柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






世界が狂っている事くらい、知っているわ
だってそれが当たり前でしょ?
優しいだけの生き物がいるわけないし
生きるためには搾取するのが普通だもの

 動物であれ人間であれ
 動き回る生き物なら
 そのためのエネルギー摂取をするわ
 それは罪ではないの

奪うのであれば罪でしょう
奪われたがる生き物なんていないもの

 奪うのではなく、分け与えるの
 搾取するのではなく、分かち合うの

そのために命を落とすわ

 その命は循環して、形を変えて生きるわ

そんなの欺瞞よ
死なないと思っている人間のエゴだわ

 いいえ
 死ぬ事を知っているからこその
 エゴなのよ



湖面の棺



 幼い頃、ほんの数日だけれど孤児院という場所にいた。
 里親を練り歩いているような子供だった私は、それなりに愛想も良かったし、見目も良かったのでどこに行っても、割合うまく溶け込めていた。
 ただ、どんな運命の悪戯か知らないけれど、良くも悪くも目立っていたせいで、トラブルに巻き込まれる事も多かった。そのせいであちらこちらと土地を変える羽目になっていたのだけれど。
 そうしてふと脳裏に浮かんだのは、歳の変わらない少女の顔。ふんわりおっとりしていて、随分とそこにいる事に違和感を覚えた。同じくらい、しっくりも感じて、余計に奇妙だった。
 ふと気付くとどこにでもいて、でもどこにもいなかった。よく解らない女の子。
 同世代であるからこその親近感は、そんな彼女の様子に、逆に疎外感を強める。
 いつも顔を顰めて彼女を見ていた気がする。笑いかけた事があるかも解らない。それでも彼女はやっぱり静かに笑うだけで、怒るでもなく諌めるでもなく、まして諭そうともしなかった。
 ただ、必要な事を語り必要な事を行い、…………こちらが知らず望んでいる時に、笑いかけてきた。
 それが悔しくて腹立たしくて、まるで癇癪でも起こすみたいに、いつも突っかかっていた。
 …………いつだったか、こんな話をした事を思い出す。
 もしかしたらそれは、今ここにいる事が原因なのかもしれない。カップの中の淀んだコーヒーの色を見つめながら、ふと思い、唇が開いた。
 「ねえ……生き物は奪うのが本能よね」
 「………………話が見えねぇ」
 ぽつりと問いかけると、隣に座る青年が顔を顰めてそう呟く。面白いくらいに、嫌そうだ。
 それを横目で見ながら、くつくつと喉の奥で笑ってしまう。年月が経とうと、人間の本質というものはそう変われないのかもしれないと、少し思った。
 たまたま立ち寄った、昔世話になった孤児院のある町。それでも孤児院に訪ねる事だけはしないで、遠目に教会の屋根だけを見ていた。
 そこで動き回る灰色の修道服を思い、奉仕する事への喜びに満ちた笑みを思い出す。変わった人種の集まりだと、そう思った過去。
 そこに一人、色の違う修道服を身に纏う少女が、いた。
 細い、小柄といえる少女。いつも静かに歩いていて、足音などほとんどさせずに移動する。長い黒髪だけが揺れて、それがまるで足音のようにさらさらと空気に流れていた。
 そんな姿を眺める事が多かった。今にして思えば、きっと、自分はそれを好んで見つめていたのだろう。静かで清楚で、まるで空気に溶けそうな儚さが、その頃の自分にはほんの少しだけ羨ましかったから。
 そして今隣に座る青年は、そんな少女をいつも気にかけていた。目に見えて顕著というわけではなかったけれど、少なくとも他の誰よりも少女に対して差し伸べる手が多かった。
 ………それがやっぱり少しだけ、自分には羨ましかった。
 だからよく突っかかった。気取るなと罵った事もあるし、澄まし顔で歩くなと悪態もついた。そのどれもが不快な言葉で、一方的な悪意だった。
 当然少女の傍によくいる青年は、それらを目撃している筈だ。少女に好感を持っているのであれば、それはほぼイコールで自分への不快感を示すだろう。
 だからきっと、彼は今日自分に見つかり、こうしてカフェに同伴している事自体が不愉快だろう。昔からそうしたものだけは、微塵も隠さずに彼は示した。
 斬って捨てるような冷たい声で短い返答。それもやっぱり、昔のままだ。
 「昔、あの子と言い合った事があるのよ」
 「…………………」
 「素直な反応ね。相変わらず一途だ事」
 あの子という代名詞を使ったにもかかわらず、今日初めて視線を向けてきた青年に、含み笑うようにからかいの声を送る。
 忌々しそうに顔を逸らした青年は、カップの中の琥珀の液体を喉に流し込んだ。
 彼の飲む紅茶も、そういえば少女が好んでいたものだったか。それとも逆だったのだろうか。
 どちらが先に嗜んでいたのか、あるいは互いに誰かからの影響なのか。同じ空間で長く生きていた二人は嗜好がよく似ている気がした。
 そのせいであるいは、随分と昔の事を思い出すのかもしれない。少なくとも、自分は紅茶など好んで飲む人間ではなかった。
 「何が原因かなんて忘れたけど、生き物を殺して食べてる私達は、綺麗でなんかいられないとか、そんな話」
