柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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 綺麗なものがどんなものか、自分は知っている。
 鮮やかな空とか
 見渡す限りの草原とか
 深く澄んだ湖面とか
 沢山、知っていた。

それでも彼女を表す時に
 そのどれもが足りない。
これだと思うものはその一部しか象徴せず
 彼女の深さも掴み所のない静けさも
  決して写し取ってはくれない。

だから、欲しくなった。
彼女だけを表すような、そんな花。
この世のどこに、それはあるのだろう。

幾冊もの本をめくっては、溜め息を吐く。



遠く離れた土地での出来事(後)



 どうしてだろうと、思った。
 自分の全てがいつも彼女に帰り着いてしまう、この傾斜。
 いつだって手を伸ばしたくなり、また、伸ばして欲しい相手。
 彼女は決して、それを求めているわけではないだろう。毅然として、潔癖な少女なのだから。
 一人でも大丈夫と、きっと笑う。あの子供を抱きしめたまま、その細くか弱い身体を折ることなく、すらりと美しい背中を晒して、生きるだろう。
 そうして生きることが出来る彼女を、自分はただ見つめるだけだ。その支えになりたい癖に、いつだって足を引っ張るばかりで、悲しませたり傷つけたり、ばかりだ。
 今もまだ思い出す。あの子供を見つけた時の、彼女の取り乱した姿を。そしてそれをただ見つめることしか出来ず、何をするわけでもなく呆然としていた自分を。
 あの、たまらないほどの無力感。
 固く握り締めた拳が痛みを訴えることさえ忘れて、唇を噛む。視線の先には、鮮やかな藤の花たちが、美しいたたずまいで垂れ下がっている。
 歓迎を花言葉に含むその姿は、確かに自分を包むようだけれど、それ故に、切なさも募る。
 もっと、強くなりたいと、いつも思う。
 彼女のような強さを持ち得ない自分は、それでも道を見いだしたというのに。
 彼女を貶める事なく、自分が一人立ち上がり彼女を支える道を模索出来る、今の道を。
 深く息を吐き出して、俯きそうな心持ちを霧散させる。
 今はそんな風に恋しがっていても仕方ない。それは、確かだ。
 成したいことがあればそれに見合った努力が必要だ。それを惜しまないと決めたのだ。こんな風に揺らいでいる暇は、確かになかった。
 「ちょっとはふっきれた?」
 楽しげな声で問いかける相手を振り返れば、その手には鮮やかな青い液体が入っていた。ハーブティーといっていたが、ジュースに変わったのだろうか。
 立ち上がり、彼女が持つには重そうなトレーを受けとる。
 華奢に見える細腕が、実はそれなりに筋肉のついている力強さを兼ね備えていることは見知っていたが、それとこれとは話が別だ。どれほど年齢に差があろうと、男としてのプライドは人一倍あった。
 クラッシュされた氷が目一杯入った涼やかな細身のカップには、愛らしい青い花が添えられていた。
 くんと香りを嗅ぐが、特に甘い香りはしなかった。不可解そうにそれをテーブルに置き、トレーを端に寄せた。
 「アイス用に用意しておいたブレンドティー、売れ行きがいいみたいだから失敬しづらかったの。だからさっき採ったマロウよ」
 「………………?」
 「ウスベニアオイっていえば、解る?」
 いわれた名前に即座に脳が反応して、辞書を引くようにしてその花の生態が脳裏に蘇る。確かに、ハーブとして用いるという情報があった気がする。
 「水出しなら一番好きなやつよ。見た目が綺麗でしょ?」
 「変な味だな」
 「そういうものなの。喉にいいんだから有り難く飲みなさい」
 「………喉に?」
 「なに、興味あるの?」
 珍しいと目を丸めて身を乗り出せば、少し腰を引くように背もたれに背中を預けて、和也が渋々といった態で答えた。
 「あいつ……喉、弱いんだよ。喘息、あるし………」
 「ああ、彼女かー。薬との併用は主治医に聞かなきゃダメだけど、これはうがいなんかにもいいわよ」
 「血圧も低いから、急に動くと立ち眩み、ひでぇみたいだし。無理すればすぐ熱出すし……」
 「喉と低血圧なら、リコリスとかヒソップもいいかもしれないわね〜。リコリスなんて免疫強化も含むわよ♪」
 「それに………」
 「………ちょっと、まった」
 嬉々としてハーブの蘊蓄をたれようかと意気込んでいたが、まだまだ続きそうな予感に、ふと和也の言葉を止める。
 流石にそれだけの症状全てに適用出来るものは、ない。もちろんブレンドすればいいことだが、それも長期の服用は避けるべきだし、身体が弱いのであれば尚更のことだ。
 「彼女って、身体、弱いの?」
 「…………………」
 頷く顔は、暗い。快活とは言い難いとは言え、四方に敵がいても平然と打ち破るタイプの子供が、そんな顔を晒すとは思わなかった。
 それだけで十分解る。彼女の身体は相当弱く、その上、あまり良くもないのだろう。
 項垂れる様を見ながらふうと息を吐く。
 なんとも遣る瀬無い話だ。こんな小さな少年が、たった一人大事に思っている相手は、そんな状態だなど。
 「大変ね、どこにいっても」
