柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






“もう眠りたいの”
君は微笑みながら
僕の右手を 振りほどいて
行ってしまった

ひざまずく土の上 冷たい石碑に
キスをして すがりついた
…会いたいよ

“もう眠りたいの”
掴んだ君の右手を
あの時 僕は何故
離してしまったのだろう





君のいない風景の先



 胸ポケットに入れていた煙草の存在を思い出し、さして吸いたいわけでもなかったけれど、一本取り出して火をつけた。
 肺の奥底にまで響くように煙が入り込む。
 昔からストレスが溜まると吸う事はあったけれど、ここで吸った事は考えてみると初めてなのかもしれない。
 大抵本数が増えるのは論文の提出期限が迫っている時や、研究の成果が芳しくない時だった。そういった事とここが無縁であった事も確かだけれど、理由がそれだけでない事くらい、十分知っていた。
 ここにかつて住んでいた人は、身体が弱かった。
 とても、とても。
 自分になど解らないくらい、身体が弱くて。そういうしか、自分には表現がない程だった。年を重ね、治験を経て、大分丈夫になったように見えていたのに、それでも体力の衰えはよく解った。
 「………お前らしい、っていうべきか?」
 苦笑のような声が、静まり返った室内に響いて落ちた。
 彼女は、己の育てていた子供に何一つ気づかせなかった。もしかしたら勘付いているかもしれないと。寂しそうに言っていた彼女の目を思い出す。
 あるいは、子供は知っていたのかもしれないと、自分も思う。それくらい、二人は深いどこかで繋がっていて、自分は彼女が消えた時に子供もまた、その存在自体がなかったかのように消える気がしていた程だ。
 それくらい、二人は同じだった。
 そうして、決定的なまでに違う事を互いに熟知していた。
 紫煙を吐き出して、ぼんやりと室内を見た。静かな白に近いベージュの壁。ちらほらと目立たない程度の謙虚さである、青い小物。
 空が好きな彼女は、そのコントラスを身近に置くことを好んでいた事を思い出す。彼女自身に自覚のないそんなところまで、自分は知っていた。それくらいには、一緒にいたから。
 煙草を銜え、くるりと室内に首を巡らせる。
 あちらこちらに彼女の手作りなのだろう、小物が置いてある。少し不格好だが、それが味になるカントリー人形。愛らしく尾を振るような金魚の巾着。ちりめんでできた今年の干支の人形。確か、十二支全て作っていた。
 不器用で、時折咳き込んでは知らない間に怪我をしてしまうような、そんなドジなところもある癖に、彼女は何かを作る事が好きだった。儚く散る事を知っているからこそ残せるものを好んだなど、自分が言える言葉ではないが。
 灰が溜まった煙草の先を眺め、懐から今度は携帯灰皿を取り出した。その中に煙草ごと押し込み、蓋をする。
 ごそごそと自分の出す音だけが、虚空に響いた。
 もうここで、彼女の奏でる音は聞こえない。あの、高くやわらかな声は、永遠に消えた。
 最後の最後、自分はいつだって彼女に伸ばす腕が間に合わない。
 幼い頃は彼女の感情を、ただいたずらに傷付けて悲しませてばかりいて、大人になれば彼女の喜ぶ事を叶えられると、思っていたのに。
 叶えるだけの力を得たというのに。
 約束を残し、答えを待つと言っておきながら……答えを聞く時間を彼女に与えなかった。
 何のためにと問いかけて、彼女は己のために生きるべきだと笑った事を思い出す。
 どこまでもどこまでも、彼女は涼やかに生きていた。決して誰の負担にもなりたくないと微笑んで、軽やかに。
 その生も死も、誰もの心に刻まれるのに、どこまでも淡いそのイメージ。
 それを繋ぎ止めたくて、そうして着手した花の開発。
 彼女のために開発していた花は、ようやくその花を咲かせたというのに……結局彼女の葬儀にすら添える事は出来なかった。
 どうして自分の腕は、と、幾度も思い、その度に、彼女の微笑む姿が浮かぶ。
 捕われないでと、笑う。
 命はあなたのものだから、と。
 自分のために花開けばいいのだと。
 それは自分勝手ではないのと、子供を諭すように、笑う。
 吐き出した最後の紫煙が中空を舞った。追いかけた視線は不意に途切れ、目蓋を落とした事に、ようやく意識が追い付いて気付いた。
 目蓋に浮かぶのは、淡い彼女の残像。決して克明に残らぬよう、彼女がずっと注意し続けた成果は、確かに自分にも示されていた。
 霞みそうなその姿を、なんとか留めようと固く閉ざされた目蓋は、やんわりと濡れていた。
 「…………………っ」
 慟哭など、吐けるわけもない。  髪を掻きあげ、立てた膝に顔を埋めるように俯く。身体を丸め、小さく小さく、幼い頃に戻りたくて。
