柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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別に何が出来たわけでもなかった。
むしろ何も出来なかっただろう。


ただそれでも、何かをしたかった。

その人の為に生きたかった。


そんな生き方を望まれていないと知っていても
ただ、そう生きる事を願っていた。


浅はかで愚かな………甘やかな願い。





隣の影



 桜が咲き始めると、段々胃が痛くなってくる。それが葉桜となり緑の濃くなった頃になれば、頭痛も悪化する。
 春は好きだった。花が盛りと咲き乱れ、世界を鮮やかに変貌させる。それを愛しそうに見つめ愛でる人を知っているから。
 春の日差しは柔らかく、陽気もまた、身体へ負担を与えない。だから一緒に出掛ける事が叶う時期でもあった。
 だから好きだった。この時期の艶やかさは、少しくらいの辛さや悲しさも霧散させ、微笑む力に換えてくれる。
 けれど今は……春を好きだなどと口に上らせることも出来ない。
 その理由など明白すぎて、笑う気にもならなかった。女々しい性格くらい自覚はしていたが、ここまでとなると辟易とする。
 こんな情けない人間に頼る筈もないだろうと叱咤してみたところで、無意味だ。自分が精神的な打撃に弱い事くらい熟知している。
 深く息を吐き出して、脳内に響く頭痛を押しやるように首を振る。時計を見てみればそろそろ16時近かった。
 午後から始めた書類の整理は、その半分以上をまだ残していた。まるで作業が進まないのはこの頭痛や胃痛に伴う悪心か。………思いながら、そんなもの無関係だと息を吐き出す。
 仕方なく立ち上がり、何か飲み物でも入れようとドアへと向かった。給湯室は事務作業用のこの部屋のすぐ隣だったが、なんとなく気分を紛らわせたくなりペットボトルを一本掴むと更に廊下を進んだ。
 そこはさして大きくはない研究所だった。出来る限り地形に手を加えたくはないと、規模を最小限にとどめた故だが、それでも研究には十分事足りた。さして最新機器というものに興味はなかったし、機械自体を扱うことが不得手でもあった。
 裏口に突き当たり、ドアを開ける。柔らかな陽光とともに頬をくすぐる微風が舞い降りた。
 軽く息を吐き、目を細める。相も変わらず世界は正しく時間を巡らせ、季節をいつの間にか冬から春に塗り替えている。
 それは観察者たる自分には逐一知らしめられていることだが、時折それを何も見ずにいたくなる。
 ………もう桜は散った。山並にあった桜の木々は緑を着飾り、もうその花弁すら見当たらない。
 春は梅雨へと向かい、夏の下準備を始めるだろう。それは変わる筈もない連鎖だ。
 木の根元に腰掛けて、ペットボトルを呷る。冷たいお茶が喉を通り過ぎていった。
 さして喉の乾きに自覚はなかったが、こうして飲んでみると、大分長いこと何も口にしていなかった事を思い出した。そのまま半分ほどを一気に飲むと、不意に明るく弾んだ音が耳に響いた。
 「あっら〜?なによ、そんなところで休憩中?」
 「…………………魔女、来る前に連絡の一つも寄越せって言ってんだろぉが」
 相変わらずどのようにしてこの山道を登ってきたのかを伺いたくなるような、極彩色の派手な服を身に纏い、余裕たっぷりに笑んでいる女性が突如現れたが、たいして気にはしなかった。
 山の中腹にあるこの研究所は、自分自身が人を寄せつけないせいで滅多に訪問者はいないが、この女性とその旦那はその中でも別格扱いでよく訪れる。
 おかげで取材や商品売却の話まで振られて迷惑だと苦笑していたのは…何か月か前の話だった。
 元々世話好きではあるが変わり者な彼女は、唐突に現れていつの間にか帰ってしまう。