 しみじみと、ここにいても帰っても結局は彼に待ち受ける苦労を思い呟けば、不可解そうに彼は眉を顰めた。
 何をいっているのかいまいち計りかねたというその表情に首を傾げ、指先でストローをいじりながら問いかけるように言葉を足した。
 「だって、彼女、身体弱いんでしょ?」
 「ああ」
 「…………あんまり、良くもないんでしょ?」
 「俺が初めて会った時に言われていたらしい、『生きられるか解らない年齢』はもう越えた」
 「…………………………。えっと、で、和也はこんな遠くで一人で、周りからはまあ……好き勝手絶頂なまでに言われまくってるわけじゃない?」
 「雑魚に興味ねぇ」
 「そんなだから敵増やすのよ。……じゃなくて。ほら、それだけ条件そろったら、大変でしょ?」
 「なにが?」
 そこだけが解らないというように、和也が問い返す。事実は全て肯定で、けれどその憶測だけは、否定だ。
 重々しい状況の中、それをたいしたことはないと笑えるだけの胆力が、その年であるとでもいうのだろうか。
 その微妙なラインを計りかねて顔を強張らせれば、よく解らない奴だというように首を傾げ、和也はストローでハーブティーを飲み込んだ。
 飲みやすいような、そうでもないような……表現の難しい味だった。
 それでも冷たいそれは喉を冷やし、うだるように溶けかけた思考に活気を与えてくれた。
 綺麗な青い水色はどこか空に似ている。氷を浮かべればまるで雲だ。きっと少女は喜ぶだろう鮮やかさ。
 それを見つめながら、ぽつりと、小さく呟く。
 「大変なのは、俺じゃない」
 「…………っていうと?」
 「あいつは、いつも俺のせいで傷つく。怪我もするし、体調を悪化させる。………俺は、そうすることは出来ても、あいつを助けられない」
 自分はマイナス要因にしかなり得ず、彼女を守るに値しない。だから、大変なことは何一つないのだ。
 ただ苦しい。ただ悲しい。………切なく、遣る瀬無い。
 守りたいと思うことと実際の行為とは別物だ。思いだけでは何も成せないと、自分は実感している。
 だからこそ、ここに来た。目に見える形で彼女のために出来ること。彼女がいなくなった先で、それでも彼女の遺志を継げる力が欲しかった。
 「いつだって、俺の原点はあいつで。あいつは俺に縛られる」
 「………………」
 「あいつは遠くばっかり見ていて、いなくなった後のことを悲しんでばっかだ」
 「………それは…」
 何もかける言葉は思い付かないけれど、それでも否定したい気持ちで言葉を挟もうと開いた唇は、けれど思いのほか強い眼差しに遮られ、噤まれる。
 「あいつは知ってる。俺があいつを帰る場所にしていること」
 「……悪いことじゃ、ないじゃない」
 それは人なら誰もが持つ感情だ。その対象は家族だったり恋人だったり様々かもしれないが、それでもそれを携えていなければ、人は孤独の中で潰えてしまう。それくらい、人は弱く脆いのだ。
 だからそれは糾弾すべき論点とは違うといってみれば、和也の首が振られた。
 どういうことか解らないと眉を顰めれば、懺悔のように震える声が、呟いた。
 「あいつしか、なれない。もうずっと……そうだった」
 「だから………っ」
 「いなくなった後のこと、を……あいつは悲しんでばっかりだ」
 言いかけた否定の言葉を遮るようにして、もう一度繰り返された言葉に、魔女は息を飲む。
 悲しんでいると、和也はいう。
 自分以外に帰る場所を持たず、飛び立った後の拠り所を失うだろう彼を、その少女は悲しんでいると。
 愕然と、した。和也よりも小さいと聞いていた少女は、一体どんな心を持っているというのか。
 なんという、遠大な関係だろう。大人たちでさえ目先のことしか考えられない者が多い中、なんて切なく未来を見定めている命たちだろう。
 死を思い生きるということは、並大抵の精神力では出来ない。その死を間近に感じていない限り、どうしたって人はそこから目隠しをしてしまうから。
 それでもそれを見定めて、二人は一体どれほどの時間を一緒にいたというのか。
 「だから俺は、こんな所で、もたついていられねぇ。早く、叶えねぇと……間に合わない」
 適当に済ませられないのは当然だ。それは生涯で唯一の約束。しかも叶えるための期限付きの、ものだ。
 一日だって早く。一秒でも、早く。
 そうして叶えなければ砂上の楼閣のように消え失せる、そんな砂時計の中の夢だ。
 「…………………」
 言葉も出ずに息を飲む。
 こんな生き方をする子供がいるのかと、衝撃を受けた。
 あまりにもそれは美しく、繊細すぎる。今の世の中では脆く儚いものは、すぐに排除されて消え失せてしまうというのに。
 それでも二人は変わらずにそのままなのだろう。
 まるで写し鏡のように似ていて、そうしてまるで正反対を歩まなければいけない二人。
 湖面に落とした写し鏡が取り戻せないように、いつか和也は永遠に片割れを亡くすのだろう。それでも、代わりを探すこともせずに生きるのだろうか。
 潔さは、時に過酷すぎる試練だ。
 それでもそれは否定するにはあまりに美しすぎる夢。
 遣る瀬無く眉を顰めても、笑んで頷く。
 少なくともここに、二人の生き様を肯定し認めるものがいると示したくて捧げた笑みは、それでもやはり、悲しみと切なさに染まってしまう。

