柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
優しい人を知っている。
優しすぎて、不器用な人。 ハーブガーデン 9 ノックの音に、少女はドアへ顔を向ける。 「どうぞ」 静かに促す声をかければ、遠慮がちにドアが開かれる。 おそらく声の小ささの原因に思い当たってのことだろう。なんの打算もない、それは素のままの仕草。それに少女は感謝するように微笑んだ。 ドアを閉めながら少女の笑みに、少しだけ少年は居心地悪そうに視線を逸らす。おそらくそれには、眼前の光景に湧きそうな感情を押し殺す意味も込められていたのだろうが。 ドアの前で立ち尽くす少年に、少女は辺りの惨状を見渡す。 床には沢山のおもちゃが転がっていた。座れない事はないが、道を探さなくてはいけないのは確かだ。 「散らかっていて……ごめんなさい」 「別に気にならねぇよ」 少女が謝る事ではないと、少年は不貞腐れたように手短に答え、辺りのおもちゃを一か所に寄せ集めて自分の座る場所を作った。 ベッドを横に見て座る少女より少し離れた場所に座り、手にしていた本を背中のベッドに置いた。 「…………魔女が貸せって言ってたから、置いといてくれ」 軽く首を傾げてそれがなんであるか問いかける少女に、少年は少し寄せた眉のまま答える。 未だ視線は正面を見据えていて、少女を映さない。映したいけれど、何となく面白くない思いが湧いてしまう。 少女の胸で、子供は幸せそうに眠っている。細い腕の中、寄り添うようにその小さな身体を丸めて、心地よさそうに鼓動に耳を傾けている。 もしも、と、たまにその姿を見ていると思う。 この子供のように少女に慈しまれ育てられたなら、自分はどんな風に生きただろうか。 こんなにも醜く浅薄な生き様を晒す事なく、当たり前のように誰かのために生きられる、優しい生き物になれただろうか。搾取するだけの獣ではなく、生産者たる植物のように。 そんな風に生きたいと、どれほど願っても自分はなれない。そうありたいのだと痛切に祈っても。 守りたい筈の人を傷つけて、手を伸ばしたい筈の命に悋気を向けて。まるでチグハグの生き方だ。 こうして隣に座っていても、自分の体温さえも少女を冒すのではないかと、時折恐怖に染まる。………自分の内面にはいつだって手負いの獣がいて、血を滴らせながら傍にある全てを壊したがっているから。 近付く事すら愚かだと嘲笑うものがある事を、自覚しているのだ。 どこまでも自分は破壊する側の生き物、だから。 「和也」 己の思考に嵌まりかけていると、少女の声が耳に響く。いつもの、小さい筈なのによく通る声。幼い頃から聞いていた、耳に心地いい音色。 ふらりと誘われるように少女に目を向ける。その声を上手に彩る事を覚えてしまった少女の声音は、聞くだけでは捉えられない。聴覚だけでは少女の本当は汲み取れない事を、少年はよく知っていた。 その顔も仕草も全てを見つめていなければ、掠めるようにふうわりとその音は優しいままに消えてしまう。 どれほど辛くとも苦しくとも、笑う術を身に付けてしまっているからこそ、そんな表層のものに捕われずに気付きたいと思う。……思う事くらい、許されたいから。 視界の中には子供を抱く、優しい少女の光景。どこかの美術館でこんな絵画を見たと、どうでもいい事を思い出す。 その唇が微かに動き、作られた芸術品ではない生身の生き物である事を知らしめた。 「昨日、ありがとう」 「………………?」 「夜、送ってくれたでしょう?」 考えてみても何をいっているのかが掴めなかったらしい少年に気付き、少女が言葉を付け加える。 少年にとって当たり前になってしまった事でも、やはり迷惑をかけた事に変わりはない。少女は困ったような笑みを浮かべて、もう一度謝意の言葉を告げた。 それに少年は首を振り、ばつの悪い顔で頭を掻いた。 「…………たいしたことじゃ、ねぇし。それに………」 元々少女が外に出るきっかけを作ったのは、自分だ。そうでなければ、必要以上に回りに気遣いを見せる少女が、真夜中に外を出歩くなどという愚を、思い付く筈もない。 そういう意味では共犯者であって、一方的に感謝されるのはどうも居心地が悪かった。 それに、どんな形であろうと、ああして二人空の下にいられるのは心地よかった。幼い頃出会った、あの木漏れ日の下の光景を思い出す。他の何も介入する事のない、静謐の空間。 