柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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さくさくと歩む音がする
足下には柔らかな土と優しい芝生
さくさくとその上を歩く
足を包み負担を減らすように
さくさくと
歩む足音がする





ハーブガーデン   8



 食事が済むと、少年はそのまま部屋に戻った。腕の中に幼児はおらず、代わりに食堂で別れた少女がその手を引いていた。
 一緒に部屋に行くかと思っていた魔女は、食後の散歩がてら少し外に出ると別れてしまった。
 あとで案内をするといったにもかかわらず、気が早い女だと呆れたように息を吐き、少年は後で部屋に赴くことを伝えてから、少女と別れていた。
 まだ朝というに相応しい時間だった。
 この時間帯であれば陽射しもそこまでは強くなく、無理をしないで行動が出来る。が、この院では、大体午前中は学校の宿題を行う時間に割り当てられる。
 思い出したその習慣に、少年もまたこの夏の間にまとめねばならないレポートの類いを鞄から取り出した。
 通常の宿題というには多い量と濃い内容……主にレポート提出と専攻研究の経過報告と今後の展望についての研究発表など、まだ高校生にも満たない年齢の少年には過酷にも思えるものがあった。
 しかし少年にとってそれは、こなせば出来るという範囲の内容に過ぎない。
 正直なことをいえば、こうした形で提出するものよりも、実際に行っている研究を見てくれた方がよほど理に適うが、そうもいってはいられない。
 研究室に他人が入る事自体、難色を示す自分が言える事でもないと軽く失笑し、いくつかの辞書と資料を机に置く。
 理屈を考える事は嫌いではなかった。そのせいか、レポート類の評価は高い。………物事を考えそれを他者に伝えるという事は、自分達はこの院に来てから、布教活動や慈善活動の一環の中で関わる多くの他人に、嫌が応にも仕込まれた。
 それは善くも悪くも自分達の中に培われている。
 手に入れてしまったからには、活用しなければ無駄以外の何物でもない。そう思わなければ、この身に積み重ねられてきた数々の記憶の大半が腐敗し爛れるばかりだ。
 既に大体の構想を練っていたものからレポートをまとめ、2つ目のレポートを閉じた頃、ドアが叩かれた。
 「…………?」
 自室にあまり人を入れる事を好まない自分の部屋に来る人間は、限られている。
 どうかしたのだろうかと首を傾げて、和也は立ち上がった。脳裏に浮かぶのはシスターたちだったが、あるいはと一瞬だけ少女と幼子が過る。
 自分が赴く事を伝えてあるのだからおそらくは違う筈と、遠方に住む自分を気遣うシスターたちの姿を想定しながら開かれたドアは、そのまま閉ざしておかなかったことを後悔させた。
 「ねえ、これって使っていいもの?」
 「…………簡潔に状況説明をしてからもう一度言え」
 顔を引き攣らせて、ドアの前に立っている魔女に棘ついた声で返す。
 どこにいようと、この女性の態度が変わるという事はない。それは確かに信用に値する事だが、それもあまりにマイペースであれば、同じ部類の人間には鬱陶しく感じられる。
 開けられたドアの前には、少し土をこびり付かれた爪……普段使用している付け爪ではなく、彼女自身の爪が見え隠れする。そしてそれが抱えているものは、幾枚かのタイルだった。
 色とりどりのそれは、確か廃材のリサイクルとして集められている一角にあったものだろう。
 よくあんな場所まで見つけたものだと、呆れた溜め息がまた漏れる。
 もっとも、服装が普段の奇天烈なフリルの服から作業用のジャージに変わっている点だけは、誉めるべきかもしれないが。
 「だって、いくら待ってもあんたは部屋に来ないっていうし。私、資料持ってきてないんだもの」
 レポートを書けないからずっと外にいたのだと、年齢に似合わない無邪気な笑みでいう魔女は、楽しそうに手の中のタイルをカチャカチャと鳴り合わせた。
 どうせまた何か、くだらない雑貨作りにでも使用するつもりなのだろう。胡乱な目つきで見上げた少年は、けれど何をいっても無駄である事を経験的に知っているが故に、何も言いはせずに背を向けた。
 それに室内に入ることを許可された事を知り、魔女は少年の部屋に足を踏み入れた。
 中は簡素なものだった。目に付くものは、大体があの幼児が使うのだろうおもちゃばかりだ。
 日常生活に必要なものは、全て寮にあるのだろう。少年のものと思われるのは、本棚にぎっしり詰まっている資料ぐらいだった。
 それを物色しながら、魔女はもう一度先程と同じ言葉を投げかける。
 「でさ、このタイルがあった場所にあるやつって、廃材?」
 「何か欲しいのがあれば持っていけ。断る必要はねぇぞ」
 「ラッキ〜♪ランタン作る時の飾りが欲しかったのよ。あ、ねえ、この本貸して」
 キャラキャラと明るい声で言っていたかと思うと、突然魔女は本棚に埋められた一冊を取り出し、ページを繰りはじめる。
 おそらく自分のレポートの資料に使おうと思っていたものと、系統が同じものが見つかったのだろう。専攻は別分野ではあるが、講義は重なるものが多く同系統の資料も互いに持っていた。
 今は使わない本であることを確認して頷き、とりあえず仕上げたレポートをまた鞄の中にしまう。そろそろ少女の部屋に行かなくては、昼食の時間が回ってきてしまう。
 時計に視線を向けた事でそれに気付いたのか、魔女は本を閉じて和也にそれを放った。
 「じゃあ私は廃材置き場に行っているから、部屋に本届けておいてね」
 「…………テメェ……」
 にっこりと笑って使いパシリを命じてみれば、思った通り不機嫌な低音が少年の口から漏れる。
 「あら、気を利かせてあげるんだから喜びなさいな。昼食の時間になったら呼ぶのよ〜」
 それに吹き出しそうになりながら魔女は茶化していい、ドアへと向かった。
 一応、本を投げ付けられても逃げられるように算段しての行動だったが、とりあえずその惨禍は免れたらしく、本は少年の手の中に収まったままだ。
 意外そうに少年を見遣ってみれば、極まり悪げに顔を顰めて窓の外を見ている。
 ………馬鹿な少年だと含み笑い、魔女はドアを開けるとそのまま廊下へと出ていった。


