柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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 「きゃ〜♪思ったっ通りのド☆田舎ね!」
 「………………黙れ」
 感激しているのか馬鹿にしているのか、微妙な態度ではしゃぐ年上の女を横目に黙々と和也は歩いていた。
 電車内でもうるさかったが、バスでも同じだった。………駅構内程度であればまだしも、バスまで来てしまえば、大分自分の活動範囲に食い込んでしまう。
 おそらく自分の帰郷と一緒に、このかしましい女の噂も流れるだろう。ついでに、女癖云々などという風聞付きで。
 これだから一緒に来るのは嫌だったのだ。とやかく言われる事には慣れているけれど、こうした手合いの噂は、自分だけで被害がおさまらないことも解っている。
 休暇が終わってしまえば遠く離れる自分は期間限定のおもちゃだが、院にずっといる少女は無期限で対象のままだ。それが解っているから、はしゃぐ友人を置いていく勢いで歩くことしか出来ない。
 近くにいることがなくても、出来ることがあると知っている。離れなくては何も出来ない現実だって、解っている。
 自分が欲しいものは、身近なもので適当に取り繕う事の出来ないものだ。実績と経験と、人脈が何よりも重要だ。だから……ここを出て、街にいったというのに。
 時折見失いそうにも、なる。傍にいればもっと出来る事があるかもしれないと。
 電話で擦れた声を聞いたり、熱が出て電話にすら出られないのだと伝えられたりする度に、胸が軋む。
 傍にいた時は何か出来たのに、こんなに遠くでは何も出来ない。その顔が今どんな表情をたたえているのか見なければ、あの少女の内面はまるで見えないというのに。
 声は……あまりに少女は取り繕うことを知ってしまっている。
 音域の高低、口調の伸びやかさ、ひとつひとつを柔らかく包んで、決して人に不快を与えないように晒される音だけでは、少女の傷は解らない。
 自分は単純で、そうした点への洞察力は低く、少女はあまりにも………雄大すぎるのだ。
 「なに、あんたやっと帰ってきたっていうのに不機嫌ね」
 「喧しい奴がいるからな」
 「ああ……さっきからあんたの名前出している人たちのこと?」
 「…………………解っているなら大人しくしろ」
 あっけらかんと言ってのけた相手の言葉に声を潜めて呟く。お前のことも込みでだという言葉は、どうにか押さえて。
 「ま、構わないと思うんだけどね」
 「どこがだっ!」
 「だって、私がいてもいなくても同じ結果だし。それなら見せつけた上で、あんたの一途さ披露すれば?」
 どうせ噂好きな人間は、事実があろうがなかろうが捏造する。それならば自分くらいいい女にも靡かないという結果を出しておけば、口さがない連中の口も少しは閉じるだろうと、悠然と笑った。
 呆れたように自身を評価する彼女を見上げた後、和也は長い一本道を見遣る。
 ………久しぶりの、光景だ。脳裏に焼き付き今まで幾度となく歩いた場所だというのに。
 この土地は好きだった。自分はまるで違う場所からここに来たから、正確な故郷ではない筈だ。
 記憶も朧な頃の事だし、よく理解もしていなかったから場所は解らないけれど。………覚えているのはいつだって心情的なことと、与えられた痛みや傷ばかりで辟易とする程だ。
 それでもここは、好きだった。空気が澄んで空が高い。青々と広がる草も、生い茂った木々も生命力を溢れさせている。きちんと、自然が息づいている。
 その尊さを知っているから、好きだった。
 こんな場所でなければ癒されない命があることも、今なら頷ける。不便さを不満だという者もいるが、便利さを手に入れて心が疲弊しては、結局意味はないだろう。
 遠く……今はまだ見えない場所を思い描くように道の先を見遣っていれば、後ろから軽やかな音が響く。
 「でも人はまあ置いておいて、空気はいいじゃない。土もちゃんと生きているし………結構いいヤツ育つでしょ?」
 手を覆っていた白いレースの手袋を片方外し、ネイルの施された指先が躊躇いもなく土をつまみ上げた。近くにあった大きめの石を足先で蹴りあげて転がせば、湿った土には虫が何匹も生息している。