 しかもそれは大抵忙しい最中だったりするのだから、有り難迷惑だと追い返そうとしても無駄だ。いつの間にか片腕かなにかのように手伝って、ふらりと消える。
 相変わらずよく解らない友人だった。
 そんな友人夫婦が、この時期は特に頻繁にここに来るだろう事は解っていた。昨年もそうだったからだ。
 顔も向けずに言い返してくる相手を見遣りながら、呆れたように魔女は顔を顰めた。
 「ちょっと!あんたねぇ、なにそのボロボロな手は!」
 「はぁ?」
 何かまた他愛無い話でもしに来たのかと思っていれば、突然叱りつけられ、訝しそうに青年は顔を顰めた。何をいっているのかまるで見当が付かないのだから、当然だろう。
 それをその表情から読み取った魔女が、ずかずかと歩み寄ってペットボトルを持つその手を指差した。
 いわれた時に視界に入れた手をまた指差されて、怪訝そうにまた見遣る。特に何の変哲もない男の手だ。………ただし、あちらこちらに放置したままであろう傷があることは確かだったが。
 顔を引き攣らせて傷の確認をしていた魔女は、その左手を開かせたと同時に、知らず青年の頭を殴ってしまった。
 …………それは本当に他意はなかったのだが、無条件で叱りつける声より先に手が出てしまった。
 「てめっ………!」
 怒鳴ろうとした青年の声よりも先に、魔女が静かな声で問いかける。
 「これ、いつの傷よ。手当てしてないんでしょ」
 「どれだ」
 人の手を掴んでいる魔女に胡乱そうに目を向け、殴った仕返しをどうしようかと考えている青年に、突き付けるようにしてその左手が向けられる。
 そこにはまるで生命線でもわざわざ作り替えたのかと問いかけたくなるような、真一文字の切り傷があった。
 薄い皮は既に張られているが、幾度もそれが破れたのだろう。赤い血だまりのようなかさぶたが、あちらこちらに固まりを作っていた。
 そこまでひどい傷ではないかもしれないが、これでは作業などに支障は出る。定期連絡の時に身体面の事も報告するようにいっていた筈だが、一昨日のそれにはこんな傷の記録はなかった。かといって、そこまで新しい傷にも見えはしない。
 「ったく、自己管理も出来ないわけ、このお子様!」
 「誰がガキだ。痛くねぇんだから、手当なんざ必要ねぇんだよ」
 「あんたが痛くなくたって、身体は痛いもんなのよ!」
 不可解な文句を返した魔女に眉を顰め、青年は顔を背けて手を振払った。………なんとなく、体温というものが気味が悪く感じた。
 その様子に予感が的中したかと、魔女は息を吐く。
 もう季節は春を盛りとしている。桜は消え、次々に新しい花の花弁がほころんでいく。
 そんな時期に、たった一人の命が消えてしまった。………この青年にとって唯一無二であったのだろう、命が。
 本来なら四十九日というものもない筈なのに、どうしてもその花を捧げたいと、極少数でのみ執り行った異教の習いも、気休めになるならいいかと思っていた。あの時の姿は、痛ましいなんて言葉では括れない姿だったから。
 よく老夫婦などでは、片方が亡くなった際、それを追うように残された人間も亡くなるというが、まさにそれを連想させた。
 自分の目にさえ、美しく健気な二人だった。二人が一緒にいる姿を見る事はあまりなかったけれど、それでもその尊さは自分にさえも伝わった。
 だから、多分………ずっと感じていたのだ。
 あの子と一緒ならきっと幸せだろうという思いとともに、必ず訪れる終焉の時には、全てが瓦解するだろうと。
 世の中は優しくなど出来てはいない。生きていれば嫌になるほど、それは解る。おそらくそんなことは、自分以上にその生い立ち故に彼らの方が身に滲みているだろう。
 だから、覚悟はいつだってしていた筈だった。けれどきっと、考えてはいなかったのだろう。
 いなくなってしまう覚悟と、残されたまま生きる覚悟は、種類が違う。