 廃材置き場はなかなか整っていた。レンガで囲いのされている中に棚が出来上がり、それぞれ材質ごとに箱の中に入れられている。唯一惜しいと思うことは屋根がないことだろうか。
 それでも吹き抜けであるが故に、ここで作業も可能だ。にんまりと楽しそうに魔女は笑うと、早速中身の物色を開始した。
 タイルはかなり種類があったし、レンガなどもなかなかの量があった。木材も流木のようなものから家具を解体したような板まで取り揃えられている。瓶や針金、プラスチックの板や銅板などもある。本当に雑多な廃材だ。
 一つ一つを確認しながらいくつかの材料を選び、魔女は鼻歌まじりに廃材をかけ合わせ始めた。
 「しっかしね〜。やっぱ人間、関わんなきゃわからないものよね」
 クスクスと、思いの外柔らかい笑みで魔女が呟く。
 編入してきた当初の少年は、その年齢もさることながら、歯に衣着せに物言いや応対で周りの不興ばかり買っていた。
 授業態度は真面目であるが故に教授にも容赦はなく、結果、孤立無援という言葉が正しく当て嵌まる存在だった。
 だから、なんとなく誰もが決めつけていた。
 あの少年に大事なものなどなく、愛しく思う存在もいるわけはないと。たった一人生きたった一人死ぬ、そうした閉鎖的な歩みだけを残す、研究者という偏見に当て嵌まる生き様をするのだろうと。
 それが、どうだろうか。
 話してみれば存外気が合った。不躾さも容赦のなさも、その年齢故に舐められないための防御壁だ。………もっとも彼自身の性格も、かなり関与はしていたが。
 かといって頑なまでの純正さは嫌いではなかった。我武者らに何かを求めている姿は微笑ましかった。それはあの街に生きる人間のみならず、大人となれば段々と色褪せ失っていく瞬きに似ている。
 どれほど回りに虐げられても、あの少年は立ち上がるだろう。成したい事を知っているあの命は、周りの振る舞いなどに屈する事はない。
 「あーんな可愛い子まで傍にいるんだし」
 ふと声に出し、その音が微かではあるが震えている事に魔女は眉を顰めた。
 幾度も、話には聞いていた事だった。彼女の話になると途端にぶっきらぼうになって話したがらない。勿体つけるなとからかっては怒鳴られる事は、半ば約束事のようにさえなっていた。
 どんな子かとずっと思っていた。あんなやんちゃで手のかかる少年を、奇異な生き方しか出来ないだろう人間を支えている存在。
 ………大人になると支え合うのではなく、依存する存在を求めやすい。まして少年はあまりに秀でてい過ぎた。それを考えれば、どっぷりと少年に甘えているのではないかとさえ、危惧していたのだ。
 人形のように愛らしく、ただそこにいて笑い、何も出来ない………そんな、愛玩具のような相手を想像もした。
 一方的な関係ではないかと、利用されているのではないかと。柄にもなくあの年下の、弟のような少年の心配をしたというのに。
 そうだというのに、あの少女といる時の少年の雰囲気の違いは、どうだろうか。
 どれほどあの少女に心を向けているのだろう。世界の全てがそこにあるように。………ただそこが出発点であり終着点であるように。
 あまりにもそれは純然と寄り添っている。つがいだと言われればそれに頷いてしまうような、元は一つの羽であったのだと、そんな勘違いをしてしまいそうな姿。
 もしもあの少女が消えてしまったなら……どうなるのだろう。少年にとって少女は生きる理由にさえ思える程、溶け込んでしまっているように見えた。
 あの少女を見て、きっと幸せになれるだろうなと思って筈だったのに。………今はこんなにも遣る瀬無くなってしまった。
 先が短いと解っている命はあまりに儚く美しすぎて、それ故に優しい。
 守りたいと伸ばす腕さえ、酷薄な運命の手により弾かれ奪われるだろう。それは決して遠くはない未来の話だ。
 自分が同情する事も憐憫を寄せる事も、間違っているだろう。それを見据えた上で寄り添っているというなら、他者の言い分など体のいい言い訳にほど近い。
 それでもきっとと、思う。
 きっと………悲しい思いをするだろう。辛い目にも遭うだろう。そしてそれを支え守り癒す人間を……おそらくはこの先得ることはない。
 「………得る気も、ないんでしょうけど………………」
 失う事を前提にした絆は、硝子の糸のように脆く危うい。その透明さ故に誰も見抜けぬ程に、深い。
 その手から零れ落ちた糸の先を、思い出に変える事が出来るのかどうか。
 「………………………………」
 思った結果に眉を顰めて、魔女は緩やかに息を吐き出した。
 今でさえあんなにも願い求めてしまう癖に、耐える術が本当にあるのかなど、問う勇気はないけれど………………