 目や手触りで確認しただけでも十分だ。栄養の多い、生きた土地であることが解る。
 「その分虫の被害が多い」
 「無農薬にはつきものの悩みじゃない。虫には虫で対抗させるって手もあるし、被害は当たり前。最小限で留めるのが利口ね」
 所詮は自然の摂理だ。どこか一つが大きくならないためにも自然淘汰は果たされるように、自分達が丹精込めて育てたからと、その恩恵を他の種に分ける事が出来なければ、自壊も遠くはない。
 「別に、院での食料が困らなけりゃ他はどうでもいい」
 ただ気にかけるのは、それによって生計をまかなっている場所もあるということ。
 そしてそうした場合、多くが農薬を使用し、土地にも人にもその地に生きる生物たちにも、無知なるままに毒をまき散らしているということだった。
 それを阻止したいと思うなら、実績は必要だ。子供の発想した机上の空論に耳を傾ける大人は稀なのだから。
 そうした意味では、己の願いをこの年齢で知ることが出来たのは都合がいい。少しでも早くから経験を積んでいける。それはつまり、着実に歩んでいく行程が見えていくという事だ。
 胡乱(うろん)(はた)からは見えそうな目つきで、きっと過去を思っているのだろう少年を魔女は見遣り、小さく笑うと、舌先で転がすように揶揄する声を落とした。
 「………ま、あんたもいい加減、夢が大きいわよね」
 「別に、小せぇよ」
 「最終目標が小さくて、そのための手段が大きいわけ?」
 楽しそうに目を細めている相手には、きっとばれているのだろう。もしかしたらこの間の飲み会で吐露でもしたのかもしれない。記憶にはないけれど。
 それでも自分には、そんな大層な夢はない。叶えたい願いは確かにあるけれど、それはきっと周りが思うような崇高な意志からではない。もっとずっと単純で、浅ましい。
 遣る瀬無くなりかけた心持ちを霧散させるように息を吐き出してみれば、不意に静まった彼女の声が聞こえた。
 「ところで和也、ここって院まで一本道?」
 「いや、途中でいくつか分かれる。けど、基本的に真っすぐ進めば………」
 唐突に何を言い出すのかと思い、道に目をやる。
 前に、誰か人影があった。珍しいことだと思えば……言葉が途切れてしまう。それは形にするべき音を忘れ果ててしまったような、そんな仕草。
 続かなくなった言葉に、確信を込めて魔女は問いかける。どこか嬉しそうに笑いながら。
 「じゃあもしかして、あの子?」
 振り返ってみれば瞠目する少年が目に入った。虚をつかれたと、そういうように。
 大きく見開かれた目が戻るよりも早く、閉ざされた筈の口元が、開く。
 …………そうして響いたのは、怒声。
 「こんの…………バカっっ!!!!!」
 「は?!」
 「なにこんな時間に出歩いてんだ!さっさと帰れ!」
 物凄い剣幕で怒鳴りはじめ、眼前に近付いてきた女の子を罵る少年に、魔女はぎょっとして知らず腕をのばしてしまう。
 振払われる事を予想した上での行動だったが、案の定、乱暴に弾かれた。
 僅かに顔を顰めて、今度は言葉とともにしっかりと、駆け出しそうな少年の腕を掴む。こんな形相で女の子の傍になどいかせたら、衝動のままに殴るのではないかと危惧してだ。
 「ちょ………っ!落ち着きなさいよ、和也っ!」
 「黙れ魔女っ!邪魔すんじゃねぇよっ」
 「なんなのあんたはっ!折角迎えにきてくれた子に対して、お礼も言えないわけ?!」
 「来いなんて言ってねぇっっ!!!!」
 もう既にその声は悲鳴に近かった。恐慌といってもいいだろう、醜態だ。
 周りの大人たちが、どれほど愚かしい噂話をこれ見よがしに言っていても、いつだって平然として鼻で笑っているような、あの学園内で見てきた少年とは明らかに違う。
 その人影は遠かったわけではなかった。さほど視力のいいわけでもない自分にも、女の子だと解ったのだ。
 ちょうど曲がった道の、木の梢で姿が隠されていたに過ぎない。距離的には50mにも満たなかった筈だ。
 この姿を見て相手が駆け寄ってきていれば、そろそろ追い付いても不思議ではないのに、それでもその声すら聞こえない。
