柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
ねえ、どこにいるの 打ち水の蜃気楼 カーテンの合間から日差しが零れていた。うとうととする思考をなんとか追い払い、目を開ける。 ぼんやりとした眼差しで部屋の中を見遣った。こざっぱりとした、さして広くもない室内は、けれど愛着を思わせる多くの小物で埋まっていた。 この家で暮らすようになって、どれくらいだろうか。首を捻って、ベッドから足を下ろした。ひやりと床の冷たさが足に伝わる。 とたとたと間の抜けた足音で室内を横断し、カーテンを開けた。その幼い指先がふと止まり、そのまま下ろされることなく宙を彷徨って、棚の上に飾られた淡い色彩で統一された手毬を取り上げた。 見つめた視界が、何となくぼやけた気がした。まだ微睡んだ思考がそれに浸るようにたゆたう。 ………まるで魔法でも操るように、それを作った人は何でも出来た。 学校で必要な小物は大抵作ってくれたし、夏休みの自由制作も教えてくれた。知らない間に季節の小物が増えているのは当たり前だったし、院にもそれは同じように増えていた。 だから、どこを見たって大抵、あの人が残したものを見つけられる。ひっそりと、決して主張する事なく穏やかに風景に溶け込む、大好きなあの指先が作り出した数々の小物。 昔はあまり飾らなかったのにと、いつだったか院のシスターが嬉しそうに言っていた。ぼやけた視界が悪化して、頬がなんだかむず痒かった。 指先で確認するように手毬を辿る。淡いその色達は既に視界の中ではぼやけて霞み、色とりどりに点滅するキャンドルのようだ。 綺麗だな、と思って、それを伝えたい人の事を脳裏に思い描いた。微かに開閉した唇は、けれど音を形作る事なく閉ざされ沈む。 「…………………」 カーテンを失った窓からは明るい朝日が差し込んでいた。頬にはそれを浴びていて、顎先から垂れ落ちたものが足の指に撥ねた。 いつもなら、遠慮がちにドアがノックされる筈だ。応えを待って、それがなければそっとドアが開かれる。優しい声音で名を呼ばれ、真っ白な指先がカーテンを手繰り、朝日を呼び込む。 清々しい風と一緒に、朝日を浴びたその人は微笑んで…………。 そんな、当たり前だった日々がひどく懐かしい。 あの指先を思い出し、指先で辿っていた手毬を抱きしめた。 膝を折り、いつも視線を合わせてくれた。言葉が不得手な自分を焦らす事なく、子供だからと窘める事もなく。同じ位置に立ち生きる一人の人間として認めてくれた、希有なる人。 一緒に生きる事を、一度として息苦しく感じさせることがなかった。呼吸をする事を手助けしてくれるように、傍にいる事は心地よかった。 世界中全てを敵に回そうと、自分を肯定し見守ってくれる人がいるという事は、心強かった。自分の意志を貫く事に躊躇わず生きる事を覚えられた。 抱きしめてくれた細い腕。自分と変わらないくらいに薄っぺらな、華奢な身体。心臓の音が少し弱くて、でも抱きしめられた時にはその音が聞き取れて、いつも安堵した。 よく、貧血を起こして。よく、怪我をして。でもそれ以上に人の機微をよく見て、知っていた人。 手毬を抱えたまま、子供はふらりと歩き始めた。まだ着替えもしていないパジャマ姿のまま、ドアを開けた。 あの人の部屋の前、躊躇うような間を開けて、ドアノブに触れる。けれど開けるだけの勇気がなくて、縋るようにそのドアに手を添えた。耳をそばだて、室内の音を求めて目を瞑る。そんなものがないことくらい、解っていたけれど。 微かな溜め息を落とし、自嘲の笑みを浮かべた子供は身体を剥がし、乱暴に腕で目元を擦る。 また唇が動く。けれど音は形成されず、呼気だけが落ちた。 たった一人寝起きする今の、それはまるで儀式のような繰り言。 決して音には変わらない、たった一人の人のための、音。 ぼんやりと目を開けた。暗闇だった思考に微かな明かりを射し込められ、たった今まで眠っていたらしい事に気付く。 どこにいるのかと首を傾げる事もなく、空ろな視界が薄暗い室内を巡った。 そこは惨澹たる、有り様だった。 床という床に、室内にあったであろうあらゆるものが飛び交っている。もしかしたらこの室内にあった食器類は全滅かもしれない。 もっとも、それで現状がどうなるわけでもないので、淀んだ思考は認知していなかったけれど。 壁紙も大分傷んでいる。所々黒っぽい赤が、刷毛で描かれたように線を残していた。 今もまだ傷が塞がっていないのだろうその指先を鑑みれば、壁の模様がおそらくは血であろう事を予測させる。同時にそれは、壁紙以上にその指先の傷の重さを想起させるに十分だった。 緩慢な動作で少年は首を持ち上げる。泥ついたように身体は重かった。 昨夜ここに戻ってきて、その後の記憶がまるでなかった。 現状を見れば何をしていたかは明白だが、それにしても随分久しぶりに大暴れをしたものだ。もしも誰かその場に人間がいたなら、それこそ手錠を与えられかねない。 唇が痙攣するように震え、笑みを作ろうとしたその動きは、けれど途中で諦めたように消えた。 