意味で、鼓動が早くなる。
 大分あの小手毬の木に近付いた。もしかしたら、そろそろ彼女がこちらに歩いてくる姿に出会うかもしれない。
 そうしてふと、思い出した。昔、彼女に今考えたことと似たことを言って、不可解な顔をされたことを。
 笑っているのに泣いていた、あの顔。脳裏に蘇った表情は穏やかな笑みだった。どうしてそれを泣いているとその時感じたのか、いま思い出しても解らない。
 きっと気のせいだったのだと納得するのは容易いことだった。
 子供は毎日起こるあらゆる冒険に忙しくて、とても大事だった筈のことさえ、あっさりと忘れて蓋をすることがある。あるいは、抱きしめ過ぎて無意識下に沈め込んでしまう、か。
 どちらにせよ、その時和也はただ浮かれていた。
 気持ちのいい天気の日、遠くに出かけられる。しかもそれには、普段は出歩くことのあまり出来ない女の子を連れて、だ。
 まるで大人になったような優越感が湧いた。彼女にとって頼ることの出来る存在になれるような、そんな気がした。
 そう思って走っていた足が、不意に緩んだ。
 ………鈴が、鳴ったのだ。
 それは彼女の日傘につけられた鈴の音。
 愛らしい、高らかな音は、彼女の声に少し似た澄んだ音色。
 それが、弾き落とされるように、鈍い音を響かせた。
 まさかと思い、止められた足のまま耳を澄ませた。取り落とした日傘を拾う、その音色が響くことを祈って。
 けれどそれは聞こえなかった。そうしてその後に聞こえたのは、駆ける足音。
 さっと和也の顔が青ざめる。
 この足音が彼女のものだとしたら、どうすればいいのだろう。いくら彼女が丈夫になったといっても、それはあくまでも昔に比べて、だ。
 彼女が駆ける姿など見たことのない和也にとって、それは未知の領域だった。それを見ることが出来るとはしゃげるほど、馬鹿ではない。
 ………拾われることのなかった日傘が、彼女の身に何かが起きたことを如実に物語っているのだから。
 心臓が痛いくらいに音を出していた。息が、切れる。彼女の名を叫んで、せめて気持ちだけでも落ち着けようとした瞬間に、茂みの合間から彼女の指先が見えた。
 確かにその茂みの方角は、この道を歩いていくよりは直線距離的に院に近い。しかしそんな無謀な近道を、彼女は行わない。常であれば。
 日射しが舞い降りる。あの、初めて出会った日に彼女が浴びていた陽光。
 そうして照らし出された面は、蒼白だった。
 白というよりは青いその顔に、見開かれた瞳。恐怖のような、驚愕のような面持ちをさげ、彼女は戦慄く唇を数度開閉させて、ようやっと叫んだ。
 「助けてっ!」
 「え……?」
 「助けて、お願い、助けて、あの子を。私じゃダメ、走れない、あの子を連れて、走れなかったの。助けて、助けてっ!」
 ただひたすらに連呼される助けてという単語。状況がまるで把握出来なかった。それでも駆け寄った自分に縋るように掴む両腕は、力ないほど細いくせに、痛いまでの強さでその存在を主張していた。
 「来て、来て、こっち……あの子を、助けて。どうして、走れないの………守りたい…のに………」
 少女の小さな指先が、蒼白を露にするほど強く和也の服を掴んだ。そうしてまた来た道を振り返り、独り言のように何か呟きながら引き寄せる。
 喘鳴が聞こえる。彼女にとってそれだけの行為がどれほど苦しいか、想像しか出来なくともその呼気に確かに現れていた。
 困惑したままに和也は引き寄せられる。………こんな取り乱した少女は初めて見た。
 言葉の明解さもなければ、いつもの穏やかな笑みもない。振り乱した長い髪が、日に曝されて鈍く光る。いつもであれば日傘の下、静かに日差しから隠れている、その髪と肌。
 それからのことはほとんど夢のようだ。
 彼女に連れられた小手毬の木の根元には、赤子を内に秘めたままのクーファンが添えられていた。
 それはどう足掻いても彼女には到底抱えられるわけのない、彼女自身の2/3はあるだろう大きさだ。
 そんなものを持って院に帰ろうものなら、おそらくは途中で彼女が倒れるか、引きずられたクーファンが破けるかのどちらかだっただろう。
 実際、自分でもよく運べたと思う。日傘もささず、必死に駆けて帰りシスターを呼びにいこうとする彼女を留めながら、そのクーファンを抱えて。どうやってそれが可能だったか、思い出せないほどだ。
 ただふと気づけばクーファンを地に置いた自分と彼女の前に、シスターたちがいた。そしてクーファンから取り上げた赤ん坊を抱く自分の前で、彼女は先程と同じように取り乱したまま、シスターたちに駆けた。
 そう、駆けていたのだ。
 それを見つめながら、ぼんやりと考えていた。彼女はきちんと走れたのか、などと。
 叫んで、あんなにも泣き叫んで。きっと先程の叫びだって自分ではなく、シスターに向けてのものだった。
 一度として自分の名はあがらず、シスターたちを視界に入れて初めて、彼女は人の名を口にしていた。
 ………解っていたのだろう。あんなにも混乱しながらも。
 自分では何の役にも立たないことを。きちんと彼女自身、知っていたのだ。子供である自分達では、この赤ん坊をどうしてよいのかまるで見当もつかないことを。
 泣いて叫んで……そんな彼女を見つめて、悔しさに視界が曇る。
 何も出来なかった自分が、悔しかった。この赤ん坊を抱き上げることくらいしか出来ず、彼女の心を落ち着かせる術もなく。
 ただ、一緒に帰ってきた。長い道程を、駆け出そうとする彼女の腕を捕まえながら。
 まるで重しのようだった、自分。
 そうしてぼんやりとただ眺める事しか出来ない自分の前で、彼女の身体は崩れた。
 「……………………っ!」
 赤ん坊さえ取り落としそうな衝撃の中、叫びにならない声を喉奥に響かせる自分の前で、シスターが呟く。
 「やっぱり、まだ…………」
 絶望色が、目に映る。
 彼女はただ、求めただけなのに。
 小さな命を助ける腕を、求めただけなのに。
 それ故の狂乱で、自由が消えるのだろうか。
 腕の中の赤ん坊を見つめて、涙が溢れた。
 倒れた彼女を抱き上げるシスターたちの静かなざわめきの中でさえ、赤ん坊は健やかに眠っている。

 その静けさは、どこか彼女の笑みに、似ていた。








 赤ん坊を見つけた少女を見つけた和也。
 はじめっから取り乱したわけじゃないのよ、彼女。ただ知ってしまっただけ。体感的な意味だけでなく、現実としての己の意味を。
 少女は遠出が出来ないです。いつ発作が出るか解らないし。倒れるのかも解らないし。
 でもそれをさほど不便とも不満とも思わないです。
 目の前に広がるものだけでも、世界は十分広いのです。
 
 一応それぞれで読み切りにしているつもりですが、それぞれの部分で書かれた伏線が消化されるのはそれぞれの次の話でだったりしています。ので、まあ、3話とも読んで下さると嬉しいかも。
 ちなみに今回のストーリーは別に赤ん坊見つけたことが中心ではないです。
 大声を出したり思いっきり笑ったり泣いたり、そういうことをしないシスターの理由、を書きたかっただけ。

05.2.13