 失った時に何を考えたかなど、解りはしない。それでも痛ましさに変わりはない。
 「痛みを感じないっていうのは、威張れたことじゃないのよ」
 強さではなく弱さだと諭すように言い、魔女は手当くらいするべきだと告げる。
 それを鬱陶しそうに見上げ、顔を逸らして青年はまたペットボトルを呷った。
 飲みきったペットボトルを片手に立ち上がり、青年は研究所に身体を向けた。その後を仕方なしに魔女も追う。
 「………いらねぇだけだ」
 ぽつりと呟いた言葉の真意など、多分本人以外には解りはしないだろう。あるいは本人にさえ、正確には理解されていないのかもしれない。
 遣る瀬無くその背中を見つめ、この幼いといえる清純さは、どう救われるべきなのかを魔女は思う。自分にそれは出来ないであろうし、本人に救われる意志もないだろう。
 失った少女はあまりに希有で、きっとあんな命はこの先、出会わない。たとえ見つけたとしても少女の代わりを求める事もないだろう。
 この先をただ一人で生きるには、あまりに青年は若い。………潔癖なその魂はそれでももうこの先あの少女以外の誰も受け付けはしないのだろう。
 ドアを閉める時、空が見えた。澄んだ空は鮮やかで、太陽を見る事が出来ないといっていた、幼い女の子を思い出す。
 それでも木漏れ日の中、健気にそれを探していた。己に出来る精一杯の努力を、いつだって厭うことなく行っていた。
 失うことを知っていて、その覚悟をいつだって求められていて。それでもこんな無様な生き様しかさらせない己を、どれほど詰ればいいのだろうか。
 悲しみたくはなかった。叫びたくもない。………彼女は自分には隠さずに伝えてくれていたのだから。
 彼女がどうしたって心を残してしまうたった一つの小さな命を、託すに足るのだと信頼してくれたのに。
 ………惨めな自分は、どこまでも彼女の祈りを穢すばかりだ。
 思うその時、痛みなど感じたくはない。そんな資格もない癖に、涙を流す意味もない。
 虚勢のように胸を張って、何事もないように振る舞う青年の背中を軽く息を吐いて魔女が見守る。
 いっそ滑稽なほど、少女のいっていた通りだと。遣る瀬無く、そう思いながら。
 「………今日の書類整理で一段落つくんでしょ。手伝ってあげるから、一緒に山を下りるわよ」
 町で旦那が待っているのだと魔女は笑い、何事もなかったかのように青年の袖を掴むと救急箱を与えた。
 手当を終えたら来るように言いおいて、応接室に青年を押し込む。軽やかに笑んでドアを閉めた。相変わらず、その身を包むスカートのように掴み所のない人間だった。
 それでも彼女は数少ない素を出せる友人であることを認めている青年は、傷付いた左手を見ながら救急箱をあけた。
 …………過去の日、フォークダンスを憧れるように遠目に見ながら、それでも傷付いた自分の手を引いてくれた、小さな女の子。今はもういないその人を、思う。
 春は好きだったけれど、今は息が詰まる。いつかまた、この季節を愛しく思える日がくるのか、解らない。




 たった一人彼女が残した命さえ、顧みることも出来ない身なのだから……………








 魔女とは相変わらず姉弟のように仲はいいです。実は魔女の旦那が和也のシンパですが(笑)
 でも旦那の専攻は地質学。現在は環境問題とそれに伴う疾病の研究に没頭中。
 ちなみに。この研究所を手に入れるのにも一役も二役も買ってくれましたよ。なので結構夫婦そろってよくやってきては引っ掻き回していきます。

 和也の研究もねー。どういうものにしようか未だ悩む。もともと高山植物に関しての研究させようかと思っていたんだけど。植物形態学は植物学の根に当たるから範囲広すぎるし………。
 改良品種なんかの研究はさせているんだけどね。多分最終的には絶滅危惧種なんかの保護活動にいくんだろうなーとは思う。

06.4.19