柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
どうしようもなく、傾斜している。 小指の交わす小さな約束 「………いってきます」 朝早く、子供がそう言った。振り返り、名残惜しそうにしつつ。 背中には幾分大きめのリュックサック。子供の体格から見ればかなりごつごつしい、登山用のものだ。 「気をつけて。楽しんできてね」 ふうわりと、朝もやの中に溶けるように笑んで応える腕を振れば、じっと見上げる幼い瞳。 ………離れ離れ、など、滅多になかった。 それが日を挟んでなど、本当になくて。 まるでこのまま別れ、途絶えてしまいそうな、そんな一抹の不安が胸裏を掠めては、子供に歩む足を鈍らせ振り返らせる。 いつもその影は傍にあった。勿論、自分が学校に行っている間は彼女は院にいて、その何時間かは離れ離れだ。 けれど、それでも彼女の気配は朝の空気とともに身体に染み渡り、決して独りぼっちのその空間を寂しいものにはしなかった。 それを、彼女が憂えている事くらいは、知っている。 もっと沢山の人間と交わって欲しいと、そう望まれている事だって解っている。 それでもそれは、自分にひどく難しい事だった。 幼さを楯に出来ない自分は、どうしたって周りとの差異が際立つばかりで溶け込めない。 思う事を口にせずにはいられず、間違った事を間違っていると知っていながら受け流すような事は愚かさだと、糾弾してしまう。 正しさを己に課して、信じる道を歩む事だけを、良しとしてしまう。 それがどれだけ物の見方の狭い、幼稚なものかなど知らない。彼女の見る世界の中、幅のない自分の世界がいかに危うく脆く映るかなんて、解らない。 振り返る。彼女はか細い腕を軽やかに振り、遠くに旅立つ自分をまだ見送っていた。 そのまま駆け寄ってしまおうか。不意に湧く、幼い子供の心。 それを捩じ伏せて、子供は最後にもう一度手を振って、前を見た。 解っている事も知っている事も、ただそれだけでは何の意味もないと、子供は理解していた。 そうであるならば実行しなければいけない。その責任は、己にだけ課せられ、その判断は、己だけが出来る。 だから、この足を彼女の元に戻しはしない。彼女が望んでいるのはもっと別の事だ。 それが彼女の尊さだと、そう知っている。 自分だけを頼りとして、他のどんなものより真っ先に選んで欲しい、なんて、考えてもいない静謐な魂。 自分の元から巣立ち、己の羽で世界を知る事をこそ、願っている。狭い狭い自分の世界を、誰より憂いて、誰よりも、理解してくれている。 あんなにも優しく穏やかな人なのに、それなのに、自分のこの底知れない孤独感も悲しみも……時折襲う衝動のような焦燥感さえも、彼女は実感をもって共感してくれるのだ。 どんな人生を……自分より長いとは言え、年若い彼女が、どれほどの痛みの中で歩んできたのかなど、計る事は出来ない。 まして個人尺度で人を計る事を嫌う彼女が、そんな事を望んでいるわけもない。 それでも、思う事もある。 彼女は自分を理解出来るだろう。完璧になんて不可能な事は望まないけれど、誰よりも自分に近い思いを知り、誰よりも違う観点で、自分を導き癒してくれる。 それを逃げ場だと思うかと己に問えば、否だ。 彼女の元に逃げ込んでも、彼女は拒むだろう。誰よりも優しい人は、だからこそ、誰よりも厳しくなる人だ。 だから振り返らない。彼女は真っ直ぐに前に進む自分の背中を、誇らしく思ってくれるだろう。 たかだか学校行事だ。明日の夜には帰ってくる。 それまでの、ほんの一時の別離だ。 ただ、朝起きても彼女の声は聞こえないだけ。 ただ、ご飯を食べる時に彼女の顔が覗かないだけ。 ただ、散歩に行こうと誘う相手がいないだけ。 ただ、自分の名を深く響かせ呼ぶ人がいないだけ。 ただ……自分が誰よりも子供のままでいるだけの人間だと知る人が、傍にいないだけ。 それが何より寂しくても、たった一日の事。 明日帰ってきたなら、彼女にどんな話をしようか。 そんな、未だ集合場所にも着いていないうちから明日の夜の事を考えて、子供は重かった足取りを軽くした。 彼女は世界の狭い自分の事を悲しむけれど、今はまだ自分はこの狭い世界でしか生きられない。 ただ彼女の喜ぶ顔を思うだけで嬉しくなる、そんな赤子のような思いをなくしたくないだけ。 望むと望まざると関係なく、いつか自分もまた大人となるだろう。その時はきっと、彼女以外の人が傍にいて、理解を示す仲間を探す筈だ。 それでも今はまだ、このままがいい。 よく響く彼女の声に耳を傾けて、彼女の差す日傘の影を踏んで歩く、この幸福感。 この先どれほど誰かを愛したとしても、この思いは色褪せる事はないのだろうと、そう思わせる。 ただ、彼女の傍にいたい。まるでそれは怯える子供のような感情。 一緒にいて、あらゆるものから彼女を守りたかった。 彼女が自分のために差し伸べる腕の半分くらい、返したかった。 あんまりにもその人は清らかで、望むという事を知らない人だから。 彼女の好みそうなものを見つけては駆け寄って、我が侭に、ただ我が侭に彼女を誘う。自由である自分を、彼女が喜んでくれるから。 独り抱える事を悲しんでくれるから。 約束を交わして、額を合わせる。 それは厳かな儀式のように。 一緒にいようと幼く願い、答えを返せない彼女は笑い、一緒にいたいと微笑む。 朝靄を掻き分けて、地面を踏み付ける。 帰ったら、どんな話をしようか。 何か好きそうな花を見つけたら、手折ってこよう。先生に袋を貰って、枯らさないように水もあげて。 そうして帰ったら、真っ先に彼女に笑いかけよう。 そう思って、地面を踏み締める。 それはまだ永遠を容易く信じ、当たり前の崩壊を知らなかった頃の事。 これは夏の話。で。次の春にシスターは亡くなります。 なのでこれはその頃を思い出した、追想。 ちなみにここで子供を見送っているのは、シスターだけでなく和也もです。 調度夏の休暇に入っていたので来ていたのですがね。 前夜に喧嘩したせいか、見事なくらい、無視されています。書き入れようかとする度に入らないようのらくら躱されました(笑) 05.2.23 |
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