柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






歌は誰の唇にもとまる
鳥がどんな枝にもとまるように
今日も君の唇に歌はとまり
誰かのための祈りについて
僕に聞かせてくれている

目に見えること
それだけが大事なものじゃないと
君が歌うと
僕はそれを素直に信じられるんだ





祈りの歌



 久しぶりに帰郷した。………帰郷という言葉は少々語弊があるかもしれない。
 少年が生まれた土地はこことはまったく違う地で、幼少期を過ごしたのはそのまったく違う地の、更に大部分は押し入れやら風呂場やら物置やら、そうした狭く暗く決して居心地がいいとは言えない、部屋ともいう事のない場所が主だった。
 その後、攫われるようにして移り住んだ土地は居場所と自由を与えてはくれたけれど、それは帰る場所と定義するよりは、通うべき場所……学校や会社などの類いに似ている感覚だ。
 それらを考慮するならば、今から少年が足を向ける場所はまるで違う異郷だ。
 けれど、知っている。否、教えられたというべきか。
 今こうして歩きながら、僅かずつ近づくその場所は、心を穏やかにし身体を緊張が強張らせる事のない、安息の地だ。
 神経を尖らせる事も、苛立ち憤りに脳裏を赤く染める事もない場所。
 ………そしてそうした場所こそが、帰る場所だと微笑み告げてくれた人がいる場所だ。
 だから、そここそが帰る場所であり、帰郷するべき先だと少年は知っている。………ただ生まれた場所というだけでは、帰り着く場所にはなり得ないという絶対的事実もまた、身体にも心にも刻み込まれているけれど。
 そう思い、苦笑する。
 そんな物思いが出来るだけでも、マシになったものだと思う。もっと幼い頃は、フラッシュバックする記憶だけでも、呼吸困難を起こしては倒れたものだ。
 ゆっくりと少しずつ、けれど確かに自分はそれを乗り越えつつあるのだろう。乗り越えた先に解放があるとも思えないけれど、それは少なくとも弊害なく生きるためには、どうしても必要な事だった。
 自分ひとりであれば、別に構わなかった。いつ発作的に破壊衝動に襲われようと、呼吸障害で倒れようと、それは全て自分一人にしか帰属しない出来事だ。
 そしてそれでいいと思っていた。
 どうせ世界はいずれ狂うのだ。まともなまま生き抜く事など出来る筈もないと、幼い頃から見据えていた。
 だから、たった独りで生きて、心寄せる植物にだけ傾倒してその楽園で暮らし、それでもいつか狂い切ったなら、その時は山の高みから身を投げ出せばいいと、そんなことを陶酔しながら思ったものだ。
 けれどいつの頃からか、そのうっとりするような誘惑は消えていった。
 ………小さな少女に出会って、知らない事を多く与えられた、から。
 本当にその少女は小さくて、今の自分であれば片腕で抱き上げても余ってしまう、そんな細く白く小さな女の子だった。
 小手鞠に溶けるように微笑んで、自分はそれを天使だと、そう信じた。………信じたという事すら、考えてみれば世界の狂気を知った後は初めてだったかもしれない。そもそも天使という概念どころか、神すら唾棄するような子供だったのだから、当然だろう。
 幾度も幾度もその小さな天使を傷つけ殺しかけ、ベッドで眠る以外なにも出来ない人形のようにしてしまい、それでも天使は消えずに傍らに存在してくれた。
 多分、それこそが奇跡だったのだろう。
 自分が変わった事よりも、自分が着々と偉業を成すための道を歩んでいる事よりも、少女が劇的なまでに身体の症状を回復させた事よりも。
 何よりも一番不思議で不可解であり得なかった事は、あれだけ傷つけ苦しませ辛い思いをさせた筈の自分の傍に、それでも彼女が逃げる事も怖れる事もなく、真っ直ぐな眼差しのまま佇んでくれていた事だ。
 それは今でさえ途切れる事なく与えられる、美しい紬糸のような危うい均衡に支えられた距離。
 「……………」
 微かな溜め息のように息を吐き、見えてきた家を見上げた。
 そのちっぽけな家の全貌を呼気の中で全身に伝えるように思い出す。
 庭と、それに連なるような森に囲まれた小振りの家は、どこか浮世離れしている。
 ………なにより街から帰ってきて眉を顰めたくなるのは、何一つ警戒心がないような、鍵すら掛けられていない家の在り方だろう。
 それでもそれは必要上仕方のない処置である事も確かで、今更それを詰問する事も出来ないけれど。
 ここは平和過ぎて穏やか過ぎて、アスファルトに覆われた土地で忙しなく生活している身には、目眩を起こしそうだ。
 ここに戻れなくなったなら、きっと自分は幼い頃の悪夢のように狂った世界に住む事しか出来ないのだろう。疑う余地もなく、ここが自分にとっての精神のバランスの中核だ。
 失ったなら弥次郎兵衛が均衡を崩すどころか、そもそものバランスを取るものが消え、地へと崩れ壊れるだけだ。
 鬱屈として想像を苦味とともに飲み込むと、脳裏に描いた家の姿が視覚的にも捉えられるようになった。そして、その家の前に立つ背中が覗ける。
 ゆったりとしたワンピースを着ていても明らかな程細い、小柄な体躯の髪の長い少女。その身体のように小さなバケツを持っていて、庭の方へと歩んでいく。
 おそらくはハーブの収穫を行なうのだろう。
 あまり身体の丈夫ではない少女は、一度に多く動き回る事は出来ない。だからこそ毎日こまめによく働く。それは勿論、量的な話ではなく、質的な……あるいは本質的な話だ。
 必要な事、不必要な事、それを彼女はよく知っている。知っていて、その中から行なわなくてはいけない事を抽出し、身体に無理をきたさない時間内の働きで成果を出せる。
 もっとも、それでも元来は働く事を好む性質なのか、少女は動く事を好み、つい一歩の多さを繰り返しては寝込む事も珍しくはないのだけれど。
 そうしてその度に同居している子供に叱られ、心配と不安を与えたと苦笑している。それでも回復する事を信じて疑わない子供の眼差しに支えられるように、少女は長く病床に伏せる事は無くなった。