 「不毛だな」
 話を続けてみれば、素っ気なく端的に言葉が返される。まさにその通りなので反論も出来ない解答だ。
 そに苦笑い、揺れるカップの水面を見つめた。黒曜石のように澄んだ黒の中、ぼんやりと自分の輪郭が映っている。
 「子供の話にまともなものを求めないでくれる?」
 「ガキでもまともな話が出来る奴はいる」
 「大抵は違うわよ。まったく本当に相変わらず、ね」
 互いに顔を顰めて顔を逸らす。端から見たら喧嘩中のカップルだろうか。それとも別れ話でもしているように見えるかもしれない。その程度には、自分達は互いへの感情を隠さずに晒す。
 そんな姿勢のまま、またぽつりと言葉を落とす。湖面に垂らす水滴のように、小さく。
 「あの子はいつだって綺麗だって、言っていたじゃない」
 緩やかに落とされた水滴が、湖面を揺らす。
 波紋を作るように幾重にも輪を描き、水滴は水面と一体化し、ただ細波を作る始めのエネルギーに変わる。
 それは決して劇的変化ではない。緩やかな、何者にも気付かれない微細な変化。
 ぽつりぽつりとただ落ちる、他愛無い一滴の水滴。
 「汚い部分しか見ていないような私らに、何馬鹿な事言ってんだろうって、思うでしょうよ」
 「……………あいつは…」
 呟きかけて、青年は口を閉ざした。言い倦ねるというよりは、おそらく彼女の声の響きに同じものが含まれている事を理解していたからこその、無言。不要な言葉をわざわざ奏でる意味はないと、青年は言葉を飲み込み沈黙に変えた。
 互いに顔を逸らしたまま、それでも言葉は続けられた。あるいはそれは、語りかけている振りをした、ただの独白だったのかもしれない。
 音と換えなくては身体が灼けるような、そんな思いは確かに存在する。それは時に誤った形で発散される事も、あるけれど。
 「あの子は奪われて死ぬのじゃなく、分け与えて循環していくんだって、言ったわ」
 半ば落とされた視界の中、黒い湖面に映る白い輪郭。
 それは確かに自分の輪郭だというのに、何故か一瞬、そこにあの少女がいるような気がした。小さくて細くて白い、そんなイメージばかりが強い、静かな少女。
 けれど囁く声は揺るぎなかった。音量があるわけでもない癖に、真っ直ぐと音が届く。
 眉間から吸い込まれるような、そんな不思議な声。鼓膜を震わせるのではなく命を震わせる、そんな錯覚を覚えるような、声。
 「私はエゴだって言い返した。当然よ。殺されるものがそんな事、思うわけないじゃない。私たちだって加えられる暴力を許すために、生きていたわけじゃないわ」
 責めるような言葉は、けれど随分と穏やかな口調で語られた。暢気とさえ聞き取れる音は、もうそれを過去の事と割り切り、憤りさえ忘れた清々しさがある。
 そこまで辿り着くのに、どれほどの時間が必要だっただろうか。
 それとも辿り着けただけ、彼女は幸運なのか。辿り着けぬままに生を終える人間の方が、余程多いのかもしれない。そう思い、青年は鬱屈とした息を噛み締めるように飲み込んだ。
 隣に座るまま、互いに互いの反応には気付かない。否、気付けない。もしも今二人の姿を確認出来る人間がいるとすれば、カウンターの奥に立つマスター1人くらいだろうか。
 女の視線はただカップを映していた。黒い湖面に浮かぶ白い輪郭。呟く度に開かれる唇。対話するかのような、奇妙な錯覚。
 「…………でも」
 潜めるように小さく、声が響く。まるで恐れるような声は、小さく震えている。
 「あの子もエゴだって……言ったのよね」
 微かな懺悔の響き。それは何に対してか、誰も解りはしない。ただ、その音に含まれる響きが悲しげであるという事だけ、他者に知らしめた。
 「私は生きているものの、あの子は、死んでいくものの、エゴだと」
 「……………………」
 「あの子は、あの頃に、もうそんな事、言っていたのよ」
 意味なんか知らなかったけれどと、女は唇を歪めて笑った。それはどこか滑稽な泣き笑いの顔。
 返される沈黙は少しだけ、痛かった。重ねる事の出来ない言葉は、互いに痛んでいるからだと解ってしまう。
 腹立たしいくらい、自分達は似ていた。
 それは多分、あの少女に向けた感情が酷似していたからだ。だからこそ、こんなにも互いが忌々しくさえ思う。…………同じ事をきっと繰り返しただろうと、そう自分自身で思ってしまうから。
 ゆっくりと呼気を吸い込み、込み上げそうな吐き気を嚥下するように、一人は黒い液体を、一人は琥珀の液体を、飲み込んだ。
 ………湖面にたゆたう朧な影を体内に取り込むように。
 長く小さく吐息を吐き出し、胸の中、ほんの少しあたたまった液体に顔を顰めて、やっぱり泣き笑うピエロのような顔で、呟いた。


 「……………もっと沢山、話したかったわ」



 零れかけた涙を飲み込むように、また、湖面を飲み込んだ。








 『思い出を書き綴るために』に出てきた女性。和也に似た気性をしているので、案外皮肉屋さん。照れ隠しもあるけどね☆(笑)
 同族嫌悪の反応が顕著なのが和也で、似ているから惹かれているのが女性の方。でも同じくらいやっぱり反発心はあります。如何せん、我が強いですから。

06.10.4