 それを訝しむだけの余裕もない中、奇妙なほど少年を押さえつけている時間が長く感じた頃、耳に響いた、音。
 「走るなっ!!!!!」
 腕を振りほどくように暴れる和也を押さえることに必死で、こちらに向かっている女の子がどうしているか、まるで目には入らなかった。
 どうしてまだここまで来ないのか、とか、いっそ叫んで止めてくれれば、とか、色々脳裏に過ったことは確かだ。が、どうやら少女は走り出していたらしい。
 まるで悲鳴のように響いたその声で、ようやく知れたのはそれだけの事実。
 何をそんなに必死に止めているのだと顔を顰めた瞬間、不意をつくように緩んだ少年の抵抗に気を抜けば、瞬発力だけで振りほどかれた。
 ぎょっとしている暇もない。少年は伊達に高山を巡ったり、その研究のための作業をしているわけではないのだ。基礎体力は、確実に自分よりも上だった。
 あの女の子に危害が加えられてしまうと、青ざめながら目を向かわせれば、間近まで近付いていたらしい女の子と少年が視界におさまった。
 短いとはいえ駆けていた少女は、息を乱して額に汗を浮かべている。奇妙なほど肩が上下して、かなり息苦しそうに見えた。そして、その前にたたずむ、少年。
 ……………青い顔をして、微かに震えているように見えるのは……気のせいだろうか。
 「……おかえ、り、和也」
 息を整えながらふわりと微笑んだ女の子が、愛らしい高い声で音を綴った。その声に、ぎゅっと少年の拳が握りしめられた。
 「………なんで、来た」
 呟く声は低く、聞き取りづらいほどに小さかった。
 「え?シスターから、帰る時間、きいた、から」
 「来いなんて言ってねぇだろっ!なんでこんな場所まで………!」
 「ちょっと和也!言い過ぎよ。わざわざ迎えにきてくれた子になんてこと言うのよ!」
 「うるせぇ、魔女は黙ってろっ!」
 強い調子で拒絶する声に、次ぐ言葉が一瞬消えた。
 「和也」
 その瞬間的な沈黙に響いたのは、静かな音色だった。
 耳を疑うくらい、それは柔らかく響いた。
 自分達のけたたましい騒音とは比べ物にならないほど静かな声だというのに、胸の奥にまですんなりと落ちてくる、それはそうした種類の音だ。
 その声に怯えたように和也の肩が跳ねる。次に落ちた沈黙は若干長く、擦れた咳が数度、響いた。
 そうしてその度に、和也の拳が戦慄くように震えている。訝しんで二人を引き離した方がいいのかと考えはじめた頃、ようやく息が整ったらしい少女の声が再び紡がれた。
 「……和也、大きな声は、人を脅かすわ」
 「………………………………」
 柔らかな音、だった。脅かすと責めるような物言いでありながら、どこまでもそれは優しく諭すように降り積もる音。
 唇を噛み締めてその音を聞きながら、泣きたい気分が襲いくる。いつだって、自分は取り乱してしまう。大丈夫なのだと微笑む少女に、無理をしないでと。
 少女の言葉が嘘だと思うわけではなく、て。
 過去の残像が脳裏を掠め、心臓を鷲掴むのだ。初めて出会ったあの日が、尾を引いている。いつまでもいつまでも、消えることなく。
 失う恐怖を知っているのだ。それがたとえ感覚的なものであったとしても、あの日確かに自分の中に刻まれた。そうとは知らず、刻み込まれた。
 消え失せる残像が、ただの幻覚なんて思えない。
 …………この先永遠にないなんて、容易く信じられる夢物語など、自分達は知らないから。
 力を込め過ぎた手のひらには爪が食い込み、痛みを訴えている。いつも綺麗に切ってある短い爪では皮膚を食い破ることはないが、きっと傷程度は出来ているだろう。
 微かに震えるその手を宥めるように、ぬくもりが触れる。やんわりと包む細い指先は、相変わらず白く、日傘の下、影におさめられている。
 その光景は遣る瀬無い筈なのに、ほっとする。少なくともその日陰は、彼女を太陽という強敵から確かに守っている証だ。
 必要以上に熱くはなく、かといってゾッとする程の冷たさもない、僅かに自分よりも体温の低いいつもの少女のぬくもりにホッと息を吐く。
 少なくともここまで歩いたことによる発熱も、駆けたことによる負担もまだその身には襲っていない。
   その小さな仕草を見つめながら、少女は少年を覗き込むように一歩前に歩み出た。久方ぶりに見る相手に、確かに自分の顔色が伝わるように、真っ直ぐに向き合う。