 時は、流れるものだ。
 そう実感する。知識として与えられた言葉ではなく、確かにこの身体で感じ取り理解する。
 永遠に続くと思っていた暗く狭い空間から、解放された。
 たった一人朽ちていく事しか思わなかった自分の傍には、少女と子供がいる。
 とうに寿命を終えている筈の少女は、こうして確かに生きて日々を慈しんでいる。
 過去に信じていた未来は変動した。それならば、この先とて自身の変化とともに未来は変わりゆくのだろう。
 そうして、その変化を微笑みながら拒む事も躊躇う事もなく、少女は粛々と受け入れ前を見詰めるのだろう。
 ………それが、例え先のない未来であったとしても、その時に出来る精一杯の行為を差し出しながら、まるで世界を愛でる事だけをエネルギーにして。
 家の入り口を通り過ぎ、庭へと足を向ける。そこでは微かにハサミの音がする。思った通りハーブを収穫中の少女は、背を丸め、ハサミの音と変わらないくらいの微かさで何かを口ずさんでいる。
 メロディーがなんとか聞こえる程度のそれは、少年の耳にも聞き覚えのあるものだった。おそらくは聖歌の類いだろう。自分はきちんと覚えてなどいないけれど、少女は聖歌隊にいたのだから、より多く記憶していても不思議はない。
 優しく流れるメロディー。自分が一番多く長く聞いた人の声が響く。
 それはどれだけの幸福か。どれだけの慰めか。どれだけの支えか。
 そんな事を論ずる無意味さは、他愛無いママゴトじみた恋愛で囁く級友たちの姿で辟易しているけれど。
 これがなければ自分の未来は違っただろう。
 そんな事はないと微笑む少女が目に見えるけれど、同じ未来は有り得ない事だけは知っている。
 彼女でなければ不可能だった。
 ………彼女以外に代わりなど出来る筈が無かった。
 だから、今はよく解っている。誰かが誰かの代わりとして存在する事など出来ないという現実を。
 そのたったひとりと出会えた奇跡は、自分が与えられた数々の痛みを補って余りあるだろう。
 踏み締めた土が微かに音を立てる。ハサミの音、彼女の声。それに掻き消されたと思ったのに、少女は振り返った。
 幼い頃と変わらない、真っ直ぐに相手を見詰める眼差し。けれどそれは逸らされる事はなく、無表情に掻き消される事もなく、今は花開くように綻び微笑む事を知っている。
 「和也?びっくり、したわ」
 目を瞬かせながら、それでもすぐに微笑み、最上の音で名を呼んでくれる。
 それを眩いものを見詰めるように視野に収め、あと数歩の距離を足早に縮めた。
 「論文に必要な資料、こっちにあったから。ついでだから、こっちで仕上げちまおうと思って、来た」
 純粋な喜色にぶっきらぼうにしか応えられない少年は、そっけない言葉でそう告げ、少女を見下ろす姿勢から屈み込み、同じ高さの眼差しに変えた。
 「あら、ならあの子の宿題、一緒に見てあげて?」
 両手を胸の前で合わせて、名案を思いついたように笑う少女がいう子供の事に、少年は少し目を大きくした。
 「宿題?あいつが手こずるのか?」
 彼女とともに暮らしている子供は、幼い内から自分が扱いも解らずに色々教えた成果か元からの才能か、理解力応用力ともに大人顔負けだ。経験という時間さえ得れば、あの子供は十年二十年先に研究していた研究者すら足元に及ばなくなるだろう。
 そんな子供が、学校の課題程度で頭を悩ませるのもおかしな話だと怪しめば、少女は苦笑を浮かべた。
 「違うの。多分、だけど」
 「………?なんだ、そりゃ」
 「寂しい…のかも、しれないわ」
 解らないから教えてと、傍にぬくもりを求める。呼ぶ声に応える声を求める。それはたいして珍しい事でもないし、神経を尖らせる程の事でもない。
 ただ漠然とした悲しみや寂しさは、誰でも経験するものだ。だから大袈裟に関わるよりは、気位の高い子供が受け入れられる状況で望むだけ与えればいい。
 実際、学校に通った事のない少女では、勉強は難しい。基本的な事は幼少期を過ごした院でも習い、なんとか解るけれど、それは生活に即した事ばかりで、勉学という範囲のものはあまりない。
 それを承知している子供が、それでも教えてくれというのであれば、実際の助言以外の事を求めていると想定する事は容易い。
 だから、久しぶりに帰って来た少年にも沢山関わってほしいのだと、少女は相変わらず年齢に似合わない大人じみた思慮を、透けるような微笑みとともに囁いた。
 それに小さく吐息を落とし、幼かった頃自分もそんな風に見えたのだろうかと、胸中面白くないものを感じながら、少年は傍らに置かれたハーブの入ったバケツを手に持った。
 「和也?」
 不思議そうな少女の声を背に立ち上がり、見上げるその視線に不敵に笑んでみせて、手を差し伸べる。
 「あのガキ、まだまだ手がかかるな。仕方ねぇから、エッグタルトで手を打つぞ?」
 一応論文の提出期限もあるのだ。子供と関わったくらいはどうってことはなく、間に合わせる自信は当然ある。けれど、小さな我が侭を告げるくらいは大目に見てもらいたいと、どこか子供に対抗するように少年が条件を出した。
 それにきょとんとした顔を晒したあと、少女は少年の手を取り立ち上がり、ハーブ園をその背に背負ったまま、鮮やかな自然の緑にも空の青にも劣らない、満開の笑みを浮かべた。
 「喜んで。ハーブティーも、どうかしら?」
 「飲みてぇけど。後で俺が取ってくる。………まだ、気温が高いだろ」
 あまり長く陽射しの強い日中に外にいるなと、今もまだ心配性の少年の言葉に少女は困ったように笑い、強くなった繋いだ手のひらを見詰めた。
 昔から自分を立ち上がらせ外の世界を教え、狭かった自分の中の世界を広げてくれた、手のひら。
 その甘やかす優しい手のひらの恩恵に感謝しながら、少女は強まった手のひらの微かな痛みを拒否する事すら思わず、微笑んで頷いた。
 「なら、紅茶、煎れるわ」
 たおやかに優しく音が綴られる。
 何も拒まず疎まずただ抱き締めて慈しむ音。
 それを酔い痴れるように耳に響かせ、少年は頷き、たいした距離もない玄関へと足早に向かった。