 互いにこんな日が来る事を知っていた。それを承知の上で、自分は彼女の傍にいた。今更、それを後悔するような叫び、あげる気はない。
 ただ切ない。
 ただ悲しい。
 ただ遣る瀬無い。
 どうして自分はこんなにも無力なのだと、神を呪いたくなる。
 まだ互いに幼い頃、癇癪ばかり起こす自分を、自分より小さな女の子はふうわりと笑い、ただ諌め…許してくれる存在だった。
 誰よりも輝くように生きていたのに、誰よりも木漏れ日に隠れて決して目立たなかった。
 あの、初めて言葉を交わした、日。
 舞い降りた天使がいつかは天に還らなくてはいけないと、ベッドに横たわる彼女を見つめて、言葉以外のどこかで、確かに感じていた。だから彼女は、この世にその痕跡を出来うる限り薄めてから消えるのだろう、とも。
 自分の目にはあんなにも鮮やかに映るのに、友達の誰もがそれに気付かないから、そう当たり前のように思った。
 そして気付けた自分の幸運さを誇っていた。なんて幼稚な事をと、今なら思うけれど。
 …………彼女はただ、自分を知っていただけだ。
 生とか死とか、そんな概念ではなく、自分自身を。
 そして己自身こそが、最も己を痛め穢す対象なのだと悟り、自身との戦いをその短い命の中で行っていただけの事。
 たったそれだけの事に気づくのに、自分はどれほどの時間を費やしたのだろう。
 彼女はあまりに生き急いで消えたから。
 ………短い命をあまりに見事に花咲かせ、散ったから。
 それを追う目は追い付けず、彼女の残像ばかりが目蓋に焼き付く。
 吐く息さえ熱い、腕の中。思い出す、彼女の姿を。
 幼い日の、小手毬を抱く天使。
 しなやかにたおやかに伸びた肢体に、どこまでも透明な瞳を携えた聖母。
 決してそれだけの存在ではないと解っている。
 苦しみ悩み、混迷しながら生きた、たった一人の当たり前の命であることも。
 それでも確かに彼女は、自分にとって生きる意味だった。
 彼女が見つけた赤子を天使なのだと言ったように、自分にとっての天使は、あの幼い日に出会った彼女自身だった。
 だから、今はこんなにも世界が暗い。
 そうして踞る自分の耳には、彼女の声が谺する。
 ”それは、素敵ね。とても楽しそう”
 嬉しそうにほころんだ顔。穏やかな、静謐の空気。
 ”あの子も喜ぶわ。あなたに懐いているもの”
 くすくすと笑いながら楽しそうに。
 ”見たいわね、そんな光景。私は二人がじゃれあうのを見ながら、笑っているの”
 手を合わせ口元に近付けて、とっておきの秘密を披露するように、輝く幼い目で綴る音。
 ”とても…とても嬉しいって思いながら、笑っているの”
 それはどんなに幸福だろうと、見ている自分の胸があたたまる程、幸せそうに彼女は笑っていた。
 笑っていた、のに。
 彼女はきっと悟っていた。
 否、自分にだって、教えてくれていた。
 それなのに、自分は安易な希望に縋りたかった。もっともっと、一緒にいたかったから。
 それでも彼女はきちんと自分を認め、受け止める事を祈って、綴っていた。
 己の死期を知っていたから、あんなにも穏やかだった。
 結末が解っていたから、あんなにもはっきりとした音を綴っていた。
 そうして自分は、一人、その事実を噛み締める。
 今はもう、あのたおやかな指先は自分の髪を梳く事はない。
 今はもう、あの微笑む瞳はほころびながら咲く事はない。
 今はもう、何より豊かに響く声音が綴られる事はない。
 この部屋の主は現れず、約束は果たされない。
 けれど、と、同じ強さで祈る。
 彼女の願いは受理された。彼女の祈りは確かに叶えられる。

 今はまだ、己の内にしか伸びない自分の思考の腕も、また、彼女の思いに促され、豊かに伸びやかに広がるだろう。
 ただ今日だけはこの部屋の中、彼女の残り香に包まれて涙を流す事を許せ、と。
 今はもういない人に呟く。


 遠く遠くで声がする。
 肌に触れる程に間近で声がする。

 あなたが望むなら、と。

 優しい天使の祈りの声音。








 冒頭部分の歌詞はRURUTIAの「ジゼル」から抜粋しました。
 聞いた瞬間に彼の事しか浮かばなかったんですよ。

 シスターが死んで、49日が終わった頃。
 ついでに言えばシスターを看取った子供から伝言を伝えられた直後ともいう。
 大体子供が言葉を失っていたのはこの49日の間くらいの事ですから。

 あ。別にプロポーズしたわけじゃないですよ。
 お互いにとってそういう事はさして意味がなかった二人なので。
 もっとずっと広範囲的にとらえるならそうと言えなくもないけど。難しいところだ。

05.2.23