 「大丈夫だから、責めないで」
 解って、いるから。彼がそんなにも取り乱した理由も、何に対しての怒りかも、知っているから。
 小さなその囁き声は掠れてはおらず、無理をしているようにも感じはしなかった。
 「……責めて、ない」
 視線を逸らし、思った以上に顔色もいい少女の状態に、安堵を覚えながら呟いたのは……言い訳じみた、音。
 「違うわ。私、少しくらいなら、走れるように、なったの。お昼時も、外に出て熱を出すこと、なくなったの」
 「……………」
 「だから、和也は悪くないわ。迎えに行きたいって、そう思ったのは私だもの」
 自分で自分を責めず、畏れるように自身を脅かさないでと、少女はいう。
 そうして本当にふうわりと、まるで空に溶けるような自然さで少女は微笑んだ。歳に似合わない、静けさで。
 ………つい今さっきまでここにあった筈の怒声など、微塵も気付かせないほど柔らかく。
 「ほんの少しだけど、同じもの、見れるようになったの」
 幸せそうに伝える言葉の真意を計りかね、魔女が少年を見遣れば遣る瀬無く歪んだ顔が見えた。
 「………悪い」
 「和也は、悪くないわ。先に、伝えておかなかった、から。驚いたでしょう?」
 今度はちゃんと教えるからと、子供のような笑みに変えた少女が、今度は改めてその視線を少年から女性へと移した。
 にこりと、屈託のない笑みを浮かべた後に、静かにその頭を垂らしてお辞儀をした。
 「初めまして。とんだところをお見せして、申し訳ありません」
 「え?あ、いえいえ、驚いたけど、面白かったから気にしないで。えっと………?」
 「あ、私は和也と、同じ院で育った、友人です。今は、院でシスターとして、働かせていただいています。………見習いですけど」
 「シスター?」
 きょとんと目を瞬かせて、魔女が素っ頓狂な声で繰り返せば、楽しそうに少女が笑った。
 その声の意味が解るというように頷いて、言葉を付け足す。
 「勿論、正規のシスターではなく、院内の雑用などを、主に任されているだけ、です。少し身体が弱いので……外部での修練が、出来ないんです」
 「あ、そ、そうなの?へえ……でも大変ね、こんなのばっかだったら、息つく暇もないでしょ?」
 すっかり見破られている自分の思考に、少しだけ頬を赤くして魔女が少女の前に立つ少年を指差しながら茶化せば、ぎろりと睨まれた。
 もっとも多小なりともその自覚があるのだろう、特に反論はなくその視線もすぐに逸らされた。
 そんな様子を揶揄するでもなく、少女は柔らかな笑みをそのままに首を傾げて答えた。
 「そうでも、ありません。毎日、とても楽しい発見ばかりで、学ぶこと、だらけです」
 「……おい、話もいいけど、そろそろ行けるか?」
 いつまでもここで話し続けそうな二人の間に、割って入るようにして少年が声をかければ、少女は微かな笑みを目元に乗せて頷き、道を譲るように横に寄ると声をかけた。
 「少し…暑さも、増してきましたし、行きましょうか。院では、和也の友達が来るって、大騒ぎなんですよ」
 「………………騒がしい奴らだな」
 「あんたみたいのには勿体無いくらいじゃないの」
 憮然とした顔で院で待っている友人たちのことを評すれば、照れ隠しなど簡単に見破ってしまう魔女がにやにやしながらからかった。
 睨みつける少年の横、静かにたたずむ少女はふうわりと風のように微笑んでいる。
 それを視界の端に留めながら、魔女は感じた感覚にちくりと胸が痛んだ。
 柔らかな、笑みだった。とても穏やかで、静かな。

 …………それはまるで神へと捧げられることを
 その死をあたかも悟り享受した

        高潔なる乙女のような、笑み。








 相変わらずな和也。心配性というか、ただのトラウマです。
 平気になったと解っていても、いつなくなるか解らなくて怖い。
 遠く離れていて、その状態を甘んじて。
 でも、怖いという感覚だけは、多分なくならない。
 大丈夫と笑ってシスターはいつも無茶をするから、余計にね(笑)
 まあなんというか、結構シスターも頑固者だから。決めたことは何があっても譲らない。

05.6.30