そしてその中の遣る瀬無さだけが、月の明かりの下では霧散する。 だからこそ少年にとって、夜の逢瀬に苦というものはまとわりつかなかった。それ故に、少女に感謝される理由もまた、ない。 そんな戸惑いを知っているのだろう少女は、腕の中の子供の背をあやすように撫で、微睡むような声音のまま、囁く。 「でも、和也がいると、安心出来るから。だから、ありがとう、なの」 柔らかな音が優しく肌に触れる。しんみりと、それは心地よく沁み込んだ。 まるでそれは傍にいていいのだと、そう言われたような気が、した。 ………そんな事で全てが許されるわけではないし、自分が今まで重ね続けた傷の多さを思えば、その程度の贖罪は当たり前だとも思う。 それでもその腕に抱く子供と同じように、自分もまた傍にいる事が許されるなら。 ………くだらない物思いに捕われながら見つめた少女は、いつものように微笑んでいる。 その子供がいなかった頃から変わらない、年齢には見合うことのない慈悲と優しさをたたえて、微笑む。 遣る瀬無い程綺麗に微笑むから、時折泣きたくなる。………そんな資格、ありはしないけれど。 「…………、……っ…」 何か伝えたいけれど、伝える言葉が解らず少年は唇を噛み締める。 項垂れるように俯いて、軽く頷く事で了承を示す。感謝の念を抱かれるにはあまりに浅ましいなど、言う事こそが厭われた。 言ったならきっと少女は、その全てを許す言葉を紡ぐだろう。そんな事はないのだと、他愛無い善をまるで宝物のように伝えてくれる。 その手は優しく子供をあやしているのに、伸ばせない腕の代わりに心でもって癒してくれる。 自分は幼い頃の不器用さとは違う形で、この腕を彼女に差し出せないけれど、彼女は今も昔も……そしておそらくはこの先も、変わる事なく当たり前にそれが出来るのだ。 痛む事に敏感だからこそ、傷を負うものの求めるがままに、与える事を良しとする。搾取される事さえ恐れない、それは人というよりは花に近い習性。 「……………………あとで…」 だからせめて、奪うのではなく水を与えるように接したいのだ。 震える花弁を毟り取る幼い無邪気さではなく、しなだれるその時に添え木を挿すように。 項垂れたままの格好で、それでも噛み締めたままの唇を必死にほころばそうとする。 微かな声で呟いたその音に、惹かれるように少女は頤を上げた。視線の先には少年の前髪と、微かに見え隠れする唇と顎。 口籠るように、それでも必死に言葉を繕おうとするその唇を見つめながら、少女はやんわりとその瞳を細め、静かな笑みを浮かべた。 「……家に……行けるか………?」 「行くわ」 不安そうに揺れる問いかけとは正反対の、はっきりとした音が触れる。 真っ直ぐと与えられた音は、いつもと同じように静かな声。惑うように怯えていた少年の視線は、その音を追って持ち上げられた。 その目に映るのは、柔らかな笑み。自分よりも小さく、その身は昔よりは育ったとは言え、やはり年相応とはあまりいえない、か細さ。 そうだというのに、その音に潜む芯の強さはどこから滲むのだろうか。 腕の中の子供は健やかな寝息を奏でている。その背を抱きしめ、少女は笑んだ。 「あのね」 ぽつりと、まるで夢見るような笑みのまま、少女が言葉を落とす。 「あの家は、夢なの」 「…………憧れって事、か?」 言葉を取り違えたくなくて、少し怯えたままの声は思索をしつつ問い返す。時折少女は、己にしか解らない言葉を紡ぐので、どうしたって反応や理解が遅れてしまうのだ。 それを少しでもなくしたい。いつだって、自分が思う以上に、少女は自分の言葉をすくいとってくれるのだから。 同じこの安堵を、ほんの僅かでも与えたい。天に還る翼をなくした、この少女のために。 「ん……、少し、違うけど。でも…似ている、かしら」 呟く音とともにほんの少し、少女の手に力が込められる。息苦しくないように、それでも子供に何かを伝えるように。 こんな時、蚊帳の外を思い知る。その手はいつも子供に捧げられていて、自分には向けられない。 それは年齢的にも立場的にも当然の事だけれど、ほんの少し前までは、少女の全ては自分と一緒だったのだ。 ………それはきっと、愚かしいまでの独占欲。 母の手を己一人にとどめたい年長者の、幼稚な感情。 奥歯を噛み締め、湧きそうなその思いを腹の内に留める。自分もまた、この子供を育てたいと、そう思わないわけでは、ないのだから。 