 頭上に輝く日差しの暑さから遮られた藤棚の下、僅かな影を帯びた藤の花を見遣りながらぎこちなく笑い、二人は青いその水色を喉へと落とす。



 青い青い、空を飲み込むような、不可解な感覚とともに。








 端から見ていて、二人の関係は悲しかったり切なかったりすると思うのですよ。
 限られた時間を解っていて、それでも一緒にいるには、二人はあまりにもまだ若いし、そのくせ潔すぎるから。

 和也はこうして薬草魔女からハーブの蘊蓄を習って、独自でもブレンドして、少女に飲ませています。
 なんで昔から、といっても6~7年くらいかしら、彼女が飲んでいたの。発作起こした時は吸入の方だろうけど、それ以外の軽い咳の段階ではお茶飲んで喉癒しているのですよ。

 しかし……こうして書くと和也一途だね。健気だね。
 そしてきっとおそらく本当に、生涯女性は近付けなさそうなこいつの頑固さもすごいよ。
 でも少女は和也には幸せになって欲しいし、家族を得て子供を残しても欲しいんだよ。  まあだけど和也は少女を思う時間が一番穏やかで幸せな事を知っているから、それ以上の感情を捧げられる相手もいないのに家族が欲しいとは思わんのだろうけど。
 幸せの定義は人それぞれで、だから叶えるのが難しい。

05.6.6