 その腕の先には、幼い頃からたったひとりの人。

 小さく細く白く
 空気に溶け
 空に帰り
 自然に取り込まれそうな、人

 そのぬくもりすらあれば、生きられる。

 他者との関わりも愛おしさも
 この世界の美しさすら、教えてくれた人。


 その人のさえずる音に、ただ耳を澄ませた。








 冒頭の歌詞は槇.原敬.之さんの『祈りの歌が聞こえる』から抜粋。ちょっと途中を抜かしたりしてますけどね。
 カラオケで龍笛練習している時に休憩中流していました。知らない歌だったから気になって!!
 和也しか思い浮かばんかった。あと違う部分では子供の方。どっちもどっちなんだな、きっと(笑)

 今回は和也メインで、のろけに近いくらいを目指してみました。いや、いつもそんな雰囲気だが、一応あれで惚気ているとかそういうんじゃないから!ヤツはシスター相手の時のみ天然だ。
 久しぶりに小説を書きましたが(ええ、オリジナルが久しぶりではなく、小説が久しぶり)書くペースは相変わらずでしたよ。
 いいのか悪いのか、書き始めるとノンストップ。結局夜中に出来上がったので翌朝の推敲時に愉快な間違いが多数発見されました。まだ残っていたらすみません。

10.1.16