濁りそうな視線を押しとどめ、出来得る限り柔らかさをたたえ、少女の言葉を待つ。待つ事しか、出来ないから。 「この子が大きくなって、あの家で暮らすの。私はそのために必要な事、全部この子に教えるわ」 「……………………」 「いつかは、この院を出なくては…いけないから。その時、困らないように…したいの」 一緒にはいられないから、と。暗に示して少女は微笑む。 綺麗に。儚いくせに、……こんなにも綺麗に。笑む事だけを知っている、悲しい性。 「お前、が」 干上がる喉の奥で、小さく呻くように音が作られる。掠れて、どこか不格好だ。 けれどそれを笑うでもなく、目を瞬かせた少女は小さく首を傾げて和也を見つめる。続く言葉を知らない、その無垢さ。 遣る瀬無く眉を顰めて、泣きそうな顔で俯く。涙を零すなど、そんな無様な真似、出来るわけもない。 ただそれでも紡がれる音だけは拒まずに、思うがままに音色を奏でる。 「お前が……一緒なら、いいだろ。ずっと、そいつがでかくなるまで」 痛みしかない音を、それでも願うように紡ぐ。 過去の日、後悔したくせに。幾度となく後悔して、腑甲斐無さに憤って、それでも自分はやはり同じ真似を繰り返す。 自分の願いだけで言葉を捧げる。頷いて欲しくて、そうだと答えて欲しくて。 俯いたまま、呟いた言葉を悔いたところで、どうしようもない。…………相手を貶めると知った上で晒される音ほど、醜悪なものもない。 衣擦れの音が不意に響き、少女が動いている事を知る。それでも持ち上げられない頭を戸惑う事もなく、そのままにした。 いつだって、同じなのだ。 その腕の中の子供がいなかった頃から変わらない。自分は少女を傷つける。解っていて、それを与える。そうする以外の方法を知らない依怙地さで。 そうして少女はいつだってそれを許すのだ。 傷付く癖に、痛む少年を無下にはせずに、いつものように笑んで………ひたひたと肌を侵す悪心を取り除くように、たおやかなその指先で少年の前髪を梳き上げる。 ぱらぱらと落ちた前髪の合間、困ったように笑う少女が、微かに見えた。 「そう、ね。和也も一緒に、そうなれればいい、ね」 決して除外される存在ではないのだと、まるで甘やかすように声音が囁いた。取り残されて捨て置かれる、そんな絆ではないと掬いとるようだ。 「きっと……毎日が楽しくて、それでいつも和也に怒られそう」 ぺろりと舌を出し、微かな戯けでからかう少女に少年は目を瞬かせる。 時折、ふとした拍子に、少女はそんなからかいを覚えて覗かせる。解っている答えを、それでも自分の願いに組み換えて叶えるような、そんなひとときの奇術。 無理を言うなと突っ返してしまえばいいのにと思う反面、受け入れた上で誤魔化される現状に甘んじている自身の惑いに辟易とする。 いつだって自分は決めなければならない事がある。それは容易くありながらひどく困難だ。 人がいなくなる事になど、疾うに慣れている癖に、たった一人の人間だけはどうしても我慢出来ないなんて。 笑うような余裕もない、依存さえ見える思慕。 それらをひた隠し、少年は微かに顰めた眉のままようやく面を上げ、少女を見つめた。無骨さを見せ始めた指先が少女の腕の中、眠る子供の頭を撫でる。 「………無茶しなけりゃ怒らねぇよ。頼ろうとしないお前が悪い」 少し拗ねたような物言いを、真面目に返す。必死さをどうにか隠しただけの粗野な音は、それ故にひた向きで情が籠る。 その音に目を細めて少女は笑う。 ほらやっぱり、と、鈴が鳴るような優しい音色を少女は奏でた。 和也がうじうじしていて鬱陶しい事この上なかったです。もっとこう、はっきりきっぱり出来んかな! まだ子供が2歳くらいになるまでは、和也自身ももやもやしたままです。 子供も大事だと思うけど、やっぱりなんだか自分の居場所をとられたような気がして腹も立つ。 …………こんな小さな幼児相手に何考えてんだお前。と冷静には自分でも思っているのでしょうが、現実にはどうしようもない感情なのでグルグル回っています(苦笑) んっで。少女の方は多少その辺りのことは理解してもいたりします。より正確に言えば育児関連の本に、兄弟がいる場合のケースが載っているのでその反応によく似ていると思っている。 …………………少女の方が年下なんだけどね。 06.5.30 |
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