 魔女がいなくなると、途端に室内は静かになった。当然といえば当然だろう。あの騒がしい級友は、騒音の素といってもいい存在だ。
 それでも彼女の存在を受け入れられるのは、それがあくまでも必要であるが故に作り上げたものであり、不要な時には決してそうした面を出さないからだ。
 自分のように感情の爆発をしやすい人間には、ああしたタイプの人間は物珍しい。似た者同士でありながら、その憤りを示す方法はまるで違った。
 即報復手段に訴えてしまう自分とは逆に、彼女はそれら全てを立ち回りのみで退け平伏せさせる。
 そしてそれと同じように、相手が求めているものにもまた、敏感だ。
 あの街で棘ついたまま、ただ焦りを抱えて前に歩んでいた自分をあっけらかんと受け入れ、息抜きの術を覚えさせたように、ここに戻ってなお独占欲になどという、埒も開かないものに振り回されている馬鹿な生き物に、情けをかける。
 「……………………………」
 深く息を吸い、吐き出す。愚かな事だと思っていても、割り切れない事がまだある。それは多分、あまりにも自分がそれに心を委ね過ぎているからだろう。
 解っていても割り切れない。改善も出来ない。それ故に、愚かなのだ。
 手にした本で己の手のひらを数度叩き、その振動を感じる。感覚も知覚も正常だというのに、この心根を統べるものだけが、自分は歪んでいた。
 愛しいと、思いたい。小さな生き物は恐ろしく、自分には恐怖の対象であっても、だ。
 あの少女が愛しいのだと心寄せて、その命全てでもって擁護を願う存在を、自分もまた同じ感情で手を伸ばしたい。
 自分が辿ったものと同じ道など、誰にも歩ませたいわけがない。それがどれほど歪みを作り世界を狂わせるか知っているからこそ、連鎖など断ち切りたい。
 それでも不意に湧く悋気にも似た感情が、どす黒ければどす黒いほど、己の卑しさに反吐が出る。にもかかわらず、自分は少女を手放せない。故に子供もまた、手放す事はない。
 不可解な真似をする事の多い、少し不思議な子供は、自分と同じようにただ一心にあの少女の腕を求めて、よろけながら追いかけている。
 ………追いかけて、いる。
 それを否定する事も妨害する事も、出来る筈がない。結局、馬鹿らしい事に自分はあの小さな命を、同じものを願う同等の生き物として認識しているのだろう。
 それでも、だからこそ。…………触れる事すら禁忌に思うあの小さな肉体を、怯えながらでも抱きとめ世話を焼く事が出来る。
 せめてそれだけは誉れに思おうと、釈然としない思いの中、不器用に笑って少年は部屋を後にした。








 魔女は結構周りが見えています。だからこそのあの奇抜なスタイルとテンションなんですけど。
 和也と同じで懐に入れた対象以外には結構辛辣なので陰口も多いですけどね。目立つしな。
 だからこそ見えるものがたまに疎ましくもあるだろうな、と思います。気付きたくなくても解ってしまうものは、自分に対処できないものが多いから。
 それが自分以外の大事な人間を傷つける要因であれば、どうにかしたいと祈らずにはいられないのが人間ですもの。
 どうしようもないのだと諦めるのではなく、どうすればいいのかと考えることを止めないから魔女は魔女なんでしょうけどね。

06.5.2