電話があったのはいつの事だったか。そんなに遠い過去ではない筈なのに、思い出せない。すぐに帰ってこいと、そう言われた。それが何を意味するかくらい、自分は知っていた。 ずっと、それこそ生まれてからの時間のほとんどの間、ずっと。自分はそれを知っていたし、逃れられないものだと理解していた。 覚悟を求められていたし、それを持ち続けもした。幾度となくその恐怖に負けて、もっとも労るべき相手を、罵り傷めつけた事はあったけれど。 それでも、自分は自分なりに、ずっとずっとそれを受け入れるように努めていた。何一つ求めない人が、ずっとそれを願っていたから。そうありたいと、自分も願った。 ………それでも、現実は容赦ない。 理想に基づいてなんて、生きられる筈がなかった。ずっと、自分にとってのたった一人、だったのに。 どうしてあの時、自分はこんな山奥にいたのだろうか。どうして自分は、気付きもしなかったのだろう。虫の知らせ、なんて。ありもしなかった。 もう少しで、花が開くから。 そうしたら見せようと、電話で話したのはいつだっただろう。 楽しみだと、あの声が嬉しそうに笑んだのは…………。 約束をしたのに、守れもしなかった。答えを聞く事もなく、彼女は消えてしまった。 先延ばしにしていい事など、何一つないと知っていた癖に、明確な返答を、それでも怯えて避けたのは………結局は自分の浅はかさだ。 傷つけない自信なんて、きっとこの先だって持ち得ない。生き物を慈しむ方法なんて、自分は知らないのだから。 ゆらりと立ち上がる。陽炎のように緩慢な動きを、背後の影が同じように従った。 パキリ、ペキ、カチャ…。 色々なものを踏み付けているらしい音が響き、床には転々と赤い足跡が残される。 それを見向きもせず、窓へと進んだ。さわりと頬が何かにくすぐられた。幽かな、細い指先を思わせる繊細さで。 前髪が同じように撫でられ、窓際に立つとカーテンが揺らめいていた事に気付く。 どうやら、窓を閉め忘れていたらしい。もっともこんな山奥、誰も好き好んで泥棒になど忍びに来はしないが。 もう朝日が昇っていた。カーテンを開ける事なく、その合間から漏れる日差しでそれを知る。 さわさわと、僅かに肌を撫でる風を受け入れた。静かなぬくもりは、心地よい冷気を孕んでいる。自分よりも体温の低い、指先のようだ。 乾いた目が、空ろなまま窓の桟にかけられた自身の手を見た。 動かしづらい気はしたが、あちらこちらに大分傷があった。そのいくつはそれなりに深い傷らしく、視界に入る手の甲の大部分は赤黒く染まって肌色は伺えない。 鏡などこの部屋には、既に影も形もないが、もしも全身を映したとしたらホラー映画に出演出来る事だろう。くだらない思考に辟易と息を落とすが、それもまた、力ない。 慰めるように労るように、風が前髪を梳いた。 それは、いつも恐れては噛み付く態度しか表せない自分を、許し続けてくれた少女のようだ。 涙など持ち合わせていな目は、乾いたままだ。葬列でさえ泣いたかどうか、記憶にない。 ただ覚えているのは、真っ白な肌を更に青白く染めて微笑む少女。 花に埋もれて眠るような、絵空事のようなあの光景。 それと、もう一つ。 ………………小さな小さなぬくもりが、手のひらを包んだ。 あれは……誰だっただろうか。知っている筈なのに、思い至らない。身体の機能自体、麻痺したように機械じみた動きしかしていなかった。同じように、感覚というものもかなり希薄だ。 今現在もそれは持続していて、現状の認識能力は低下している。 それでもあれは……大事なものな筈だった。 少女以外の何も留めなかった記憶の中、異物のように割り込んでいるのだから。 けれど今はそれを言及など出来はしない。思考は機能などしておらず、ただ繰り返されるのは発作的なこの衝動だけ。 壊したいものがなんであるか、なんて。 ……………………今はもう、解りもしない。 ただ目の前のものが消えれば安堵する。それだけだ。 憂える気配と悲しそうな視線が脳裏を掠め、それによって沸き起こる感情に溺れる事を厭い、少年は拳を振り上げた。 ピキッと、僅かな硬質の音が響き、拳が打ち付けられた窓ガラスは蜘蛛の巣のようなヒビが張り巡らされた。 泣きたいわけではない。嘆きたいわけでもない。そんなものを足蹴にしても足りない、この虚無感と慟哭。 ふらふらとまた少年は歩き、部屋を後にした。 あの花を、見にいかなくてはいけない。もうすぐ蕾が開き、あの少女を描いた花が咲く。 ………きっとあの小さなぬくもりも喜ぶだろう。 脳の奥底、意識にも掠めないどこかで、ぽつりと小さく少年が呟いた。 シスターの葬儀が終わった翌日かその次の日くらいの話。 今までの当たり前が全てひっくり返ってしまった二人。 当然ながら、まだ二人とも相手のことを思う余裕も隙もないです(苦笑) 子供の方は情景を主にして、和也の方は感情を主に書いてみたのですけど。 いかがなものでしょうね。 06.7.16 |
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